①城岡聖薇の憂鬱
「さあ、聖薇ちゃんどんどん食べて~」
母、佐和子の陽気な声が、リビングに響き渡る。
テーブルの上にはエッグマフィンにホットケーキ、ブリオッシュに、フレッシュオレンジジュース、黒トリュフのスクランブルエッグ、燻製サーモンの塩焼き、乳飲み仔羊のタジンなど、豪華な料理がこれでもかと並べられている。
それらの料理を見下ろしながら聖薇は、「食欲ないし……」とため息をついた。
「どうしたの、聖薇ちゃん。ダイエット中?」
「違うって。ホントに、ただ食欲沸かないだけだから」
聖薇は、首にかけられた金色のネックレスを弄びながら呟いた。
義兄、拓夢が姿を消してから、およそ一ヵ月が経過した。最初は両親にこれでもかというほど詰め寄ったが、両親は「本当の両親に引き取ってもらった」と答えるだけだった。それが嘘だということはすぐに分かったが、聖薇にはどうしようもなかった。大人たちが用意周到に企てた計画の前では、一人の中学生の娘に出来ることなど、何もないのだ。
「……元気がないなら、お前が欲しがってたものをあげようか?」
黙々と料理を食べていた父、隆志が、チラリと聖薇を見ながら言った。
「あたしの、欲しいもの?」
「スマホだよ。この間発売された、最新の機種が欲しいと言ってたじゃないか。今度の休み、一緒に買いに行こう」
「そんなの、欲しくないし!」
聖薇は、顔を背けながら強く否定した。
立ち上がってテーブルをひっくり返して、料理を床にぶちまけなかっただけでも、我慢した自分を褒めてやりたいくらいだった。
それぐらい、聖薇は拓夢の失踪に心を痛めていたのだ。
「聖薇ちゃん。拓夢は、もうここにはいないのよ? あの子のことは、早く忘れなさい?」
そう言って、佐和子は微笑みかけてきた。
「お兄ちゃん……」
その名前を聞いた瞬間、聖薇の中で不思議と懐かしい感覚が蘇る。
――あたしの欲しいものは、お兄ちゃんなんだ……。
聖薇がずっとイライラしている理由。それは、いなくなった兄の温かさを求めているからだった。
「あ、あたしっ。もう学校行くからっ」
「聖薇ちゃん!?」
呼び止める母の声も聞かずに、聖薇は急いで荷物をまとめて家を出た。
外に出た瞬間、聖薇の口からため息が漏れた。
拓夢はもう帰ってこない。居場所も教えてもらえないから、こちらから会いに行くことも出来ない。
「寂しいよ……」
霞がかったような、春の青空を見上げながら、聖薇は呟いた。美味しい料理なんてなくていいから、拓夢にいてほしかった。スマホなんて買ってもらえなくていい。拓夢さえいれば。
それだけで、よかったのだ。
「お兄ちゃん、早く帰ってきてよ……バカ」




