③聖ジュリアンヌ女学院
深い眠りから目を覚ますと、拓夢の視界には見知らぬ天井が映った。
「あ、あれ? どこだ、ここ。病院じゃ、ないみたいだけど……」
拓夢は即座に考えた。なぜならば、光り輝くシャンデリア、大きなクローゼット、その他の家具、家電品も、今自分が寝ているフカフカなベッドも、全て高級品である。病院にこのような設備はない。しかし問題は、なぜ自分はこんな部屋に寝かされているのかということだった。
「い、いたた……」
思考を巡らせていると、頭の奥がズキズキと痛んだ。それに軽い吐き気もする。
「そうだった……。僕は、知らない女性に話しかけて、騙されて、さらわれたんだ」
だんだんと記憶が蘇ってくる。あまり思い出したくはないが、病弱を装う美女と、怪しい黒服の男たちのことを。そして、この手入れが行き届いた綺麗な部屋。
「困ったな。早く帰らないと。お義父さん達にまた怒られちゃう」
「――その心配はいりませんよ?」
急に声がして、思わず拓夢は飛び上がりそうになった。
「失礼いたします。お目覚めはいかがですか?」
そう言って室内に入ってきたのは、先ほどの女性だった。
「おはようございます、拓夢様」
先ほどと違う所は、女性の服装だろう。
ワンピースタイプの、黒のメイド服。
細くて長い脚を包み込むようなロングスカートも、銀色の髪をまとめるメイドキャップも、いかにも中世のメイドといった、気品と上品さにあふれていた。
「思ってたより幸せそうに寝てらっしゃいましたね。薬の量を、もう少し増やした方がよかったのかもしれませんね」
そして、悪びれもなくそう言った。薬を盛ったというのに、何の謝罪もなく。
「あ、あの! すみませんけどっ、どういうことなのか説明してもらえませんか? というか、出来ればまず謝罪を頂けるとありがたいんですけどっ」
憤慨――といってもへりくだりながらだが――拓夢にしては、精一杯の檄を飛ばす。すると、女性は首を約二㎝だけ傾けて、
「はい、すみませんでしたー」
「軽っ!」
一応ツッコむが、謝ってはくれたので、とりあえずよしとする。
「と、とにかくですね! えーっと……」
「はい」
「……お名前は、何というんですか?」
「これは申し遅れました」
と、女性はつむじが見えそうなほど深々と頭を下げると、
「月雨ノエルと申します。あなた様の専属メイドを仰せつかっております。以後、お見知りおきを」
頭を上げながら自己紹介を終えたノエル。その美しい顔は、やはりどこかで見たような気がしてならない。
ノエルという名も、どこかで聞いたような気がする。
「拓夢様、どうされました? ボーッとされていますが」
「あ、いや……」
拓夢は言いよどむ。ノエルの方からは、何も言ってこない。どうやら、自分の気のせいだったようだ。
「すみません。何かどこかで会ったような気がしたんですけど、気のせいでした」
「そうですか。まあ、よくある話ですね」
ノエルは「興味ない」という風に、一応の相槌を打った。
「というか、専属メイドって何なんですか!? そんなことより僕、今日から新学期が始まるんですけど……」
拓夢は再び声を張り上げた。こうしてる場合ではない。ここがどこかは分からないが、すぐに学校へ向かわなければ、と。
「最初からお話します。城岡拓夢様。あなたが通っていた東雲高校には、もう転校を通知しております」
「はい……?」
淡々と話すノエルの言葉が、ナイフのように拓夢の胸を突き刺した。
というより、いきなりそんなことを言われても、受け入れられない。
「それだけではありません。あなた様が今後通われることになる学校への転入学手続き、新居に暮らすことへの転居届も、全て済ませております。変則的ではありますが、この部屋から直接登校して頂く形に――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
首をフルフル! と振って、拓夢はノエルの言葉に割って入った。
「転校……? 転居……? そんなこと、親の許可もなく勝手にできるわけないじゃないですか!」
ノエルはしかし、静かに首を振った。
「拓夢様。そのことについてのご説明は後で追っていたしますが、ご両親からの許可は、すでに頂いております。東雲高校に提出する転校届も、役場に出す転出届も、全てご両親から直筆でご署名を頂きました」
「え、えぇ……?」
ノエルは「失礼」といってテーブルに座ると、その上に乗っていたノートPCを起動させる。
そして見事な手さばきでカタカタ! と小気味よい音を鳴らし、部屋の中央にあるスクリーンにモニターを映していく。
「な、なんですか、これ……?」
画面に映し出された紙には「転出届」と書かれており、書いた覚えのない自分の名前も書かれていた。さらに、届出人には義父の名前。
無言で、ノエルは画像をスライドさせていく。
「えっ……」
そこに映し出されたのは、「転校届」だった。ここにも自分の名前と学校名、そして、保護者の氏名として義父の名が書かれている。
どちらも、隆志の筆跡で間違いなかった。
「ああ! そんな……」
拓夢は声を上げて、悲嘆に暮れた。
考えたくもなかったことだが、あの親達は、とうとう自分を捨てたのだ。おそらく、親戚にでも自分を預け、親権も移動させるのだろう。
「拓夢様」
わずかに眉をしかめながら、少しだけ遠慮がちな声のノエルが、言った。
「その……何の慰めにもならないとは思いますが……元気を、出してください」
頬を赤らめながら、小声ではあるが、確かにそう言った。つまり、自分を慰めてくれているのだろう。
「過ぎたことは元より、前に進みませんと。何も得られるものはありません」
「は、はい。そうですね」
無表情のメイドから少しだけ元気をもらえた拓夢は立ち上がった。
そして思い出したかのように、改めて室内を見渡した。
家具は高級品で統一された、広々とした部屋。当然のことながら、こんなお金持ちの親戚は知らない。
カーテンを開けてみると、外はもう夜だった。ということは、半日ほど眠っていたのか……。
見下ろすと、外にはグランドがある。噴水広場の横に広大なテニスコートや、アーチェリー場にプール。聖堂や馬を走らせるターフまで。他にも、巨大な施設、工事中の建物が数点……。
「えーっと。ここ、どこなんですか?」
「ご説明いたします」
ノエルはテキパキした動作で、パワーポイントを駆使し、スクリーンに動画を起動させた。
聖ジュリアンヌ女学院。幼稚舎から大学まで一貫したエスカレーター式のお嬢様学校は、まだ新設校ながら格式高く、財閥や企業の令嬢から華族に至るまで、いわゆるお金持ちの娘が、多数在籍している。「世界に誇れる女性たち」をモットーにしているらしく、卒業後は著名人、有名人を多く輩出していて、そのための教育や人間形成を意欲的に実地しているそうだ。
カリキュラムや講義の履修方法に差し掛かってきたところだった。
拓夢が眠くなってきたので、ノエルはそれを察し動画をストップさせた。
「……ここ、女子校だったのか」
どおりで聖堂や牧場などの、普通の学校にはない施設があったわけだ。
拓夢のつぶやきに、ノエルが答える。
「拓夢様、何かご質問などは?」
「……エスカレーター式ってことは、幼稚園の頃から、大学まで通うんですよね? そんな小さなころから、子供の将来を決めていいのかな……?」
ノエルは拓夢の回答を予期していたかのように、スラスラと答える。
「真に健全な精神とは、子供の内から宿ります」
なんとなく、荘厳な口調になるノエル。
「そのためには、ただ入学するだけではダメです。魂を育て、知性を磨き、実行力を養う。豊かな人間力を形成するには、人生の早い内から深い教育を受ける必要があるのです」
「な、なるほど……」
「まあ、固い口調になりましたけど。意外とうちの校風、緩いんですよ? 理事長が結構、自由な人ですし」
うちの、というからには、このノエルもここに通う学生なのだろうか。
それとも、ただ雇われた家政婦さん的な存在なのだろうか。
今の拓夢には、それどころではない話だが。
「というか、どうして僕に女子校の動画なんて見せるんです? 早く、僕が転校する学校の資料を見せてもらえませんか?」
「それはボケですか? 今見せたじゃないですか。あなた様があくびを噛み殺している間も、私が一生懸命に説明して」
「え……ほ、本気ですか?」
こくこく、と頷くノエル。
「ええと……僕、男なんですけど」
「知ってますよ。それどころか、生年月日、血液型、身長、体重、全て存じております」
拓夢には、正気の沙汰とは思えなかった。一度開いた心が閉じていくのを感じる。このノエルという女性は、本当に信用できるのだろうか。
「あなた様が通われる高校は、ここで合っています。ただし、特待生として、ですけど」
「……特待生?」
「そうです。こちらが求める優秀な人材に対して、特別な待遇を課す代わりに、変則的に当学園に転入して頂きました」
拓夢は愕然とした。
まさか、女性アレルギーの自分を、女子校に入れようだなんて!
「拓夢様、拓夢様」
「は、はいはい」
二度呼ばれて、思わず拓夢も二度答える。
「……説明を続けても、よろしいでしょうか?」
拓夢には、頷くことしか出来なかった。
庶民特待生とは。
筋金入りのお嬢様ばかりである聖ジュリアンヌ女学院の生徒たちに、庶民との文化交流をはかる。何しろ、箱入り娘たるお嬢様たちは、ゲームや漫画やアニメなどの、庶民的趣味や、映画やカラオケやボウリングといった、風俗的な遊びも、一切知らない。
ノエルが言うには、庶民特待生は男性と決まっているらしい。これは、ほぼ男子と関わらず暮らしてきたお嬢様たちに、少しでも男性免疫をつけさせることを目的としていると。
だからって、なぜ僕なんだ……。
そうツッコミたい気持ちを、必死に拓夢は抑えた。
ノエルの話には、まだ続きがあるからだ。
「近年、女性の出産率は、大きく低下しています」
そう言うと、ノエルはまたスクリーンに映像を映した。
『合計特殊出生率』と書かれた折れ線グラフが表示される。左の年代から始まり、現在に行きつくに連れ下降している。右肩下がりというやつだ。
「合計特殊出生率とは、一人の女性が一生の間に産む子供の平均数です。年代別に、女性の産んだ子供の数を総人口で割ると、我が国は今1.4という数字を記録しています。これは、過去最低記録です」
高齢化社会、日本。現状の人口を維持するためには、最低でも2.6台は必要とされる。問題なのは、先進国であるほど、出生率が低下しているという点だ。出生率の低下は、労働力の低下を意味する。将来的に保険料を負担する人数も低下するため、年金財政を破綻させかねない。
このままでは、やがて二人に一人が六五歳以上という、超高齢化社会になってしまうだろう。
高齢化社会の原因は、いくつかある。将来の見通しの不安、貧困、格差など……。しかし、それは庶民の話である。聖ジュリアンヌ女学院は、大金持ちのお嬢様ばかり通う名門学院だ。当然、後継ぎは期待される。しかし、無理強いすることは出来ない。そこで、結婚することの楽しさ、恋愛の素晴らしさ、ひいては、男性への免疫を早い内からつけておこうというプロジェクトなのだ。
「私からの説明は、以上です。どうなさいますか?」
「どうって……」
「言っておきますが、庶民特待生になって頂けば、学費、家賃、食費、教材費、雑費などは、全て支給します。さしあたっての生活費なども」
「う……」
ノエルはまた無茶苦茶なことを言い出した。
これが本題なのだろう。おそらく断れば、そのお金とやらは、出ないに決まっている。
ならば、答えは二択と見せかけて一つしかない。
しかし、拓夢は悩んでいた。
両親のことではない。あの両親は、自分を捨てたのだから。
悩んでいるのは、聖薇のことだ。
拓夢が今の家に引き取られたのは、ちょうど十三年前のことだった。
実の両親のことは、覚えていない。不幸な事故で亡くなったとしか知らされていないからだ。
今の両親が、どういうキッカケで拓夢を引き取ることになったのかは知らないが――というか、両親はこのことを聞くと烈火のごとく怒るのだ――とにかくそんな経緯があって、拓夢は城岡の人間として育てられたのだ。
正直、今の家族のことを、拓夢は好きではない。しかし、聖薇は別だ。
といっても、拓夢が養子になった時聖薇はまだ二歳で、赤ちゃんも同然だった。まだまだ甘えん坊で、誰に対しても素直だった。
当然、拓夢はそんな聖薇のことを可愛がった。それこそ、実の妹のように。
聖薇もまた、拓夢に誰よりも懐いていた。小学校に上がるまでは。
毎日いつも一緒にいて、寝る時もお風呂もトイレすらも一緒だった聖薇は、成長するにつれて冷たくなっていった。
小学校高学年になる頃には、「キモい」だの「ウザい」だのと悪態をつくようになり、中学三年生となった今では、口を開けば悪口が飛び出してくるといった有様だ。義両親と比べれば、暴力を振るわないだけまだマシなレベルだ。
とまあ、何とも可愛くない生意気な妹なのだが、それでも拓夢の胸には、チクリと痛むものがあった。
聖薇と離れて暮らすことに、寂しさを覚える自分がいる。
「理事長と会っていただけませんか? 拓夢様」
ノエルは言った。理事長というからには、この学院のトップだ。
つまり、このプロジェクトに拓夢を任命した張本人だろう。
「……理事長先生は、女の人ですか?」
「もちろん。ですが、あなた様の女性アレルギーのことは知っています。無理をさせるようなことはしません。ご安心ください」
ご安心をと言われても、ノエルには騙されてばかりいる。
といっても、興味は沸く。なぜ、自分なのか。そして、なぜこれほどの好待遇で迎え入れるのか。なぜ、これほどまで強引な手段を使うのか。疑問は絶えない。
「とにかく、理事長に会ってお話ください。そして、それからお考えになられてはいかがですか? このプロジェクトを考えられたのは、理事長なので」
「そうですね……どうせ、僕には選択肢なんて残っちゃ――」
「拓夢様、それは違います」
ノエルは、少しだけ眉間にしわを寄せて、拓夢に迫った。
「私は、貴方様のメイドで、理事長の秘書でもあります。この件に関して、口を挟める立場にありません。ですが、これだけはハッキリと申せます。理事長は、あなた様に強制をしたり、無理強いをするようなお方ではないということです。そして、この私も」
怒気と、悲しさをはらんだような表情で、ノエルは少し早口に言った。
それはきっと、拓夢に本当の気持ちを分かってほしかったからなのだろう。
拓夢の心に触れるには、それしかなかったから。
「これだけは信じて下さい。私も、理事長も、あなた様の味方です」
「……分かりました」
拓夢がそう答えると、ノエルはまたいつもの無表情に戻っていった。
それから電話をかけ、理事長室に今から向かうことを告げると、「さあ、行きましょう」と拓夢を促した。
「理事長か……」
たった一日で、拓夢の日常は目まぐるしく変化してしまった。
しかし……こうなれば、ヤケクソだ。
これ以上何が来たって、驚きやしない。また何か非常識なことを言い出して来たら、楽しむだけの余裕を見せてやる。そう意気込みながら、拓夢は部屋を出るのであった。