《エピローグ》光と影の二面性! 怪しく微笑む夢子の正体!
庶民同好会がパーティを楽しんでいる頃、月雨ノエルはとある場所へと向かっていた。
神薙夢子のいる理事長室。
一日の報告を入れるためだった。
「――と、いうことです。一時期は精神的に不安定になっていたようですが、桜さんのご助力もあり、今はもう立ち直っておられるようです」
ノエルは、機械のようにスラスラと丁寧に話し終えると、チラリと前を見た。
テーブルに着き話を聞いていた夢子が、ゆっくりと口を開く。
「そう。それはよかったわね! ただ……あまりご飯を食べていないのが少し気になるけど。育ち盛りなんだから、沢山食べないとね」
苦笑しながら、夢子はそう言った。
就業時間が終わっていることもあり、テーブルの上には高級ワインと、ワイングラスが二つ、そして、古い新聞のスクラップ記事が置かれていた。
「報告は聞き届けました。引き続き、拓夢君をお願いね」
「はい理事長。あの方は面倒ばかりかけますけど」
ノエルが不満そうに言うと、夢子はくすくす笑った。
ノエルと夢子は長い付き合いではあるが、大勢と仕事をしている時と、こうして二人で話している時とでは、全く違う。出来るキャリアウーマンといった風情から、優しいお母さんといった感じになるのだ。拓夢について話している時は、とくに。
拓夢がこの学園に来てからは、夢子はイキイキとして、いつも嬉しそうで、時折ゾッとするくらい美しく見える。そして、絶え間ない母性を感じるのだ。
母性……自分に、そんなものを感じる気持ちが残っていたのか。ノエルが自分の感情の機微に苦笑していると、夢子は笑顔を作る。
「それじゃあ、拓夢君の方は、もう問題なさそうね?」
「ええ……。この学園を辞めようかというほど悩んでいたそうですけど。もうすっかり元気ですので」
ノエルがそう言うと、夢子は辛そうにうつむき、ため息をつく。
「やっぱり……少し強引すぎたかしら」
「そうですね、強引すぎましたね」
ノエルが冷たくそう言うと、反対に夢子は暖かな笑みを浮かべ、
「仕方がなかったのよ。城岡家との契約だったんだから。それに、雙葉の本家との兼ね合いもあるしね」
「雙葉に知られないよう情報を秘匿にすることは、並大抵のことではありませんよ。いえ……おそらく、もう気づかれているかと」
「それでもかまわないわ。もうじき、拓夢君が17歳の誕生日を迎えてしまうもの。そうしたら、『あの力』に覚醒してしまう……。だから、その前に……」
「そうですよね……」
「ええ。だから、事は慎重に運ばないといけないの」
夢子にそう言われ、ノエルは口をつぐんだ。夢子の目は鋭く、冷気を放っている。先ほどの慈愛を感じる瞳はなくなっていた。
「ノエル。拓夢君からは、しばらく目を離さないようにね」
その瞳に見つめられては、ノエルも「かしこまりました」と答えるしかない。理事長を敬愛するノエルだったが、同時に何よりも恐れているのだ。
「ありがとう。今日はもういいわ。パーティに戻っていいわよ? 拓夢君のこと、気になるんでしょ?」
「私は……別に。そのようなことは……」
ノエルは、言葉尻を濁しながら答えた。その隙を、雌豹が狙う。
「いいのよ。無理しなくったって。『あの時の約束』をまだ覚えているんでしょう? もういっそ、あなたの方から打ち明けたら?」
「なな、なにを言ってるんですか」
「またまた誤魔化しちゃって~え☆ 何だったら、私から拓夢君に教えてあげましょうかしら? あのね~、ノエルちゃんは昔ぃ~、拓夢君と出会ってて~♪」
「も、もう止めてください! 理事長!!」
な~んちゃってね♪ とイタズラっぽく舌を出す夢子に、ため息をつくノエルだった。
冷静沈着なノエルではあるが、幼少の頃からお世話になってる夢子には、どうにも頭が上がらない。こうして拓夢への気持ちをからかわれることも多くあり、そのたびにノエルは、胸をかきむしられる思いがするのだ。
「冗談はさておき。私のことはいいから、本当にいってらっしゃい。ノエル」
「そうですね……片付けとかもありますし。給仕役は必要でしょう」
ノエルは、白い頬を赤く染めて、鋭い目をもっと細めて、まくし立てるように言った。考えてみれば、拓夢と四天使を同じ部屋に残すのは危険だ。拓夢は気分が高揚しているし、ノンアルコールとはいえお酒を飲んでいる。いつ間違いが起こるとも限らないので、自分が監視しておく必要がある。
「それはそうと、理事長もお酒、飲み過ぎないようにしてくださいよ」
「あ、バレてた?」
冷静にツッコむノエルに、夢子は肩をすくめながら答えた。
「どれだけ長い付き合いだと思ってるんですか。そのボトルだって、二本目でしょう?」
「いいのよ。嬉しいことがあった日は、沢山飲まないとね~♪」
「はぁ……。分かりましたから。明日の仕事に差し支えが出ますので、くれぐれも程々にしてくださいね」
「はぁ~~い♪」
……これは、飲み明かすパターンだな。そう心の中でため息をつきつつ、ノエルは退室するのだった。
ノエルの想像通り、夢子は一人きりになった理事長室で、空になったワイングラスを傾けていた。
拓夢がこの学園を辞めたいということを聞いた時には、正直焦った……いや、絶望したといってもいい。お嬢様学園の中で、たった一人いる男子生徒。しかも女性アレルギーを持っている身というのは、夢子の想像以上に彼にストレスを与えていたようだ。
だからこそ、彼が在学を決めてくれたことには安堵している。これでしばらくは大丈夫そうだ。空のグラスにワインを注いでいた、その時。
「あら……?」
夢子はグラスの横に置いてある、新聞のスクラップ記事に目をやった。
大分古いもので、日付は今から13年前となっている。
「忘れていたわ。あなたにも、注いであげないとね」
うっかりしていた、とばかりに夢子は、もう一対のグラスにも少々の酒を注ぎ、その新聞記事の前に置く。
「――今日は、あなたも飲みましょう? 乾杯」
チン、と夢子は、ワイングラスの飲み口を合わせた。そして、ゆっくりと鼻孔の下に当て、濃厚なブーケの香りを味わう。
「拓夢君は、良い子に育ってるわよ? だから、安心して眠ってね。志拓さん」
高揚しながらも、どこか思いつめたような真剣な表情で、夢子は新聞の切り抜きを眺めた。その見出しには、こう書かれている。
――稀代の資産家にて、聖ジュリアンヌ女学院創設者。雙葉志拓怪死事件!
「……うふふ。これからが楽しみね。拓夢君?」
怪しく微笑むと、夢子は一気に酒を煽るのであった。




