㉞静かにしなさい!
1時間目。今日は三年生のクラスに移動した拓夢は、百合江のいるC組と共に、視聴覚室に来ていた。
大型スクリーンとオーディオタイプの音響装置を備えていて、教室というより小さな映画館という表現が正しい。三年C組の1時間目は化学なので、スクリーンに映し出されたビデオを見ながら、後で感想文を書いたレポートを提出することになっている。
暗い室内には、「カリカリ」というペンを走らせる音と映像の音以外、何も聞こえない。
まあ、授業中なので当然といえば当然の話だが。
「皆さん、凄く真面目ですね……」
「何を言ってるんですか。せっかく授業を受けているのですから、緊褌一番、勉学に励まないと」
緊褌一番って……。女子高生らしからぬ言葉遣いをする百合江に、拓夢は心の中でツッコミを入れた。見てみると周りの女生徒達も、居眠りなどせず真剣にレポートに取り掛かっている。
席についた時点であくびが出そうになった自分が、恥ずかしくなる拓夢だった。
しかし正直に言えば、DNAやら細胞分裂などに興味はない。隣にいる美少女の方が、よっぽど気になるのだった。
一切の乱れもなく整ったサラサラな美髪や、彫像のようにキリッとした表情は、見ているだけで全く飽きないのだ。
「何を見てるんですか? 城岡さん」
「へ……?」
「さっきから私の顔。ジロジロと見てましたよね?」
「あ、ああ、す、すみません。僕は……」
「私を見るより、スクリーンを見てくださいね」
謝罪を遮る百合江に、拓夢は顔を赤くした。言い訳を見抜かれたこともそうだし、百合江の顔に見とれていたことは、もっと恥ずかしい。
「それでは、質問します。2倍に別れた細胞がヒストンに巻かれて染色体に固まるわけですが、真核生物の核を細胞質から隔てている生体膜であり、遺伝物質を内包している膜のことを何と言うでしょう?」
「え? あ、ああ……すみません。分からないです」
「それは、何故ですか?」
「……ちゃんと、見てなかったからです」
「では、どうすればいいか……分かりますね?」
「は、はい。ちゃんとスクリーンに集中します」
小学生のような怒られ方に、いよいよもって、情けなくなる拓夢だった。なので、今度は真剣に細胞分裂の様子を眺めていると……。
「……」
「あの……冷条院さん?」
なぜか今度は、百合江の方が拓夢の顔を凝視しているのだった。
「城岡さん……髪、切ったんですね」
「あ、分かりました? どうです、似合いますか?」
「それは分かりませんが、清潔感は出てきましたね。あの前髪は校則違反スレスレでしたから」
「そ、そうですかね……」
「ええ。その髪型も、何だったらチャラすぎるくらいです。いかがですか? 思い切って坊主頭にするというのは」
「それはちょっと厳しいです……」
自分で話題を振っておきながら説教に入る百合江に、苦笑する拓夢だった。
「メガネも、止めたんですね」
目を細めながら、上目遣いに拓夢を見ながら百合江は言った。
その瞳は瞬き一つしてない。
百合江にとって、とても大切なことのようだった。
「えーと……はい、コンタクトに変えたんですよ」
「コ、コンタクト……私には、無理かも」
メガネにするかどうかで悩んでいるようだ。
どうやら百合江は、目が悪いらしい。
しかし拓夢からしてみれば、メガネだろうが裸眼だろうが、変わらぬ超絶美少女なのだが……。
それに生徒会長を務めるなら、ものはよく見えた方がいいだろう。
「冷条院さんは、メガネかけたりとかしないんですか?」
「え……どうしてですか?」
「だって、よく似合いそうだから」
拓夢がそう言うと、百合江は勢いよく椅子から立ち上がった。
「な、何を言うんですか! いきなり!」
そう叫んだ瞬間、百合江はハッとなった。
生徒や教師たちから、一斉に注目を集めたからだ。
普段クールな彼女が、耳たぶまで顔を赤くしている。
「……冷条院さん。静かにするように」
ハイスミマセン、と可哀相なくらいペコペコとお辞儀をすると、百合江は椅子に座り直した。
呼吸は荒れていて、彼女の高鳴る心臓の音が、こっちまで聞こえてきそうなほどだった。
(な、なんかすみません。僕のせいで……)
(そうです。貴方のせいですよ。城岡さん)
拓夢が小声で話しかけると、百合江はジト目で睨んできた。
呆気に取られる拓夢に、さらに百合江は追い打ちをかける。
(本当に、この人はなんなんでしょう。こうなったら今日は、意地でも驚かせてやります……)
(え? 何か言いました?)
あまりに小声すぎて聞こえなかったので、拓夢は聞き返すことにした。
すると百合江は、恨めしそうな視線を投げつけて、こう返した。
(なんでもないです。もう私のことはいいから授業に集中してください……このナンパ男)




