㉚予想外の才能、予期せぬアクシデント
というわけで、拓夢と桜は馬小屋にきていた。桜の話だと、馬好きの父親は個人馬主で、サラブレッドの馬をオークションで競り落としたそうだ。厩舎の中に入ると、大きく白い馬が『ひひいいいいぃぃぃぃんっ!』と鳴いて拓夢を出迎えてくれた。
ちなみにドイツで品質改良された馬だという、名前はフローレンスで、3歳の雌馬である。軽量種だからか、顔は小さく、目元はクリクリして可愛らしい。白鹿毛の被毛とサラサラした鬣は美しく、おとぎ話の中みたいにメルヘンチックだ。
桜は、馬柵を外しながら拓夢に向かって話しかけた。
「拓夢くん。わざわざ付き合ってくれて、ありがとうね」
「い、いえ。もっと他にしたいことがあったら、何でも言ってください」
「いいの、これで。わたし、ずーっと白馬に乗った王子様にあこがれてたんだぁ」
「あはは。僕なんかが王子様役だなんて。もっと他に適任がいると思いますけどね」
「ううん。わたしは拓夢くんがいいの。拓夢くんが……」
桜は、少し寂しそうな顔を見せた。
「顔がカッコいいから……とか、そういうのじゃなくてね? わたし、最初に拓夢くんと出会った時から、すっごく気になってたの。胸がドキドキするっていうか。何でだか分からないけど……」
……ドキドキするのは僕もですよ。拓夢がそう言う前に、桜はフローレンスを柵から引っ張り出した。
「よ、よろしくね。フローレンスさん」
拓夢は馬を興奮させないよう、出来るだけ穏やかな声で挨拶する。
「ひひーん♪」
しかし、フローレンスは機嫌がよさそうに頭を上げ顎を見せてきた。
「な、撫でてほしいのか……? よし、触るぞ?」
「ひひーんっ、ひひ、ひいいいーん♪」
アゴの下から首筋をおそるおそる撫でてみると、意外にもフローレンスは、気持ちよさそうに目を細め、鼻を伸ばしていた。
「ひんひん、ぶひひーん、きゃうっ♪」
「拓夢くん……すごいね……。まるで調教師みたい」
フローレンスをあっという間に懐かせる拓夢に、目を丸くする桜。拓夢としても驚いていた。懐くどころか、首をスリスリとこすりつけてきたり、舌で顔をペロペロと舐めてきたりして、痛いくらいだった。
タルトの件といい、拓夢は飼育員としての才能があるのかもしれない。
「じゃあ、いこっか!!」
桜はリードでフローレンスを引き寄せると、運動場へと向かった。砂やウッドチップが敷き詰められた馬場は、8000坪ほどの広さがある。これだけで、東京ドーム約2個分の広さだというのだから、驚きだ。
「こうやって乗るんだよ、拓夢くん!」
桜は馬の左肩横に立ち、左手で手綱と馬のタテガミをつかむと、左足を鐙にかける。右足で地面を蹴ると同時に、右手で鞍の後橋をつかみ体を持ち上げ、静かに体勢を立て直すと共に、鞍の上に座った。
「さあ、拓夢くんもやって!」
さあ、やって! と言われても、初心者にはハードルが高い。体長2.4 mほどあるフローレンスは、拓夢にはライオンのように思えた。救いなのは、フローレンスが拓夢にとても懐いていて、かつ、とても大人しい品種であるということだ。
おそるおそる、拓夢は桜の真似をしながら、ゆっくりとフローレンスにまたがってみた。
フローレンスの反応は……。
「ひひーんっ♪」
まったく気を悪くしてないどころか、歓喜の雄たけびを上げていた。
「いいよ、拓夢くんその調子! もうちょっと、体幹を真っすぐにして!」
「は、はい。こうですか……?」
「そう! 目線は前にね!」
「……は、はい」
おっかなびっくりに前を向くと、桜が後ろを向いて拓夢に微笑みかける。
「それじゃあ、いっくよ~~!!」
甲高い叫び声と共に、桜が手綱を引っ張る。
「ひひぃぃぃぃぃーーん!!」
足で蹴って合図を送ると共に、フローレンスは常足で歩き出した。
常歩というのは、後ろ脚、前足、後ろ脚、前足と、四拍子のリズムでゆっくりと馬を歩かせる乗馬技術である。
「うわっ、うわわ!」
「落ち着いて! 馬の肢の動きに合わせるんだよっ!」
桜がアドバイスをするが、上下左右に振動が大きく伝わるので、拓夢は気が気でない。
「落とされる! 死ぬ、死ぬ!」
「死なないよ! 拓夢くん、しっかりわたしに捕まって!」
桜がフォローを入れると、拓夢は意を決しながら、桜の腰に手を回した。柔らかく、ほっそりとした感触が伝わってくる。女性アレルギーがまた発症しかけるが、今は恐怖の方が勝っているらしい。震えは来なかった。
「そうそう! 足の位置と重心移動が大事だからね! わたしと同じようにして!」
「は……はい。って、うわーっ!」
「ひひひひいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃん!!」
一際高い叫び声を上げると、フローレンスは激しく体を振り回しながら暴走をした。そして、ダダダーッと猛烈な勢いで、牧柵が立てかけてあるところまで疾走する。
「フローレンス! 勝手に行っちゃダメだってば!」
「ひっひいいいいいいいいいいいいいいいいん!」
「フ、フローレンス!?」
桜は鐙を強く踏んだり、手綱を引いたりするが、フローレンスの動きはますます過激になるばかりだ。
「ダメ! 制御できない!」
「桜さん、落ち着いてください! フローレンスが余計興奮するだけです!」
そう言うと、拓夢はフローレンス首に手を回した。
「フローレンス、君も落ち着くんだ。僕だよ、拓夢だよ。さっきは、あんなに懐いてくれたじゃないか!」
「きゃう……」
「フローレンスが僕を嫌いなら、それも仕方ないけど。桜さんは君の飼い主だろ? 危険な目に合わせないでくれ」
拓夢が優しく話しかけると、フローレンスは「ひひーん」と寂しそうに吠え、ゆっくりとスピードを落とした。よかった。落ち着いてくれたみたいだ。拓夢は大人しくなったフローレンスの首を撫でながら安堵していた。
「拓夢くんすごーい!」
「い、いえ……それほどでも」
いたく感動した様子の桜に、照れる拓夢。
「いやいや! ホントにすごいよ! 拓夢くん、騎手の才能もあるかも!」
桜は尚も、拓夢のことを絶賛していた。
「動物に好かれる人って、本能的に優しい人なんだよね! 拓夢くんって結婚したら、絶対いい旦那様になれるよ!」
「なっ……!? へ、変なこと言わないでください!」
「え……わたし、なんか変なこと言った?」
桜がきょとんとした顔で見つめると、拓夢は頬を赤くしながら「言いましたよ……」と小声でつぶやく。
「桜さん、あまりそういうことは言わないでくださいね……」
「え? なんでなんで?」
なんでと言われても……。拓夢が桜に反論した時だった。
「ひいいいいいいいいいいいいいっ!」
大人しくなったフローレンスが、前足を高く振り上げ、体を180度のけぞらせた。
突然のことで体を浮かせてしまった桜は手綱を離してしまい、頭から地面に落とされそうになってしまった。
拓夢の目に見えたのは、高い柵だった。こんな激しい速度で横木にぶつかったら、ただでは済まない。
「きゃあああぁぁぁぁぁ――!!」
「桜さん!」
拓夢は考えることすら放棄して、自らも飛び降りながら桜の頭を抱きかかえた。
「拓夢くん!?」
そのまま拓夢は、背中を地面に激しく打ち付けられたのだった。




