㉖本音で語り合いましょう?
それから放課後になり、夕方の五時。
拓夢は、一人屋上にいた。
庶民同好会に顔を出す気にも、ノエルの下で勉強をする気にもなれなかった。
なにより、四天使と顔を合わせるのが怖かった。
自分は、四天使とはうまくやっていけてない。むしろ、怒らせるようなことばかりしている。
百合江からは危険人物だと警告され。
真莉亜からはライバル視されている。
くるみなどは、励まそうとして逆に激昂される始末だ。
一応うまくいってるように見えるのは桜だが、彼女も何を考えているのかよく分からない。
だから、屋上へきた。何も考えず、吹き荒れる風にさらされていていたかったのだ。
夕日は、不気味なくらいに真っ赤だった。
冬の名残を感じさせる南風が若干肌に痛いが、拓夢はそれでもフェンスの前から離れなかった。
ずっと、自分の生まれ育った町を眺めているのだった。
――あちらのご両親だって、今頃あなたのことを心配しているはずです。ですから、戻ってさしあげたらいかがですか?
百合江の言った言葉が、思い出される。
今家に戻ったところで、義両親にぶっ飛ばされるだけだ。
しかし、それでもいいと思えるほど、拓夢はホームシックに陥っていた。
「帰りたいな……」
思わず、そんな言葉が口から出た。
もはや、実感が沸かない。自分が庶民特待生なのだって、お嬢様学園にいるのだって、全部が夢のように思えてきた。
拓夢の目に涙が浮かんで、それが零れ落ちないようにと、手すりを掴む指にぐっと力を込めたその時――
「拓夢くん」
「あ……桜さん……」
声をかけてきたのは、四天使の加々美桜。ショコラブラウンの前髪をセパレートにした、ロングヘア―の美少女。拓夢が初日にピンチに陥っていた時、唯一助けてくれた人だ。拓夢が向き直ると、桜は無言でフェンスの前まできた。
同好会をサボった拓夢としては、居心地の悪い相手だ。
桜はすごく優しい人だから、引くほどキツいことを言われる心配はないが。
それでも、こうして無言でいる時間が長く続くと、やはり気まずい雰囲気になる。
しばらく手すりの下から街を見下ろしていた桜は、ゆっくりと口を開いた。
「ここの眺めって、気持ちいいよね」
「……僕も、そう思います」
当たり障りのない会話で、緊張をほぐそうとしている。つまり、桜なりに気を遣ってくれているのだろう。
「わたしね。この眺めを見るたびに思うんだ。こんな幸せそうな景色にいる人たちが、不幸なはずないって。でも、違ってたんだね……」
桜は、意味深なことを言うと言葉を切った。
そのまま、拓夢の方に向き直る。
「拓夢くん。どうして庶民同好会に、こなかったのかな」
優しげで、それでいて困ったような声。
清流のように透き通った声が少し震えているのは、彼女の中に不安があるからだろう。
「みんな、心配してるよ。真莉亜ちゃんも、百合江ちゃんも、くるみちゃんも。拓夢くんがいないから、みんな寂しがってるよ?」
「……すみません。明日からは、ちゃんと行きます」
……拓夢は、それだけ答えるのが精いっぱいだった。
「もしかして、お腹でも痛いの? いいお医者さん、紹介しようか?」
「……ありがとうございます。大丈夫です」
拓夢の声も、震えていた。先ほど泣くのを我慢していたせいだ。
桜の前で惨めに泣くわけにはいかないと、うつむきながら懸命に唇を噛んでこらえていると。
優しい声が聞こえてきた。
「拓夢くん」
拓夢は顔を上げた。
「何かあったの? わたしでよかったら、相談に乗るよ?」
その顔は、今まで拓夢が出会ったどの人物よりも、優しげに見えた。
しかし、対照的に拓夢は、顔を引きつらせていた。
そして、表情を曇らせながら答える。
「僕は……自信がないんです。四天使の方たちと上手くやっていける自信が。それに……庶民特待生なんて。僕には……到底無理だったんです」
そう、それが拓夢の結論だった。TVや新聞で紹介されるような大物の娘ばかり通う学園で、自分のような庶民が過ごすのは、大変なことだ。まして、自分は女性アレルギーを抱えている。
「ちがうよ。拓夢くん。みんな、そんなこと思ってないから」
優しい声が、撫でるように言う。
しかし、拓夢は答えない。
代わりに、桜の顔をじっと見つめた。
白い制服に包まれた、悪意とは無縁の環境で育った、純粋培養のお嬢様。
彼女は、きっと知らないのだ。吐き気すら覚えるほどの、人間の壮絶な害意というものを。
「だから拓夢くん。みんなで仲良くしようよ。百合江ちゃん達には、わたしの方からちゃんと言っておくから」
桜は、心配そうに拓夢に話しかけた。
しかし桜は、拓夢と他の四天使とのいざこざを知らないから、そんなことが言えるのだ。
「とにかく……拓夢くん、落ち着いて? せっかくこうして出会えたんだから。拓夢くんのことがもっと知りたいし、わたし達のことも、拓夢くんにもっと知ってほしいの」
それは……どっちの? 拓夢は、そう聞き返そうとして口を閉じた。
結局彼女も、「庶民」というものを好奇の目で見ているだけではないのか?
唇を噛みしめる拓夢を、心配そうに見つめる桜。
二人の間に渦巻く大気が、一段と強くなった時。
拓夢の堰が切れた。
「もう、いいんです」
自分の口から出た言葉に、拓夢は驚いていた。
桜は大きな瞳を見開いて、拓夢を凝視した。
「……拓夢……く……」
透き通った瞳が、涙で潤んでいる。
拓夢は、罪悪感にかられながらも、
「もう、いいんです! もうこの学園は辞めます! 僕はただの貧乏な庶民なんです! 皆さんとは違うんです! 住む世界が!」
拓夢がそう癇癪を起こした時だった。
猛烈に激しい強風が、二人の間に吹き荒れたのは。
「きゃあっ!」
突然の小さな台風に、桜は悲鳴を上げながら頭を抱える。拓夢としても同様だった。あまりの強風に前髪がかき上げられ、メガネがずれ落ちる。
「……大丈夫? 拓夢く……ん?」
拓夢を見て、桜がきょとんと声を上げる。
まるで、何かに気づいたかのように。
「だ、大丈夫です……ちょっとメガネが落ちそうですけど……」
「ま、待って!」
メガネを直そうとする拓夢を、桜は制止した。
「な、なんですか……?」
拓夢の疑問の声に答えず、桜は拓夢の顔をじっと見つめる。
「あぁ~」
なんて、よく分からない呻き声など発している。
しばらくそんな状態のまま、無言でお互い向かい合っていると。
「あぁぁぁあぁぁぁぁぁあああああああ~~ッッ!!」
「ひいっ!? す、すみませんすみません!」
突然大きな声を出す桜に、ビックリして頭を下げる拓夢。
しかし、ドキドキしながら顔を上げると、
「あははっ、ビックリした?」
ニコニコした桜が、そこに立っていた。
「ビックリしましたよ……心臓に悪いから、やめてください」
拓夢は呆れながらも、メガネをかけ直し、乱れた髪型を直した。それから制服によったシワや付着したホコリなどを払っていると。
桜は、満面の笑顔で話しかけてきた。
「ねえ! 拓夢くん、明日ヒマぁ?」
「あ……明日、ですか?」
「うん! 明日は学校休みでしょ? だから、ヒマかなーって」
突然の話題変換に、拓夢の脳はついていかなかったが。
「ええと……とりあえず、予定はないですけど……」
すると、桜の無垢な瞳がキラキラと輝いた。
「じゃあ、わたしの家に来て!」
「なんでですか?」
「なんでも! まだ説明はできないけど、拓夢くんの為になることだから!」
「はあ……」
拓夢は考えた。桜が何を考えているのかは分からないが、どうせもう辞める学校だ。桜もそれが分かって、最後に思い出を作ろうとしてくれているのかもしれない。それならば、わざわざ好意を無下にすることもないだろう。
「まあ、いいですよ。よく分からないですけど」
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
桜は、ぴょんぴょん飛び跳ねながら全身で歓喜を表す。
そして、
「それじゃあ、絶対だからね! 明日、車で迎えを用意するから!」
「は……はい」
「拓夢くんは、お昼頃に校門の前で待ってるんだよぉ!」
「はい」
拓夢が答えると、桜はせわしなく、
「わたしは準備があるから、これで帰るね! 拓夢くん、また明日ね~ッ!」
「準備……?」
拓夢の疑問に答えることなく、桜は元気よく走り去ってしまう。
後に残されたのは、冷たい風に吹きさらされる、孤独な空間だけだった。
やはり、桜が一番何を考えているのかよく分からない。
「一体何があるんだ……? 明日に」
拓夢は、呆気に取られながら呟いた。
しかし、真に驚かされるのは、明日になってからのことであった。




