㉕優しさとは
そして、時は再び現在に戻る。
くるみが中庭のベンチに座る拓夢に話しかけるところだ。
同じ学校の同じ同好会に所属する者同士。
だから、話しかける。
しかし、くるみにとってはそれだけではなかった。
シンパシーを感じたのだ。この学園にいながら疎外感、いや、孤独感を感じている拓夢と、お嬢様達の輪に入れず、苦しむくるみと。だから、同じ境遇の拓夢に興味が沸いたのだ。
「やあ、こんにちは。姫乃咲さん」
拓夢に笑いながら挨拶を返されたので、くるみもニッコリと笑う。
「城岡先輩。横に座ってもいいですかぁ?」
「ああ、はい。どうぞ」
断られるはずもなく、拓夢は若干ベンチの端に座り直し、スペースを開けてくれた。くるみがちょこんと隣に腰かけると、拓夢の方から話しかけてきた。
「それにしても、姫乃咲さんもこういう所にくるんですね。もっと、賑やかな所が好きかと思ってましたよ」
「先輩の方こそ、どうしてこんな所に一人でいるですかぁ?」
「そ、それは……」
くるみが尋ねると、拓夢は顔を赤くしながら俯き、言葉を濁す。
やはり、そうだ。くるみは確信していた。拓夢は、故郷のことを想ってここで泣いていたのだ。
「まあ、何となく一人になりたかったんで」
頬を指でかき、照れ笑いを浮かべながら、拓夢は言った。嘘をついているのは明白だ。
こういう辛いのに我慢をしているところが、ますますくるみの母性本能をくすぐってしまうのだった。
うつむく拓夢に対して、くるみは優しい笑みを浮かべた。
「城岡先輩? 何か困ったことがあったら、いつでもくるみに言うですよ?」
「姫乃咲さん……? あっ!」
びくっ、と拓夢は肩を震わせた。拓夢のそばでミルクを飲んでいた猫が、ふがふが喉を鳴らしながら、退散していったのだ。いかにも不機嫌そうに毛を逆立てながら。
「あれ……? 猫ちゃん、どうしたんだろ」
そのままテクテクと飼育小屋に戻る猫を見つめながら、拓夢は呟いた。
「ああ。タルトちゃんは気難しい性格ですからねえ。きっと、くるみが来たから逃げちゃったです」
「ああ。あの猫、タルトっていうのか」
拓夢は名残惜しそうに、タルトが舐め終わった後の紙皿を眺める。
「城岡先輩は、優しい人なんですねえ。タルトちゃんが、あんなに懐くなんて」
ペルシャ猫は気まぐれな性格で、人に触られることすら嫌がるツンデレであること。くるみも何度か抱っこに挑戦しようとして、逃げられたこと。
そんなタルトにあれだけ好かれたこと。そして、誰も見ていないところでゴミの処理をしていた拓夢は、凄く優しい人だと思ったことを、くるみは話した。
「ええっ。そんなことないですよ。買いかぶりすぎじゃないですか?」
「本人には分からないものなんですよ」
「そうかなあ。前住んでた家の近所にいたオスの秋田犬には、話しかけても見向きもされなかったのに……どうしてだろ?」
自覚がない拓夢は、そわそわと落ち着きをなくし始めた。
「やっぱり僕、全然優しくなんかないですよ。掃除をしてたのは、冷条院さんとのことがあったからで、タルトにミルクをあげたのは、単に余ってただけなんです」
拓夢の発言に、くるみはゆっくりと首を振った。
「そんなことないですよ。城岡先輩は、すごく優しい人です」
「そ、そうかな……」
分かりやすく頬を紅潮させながら謙遜する拓夢に、くるみは愛くるしさを感じていた。
やはり、拓夢はお嬢様達とは違う。かといって、くるみが今までに出会ってきた男達とも違う。何というか、拓夢と話していると心が暖まるのだ。
しかし当の拓夢本人は貧しい両親に仕送りをし、故郷に残してきた許嫁に想いを馳せているのだ。くるみの妄想はだんだんと肥大して、留まることを知らなかった。
「城岡先輩。さっき、泣いてたですよね?」
「え? えと、その……」
拓夢は気まずそうに目を伏せると、
「み、見られちゃってたか……。すみません。昨日、寝てなかったもので」
「いいんです。分かってますから」
くるみは寂しげに笑いながら、首をふるふると振った。やはり、拓夢はこういうだろう。くるみを心配させたくないのだ。ならば……その気遣いを無為にすることもあるまい、と。
「それにしても。城岡先輩は、すごいですね……」
「姫乃咲さん?」
笑顔から一転、切なげな表情に変わるくるみに、拓夢は気づかわしげに視線を送った。
くるみは拓夢の視線に気づくと、ニッコリと笑って、
「くるみ、本当は、お嬢様なんかじゃないんです」
「は……?」
呆けたように聞き返す拓夢は、くるみから詳細な説明を受けた。
くるみの両親は元々一般庶民で、出世をして富裕層に成り上がっただけなのだ。
今現在、学園のお嬢様達とくるみは距離感を感じている。四天使になれたことだって、ただ単に「小動物みたいで可愛らしい」という不名誉な理由でしかないのだ、と。
「城岡先輩。くるみは、どうしたらいいんでしょうか?」
くるみは、今にも泣きそうな顔で拓夢に詰め寄る。拓夢は、困ったように眉間にしわを寄せていた。それはそうだろう。拓夢とくるみは、昨日初めて会った仲でしかないのだ。突然こんなことを相談されても困るだろう。
そもそも、くるみ自身もなぜ、こんなことを拓夢に話しているのか分からないのだ。
しかし、なぜか分からないが、拓夢なら答えを出してくれそうな気がしたのだ。それも、くるみが思いもよらない方法で。
拓夢は無言で黙っている。どうやら、深く考え込んでいるようだ。
そして、その沈黙は破られた。
「えーっと。気に障ったらすみません。そもそもなんですけど。姫乃咲さんがお嬢様っぽくする必要ってあります? 今のままでよくないですか?」
「ふえ……?」
くるみは、目を大きく見開いた。
冷静に考えれば拓夢の助言も最もだが、てっきり自分の考えを応援してもらえると思っていたくるみには、寝耳に水だった。
思考が追い付かないくるみに、拓夢は追撃をしかけてきた。
「というか、ほんの数か月でお嬢様っぽくなるなんて、無理ですよ。皆さん、筋金入りのお嬢様達ですから」
筋金入り=本物。
つまり自分は偽物だと、くるみはそう言われた気がした。
「な、なにを言うんですか! 先輩だって庶民のくせに! 何を根拠に、そんな!」
「す、すみません……でも、僕は」
「いいから、質問に答えて下さい! くるみが今のままでいいって、そう思った根拠は、なんですか!」
くるみは、拓夢を凝視した。
拓夢は、当惑したように視線をおろおろさせる。
本当は、こんな風に声を荒げるつもりはなかった。そもそも自分は、拓夢を励ましにきただけで。
しかし、もうこうなったら、くるみは止まらなかった。
沈思黙考した拓夢がこう言ったからには、何か深い考えがあるのだろう。ならば、その根拠とは。じっくり聞いてみようではないか。そう思ったのだ。
しかし拓夢は、意外なほど意外な言葉を発した。
「根拠って……姫乃咲さんが、可愛いからですよ。今のままで十分可愛いのに、無理してお嬢様みたくなる必要なんか、ないじゃないですか?」
くるみは、呆然とした。守っていたエリアと全く逆サイドから、ゴールを決められた気分である。しかし、拓夢はそんなくるみの心中など知らないように、どんどん言葉を紡ぐ。
「だって姫乃咲さん、そのままでも天真爛漫で可愛らしいですから。小動物って感じで」
「な……なに、言ってるですか……」
「いやいや、本当ですよこれ。いつも元気いっぱいで、明るくて。見ているこっちまで元気になってくるんですから。もっと自分の魅力に気づいた方がいいですよ?」
「ふええ……」
くるみはオーブンにかけられたように顔が真っ赤になる。
「どうしたんですか? 風邪ですか? 姫乃咲さん?」
「……くるみ、先輩が少し、恐ろしく思えてきたです」
「えっ、え?」
困惑している拓夢をよそに、くるみは勢いよくベンチから立ち上がった。
「ふん! です! そもそも、庶民の城岡先輩がくるみにアドバイスなんて、100年早いよーだ、です!」
「ええ……相談してきたのは、そっちじゃないですか?」
考えてみるとそうだが、興奮しているくるみにその言葉は届かない。
そうだ。悪いのは、意図せずに女子の心を鷲掴みにしようとする、この天然のナンパ師だ! そう思い、くるみが立ち去ろうとすると、
「姫乃咲さん。さっきの君の台詞じゃないですけど。僕に出来ることがあったら、言ってくださいね。僕、姫乃咲さんの力になりたいですから」
天然ナンパ師は、またも歯の浮くようなセリフをさらっと言ってきた。
「ちょっ!? なにプロポーズみたいなこと言ってるですか!? くるみは別に、困ってることとか……あるですけど……ああ、もう!」
慌てふためき、頭をかきむしる、くるみ。そして――
「城岡先輩!」
息を整え、出来るだけキリッとした目で拓夢を見つめながら、くるみは叫んだ。
「くるみは、城岡先輩に協力してもらうほど落ちぶれてないです! それに、小動物みたいとか言わないでください! あと、くるみを子供扱いしないでください! じゃないと、口利いてあげないですからねーー!!」
べーっ! と舌を出しながら、くるみはプンスカ怒りながらその場を立ち去るのであった。あぁ……またやってしまった。そう後悔しながら。




