㉔くるみの勘違い
そんなわけで、重い足取りでくるみは中庭に来たのだった。
もう食堂へは行けないし、もちろん教室にも戻れない。
今頃杏奈は深く悲しんでいるだろうか。
なぜあんなことを言ってしまったのか。杏奈はあれだけ大人だというのに。周りの連中と自分を比べると、胃がキリキリと痛みそうになる。
だからこそ、気が向いた時はこうして中庭に来てしまうのだ。
自然が多く、人がいないというのは、素直にありがたい。理想は自分以外に誰もいないことなのだが。
「はぁ……ちょっと休憩するです……」
とぼとぼと歩いていたくるみが、足を止めた。
森林が深くなり、小高い丘にさしかかったところだ。
ベンチに、誰かが座っている。
「なんだ……? ゴミが落ちてるじゃないか」
それは、庶民特待生の城岡拓夢だった。
「しょうがないな……よっこらしょっと」
拓夢は立ち上がると、落ちていたゴミを持っていたビニール袋の中に入れる。
「公園は綺麗にしないとね」
拓夢はその外にも枯れ葉や木の枝などを拾うと、近くにあるゴミ箱の中に捨てた。
「うん。これでよしっと」
「城岡先輩……何て、優しい人なんですかぁ」
くるみは、その一部始終を木の幹に隠れて見ていた。拓夢のことは正直冴えない男の子だなと思っていたが、こういうさりげない優しさを見せられると……なんだか、ときめく。
そんなことを考えていた時だった。
「……あれ? なんだ、お前?」
「にゃあ!」
甲高い声にくるみが我に返ると、ベンチに座る拓夢の横に、学園の飼育動物である、ペルシャ猫のタルトがすり寄ってきていた。
「……にゃあ、にゃあ、にゃあ」
「わ、分かった分かった……分かったらそんなにくっつくな。ほら、ミルクあるけど、飲むか?」
タルトに頬ずりされたり顔中を舐められた拓夢は、自分の飲み物であろう牛乳を紙皿に入れると、タルトに向かって差し出した。
「にゃあん!」
「おいしいかー。いい飲みっぷりだね」
拓夢は白色の貴婦人に優しい視線を向けながら、ゆっくりと背中を撫でる。
「まさか……あのタルトが懐くだなんて」
猫の王様とも呼ばれるペルシャ猫は、物静かな性格の反面、滅多に人には懐かない。くるみもその愛くるしい仕草に何度か触ろうとしたが、そのたびに避けられている。
それが拓夢に対しては、尻尾をフリフリしながら、喉をゴロゴロと鳴らせ、潤んだ目で彼を見つめている。
つまり、拓夢は動物に好かれる、優しい人間!
くるみの中で、拓夢の好感度が急上昇していくのを感じていた。まあ、考えようによってはミルクで猫を手なずけているだけなのだが……。しかし、あのタルトを撫でる時の優しい視線、暖かい声。もしも、自分も同じようにしてもらえたら……。
(って! くるみは何を考えているですか!?)
よだれを垂らしながら妄想を膨らませていたくるみは、邪を払うように頭を思い切り振った。
(落ち着くです。城岡先輩は、真莉亜お姉さまをたぶらかそうとする、危険人物なんですから……)
ぶつぶつと独り言をつぶやく、くるみの耳に、拓夢の声が聞こえてきた。
「う、ううっ……」
くるみが顔を上げると、拓夢が目頭を押さえながら、嗚咽しているのが見えた。
「……あぁっ」
くるみは、悲鳴が出そうな口を、咄嗟に抑えた。
……拓夢が、泣いている。
よく考えてみれば、確かにそうだ。
いくら年頃の男の子とはいえ、女性アレルギーを持つ身で女子校に入学するなど、おかしな話だ。ならば、よほどの理由があるに違いない。
「こら、舐めるなよ。くすぐったいじゃないか」
涙の跡をタルトに舐められる拓夢を見ながら、くるみは考えていた。
おそらく、拓夢は出稼ぎにきているに違いない。ウルトラ貧乏な家にお金を入れるために、自分の身を売ったのだ。親の言うまま、流されるようにこの学園にきたくるみにとっては、考えられない博愛精神だった。
しかし、拓夢は寂しがっているのだ! だから誰もいない自然広場までやってきては、人知れず泣いていたに違いない!
でも、もしそうなら、自分たちを頼ってくれればいいのに、とくるみは思った。
桜も真莉亜も百合江も、みんな優しくて頭のいい人たちばかりだ。無理せずに、相談するなりすれば……。
(はっ、そうか! 城岡先輩はきっと、みんなに遠慮してるです! だから、自分だけで悩みを抱えこもうとしてるです!)
くるみは、愕然としていた。
他の四天使には、拓夢も相談しづらいだろう。なにせ、皆特殊な環境で育っているお嬢様達だ。だからこそ、誰にも悩みを打ち明けられない拓夢は追い詰められている。
(くるみが……くるみが何とかしてあげないと)
思い立った時には、くるみは既に行動に移していた。
「城岡先輩♪ こんにちはですう☆」
「あ……姫乃咲さん」
タルトと戯れる拓夢に向かって、声をかける。積極的に自ら男子に話しかけるなどということは、くるみにとって初めての出来事だった。




