㉒拓夢の涙
――昼休み。拓夢は、聖ジュリアンヌ女学院の中庭にいた。といっても、ガーデンカフェやテラスなどといったオシャレな場所ではない。木々が生い茂る広場の端っこにある、木陰に設置されたベンチだ。
パラソルもテーブルもないので、ランチを楽しみたい学生達はもっぱらテラス席に行く。拓夢のいる広場は緑の清涼感を感じる一方、虫や天候に悩まされるため、人は少ない。
だからこそ拓夢は、ここへ食事に来たのだ。食堂は高級ホテルのレストラン並みで、大勢の生徒で賑わう。となれば、拓夢に注目が集まる。
人の少ないこの森林公園が、拓夢にとって唯一の癒しだった。あれだけのお嬢様、それも美少女揃いから注目されるのは、別に悪い気はしない。特に、真莉亜を倒してからは羨望の的だった。この女性アレルギーさえなければ……。
「ふわあ……ねむい」
拓夢は大きくあくびをした。
昨日は夜遅くまで起きて、今日は朝の4時起き。早朝から百合江と一緒に廊下の掃除をした上、体育の授業では真莉亜とアーチェリー対決までしたのだ。
加えて、木々や植物が生い茂り、森林浴にピッタリな森林広場。太陽がポカポカと降り注ぎ、食後ということもあってか、拓夢の眠気は既に限界を迎えようとしていた。
「ん……? なんだ、ゴミが落ちてるじゃないか」
風に流されて飛ばされてくる菓子パンの包装袋を、拓夢はあくびをかみ殺しながら見ていた。
「しょうがないな……」
拓夢は立ち上がると、ゴミを手にした。近くに落ちているペットボトルなんかも拾って、設置されているゴミ箱に捨てる。ついでに、ぼうぼうになっている草もいくつかむしっておいた。
百合江と朝一緒に掃除してから、拓夢は常にこんな感じだ。百合江の学園に対する奉仕の心に感動したからだ。きっと今頃も、何かしらの人助けをしているに違いない。
ここにいない百合江に力をもらった気がして、いいことをした気持ちよさを感じていた、その時だった。
拓夢の前に、猫が現れたのは。
おそらく、飼育小屋から逃げてきたのだろう。この学園にはニワトリやウサギ、ハムスターに加え、犬や猫などの動物も飼育されているのだ。おそらく、飼育係の一瞬の隙をついて逃走したと思われる。
「可愛い猫だな……エサあったかな?」
ふわふわな毛並み、まんまるとした瞳、短い手足から見ると、ペルシャ猫だろうか。拓夢が座り直したベンチの横に座って、じっとこちらを見ている。
「にゃん♪」
ペルシャ猫はべたべたした接触は好まない性格と聞いていたが、この猫はまるで拓夢のことを恋人かのように、喉をころころと鳴らし、尻尾をフリフリし、そして、拓夢に抱きついてきた。
尻尾の付け根にふくらみがないところを見ると、おそらく雌だろうが。
(はは……動物なら女の子でも楽にさわれるのにな……)
拓夢が苦笑いしている間にも、メス猫は拓夢の体をよじ登ったり、すり寄ったり、舐めまわしたりしてくる。
これだけ懐かれていると、ちょっと不安になる。ひょっとして、お腹でも空かせているのではないかと。
「ひょっとしてお前、お腹空いてるのか?」
拓夢が声をかけると、メス猫は愛嬌のある顔を動かしてこっちを見た。絹のように柔らかな毛並みに、大きな瞳。猫の王様と呼ばれるのも、納得の愛くるしさだ。
「なんだ。そうなら早く言いなよ……ちょっと、待ってろよ」
拓夢は紙パックの牛乳の残りを紙皿にそそいで、メス猫の前に置いた。
するとメス猫は「にゃんっ」と短く鳴いて、ぺろぺろと美味しそうにミルクを舐めまわした。
「……美味しいか?」
拓夢が声をかけると、メス猫はミルクまみれになった顔を上げて、「にゃん♪」と鳴く。
しかし、飼いネコとはいえここまで警戒心がないとは……。
もしかして、自分は動物に好かれるタイプなのか?
そんなことを思いながら、拓夢はメス猫の背中をさすっていた。
「ふわああああ……。猫ちゃん、眠い。眠いよ」
もふもふの背中を撫でていると、気持ちよさからますます眠気が襲ってきた。今寝たら間違いなく5時間目の授業に遅刻することは分かっているので、わずかな時間でも目を閉じることは許されない。
「ああ……あくびが……。涙が出る」
「にゃあっ!」
途端に猫は起き上がり、拓夢の涙をペロペロと舐める。
「こらーっ、くすぐったいだろっ」
拓夢が注意するも、メス猫は顔を舐めるのを止めない。
その時だった。
拓夢たちがいるベンチに、もう一つ影が差したのは……。
「城岡先輩、こんにちわですう♪」
「あ……君は」
そう、その人物とは、四天使の一人にして、庶民同好会に所属する一年後輩、姫乃咲くるみであった。
 




