⑰顔を赤らめる理由
彼女の、こんな弾んだ声を聞いたのは、初めてのことだった。
「すごいじゃないですか!」
廊下にてポリッシャー、いわゆる床洗浄機がけをしていた拓夢は、びっくりして後ろを向いた。上の階の清掃を終えた百合江が、合流してすぐ口を開いたのだ。
「まるで、創設当時のようですよ。城岡さんに、まさかこんな才能があったとは」
「さ、才能って……?」
ポリッシャーのハンドルグリップを握りしめたまま、拓夢は喜ぶ百合江に対して慌てて聞き返した。
「この廊下ですよ、この廊下! ここまで綺麗な廊下は、私も初めて見ました!」
両手をパッと広げながら百合江が、廊下中を見渡しながら叫んだ。
拓夢にとっても、自慢の出来だった。
細かいゴミをホウキとチリ取りで集め、ポリッシャーから洗剤を出しながら左右に動かす。汚水が流れるのでそれを拭いたら、水拭とワックスがけをし、完全に乾くのを待ったら完成だ。
高圧洗浄で床の汚れを削っただけなのだが、黒ずんでいた床が白くピカピカになっている。
そして、その綺麗な床の中心に立つ百合江もまた、輝くような笑顔を見せているのであった。
「城岡さん、どうしてこんなにお掃除がお上手なんですか?」
「どうしてって……学校でも家でも、毎日掃除してましたから」
本当はさせられていたんですけど、と拓夢は心の中で補足する。
しかし、百合江は心から関心したようだ。
切れ長の瞳を、大きく開きながら拓夢に詰め寄る。
「ま、毎日……? 美化委員だったとか、親が清掃業をやっていたとか、そういうことですか……?」
「いえ、そういうわけじゃないんです。冷条院さんも言ってたじゃないですか。誰かが喜んでくれると嬉しいって。僕もそんな感じなんです」
「ううっ……!」
百合江は言葉に詰まる。自分が言った言葉を引き合いに出されたのだから、返す言葉もない。
一方で、拓夢も困惑していた。百合江はどうしたのだろうか。普段はクールなのに、こんなことで熱くなるだなんて。拓夢は、頭を下げた。
「す、すみません。何か僕、気に障ることしちゃったみたいで……」
「どうして城岡さんが謝るんですか? 手伝っていただいたのは、こちらですよ?」
「い、いえ。僕のせいで気分を害されたなら、それだけで申し訳ないですから、冷条院さんは、わが校が誇る生徒会長さんなんですし」
「……ぐむっ」
百合江は途端に口をつぐんでそれ以上何も言わなくなる。その様子に、拓夢もまたかける言葉を見失ってしまった。黙ったまま睨めっこをすること、数分。
「……あの。ありがとうございました。おかげで助かりました。感謝しています」
これまでの無言が嘘だったかのように、スピーディに百合江が頭を下げた。
いえ、とんでもないです、と拓夢が答える前に、またしても百合江が口を開く。
「ただし言っておきますよ! 私はまだ、貴方のことを完全に認めたわけではありませんからね! そこのところを、よく理解しておくように!」
感謝の言葉から一転、百合江は鋭い口調で釘を刺すのであった。
「分かってますよ。認めてほしくてやったことじゃありませんから」
「はうっ……」
途端に、百合江が申し訳なさそうな顔をする。
「それに、冷条院さんだってそうでしょ? 誰もいないこんな朝早くから掃除をしてるってことは。見返りも評価も求めない。僕は、そんな冷条院さんを尊敬してるんです」
拓夢がそう言うと、百合江の顔はボッと赤くなる。
「にゃ、にゃにをいってるんれふか……?」
「はい……?」
拓夢が聞き返すと、
「何を言ってるんですか!!」
いつものクールさはどこへやら、百合江は両手をブンブン振って叫んだ。
顔は真っ赤で、頭からは「プシューッ」と湯気を立てているようだった。
その様子を見て、拓夢は途端に彼女が愛らしく思えた。
初対面の時は、堅物で融通の利かない、気難しい人。そんなイメージを持っていたのに。
こうして少し話すだけで、こんな可愛らしい表情を見せてくれるのだ。
「や、やはり貴方は危険人物です! 我が生徒会は、より一層厳しい目を持って、貴方を監視することに致します! 今日のことは感謝していますけど、それだけは忘れないように!」
そう叫ぶと百合江は、顔を真っ赤にしたまま立ち去るのであった。