⑭起きない拓夢と起こしたいノエル
庶民同好会の初日を終えた拓夢は、その後すぐさまノエルにつかまり、『学園規則のしおり』という冊子を渡され、服務規程、禁止事項などについて、夜中まで説明を受けていたのだった。
この時点で拓夢の体力は限界を迎えていて、自室に戻るとすぐに、死んだように眠っていたのだが……。
「――拓夢様。拓夢様」
冷涼な声が、かすかに耳元まで聞こえてくる。
そして、少し間を置いて。
「困りましたね。まあ、昨日は遅くまで寝かせなかったので、仕方ありませんが」
……どうやら、声の主はノエルのようだ。
しかも、声がいつになく優しい。もしかしたら、このまま寝かせてくれるのではないか? 半覚醒した意識の中、そんなことを考えていると……。
「でも、そんなの関係ありません。拓夢様、起きてください」
ぺしっ、ぺしっ。
「起きなければ、顔が真っ赤になるまで叩きますよ?」
「うう……」
いつの間にか、体に重みが加わって、ベッドも少し沈んでいる。どうやら、ノエルが馬乗りになって、拓夢の頬を叩いているらしい。
「や、やめて……」
「寝返りを打とうとしたって、そうはいきません。主を起こすのは、メイドの仕事ですから。あっ、鼻の穴に鉛筆を刺すというのはどうでしょうか? うふふ、写真を撮ってネットにあげましょうかねえ」
「あ、あう……」
おぼろげながらも不穏な言葉が聞こえてきたので、快楽に逆らって目を開ける。もうろうと映る銀髪のメイドに、朝の挨拶をしなければ。
「お、ひゃよう、ぎょじゃいまふ……」
しかし、出てきたのは謎の言語だった。
「はい、お早うございます」
しかし、ノエルは気にすることなく、淡々と挨拶を返す。
「全く、朝くらい自分で起きてくださいね」
冷たい視線で見下ろしながら、ノエルは拓夢から体を離す。
「着替えを済ませたら、すぐに食堂に向かってください。朝食の準備は、すでに整っておりますので」
起こされ方はアレだったが、こうして起こしてもらった上にご飯まで用意してくれたのだ。拓夢の胸はジーンと熱くなった。
「うっ……、朝ご飯を作ってもらったことなんて、家族でさえ数えるほどしかない……」
拓夢が呟くのを、ノエルは無言でじっと見つめていた。室内に気まずい空気が流れる中、口を開いたのはノエルだった。
「……感無量のところ申し訳ないのですが、早く着替えてもらえません? 私も忙しいので」
ノエルは少しだけ眉尻を下げながら言った。こんな朝早くから起きているということは、ノエルにも相当仕事があるのだろう。
「ああ、はい……って、まだ4時じゃないですか! 始業時間って、8時半ですよね? それとも、庶民特待生って朝早いルールとかあるんですか?」
目覚まし時計を見て、目を丸くする拓夢。昨日は転入式やら何やらあったから仕方ないとしても、まさか毎日朝早くに起こされるのだろうか。
「そういうわけじゃないんですけどね……」
拓夢の制服をテキパキと畳みながら、ノエルが答える。
「そういうわけじゃないんですか?」
「最初は出来る限り、規則正しい生活を送ってほしいんですよ。一度だらけてしまうと、それが習慣になりそうですし。早く起きて、学校の中を見回ってみたらいかがですか? 少しでもこの学園に慣れたいのでしょう?」
なるほど。学園の規則というよりは、ノエルなりの気遣いということらしい。
「それともなんですか? 私に起こされるのは、不服だとでも言うのでしょうか?」
「……ぼ、僕は、別に……お、起こしていただいて、ありがとうございますっ」
冷淡な視線を浴びせかけるノエルに、拓夢はペコペコ頭を下げる。どうやら例によって、拓夢に拒否権はないらしい。
ノエルは当然だ、とばかりに頷くと、
「それでは。早く手を上げてください。着替えを手伝いますので」
しれっと言い切るノエル。まさか本当に、メイドに着替えを手伝わせる文化が存在するとは。分かってはいたが、拓夢は羞恥心から首を振った。
「えっ、い、いいですよ! 着替えくらい、自分でしますから!」
顔を真っ赤にして叫ぶ拓夢。
しかし、ノエルは芯まで凍えそうな冷たい視線で、
「貴方はどこまで私に手をかけさせれば気が済むのでしょうか? これは、少しお仕置きが必要ですかね。それとも、理事長に報告してしかるべき処罰を課していただきましょうか? 拓夢様、どちらがいいです?」
「おっ、お願いしますうううううっ!」
拓夢は部屋中に響くような声で、勢いよくノエルに向き直りながら言った。これではメイドと主従関係が逆転してるのではないか? しょんぼりしながら考える拓夢であった。