⑬四天使との対面
「さあ、こちらです」
ノエルにそう促され、拓夢は部室の前のドアに立った。
ちなみにその部屋は、先ほど桜に助けられた、例のサロンだった。
着替えを覗いてしまった女子に追いかけられ、命からがらこの部屋に逃げ込み、ソファーの下で懸命に息を殺した苦い記憶が蘇る。
光輝くシャンデリアに照らされた部屋にはブーシェの絵画が飾られて、壁一面には色鮮やかな麻布で装飾されたタペストリー、そしてその横には聖母と騎士の銅像が向かい合うように置かれていて、17世紀のベルサイユ宮殿を彷彿とさせる。
「私は案内役なので、ここまでです。中には既に四天使の皆さんがお待ちなので、くれぐれも失礼のないようにしてくださいね」
「え、ノエルさん、僕一人じゃ心細いんですけど……」
「じゃあ、頑張ってください」
拓夢の声を無視して、ノエルはドアを開けると、中に拓夢を押し込んだ。
そしてそのまま「失礼いたします」と頭を下げて出て行った。
室内に放り込まれた拓夢は前方に視線を感じ、体勢を整えると、ゆっくりと顔を上げた。
そこにはすでに、四天使と呼ばれる生徒達が勢ぞろいしていた。
皆それぞれに愛らしく、また見目麗しい女性ばかりだった。しかし、その中でもひと際拓夢の目を引いたのが……。
「……あはッ! また会ったねえ、拓夢くん!」
そう、先ほど拓夢を救ってくれた救世主、加々美桜であった。
「さ、桜さん!?」
拓夢は、桜の顔を見てドキリとした。さっき桜が『また後で』と言っていたのは、このことだったのだ。
桜は何が嬉しいのか、喜色満面の笑みを浮かべながら言う。
「あのねぇ~! あのねぇ~! わたし、庶民の男の子に会うの、すっごく楽しみにしてたんだぁ! だから、ノエルちゃんにお願いして、庶民同好会に入れてもらったんだよぉ!」
「ま、まさか、桜さんが四天使の一人だっただなんて……」
理由も聞かず自分を助けてくれた理由が、これで納得できたが……。
「で、でも。そうだったんなら、言ってくれればよかったのに……」
「……ふえ?」
一人盛り上がっていた彼女は、小首を傾げてきょとんとしながら、
「……あれ? 言ってなかったっけ?」
……。
「あの……言われてなかったです。はい」
「ああっ! わたしったら、うっかりしちゃってた! てっきり、もう言ったものだと思ってたよ~!」
コテン☆ と軽く自分の頭を小突く桜。そして、ペロッと舌を出しながら、
「それにしても、本当に災難だったねぇ」
と、今度は眉を潜めながら、悲しげな表情を見せてくる。
そうだった。拓夢は例の件を聞くことにした。
「あ、桜さん。そう言えば、その件って大丈夫だったんですか?」
拓夢が尋ねると、また桜はニコッと笑って、
「大丈夫だよぉ~♪ 部室にいた子たちの誤解は解いたからっ! みんなも事故だって分かると許してくれてねっ。先生には言わないって、ちゃんと約束もしてくれたよ♪」
「ほ、本当ですか……ありがとうございます! 桜さん!」
拓夢が頭を下げると、桜は「いいんだよ♪」と明るくウインクする。
拓夢は安堵した。転入初日に問題を起こして退学処分になっては、死んでも死にきれない。
拓夢がコッソリ胸を撫で下ろしていると、桜との会話は打ち切られた。
「――少々よろしいでしょうか? 城岡さん」
そう言って割り込んできたのは、桜の隣にいた女子生徒だ。
「失礼。私の名は冷条院百合江。三年生で、この学園の生徒会長を務めています。以後、お見知りおきください」
そう言って、ビジネスマンのような綺麗なお辞儀をしてきたのは、ロングヘア―の美少女だった。翠色のはかったようにサイドから七:三で分けられた前髪が、ヘアピンでキッチリと止められている。
派手な容姿ではないが、相当の美人であることが分かる。切れ長で鋭い瞳は知的でクール、鼻は彫刻品のように整っていた。濡れた椿のような唇がすっと動く。
「城岡さん」
「は……はいっ」
「こちらが挨拶をしたのですから、そちらも挨拶をされるのが、常識というものではないでしょうか」
「す、すみません……!」
謝罪をしながら、拓夢は百合江に向かって頭を下げた。
「庶民特待生の、城岡拓夢といいます。よろしくお願いします、冷条院さん」
「こちらこそよろしくお願いします。私は、貴方を監視するために庶民同好会に入部したのですから」
百合江は冷たい視線を拓夢に向けながら言った。
「か、監視……? 僕のですか……?」
「女子生徒だけの学園で、特権を持った男子が入学。それだけでも警戒に値します」
百合江はそう言って、腕を組みながら理路整然と、拓夢の欠点を指摘した。
「桜さんから聞いたのですが、先ほど、女子の着替えを覗いてしまったそうですね。事故だから仕方のないことですが、以後気をつけるように」
「う……すみません」
拓夢は反射的に謝った。この静かに威圧する感じ。何となくだが、前の家に住んでいた頃を思い出す。
「そ、それで、監視というのは……」
「城岡さんの生活態度全般です。例えば、授業中はよく居眠りをしているそうですね? まったく、何をしにこの学園に来られたのですか?」
「そ、それは……すみません。昨日は、あんまり寝てなくて……」
拓夢は弁解をしながら謝った。
これが、外から見た拓夢の評価なのだ。決して、好意的なものばかりではない。そして、生徒会長である百合江の評価をさらに落とすようなことがあれば、退学処分すらもありえる。
やはり、ここはもっと必死に頭を下げた方がいいのか――拓夢が考えていた、その時。
「――百合江さま。そう怒らなくても、よろしいのではないでしょうか?」
そう声をかけてきたのは、百合江の隣にいた女子生徒だった。リボンの色が桜と同じということは、こちらも二年生なのだろう。
「城岡さま……」
「はっはい!」
その女子生徒に名前を呼ばれて、拓夢は慌てて返事をした。なぜならば、その女性があまりにも美しかったからだ。
ふんわりとゆるいウェーブのかかった金髪が特徴的の、派手な見た目をした女性だった。眉のあたりで切り揃えられた前髪の根元が、大きなリボンで結ばれている。
そしてなにより驚愕したのは、その胸だ。制服を押しつぶさんばかりの膨らみは、ただ大きいばかりではなく、少しのゆがみも無い、均整美を体現したような曲線になっている。
フランス人形を思わせる洋風な顔立ち。少し垂れ目がかった瞳は、慈しむように包み込む優しさを放っている。まっすぐに通った鼻には一ミリの乱れもない。欠点がない完璧な美女。それが、彼女の印象であった。
「申し遅れました。わたくし、二年生の有栖川真莉亜と申します。以後、お見知りおきくださいませ」
「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします! 有栖川さん!」
声が裏返えらんばかりに、拓夢は高い声で返事をした。
この話し方からして、かなりのお嬢様だ。失礼のないようにと思っていたのだが……。
「ぁ……」
当の真莉亜は当惑したような表情を浮かべている。
「ど、どうしましたか? 有栖川さん?」
「う、うううっ」
しかし、その当惑の色は濃くなるばかりだった。
「あ、あの、有栖川さん。僕、何か失礼なこと……」
「充分失礼ですよう、城岡先輩」
すると、最後に残った女子生徒が、可愛らしい瞳で拓夢を睨む。
「え……? 僕、何かやっちゃいました?」
拓夢は、その女子生徒を見て尋ねた。
自分としては、ここまで女子を悲しませるほどやらかした覚えはないのだが……。
「真莉亜お姉さまのことを、『有栖川さん』なんて、気安く呼ぶからですよう」
すっと白い指を一本前に出しながら、少女は拓夢にダメ出しをする。
「真莉亜お姉さまは四天使の中でもとりわけ上流階級本家のご令嬢なのですから、男の人は『有栖川お嬢様』とお呼びするのが常識なんですう」
「そ、そうだったんですか……」
「そうですよう。それに、真莉亜お姉さまには婚約者もいらっしゃるんですから。男の人はなおさら気安く話しかけちゃダメなんですう」
「……婚約者までいるんですか」
そんな常識など露とも知らない拓夢は、悪いことをしたと反省する。
そして、再び真莉亜に向き直ると、
「無礼を働いて、申し訳ありませんでした……有栖川お嬢様」
先ほどよりも深く、一段と丁寧に拓夢は頭を下げた。
すると、真莉亜は表情を明るくして、
「い、いえ。こちらこそ。庶民の殿方とお話するのは初めてなので、少し動揺してしまったみたいですわ。拓夢さまも、そのように緊張しないでくださいましね」
「は、はい……」
緊張させてるのはあなたですよ、などとはとても言えないような、まぶしい笑顔に圧倒された拓夢はついうなずく。
「じゃあ、最後はくるみの番ですね♪」
そう言って手を上げたのは、先ほどの少女だった。
「これからくるみが自己紹介するですから、城岡先輩は心して聞くですよお?」
少女は、その小さな体躯には不釣り合いなほど大きい態度を取った。しかし、そんな態度が許されるくらい、彼女の容姿はズバ抜けていた。
例えるなら……そう、アイドル。
「一年生の、姫乃咲くるみですう! 下級生だからって、呼び捨ては許しませえん! くるみのことは、ちゃんと『姫乃咲さん』と呼ぶです!」
くるみは念を押すように、上半身をぐいっと拓夢に近づけながら言った。あどけないながらも、どこかあざとい少女だ。拓夢は、苦笑しながら返事をした。
「分かりました……ちゃんと、敬意を払いますよ。姫乃咲さん」
「やったぁ! 城岡先輩から、尊敬されちゃったですう♪」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、くるみは喜びを表す。そのたびに揺れる髪は肩につくくらいの青色のボブカットで、顔周りの髪に軽くカールがかかっている。トレードマークだという黄色いカチューシャが、何とも可愛らしい。
真莉亜が誰からも愛される美しいマドンナだとすれば、くるみは誰もを明るくする天性のアイドルといえるだろう。くりくりっとしたアーモンド形の瞳は大きく純粋で、ぷっくりとした厚みのある唇は、彼女の魅力的な表情を体現するのに、これ以上ないほど貢献している。背は小さいがトランジスタグラマーで、ほどよく肉付きがいいのも小動物を連想させる。
「それじゃあ、これからどうする~?」
拓夢の考えを打ち切ったのは、桜の声だった。
「記念すべき庶民同好会の初日だよ? 拓夢くんの歓迎会もかねて、ぱーっとやろうか!」
両手を広げて桜は、そう提案する。
「すみませんが、私はこれから用事があります」
水を差したのは、百合江だった。発言の際にわざわざ手を上げるのは、真面目な彼女の性格を表しているのだろう。
「ふえ? どうして? 百合江ちゃん」
「これから、生徒会の仕事があるからです。掛け持ちにはなりますが、こちらは同好会ですし、生徒会の仕事を優先してよいとの許可もとってあります」
「そうなんだー。それじゃあ、仕方ないね……」
「わたくしも不参加でお願いいたしますわ」
桜と百合江の会話に入り込んだのは、真莉亜であった。
「わたくしはこれから、ピアノとヴァイオリン、乗馬のレッスンがありますのよ。ごめんあそばせ」
真莉亜は申し訳なさそうに、チラチラ拓夢を見ながら言った。
「拓夢さまっ、申し訳ありませんが、歓迎会は別の機会にさせていただきませんか? わたくしには、有栖川家の子女として、沢山の習い事をこなさければなりませんのよ」
「別にいいですけど……有栖川お嬢様。習い事の上に部活動までやるとなると、大変じゃないですか?」
「ええ……ですが、由緒ある有栖川の家格を背負っているのですから。これくらいで値を上げるわけにはまいりませんの」
拓夢の問いかけに、真莉亜は少しだけ寂しそうな表情で答えた。
拓夢としてはどうにかしてあげたい気持ちはあったが、呼び止めても仕方がない。存在意義すら疑われる同好会よりも、高い授業料を払っている習い事を優先するのは、当然のことだ。
「真莉亜お姉さまが参加しないなら、くるみも帰りま~す」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、くるみも便乗した。
「なんだか、時間がもったいない気もしますしぃ~」
どうやら、くるみの目当ては真莉亜だったらしい。正直に言ってくれるくるみに、腹を立てるどころか微笑ましい気持ちで拓夢は、
「ああ、はい。いいですよ。今日は初日なんだし、顔合わせが済んだだけでもよしとしましょうか。姫之咲さんも、僕なんかのために時間を割いてくれて、ありがとうございます」
「あ……えと。す、すみません。くるみ、なんか調子に乗っちゃったみたいで……」
「いえ。素直な気持ちを言ってもらえて、嬉しかったですから」
「あう……」
拓夢が笑いかけると、くるみは気まずそうに目をきょろきょろ泳がせる。
「それじゃあ、三人は帰るということで。桜さんも今日は帰りましょうか? 二人だけで残っても意味ないですし」
「え~~~~っ」
ただ一人不満そうな声を上げたのは、桜だった。
「拓夢くんの歓迎パーティ、楽しみにしてたのになぁ~。まあでも、しょうがないかぁ」
桜がそう言ったのを皮切りに、皆それぞれに帰り支度を始める。タイミングを見計らって、拓夢は声をかけた。
「それでは皆さん。活動は明日からですが、自由参加ということにしましょう。もし来てくれるなら、歓迎しますので遠慮なく参加してください」
「はぁ~い!」
「承知しました」
「楽しみにしておりますわ」
「くるみ、頑張るですう!」
桜、百合江、真莉亜、くるみと、四天使の返事を確認した後は、最後に部室を出てから鍵をかけた。初日から何の成果も残せないままに。
「……ふうううう~」
一人残った拓夢は、盛大にため息をついた。異分子である自分は、警戒され疎まれる。当然のことではあるが、少し切ない気持ちになる。
「みんなと……仲良くやっていけるのかなあ……」
拓夢は、ぽつりと呟いた。
どうやらこの学園に馴染むのは、まだまだ先になりそうだった。