㊸滅茶苦茶なお茶会
「それでは。始めさせていただきます」
そう言うとさつ希は、あらかじめ温めておいた茶碗に抹茶粉を入れ、柄杓でお湯を汲んで注いでいく。後は手早く茶筅でかき混ぜると、適度に泡立った抹茶の完成だ。
その後は袱紗の上から両手で抱え持ち、お茶碗をゆっくりと回しながらお客の前に置く。拓夢はその動きを見て感嘆した。歩き方、立ち方、座り方、指の動かし方。そのどれもが洗練されていて、それでいて清流のように穏やかなのだ。その美しさは、まるで日本舞踊を見ているようだった。
そんなこんなで、皆それぞれお茶に手をつけていたが、ふいにくるみが口を開いた。
「うえ~っ、このお茶にがいです~~~~」
よりにもよって、発せられた言葉は最悪だったが。隣のつかさも小さくため息をついている。
「くるみちゃん。お茶っていうのは、この苦みと香ばしさを味わうものなんだよ。子どもみたいなこと言っちゃダメだよ?」
「くるみ、子どもじゃないもん!」
「いや、『もん』とか言ってる時点で十分子どもだよ……。それに、あんまり大きな声で騒ぐのはマナー違反だって。お願いだから、静かにしててよ」
「ふみゅううぅぅぅうううう……!!!!」
ほっぺたをリスみたいに膨らませるくるみを見て、拓夢は即座に理解した。くるみにお嬢様は無理だ。向いてなさすぎる。元々平凡な家庭で育ったのが、変に出世してお金持ちになってしまったのが不幸なんだろうな、と思う。でなければ、今頃普通の学校に通って普通の青春を送れていたはずだ。
「まあ、よいではありませんか。姫乃咲さんは姫乃咲さんなりに頑張っておられるようですし。それよりもわたくしは、城岡様ともう少しお話がしたいのですけれどもね?」
座り立ちでつま先を立てながら、さつ希がぐいっと顔を近づけてくる。
「そうですわね。わたくしも城岡様のこと、とっても興味がありますの」
隣に座るつかさが、拓夢の肩にしなだれかかる。
「――城岡様は、決まった婚約者の方はおりませんの……?」
「み、宮ノ森さん……!」
ゆるふわウェーブの髪から漂う甘いシャンプーの匂い、柔肌の艶やかな弾力。勘違いではない、完全に当てにきている。
「あら……城岡様には、年上の女性が似合うと思いますわよ? 例えば、わたくしのような――」
気がつくと、さつ希の顔はもう目の前まで迫ってきていた。先ほどまでの優美な振る舞いではない、その淫欲にまみれた劣情の瞳は、さながら獲物を狙う肉食獣のようだった。
「まあ、お姉さまったら。部長だからといって、そのようなご無体を。婚約者を決めるのは、あくまで拓夢様ですわ。ねえ? 拓夢様♡♡♡♡」
つかさはさらに熱のこもった肢体を押し付けてくる。アレルギーが最高潮に達するが、それでも負けじと拓夢は口を開く。
「あ、の……。止めてください。今日は僕達、茶室の作法を学びにきたんです。こ、こんなことをしにきたんじゃありませんっ。も、もちろん、僕達に何か失礼があったなら、すぐに謝罪します!」
女性アレルギーにより舌がもつれるが、拓夢は誠実に言葉を紡ぐ。
「そ、それに、くるみちゃんのことも! くるみちゃんは、必死でお嬢様になろうとして努力してるんです! だから、くるみちゃんに作法を教えてあげてください! お願いします!」
茶室で叫ぶことの無作法さよりも、懸命な拓夢の叫びは、くるみの胸をうった。
「拓夢先輩……」
少し震えたくるみの呟きが、部屋の中に溶ける。
「……恐れながら申し上げます。姫乃咲さんに『和敬清寂』の心得は、いささか無謀かと思われますが」
感動のムードに水を差したのは、さつ希であった。
「道明寺さん、でも、くるみは――」
「姫乃咲様。よく考えてくださいまし。茶道にて大事たるは、『感謝』と『謙遜』にあります。ですが、姫乃咲様はいかがでしょうか。挨拶もなく菓子をいただく。茶碗を回さずに飲み、挙句の果てには『不味い』などと。そのような無作法は淑女の嗜みと言えるのでしょうか?」
「宮ノ森さん……」
理知的なつかさの言葉に、くるみはもう反論さえ出なくなる。
拓夢がまた声をかけようかと思った、その時だった。
「あら。手痛いところを突かれて沈黙でしょうか。全く、このようなお子様が、どうしてこの名門学園にいらっしゃるのでしょうね?」
お子様、と言われて、くるみの肩がピクリと動く。
「よいではないですか、さつきさん。そのようなことなど。それより城岡様のお答えを、まだお聞きしておりませんわ」
さつ希に話の矛先を振られて、拓夢は慌てて答える。
「ぼ、僕は、だから、まだ結婚とか……! そういうのは全く、考えていません!」
「「ああっ、城岡さま…………っ!!」」
しかし二人は、同時に拓夢の体に飛びついた。
「ひどい……。わたくし、初恋でしたのに。城岡様になら、純潔を捧げる覚悟がございますのに」
そう言って抱きつく、さつ希。胸と太ももを押し付けられ、涙で滲む瞳に見つめられては、拓夢に返す言葉はなかった。
(でも、なんで……? 急に、キャラ変わってない?)
先ほどまで、二人はとてもお淑やかだった。それが今は、この通りグイグイ来ている。そういえば、部室の前で自己紹介した時から、なんとなく二人の様子はおかしかった。主に、自分へとチラチラ目線を配りながら、内緒話をしていた。そして、この豹変ぶりである。
(まさか……テンプテーション・スメルのせいなのか?)
ハッと思い出す。若き女性を狂わせる・魔の体臭。それが効いているとすれば、この狭い室内では、まさに蜘蛛の巣にかかる蝶のようなものだ。
油断していた。くるみや真莉亜たちは割と自然に接してくれているから、忘れていたのだ。自分がいかに危険な存在か。このような純真可憐な大和撫子たちを淫欲にまみれた情婦にしてしまうのだから。しかし、拓夢の後悔は少しばかり遅かった。
「わたくしの実家は江戸時代から続く呉服門屋で、主に浅草で老舗を構えながら、全国で着物を販売しております! その財産や工場資産を含めれば、かなりの額に昇ります。それら全てを差し上げますから、わたくしと将来を築いてくださいませ!」
さつ希は熱く、激しい口調で叫ぶ。すると、つかさも負けじと口を開く。
「そ、それならわたくしだって! 400年以上続く和菓子店で、古くから伝わる格式高い味を提供し続け、その味わいは政財界の重鎮方からも愛され続けております! 一緒に、わたくしと店を盛り立てましょう!」
目の涙をいっぱい貯めながら懇願するつかさ。間違いない。テンプテーション・スメルに囚われている。さつ希も同様に、冷静さを失い声を張り上げている。
「うるさい……」
くるみの小さな呟きは、誰にも聞き取れなくて。
「……ああっ、もう我慢なりませんわっ!」
つかさは着物を脱ぐと、半襦袢――いわゆる着物の下のインナーをも脱ぎ掛けた。珠のような汗が、しっとりと地肌を滲ませている。
「ど、道明寺さん、ちょっと待って――」
「お姉さま、ズルいですわっ! それならわたくしだって、拓夢様にご奉仕させていただきます……っ」
「み、宮ノ森さん……!」
高級呉服屋で仕立てたという上質な着物を威勢よく脱ぎ捨てるつかさは、もはや下着と足袋だけの破廉恥極まりない恰好となっていた。
「やめて……」
取り乱す拓夢には、くるみの声は全く耳に入っていなかった。
もうダメだ。女性アレルギーが爆発するし、この学園にはいられなくなる。そう覚悟して目を閉じた時だった――。
「もう、やめて!! 拓夢先輩を、これ以上傷つけないで!!!!」
急にくるみは立ち上がり、大声を出した。その迫力に、茶室にいる全員が思わず息を飲んだが。
「あら姫乃咲様。まだいらっしゃったんですの? お子様はもう帰られた方がよろしいのではなくて?」
つかさが妖艶な笑みを浮かべ挑発した時だった。
「くるみ、子どもでいいもん!」
「先ほどは、あれほどお嬢様になりたいと仰っていたのに?」
「うるさい! バカ! 拓夢先輩!!」
「は、はいっ」
「拓夢先輩は、子どものくるみでいいと思ってるですよね? 可愛いっていってくれましたよねっ?」
強い口調で問いかけられると、拓夢は、
「そうだよっ! くるみちゃんは、今のままで十分素敵だよ!」
「じゃあ、もうお嬢様なんてなりたくない! こんな苦いお茶なんて飲みたくないし、正座もしたくない! お嬢様なんて、大嫌いっ!」
くるみは立ち上がって叫んだ。その拍子に、茶碗がひっくり返って中の茶が畳に染みてしまう。突然のことに、つかさはオロオロしている。
「なにをなさるのですか、姫乃咲様!」
「えぇーい、うるさ―――――――い!!」
まるで火がついた幼子のように、くるみは手当たり次第にそこら辺の物を投げた。
宝瓶、棗、水指、柄杓、釜、蓋置、建水など、高そうな茶道具が次々と壊れていく。
「いいかげんにしてくださましっ! もう出ていって!」
「言われなくったって、こっちから出てってやるです! 行きましょ、拓夢先輩!!」
「……もう、滅茶苦茶だよ……」
くるみに手を引っ張られながら、割れた茶器などが散乱する茶室を後にする拓夢であった。