㉟私なりのやり方で。
生徒総会が終わって、放課後の生徒会室にて。
「百合江さん、お疲れさまでした」
「もう、本当に疲れましたよ。あんなこと、二度とゴメンです」
大げさに肩を落としながら、百合江はため息をついた。確かに疲れたような顔をしてはいるが、その表情には充実感もあった。
「僕のせい……ですよね。すみません。まさか、百合江さんにあそこまで言わせるなんて」
「い、いえ……。というか、思い返させないでください」
百合江は顔を真っ赤にしながら俯いた。
結局、百合江の『愛してる』発言は『人として……ですけど』という付け足しによって事なきを得た。全校生徒が集まる生徒総会の中で告白など、到底できるものではない。
――そう、できるはずが、ないのだ。
百合江は諦めたように苦笑した。何かを受け入れたような笑みだ。
「あ、あの……忘れてください。今日のことは……」
百合江らしくなく言葉を濁しながら、必死に話題を変えようとしたが、
「ダメですよ。百合江さんの気持ちに、しっかり答えないと」
拓夢は逃がしてくれなかった。
やっぱりあんなこと言うんじゃなかった、と百合江は後悔していた。
やるとしても、もう少し段階を踏むべきだった。このままでは生徒会のメンバーはおろか、拓夢にまで迷惑がかかってしまう。
「そ、そんなことよりも。約束、忘れていないでしょうね? 生徒総会が終わったら。私の跡を継いで次の生徒会長になるって話。考えてくれましたか?」
言った瞬間、さらなる後悔が襲う。おそらく自分は、一生異性に気持ちなんて伝えられないんだ。
もし伝えられたとしても、鈍感な拓夢が気づいてくれるかは怪しい。
拓夢は全力でしまった、という表情をして、
「そ、そうですよね! お返事しないと」
「失礼ですが、座ってもいいでしょうか? なんだか疲れてしまって」
「あ、はい。分かりました」
百合江は拓夢の了承を得るとパイプ椅子に座った。
途端にホッとする。拓夢を前にすると、緊張で足が震えるのだ。
「それじゃあ、早速返答についてですが」
拓夢は息を一つつくと、
「ごめんなさい。僕には生徒会長は、無理です」
深く、深く深く、頭を下げた。
「……拓夢さん」
絶望したように、それでいてどこか納得したように目を細めながら、百合江は口を開いた。
「やっぱり……そうでしたか」
「すみません……僕にはどうしても、出来ないんです」
拓夢は声も、視線も震えていた。
「でも……一応、理由を聞かせていただいてもいいですか? 例えば、私に何か問題があったとか」
「いいえ。これは……僕自身の問題なんです」
拓夢は顔を上げて、百合江の目をまっすぐに見た。
「僕は、生徒会の皆さんのことが好きです。百合江さんも、静香さんも、ミカさんも、水月さんも。みんな僕に優しくしてくれました。でも……ダメなんです」
「生徒会長の大変さは、私が一番よく分かっています。庶民特待生として、庶民同好会との掛け持ちがキツいことも。ですが、それはやってみなければ分からないことじゃないですか? 例えば、ポイントとなるお仕事は貴方がして、残りのお仕事を各役員に振り分けるとかすれば――」
「……それじゃダメなんです。どうしても、甘えてしまうから」
細くかよわい声で、しかしながら芯のある口調で拓夢は言った。
「僕……前の家では、義理の両親から虐待されていたんです。今では素直になりましたけど、聖薇も、表向きは僕を……。とにかく、辛い思い出しかなかったんです。この学園に来なかったら、きっと自ら死を選んでたかも……」
凄惨な過去を噛みしめるように、拓夢はゆっくりと口を開いていく。
「だから……この学園の皆さんのことが好きです。庶民同好会の皆さんのことは、特に。僕に目をかけて、生徒会長を継いでほしいと言ってくれた、百合江さんのことも」
「でも……だったら、どうして……?」
「だからこそ、です。僕には百合江さんのように、他のことと他のことを両立させられないんです。例え出来たとしても、うまくやるのと全力でやるのは違うと思うから。そして僕の気持ちとしては……庶民同好会のメンバーとして、もっともっと皆さんと仲良くなりたいんです」
「拓夢さん……」
百合江は、驚きながら拓夢を見ていた。初めて出会った時は、オドオドして不器用な男子という印象しかなかったのに。これだけみんなのことを思いやり、まっすぐな感情をぶつけられようとは。
「だから……ごめんなさい」
再び頭を下げる拓夢を前に、百合江は優しく首を振った。
「……いいんですよ。最初から無理を申し上げるのはこちらですし。次の生徒会長は、普通に学内選挙で決めます」
「ありがとうございます。百合江さん」
顔を上げる拓夢に、ニッコリと百合江は微笑んだ。
「私の任期はもう少しありますし、拓夢さんさえよければ、また生徒会室に遊びに来てください。もちろん、もし気が変わって生徒会長になりたいと思ったなら、私はいつでも推薦しますからね」
「はい。ただ……」
「?」
気持ちのいい返事をしたと思いきや、言葉を濁す拓夢を、百合江は不思議そうに見ていた。
拓夢は百合江の視線に気づいたのか、言いづらそうに口をゆっくりと開いた。
「さっきの、あの。告白の、件なんですけど……」
拓夢の言葉に、思わず椅子から立ち上がった百合江は顔を真っ赤にし、両手をブンブン振りながら言った。
「あ、あああああれは。だからっ、そんなんじゃないんですっ……!」
顔を紅潮させながらそう言われて、「あはは、僕の勘違いだったんですね」とは流石の拓夢も思わない。
「誤魔化さないでください。いくら鈍感な僕だって分かります。百合江さんは、真剣に僕に告白をしてくれたんですよね?」
「あ、あの。それは……」
うろたえた百合江の口調はもつれていた。
――もしかして。もしかしたら……。
心臓を握りつぶさんばかりに、期待で鼓動は高鳴っていた。それと同時に、言いようのない不安の嵐が吹き荒れる。
「も、もし仮にそうだとしたら……。あなたは私と、付き合っていただけるんですか……?」
だから、「仮定の話」という逃げに回る。しかし、拓夢の方は逃げなかった。
「……ダメです。僕はこの学園の、庶民特待生ですから」
――やっぱり。百合江は気づかれないように拳を握りしめた。
分かっていた。庶民特待生である拓夢と、生徒会長である自分が結ばれるなど、そんなことがあるはずないと。分かってはいたが、理屈よりも感情の方が波立つ。
「ですが、僕がこの学園を卒業したら。その時は庶民特待生じゃなくなるので、自由に恋愛が出来ます。その時にどうなるか分かりませんが、答えはその時ということでよければ――」
「……!」
聞いた瞬間、崖の下にロープが垂らされたような安堵感が広がった。そうだ、拓夢が庶民特待生でさえなくなれば。
自分もあと数か月でこの学園を去る。そうすれば、二人の恋を阻むものは、誰もいないではないか。
元気を取り戻した百合江は、眼鏡のツルをくいっと持ち上げ、強がりの笑みを浮かべた。
「そ、そうですか! まあ、私としてもその頃には、他に素敵な恋人が出来ているかもしれませんけどねっ。他に選択肢もないですし、拓夢さんが恋人候補ということでいいですよ!」
「あ、もしご迷惑でしたら、僕は……」
「いいんです!! 拓夢さんで!!!!」
またもや鈍感ムーブを発揮しようとした拓夢を、百合江は大声で制した。
ただでさえ疲れているところに叫んでしまったので、軽い貧血を起こし、再び椅子にへたりこむ。
「よかったぁ……。私にも、まだチャンスがあるんだ……」
絶対に聞かれないように、小声で呟く。すると拓夢は、
「どうしたんですか? 百合江さん、大丈夫ですかっ?」
安堵して座り込む百合江を、体調不良と勘違いしたのだろう。必死に顔を覗き込んでいる。
(もう! 本当に鈍感な人なんだから……!)
たまに拓夢の残酷な優しさには、どうしようもなく腹が立つ。
しかし、それを上回るくらい愛しい。
それにいつかは、口に出さなくても分かるくらい、拓夢に本当の気持ちを伝えてみせるから。
「……?」
心配そうに見つめる拓夢の顔を、両手でそっと包み。
「……だからっ、覚悟していてくださいね? 鈍感さん……♡♡♡♡」
――最高の笑顔で、愛しい彼に口づけをした――