㉞ラスト・チャンス
「何ですって? この私を、論破?」
春香は聞き捨てならない、いった風に尋ねた。
「ええ」
百合江は短く答えながら拓夢の方を向き、「もう大丈夫です」という風に小さく頷きながら、再び春香に向き直った。
「貴女は先ほど、私が生徒会の仕事をおろそかにしていると言われましたね?」
ゆっくりと、それでいて厳かに百合江は春香に確認を取る。
「え、ええ。そうよ……」
「大変貴重なご提言いただき、ありがとうございます。しかし、この発言は我が生徒会にとっても、沽券にかかわるお話ですので。いくつか確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「確認……?」
「まず、職務怠慢があったということは、果たして事実でしょうか? 私たち生徒会は各行事の運営、各予算の承認、ボランティア運動と、学内での自治活動を日々努めています。もちろん、成績を落とすようなこともしていません。でしたら何をもって、私達が業務を懈怠していると感じたのでしょうか? それは、貴女の主観ではないのですか?」
ざわざわ、と周囲はざわめいた。百合江の成績は聖ジュリアンヌ女学院の中でも、トップクラスなのだ。もちろん役員の仕事だけではなく、朝のあいさつ運動や募金活動、校内美化清掃を積極的に行ったりと、百合江の地道な努力を知っている生徒は、沢山いる。
「ええ……。私だって、本当はこんなことを糾弾したくはないんです……。でも学園の生徒として、風紀委員として、組織の不正を見過ごすわけにはいきませんので……」
形勢が不利になったとみるや、途端に春香はしおらしく、同情を誘うような表情で言った。
「不正ですか。では、仕事をしているという証拠があればいいんですよね?」
「――!」
その言葉に、春香は絶句した。
ここで百合江の仕事ぶりが評価されるようなことにでもなれば、逆に自分は生徒会長に因縁をつけた不届き者になってしまう。それだけは、避けなければ。
「この生徒総会の準備だって、散々遅れているじゃない!」
「本来いるべき庶務が諸事情で辞めて、残った一年の会計が病欠になってしまったんです。残った三人は放課後遅くまで準備して、ようやく生徒総会を始めることが出来たんです」
「そ、それは。でも……」
「もちろん、これは私の主観による証言ですよね。本当の証拠は、また別にあります」
あえて言葉の続きを先取りすることで、先手を取り相手の優位を崩す百合江。そんな百合江に、春香はマイク台から身を乗り出して尋ねる。
「し、証拠って、なによ?」
「生徒会への入室記録は、私達が毎日書類にハンコを押し、理事長に許可を頂いています。入退室の時間を見れば、私達がいかに遅くまで残って仕事をしているかが分かるはずです」
メガネ越しに百合江はキッと春香を睨みつける。
「そ、そんなの。本当に仕事をしているかどうかなんて……」
「そうですね、分かりませんね。でも、たまにクラス委員の方にお手伝いをお願いしていました。その方たちに聞いていただければ、私達がいかに真面目だったかは、すぐに分かると思いますけれど?」
「な……!」
少し慇懃な言い方をすると、春香は顔を真っ赤にした。
「そ、そんなの! 口裏を合わせることだって出来るじゃないの! 信用できないわ!」
「では、映像ならいいんですか? 実は生徒会室の中には、防犯のため隠しカメラが設置されているんです。それを見れば、決定的証拠になりますよね?」
「カ、カメラなんてあったの?」
「はい♪ 何でしたら、今すぐスクリーンに流しましょうか? 皆さんにも、我が生徒会の仕事ぶりを知っていただく、いい機会ですし☆」
あえて自信たっぷりに、にこやかに笑って言う百合江。もちろん、自主性を重んじる生徒会室にカメラが仕掛けてあるなんて、嘘だ。しかしハッタリが功を奏したのか、春香は見事なまでに狼狽し、
「な――なに笑ってんのよ! このガリ勉メガネ女が!!」
ステージ上に昇ろうとした、その時だった。
「――おっと。それ以上はいけないね」
「きゃあっ!」
春香は激痛に悲鳴を上げる。
いつの間にかステージを降りていた静香が、春香の後ろに周り、その腕を締め上げていたのだ。
腕、肘、肩が反対方向にねじられ、あまりの痛さに動くことも出来ず、春香は顔を歪めていた。
「あっ、んっ――は、離しなさいよぉ――!!」
「はいはい、お望みどおりにっ♪」
静香がつかんでいた腕を離すと、支えを失った春香は地面に倒れる。
痛んだ腕では受け身を取ることも出来ず、そのまま顔を床に打ち付けて。
なんとか起き上がった春香は、関節を極められた腕をかばいながら、静香をにらんだ。ぶつけた衝撃と怒りで、顔中を真っ赤にしている。
「暴力を振るうとか、最っ低……!」
「違う、違う。百合江を守るために、ちょっとした護身術を使っただけさ。激昂して百合江に掴みかかろうとした、君の方に問題があると思うけどね?」
冷静に言葉を返す静香に、春香はますます顔を赤らめた。
「そっ、それは、百合江があんなことを言うから……」
「元はといえば、百合江を挑発したのはキミだろう?」
「う、うるさいうるさい! アンタたちが全部悪いのよ!」
春香は、震える腕で生徒会の面々を指さしながら叫んだ。
その憤慨した様子に、生徒たちは驚いた、あるいは冷めた視線を送っていた。
「アタシは悪くないわっ! 生徒会長の座を取られたのだって、お父さまのお仕事を取られたのだって、全部、ぜんぶ百合江が悪いのっ!」
「やれやれ。まるで子供だね」
「もう、いいわっ!!」
ぷいっ、とそっぽを向いて、再び春香は百合江に向き直る。
「おいおい。まだやるのかい?」
「うるさいッ。用があるのは、この女よっ!」
すたすたと、そのまま春香は百合江に向かって歩を進める。
百合江は大きくため息をつきながら、マイクを握り直して、
「なんでしょうか? 春香さん」
春香は百合江をキッと睨みつけて、
「アンタに聞きたいことがあるのよ、百合江!」
会場中の冷ややかな視線にも構わず、そう叫んだ。
「そこの庶民との関係性よ! アンタは仕事上の付き合いだって言ってたけど、どうにもそうは思えないわっ! みんなの庶民特待生を独占しておいて、何もやましいことがないって言うなら、ここで庶民のことをどう思っているのか、言ってみなさいよっ!」
ざわ……ざわ……と、会場内がざわつく。どうやら皮肉なことに、春香の聞きたかったことは、生徒達にとっても同様だったようだ。
――百合江は、拓夢のことをどう思っているのか?
百合江は、春香を見つめた。生徒会メンバーに対するリコール計画は、もう崩れた。生徒会が仕事をサボっているなど、誰も思わないだろう。春香は涙目になりながら、一点に百合江を見据えている。この質問は打つ手がなくなった彼女の、最後の悪あがきなのだろう。
ざわつく会場。興奮する春香。ため息をつく百合江。
まさしくカオスとなった講堂内で、再び静香が仲裁に入ろうと動く。
「如月。その質問は――」
「いいですよ。お答えしましょう」
しかし意外にも、その言葉を遮ったのは、百合江だった。
「百合江さん……?」
その様子を拓夢は、檀下で見ていた。
百合江は、その呟きに反応したかのように、拓夢に視線を向けた。
いつものように冷静沈着、落ち着いて、それでいて厳格で、知的な瞳をメガネの奥に隠すその視線には、なぜかとても儚げに見える。
「まずは、皆さんにお詫びしたいと思います。私の拓夢さんに対する優柔不断な態度が、春香さんを始め、多くの方に不信感を抱かせ、今回の騒動に発展したこと。これは、私の責任であるとしか言いようがありません。申し訳ありませんでした」
そう言って、百合江は深々と頭を下げる。話し方は理路整然としていて、政治家がマスコミにスキャンダルを会見しているかのようだった。
「続いて、説明したいと思います。この一ヵ月近くのお付き合いで、拓夢さんが私にとって、どのような存在になったのか。当初は気弱でオドオドして、頼りない男子だなと思ったのが率直な意見でした。しかし、すぐにそれは間違いだったと知ります。お掃除を手伝ってくれたり、生徒会の仕事を手伝ってくれたり。この髪型も眼鏡も、彼が相談に乗ってくれたから思い切って変えてみました。一つ言えることは、彼はとても優しい人物だということです。それは私に対してだけではなく、クラスメイト、庶民同好会のメンバー、そして学園の全ての人に対してです。ですから今の関係性として妥当な表現は、彼は良き友人であり、共に切磋琢磨する仲間にあたると思います」
……なんてね。
百合江は、心の中で自嘲気味に呟いた。今の説明に嘘はない。彼が優しい人物で、そんな彼に自分は信頼関係を置いている。それも事実だ。
ただ、それだけが全てではなくて……。百合江はコッソリため息をつく。
分かっている。自分には、こうして理論的に話すことしか出来ない。感情的になって自分を吐露するということは、何より苦手なのだ。
だから。
百合江は深呼吸をして言った。
「……いけませんね。これじゃ、いつもと同じになっちゃう……」
話し方がガラリと変わる百合江に、驚く生徒達。
落ち着きなく、線が細い今の百合江は、いつもの気が強く、自信にあふれていた彼女とは違って見えた。
「ホントはわたし、無理をしてるんです。今の学位だって、一日に何十時間と勉強してるからキープ出来てるだけで。多分、人の何倍も努力しないと、当り前のこともこなせないんです」
昨日だって、仕事の最中に寝ちゃったし、と百合江は思う。
「……そんな時に出会ったのが、拓夢さんでした。庶民同好会に入って、生徒会に入って。彼は言ってくれました」
会場内は、とても静かだった。先ほどまであれだけ騒いでいた春香でさえ、固唾を飲んで成り行きを静観している。
「ありのままの私でいいと。私、ほんとの自分が嫌いだったんです。どんくさくて、何をやっても上手く出来ない。他の人なら、もっとうまく出来るかもしれない。そんな、何もない自分……。彼はそんな自分を、受け入れてくれたんです」
「百合江さん……」
今まで見たこともないような弱々しい百合江の告白に、拓夢は胸が熱くなるような思いを覚えいてた。
「何だか、言わなくていいことまで言っちゃった……ごめんなさい」
もう一度頭を下げると、百合江は柔らかな笑みを浮かべて、
「春香さん。あなたのご質問は、『私が拓夢さんのことを、どう思っているか』でしたよね?」
「あ……」
目頭に涙をためた百合江に話しかけられ、春香は気まずそうに口をつぐむ。
百合江は、くすりと笑いながら今度は拓夢に向き直り、
「では、本当にホントの気持ちをお話しします。拓夢さん、よく聞いていてくださいね?」
「は、はい……」
聞こえているはずはないが、拓夢が返事をすると、百合江はかすかに頷いた。
もともと百合江は、拓夢のことが気に入らなかった。線の細さも、長い前髪も、分厚い眼鏡も、小さな声も。
しかし、それは間違いだったのだ。人間の本質は見た目ではなく魂にある。それに気づかされた以上、もう隠すことは出来ない。おそらくは、これが最後のチャンスなのだから。
「私は……」
だから、彼女は思い切って口を開いた。
「私は……拓夢さんのことを愛しています」