㉝そこまでよっ!
――ざわ……ざわ……。
喧騒とざわめきで、講堂の中は埋め尽くされていた。放課後。今日は、前期生徒総会を行う日だ。ほぼ全生徒が集う会場内で、生徒会メンバーが執り行う、大事な日だ。
しかし、生徒達がざわついているのは、それだけではない。開会宣言が行われるまでは、静かだったのだ。もっと言えば、百合江が現れた瞬間から騒ぎ始めているのである。
――百合江さま、一体どうなさったのかしら……?
誰ともなく、小さな声を発した。
「皆さん、静粛に!!」
演台の上で注意をする百合江に、生徒達は驚き目を見開いた。
腰ほどまであったロングヘア―はバッサリと切られ、今では肩までのショートヘアになっていた。七:三の髪型から、ゆるやかに前髪を一本垂らしている。元々百合江は小顔であるが、ひし形のヘアスタイルになったことで、更に美しい輪郭は強調された。可愛らしいお嬢様スタイルから、仕事の出来る大人の女になったという感じだ。
「えー、生徒会長の、冷条院百合江です。一年生の皆さんには初めての経験になりますから、改めて、この生徒総会の意味について、少しお話ししたいと思います」
ひとつ呼吸を吐くと、百合江は壇上のマイクの前で話した。
「この生徒総会は、私たち生徒の代表である委員会や生徒会執行部が提案したことを、生徒全員の皆さんで話し合い、決定して、実行に移していく上で、とても重要な会議です。皆さんの考えや意見を、たくさんいただかないと、よい決定は生まれてきません。遠慮せず、積極的に意見を出し合い、活発な話し合いにすることで、この学校をより良くしていきましょう。重要な会議ですから、私語は慎んで、スムーズに議事進行ができるよう、皆さんのご協力をよろしくお願いします」
姿勢正しく、理路整然と言葉を並べる百合江の進行に、先ほどまで騒がしかった女子生徒達はうっとりと、または真剣な眼差しを向けていた。ようは、それほど百合江の演説が上手だったということだ。
「それではこれより、前期生徒会総会を開会致します」
そう締めると百合江は、長机に腰かけた。右隣には副会長の静香、左隣には書記のミカが座っている。
席についた百合江がまず行ったことは、会場内にいる拓夢の確認だ。庶民特待生である拓夢は、ズラリと並べられた椅子に座る女生徒達とは離れて、どちらかと言えばステージの端に近く、一番目立つ位置にいた。どこか緊張した面持ちで、そわそわしながら自分のことを見ていた。
その姿を見て、思わず笑みがこぼれる。そして、思う。拓夢がこの学園に来てくれて、よかった。庶民同好会に入ってくれて、毎日のように生徒総会の準備を手伝ってくれた。本当に、楽しい日々だった。
そんなことを考えていると、着々と総会は進められた。生徒会活動報告、委員会活動報告、今年度の活動方針や予算案など。
役員の話に真剣に耳を傾ける生徒達に、百合江は嬉しくなっていた。静香は冷静に発言内容をメモに取り、ミカは落ち着きなく固まっていたが、それだけ熱意があることは、やはり嬉しい。
心配事だらけだったけど、何事もなく進んだじゃない。
百合江がそう思った、その時だった。
爆弾は、質疑応答の時間に投下された。
「質問、よろしいでしょうか?」
百合江はハッと顔をこわばらせる。マイク台の前にて、壇上にいる百合江を鋭い目で見つめている生徒は、あの如月春香だった。
「如月さん……」
思わず身構えてしまう。少し癖のある髪を強引に三つ編みにし、分けられた前髪からのぞき見えたのは、分厚いメガネの底に隠れる、陰湿な瞳。
百合江の親と春香の親は同じ法曹界に身を置く弁護士同士で、お互い年に何万回と相談を受けている大手事務所を構え、これまで何度も法廷で争い合ってきたライバル同士だ。しかも春香は、去年の生徒会選挙で百合江に大差をつけられ落選している。それ以降は風紀委員会に所属し、これまで何度も生徒会の業務を妨害してきた。警戒するのは当然というものだろう。
一体、何を質問するつもりだろう……? 先ほどまで和んでいた百合江は、すぐに気を引き締めた。
「それよりまず、髪を切られたんですね。よくお似合いですよ。しかし、なぜ急に……? やはり、『あの噂』は本当だったのかしら?」
春香はフッと鼻を鳴らした。どうやら、挨拶代わりのジャブらしい。
「既に知っている方も多いでしょう。そこにおられる生徒会長、冷条院百合江さんは、庶民特待生である城岡拓夢に入れ込み、庶民サークルなどという怪しげな同好会に入り浸り、生徒会の仕事をおろそかにしていると!」
(ああ、そうか。全校生徒の前で生徒総会を台無しにして、私を生徒会長の座から引きずり下ろしたいのね)
瞬時に、そう理解した。続いて、壇上から椅子に座る生徒達の顔を見渡す。皆ざわつき、目配せやヒソヒソ声なども聞こえてくる。何人かは、教職員に注意されているみたいだ。
冷静に頭を働かせる百合江だが、解決策は思いつかない。仕事をおろそかにしているなんてことはない。かといって、生徒会の権限を行使して庶民同好会に入部したのは事実だ。
「それだけではありません。生徒会室に庶民を招き入れては、夜な夜な淫らな行為に耽っていると、とあるメイドから報告も上がっています」
(上条だわ)
百合江の脳裏に、あの夜のことが思い起こされる。パンフレット作りを、拓夢に協力してもらって遅くまで残っていたあの日、上条というメイドが生徒会室まで夜回りに来ていた。
あの上条が、この春香と繋がっていたのだ。
「…………」
自分の心を見透かすかのように見つめる春香の視線に、百合江の頬はカッと熱くなった。
何か言い返さなくては。そう思うのだが、唇が張り付いてしまったように言葉が出ない。
必死の思いで、何とか言葉を絞り出す。
「……別に、淫らな行為をしていたわけではありません……」
「それでは、なぜ夜遅くまで残っているのかしら?」
「……それは、スケジュールが押していて……」
「それって、城岡さんがやらなければいけないことなんですか? 他にも役員がいるのに? それに、あなたの制服は乱れていたと聞いていますわ。これは、どういうことなんですの!」
「…………それ……は……」
ギン、と自分を睨みつける春香の迫力に、体がすくんでしうまう。さっきまで熱かった体が、今度は急に冷えたように感じた。足はガクガクと震え、思わず講演台に手をついてふらついてしまった。
そんな百合江の姿を見た、ステージ下の生徒達からは、
――あの噂、やっぱり本当だったのかしら……。
――生徒会長って言っても、やっぱりただの女ね。
――城岡さまは、私が狙ってましたのにぃ~。
――生徒会長の権限を利用するだなんて、卑怯極まりないわ。
などという中傷に、春香は乗じる。
「このように。学園の風紀を乱すあなたに、生徒会長はふさわしくありません。ただちに辞職し、後任にはこの私が――」
――ちょっと待ってください!
その声は、やけに鮮明に百合江の耳まで届いた。さっきまであんなに酷かった体の震えも、ピタリと止まっている。ただ、一人の男子生徒が声をかけてくれただけなのに。
「僕と百合江さんは、そんな関係じゃありません! そりゃ、二人で遅くまで残っていましたけど……。それは僕の手際が遅くて、百合江さんに迷惑をかけていたからです! 百合江さんは、すっごく綺麗でスタイルがよくて、優しくて頭もよくて、髪も僕好みに合わせてくれて……。そんな百合江さんが風紀を乱したりなんて、絶対にしません!!」
(そんなフォローの仕方じゃ、問題を起こした彼女を彼氏が庇っているように聞こえてしまうわ。もう、大事なところで抜けてるんだから)
苦笑まじりに、心の中でそう呟いた。
どうして彼の声を聞くと、こんなに心弾むのだろう。どうして彼の顔を見ていると、こんなにも心落ち着くのだろうか。百合絵はうつむくと、息を一つ吐いた。先ほどまでは声を出すことすら苦痛に感じていたのが、今は無性に叫び出したいくらいの気分だ。
尚も自分を励まそうと声をかけ続ける拓夢を、席に座らせ騒ぎを静める教師たち。その隙に主導権を戻そうとした春香の声を、百合江は制す。
「あの、庶民さんは……「そこまでよ」」
春香の声を遮った百合江は、うつむいていた顔を上げ、眼鏡の奥から眼光鋭く春香を睨みつけた。
「如月さん。ずいぶん好き勝手にやってくれたわね。ここからは、生徒会の反撃よ。一点の曇りもないほどあなたの主張を論破して、完膚なきまでに叩き潰してあげるわ」