㉓最後の勝利者
「うおおおぉぉぉおおおおおおっ!」
拓夢は攻撃した。マルシェ、ロンペ、ファンデブ、ボンナバン、ボンナリエール、全ての基本動作を合わせて。もちろん、一鶴のそれと比べれば天と地ほどの差があるはずなのだが――
「くっ……!」
一鶴は焦りの声を漏らす。
拓夢の猛攻に耐えかね、後方に下がる技術――ロンぺを使うほどに。
拓夢の攻撃の、先ほどと何が違うのか。
原因は、一鶴がフェンシング上級者ということにある。
フェンシングというのは、「先に攻撃を仕掛けた方が有利」なスポーツである。サーブルの場合、頭部、両腕を含む上半身全てが有効範囲だ。
ということは。
一鶴は無意識の内に、有効面をガードしてしまうのである。
もちろん、これは正式なフェンシングではなく「薔薇の決闘」なので、心臓に刺してある薔薇さえガードすれば問題ない。
しかし、一鶴にはそれが出来ないのである。初心者の攻撃を受けることの屈辱か。それとも長年に渡り染みついた習慣か。どちらにせよ、防ぐ必要のない場所への攻撃を、相手はわざわざ庇ってくれるのだ。
拓夢は脇腹を突こうとする。
一鶴はバラードではじき返そうとする。
すると拓夢は手首をひねって剣先をクルリと回転させ、今度は一鶴の心臓めがけてファンデブを繰り出す。
「ううっ!」
短く叫ぶ一鶴。
「拓夢さま、すごいですわー!」
はしゃぐ真莉亜。
「一鶴さんが、ここまで押されるなんて……」
驚く麗奈。
そして、胸に刺した薔薇がハラハラと舞って……
「まだだっ!」
雄々しく叫ぶ一鶴。薔薇にサーブルが突き刺さる寸前、ボンナリエール……一気に後方に飛びのく技術によって、回避していたのだ。しかし、花びらは5,6枚ほど落ち、残る花びらは5枚ほど。花冠が落ちるのも、時間の問題である。
(今のは惜しかった……)
拓夢は興奮で頭がいっぱいだった。
(勝てる……勝てるぞ!!)
それで――ついに真莉亜は自由の身となる。
拓夢はもう迷うことなく、銀色の切っ先を真っすぐ一鶴に向けて構える。
じりじりとにじみ寄り、1メートルほどの距離で立ち止まると、
「行くぞっ!」
全身全霊の突きを仕掛けた。
(大丈夫、勝てる! いや、勝つんだ!!)
自分を奮い立たせるように、心の中で叫ぶ。
「甘いな……!!」
しかし一鶴は、流水のように無駄のない所作で拓夢の剣を払うと、逆にリポスト――カウンターの突きを放った。
「ぐうっ!」
ガキン! という甲高い音がして、空気が裂け風が頬を叩きつける。
本能的にバラードをし、逆にリポストによって一鶴に反撃しようとした時。
「――ふんっ!」
そこに、一鶴の姿はなかった。
「え――――」
もちろん、一鶴が突然姿を消したわけではない。
「!?」
拓夢は驚いて振り返った。
一鶴は拓夢をまたぐ形で大きくジャンプをし、自分の突きを緊急回避したのだ。
確かに、フェイントよって自分のスタイルを惑わされてしまうならば、防御ではなく、攻撃を全てかわしてしまえばいい。
しかしそれは、野獣のような動体視力と、運動神経がなければ成り立たないことだ。
「…………フッ」
振り向いた拓夢は、一鶴とすぐに目が合った。
一鶴は、すぐ目の前にいたのだ。
しかし一鶴は、ピスト代わりにした花壇をすぐ背にしている。ピストから足を出すと負けになる。つまり、一鶴もまた背水の陣に立っているということだ。
「うおおおおぉぉああああああっ!!」
二人は同時に、薔薇めがけて突きを繰り出した。
「――あっ」
短く声を漏らしたのは、拓夢であった。実際には、声を上げる間も無かったのだが。
拓夢の剣は、遥か虚空を刺していた。直後パリンという音と共に、胸に刺した薔薇のプレートが奪われる音がする。
「う、うう……」
がっくりと、地面に膝をつく拓夢。
拓夢は負けたのだ。
悠然とたたずむ一鶴の剣先には、しっかりと拓夢が胸に刺していた薔薇が突き刺さっている。
(………………)
激戦からの呆気ない幕切れに、ギャラリー達が息を呑む中、
「拓夢さまぁっ!」
静まり返った広場に響き渡ったのは、真莉亜の叫び声だった。
「拓夢さま、拓夢さまっ」
膝をつく拓夢に駆け寄ると、顔を覗き込んで、
「大丈夫ですの!?」
心配そうに声をかける。
しかし拓夢は、
「……真莉亜さん」
呆然と名前を呼ぶだけであった。
そのシャツを確認する。花弁も、花托も、花茎も。花を形作るものは何も残っていない。
「そんな……そんな」
それを見た時、真莉亜は一気に瞳に涙を溜めた。
「いやぁあああああああああああああぁぁあああああっ!!」
絹を裂くように悲痛な真莉亜の泣き叫ぶ声が、有栖川邸に木霊するのであった。