⑫恋のトライアングル・エクスタシー・スパーク
「あら、拓夢さまではありませんこと!」
お昼休みの廊下にて。真莉亜の弾んだ声が、拓夢に向けられた。
「ああ、真莉亜さん。こんにちは」
声をかけられた拓夢は、笑顔で手を振る。
そんな拓夢に真莉亜は、極上の笑みを浮かべながら、
「よろしければ、これからご一緒にランチでもいかがですか?」
「え、今からですか」
拓夢は慌ててお腹を手でさすった。くるみが作った黒焦げのタクッキーを、あれから全て平らげたのだ。必然的に、拓夢は今酷い胸焼け状態にある。
「す、すみませんが、今はお腹いっぱいでして……」
「……そうですか……」
真莉亜は泣きそうな顔でそう答えると、うつむきながら唇をきゅっと結んだ。
「ち、ちがうんですよ! 本当にっ、ただ今日は胃の調子が悪いんです! べつに、真莉亜さんと食事に行きたくない訳じゃ……! 今度、いくらでも埋め合わせしますから……」
「いくらでも……?」
拓夢の言葉に、真莉亜は美しい瞳を大きく開け、過剰な反応を示した。
「い、いや。いくらでもっていうか……。僕に出来る程度のことですけど」
嫌な予感が働き、慌てて拓夢はそう付け足すのであった。
有栖川真莉亜。拓夢が知る限り、学校で一番の美少女。
ひょんなことから、拓夢と勝負をすることになり、そして、敗れた。
そして、彼女は拓夢に告白したのだった。
親の面子も、婚約者も全て捨てて。
彼女からの告白は、庶民特待生という立場上、一端保留となった。
そして今に至るのだが。
「そうですわね……」
綺麗なEラインに指を当て、首を傾げながら真莉亜は何か考えていた。
右手の指を頬の下、左手で豊満な胸を包み込みながら。
廊下は調光制御機能を持ったアトリウムとなっており、真莉亜の金色のウェーブヘアを、さらに輝かしく見せている。
そしてその表情はフランス人形のように整いすぎて、何を考えているかは全く分からない。その美しさに圧倒されるように息を呑み込むと、不意に真莉亜が口を開いた。
「では、今度のお休み。うちに来てください」
「いきなりすぎぃ!」
「え……? ダメ……でしょうか……?」
「あ……ごめんなさい。つい、いつものノリでツッコんじゃって……」
クリスタルのように瞳をキラキラと濡らす真莉亜に、拓夢は慌てて頭を下げた。
「では、いらしていただけるのですね?」
「ああ……いや、でもそれは……」
「なんでも、していただけるのでしょう?」
ウルウル。
そんな綺麗な瞳を悲しげに滲ませられると、返事は「はい」としか出てこない。
「拓夢さま。お忘れではないでしょうね? わたくしは拓夢さまに告白をして、そのお返事を考えていただけることに」
「わ、分かってます……。もどかしい思いをさせて、すみません……」
「いいえ、許しません。罰として、わたくしの両親に挨拶をしてください」
「あいさつ?」
拓夢は、真莉亜の言葉をオウム返しした。
「えっと……ご両親にご挨拶?」
こく、と真莉亜がうなずく。
「僕が? 今度の休みに?」
こくこく、とうなずく真莉亜。
「なんで!?」
「なんでと申されましても……二人の未来のためとしか……」
「何そのフワッとした答え!」
「婚約者との婚約を破棄したわたくしを心配した両親が、そこまで慕う殿方であれば今度是非うちに連れて来なさいというお話になりました」
今度は具体的すぎるよ! と拓夢がツッコもうとした、その時、
「おイヤ……でしょうか」
美しく優雅な真莉亜に似つかわしくない、儚げで気弱な表情。
拓夢の返答を恐れるように上目遣いに見上げるその姿は、大財閥の令嬢ではなく、一人の女の子として見えた。
「わたくしも、無理なお願いをしていることは存じております」
フッと、寂しげに真莉亜は笑いながら、
「ですが、それでも拓夢さまはわたくしを助けてくださると信じております。拓夢さまは、わたくしの……」
――好きになったお方ですから!
そう、はにかみながら言い切った。
拓夢とて、そこまで鈍い男ではない。真莉亜に想いを寄せ、実際に告白する男子が山ほどいることは知っている。
それなのに、真莉亜は拓夢に好意を伝え続けている。
(つまり――真莉亜さんは、それほど僕を愛しているということなんだ……)
どくん、と拓夢の鼓動が高鳴る。
ダイヤモンドのような瞳、太陽さえ霞む眩い髪の毛、バラのように美しい唇。
その全てから、拓夢は目が離せなく――
「と、いうことなので。今度のお休みは、必ず開けておいてくださいね。迎えの車をご用意いたしますので」
「って、それ決定なの!? 僕、まだ行くって言ってないですけど!」
「あ……ご迷惑……でしたか?」
「い、いや……迷惑ってわけじゃ……って、何回やるんですかこのくだり!!」
子猫のように父性をくすぐる真莉亜に向かって、拓夢はツッコむ。おそらく、拓夢がOKするまでこの無限ループは続くのだろう。
「あー、もう、分かりましたよ。その代わり、軽く挨拶するだけですからね!」
半ばヤケクソ気味に、拓夢は真莉亜にそう言った。
「拓夢、さま……」
しかし真莉亜は、雷にでも打たれように頬を真っ赤に染めながら、潤んだ瞳で拓夢を見つめている。
どうやら、断られるかもしれないという、緊張の糸が切れたらしい。どことなく、ホッとした表情をしている。
前までは、優雅ではあるがどこか近寄りがたい雰囲気を持っていた真莉亜。拓夢に対しても、様付けしなければ会話もさせないという、徹底ぶりだった。
聖ジュリアンヌ女学院ナンバーワンの美少女。完璧な彼女は常に人の注目を集めるが、逆に孤独でもあったのかもしれない。
おそらく、同年代の男子に心を開いたのは、真莉亜にとって初めての出来事なのだろう。
だから拓夢も、多少の強引さは許すことにしたのだった。
「それでは、お礼をしなければなりませんね」
「へっ?」
唐突に言われて、きょとんと拓夢が顔を突き出した、その時だった。
「――愛しておりますわ、拓夢さま♡♡」
すっ、と真莉亜が一歩近づいた。
そこからは、まるでスローモーションのように感じた。距離を詰められ、真莉亜の美しい顔がぐっと近づく。
まず始めに感じたのは、匂いだ。真莉亜のブロンドヘアーからただよう、気品ある薔薇の香り。
そして、胸元に押し付けられる、大きな二つの感触。プディングのように柔らかな乳房が、拓夢の胸に当てられ、縦横無尽にその形を変えていく。
そして、真っ赤な顔と真っ赤な唇が顔に迫る。吐かれる甘い吐息は荒く切なく、火傷しそうなほど熱く感じた。
真莉亜の唇が、拓夢の唇に触れようとする、まさにそのとき――
「ダメ――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」
「きゃっ!?」
廊下中に響き渡るような大声に、思わず体を離す真莉亜と拓夢。
拓夢が後ろを振り返ると、
「さ――桜さん!?」
驚く拓夢と、
「桜さん……もう少し、エチケットというものを学んでほしいですわね。せっかく良い雰囲気でしたのに」
露骨に不愉快そうな顔をする真莉亜に対し、
「ダメ、ダメダメダメ、キスなんかしちゃダメ~~~~~~っっ!!」
そう叫びながら駆け寄ってきたのは、桜であった。
亜麻色の長い髪をセパレートにした、光り輝く純粋な瞳をした女の子である。アイドル並みの容姿と、天真爛漫で無邪気な性格から、四天使の中でも特に人気の高い。
頬を赤らめるふたりの前まで走ってきて、桜はぷんぷん怒りながら、
「真莉亜ちゃん!! 今、拓夢くんにキスしようとしてたでしょ!!」
真莉亜を真っすぐ見つめてそう言った。
いきなりの修羅場に、拓夢はただおろおろするだけだったのだが。
「それの、何がいけないのでしょう?」
しかし、真莉亜は落ち着き払って返答した。
「拓夢くんは、庶民特待生なんだよっ! 恋愛禁止なのっ! それに、女性アレルギーもあるんだから、キスなんかしたら死んじゃうじゃないっ!!」
「そうとはかぎりませんわ」
真莉亜は、肩にかかったウェーブヘアを払いながら言った。極上の絹糸のような金髪が宙を舞う。
「な、何言ってるの! 拓夢くんは……「そもそも」」
桜の言葉を、真莉亜は苛立ち気味に遮った。
「恋愛禁止は知っておりますが、口づけも禁止という条項はありません。欧米なら、家族間でもキスぐらいは普通に行われております。いわゆる信頼の証とも取れるわけです。女性アレルギーに関しては、すぐに離れれば問題ないでしょう。その証拠に、拓夢さまも一切抵抗はしておりませんでしたわ」
淡々と状況を説明する真莉亜に対し、桜はピクピクとこめかみを浮き立たせながら、
「えーっと……これわたし、ケンカ売られてるのかなぁ?」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
バトルを始めようとする二人の間に、拓夢は割って入った。
「まず桜さん。誤解をハッキリ解いておきますけど、僕と真莉亜さんはそういう関係じゃありません。さっきのも、ただ見つめ合ってただけでキスしようとしていたわけじゃありません。いいですね?」
身振り手振りで、いかがわしいことはしてないとアピールする拓夢。
「そ、そうだよね~。イヤだな、わたしったら。真莉亜ちゃんと拓夢くんが、そんなことするわけないよね~ッッ」
「いいえ。そういうことをしようとしてましたわ」
「拓夢くん!? 真莉亜ちゃんこんなこと言ってるけどッッ!!」
「ちがいます。少なくとも、僕は真莉亜さんとお話してただけです」
ため息をつきそうになるのを、懸命に抑えながら拓夢は弁解した。
「本当に? 本当に拓夢くんにその気はないんだね? 信じていいんだね?」
「大丈夫ですよ。あ――真莉亜さん。さっきの話、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ。ありがとう存じますわ」
「え? なに、なに? ――なんの話?」
「桜さん」
会話に割って入る桜に、真莉亜が話しかけた。
「前にも申し上げましたが、わたくしは拓夢さまに告白しました。そして、そのお返事をお待ちしている最中です。つまり……わたくしにも拓夢さまを想う資格はあるということです」
「でも……わたしの方が先に拓夢くんに告白したんだよ? 出会ったのだって、わたしの方が先だし」
「愛に順番は関係ありませんわ。本当にほしいものは、どんな手段を使ってでも奪い取る。そうではなくって?」
燃えるような情熱的な眼差しで、真莉亜が桜を見据える。
「わたくしは、心の底から拓夢さまを愛しておりますわ。――桜さん、あなたよりも」
「…………!」
桜が怯えたような表情で押し黙っていると、
「ま、真莉亜さん! もう止めましょうよ、こんな場所で!」
拓夢は、桜を庇うように真莉亜の前に立った。
「ですが、桜さんは拓夢さまを奪おうとするライバルですわ。でしたら――」
「あ、あの、真莉亜さん。申し訳ないんですけど、これ以上ケンカするなら、今度の休みの約束をナシにさせてもらいますよ?」
「……! それは、困りますわ」
「じゃあ、僕の言うこと、聞いてもらえますよね?」
「ええ……この場は、退散するといたしますわ」
踵を返し、立ち去ろうとする真莉亜が、桜の前を通り過ぎようかという所で、振り返り言った。
「では、拓夢さま。今度のお休み、わたくしの家にて。両親に挨拶をされる約束、よろしくお願いいたしますわね♡♡」
――ビクッ!!
真莉亜の言葉に、桜は驚愕の表情で肩を震わせた。
「うふふ。楽しみにしておりますわ♡」
もはや桜のことは歯牙にもかけず、真莉亜は拓夢に優雅な微笑みを浮かべながら言うのだった。
予鈴の音がする。気まずい雰囲気が流れているし、桜とはここで別れた方がいいだろう。
「じゃ、じゃあ。僕はこれで。桜さん、失礼しますっ」
そう手を振って、拓夢が自分の教室に戻ろうとした時。
「拓夢くん、待ってッッ!!」
ふいに、桜が自分の名を叫んだ。
振り返ると、桜は今まで見たこともないような、真剣な表情をしていた。
「拓夢くんに、聞きたいことがあるの」
「なんですか……?」
拓夢は、心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じていた。桜の紅潮した頬。潤む瞳。震える唇。そのどれもが、心を刺激するのだ……。
「真莉亜ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「え――」
まるで脳をハンマーで殴られたような衝撃だった。衝撃すぎて、すぐには答えられないような。
拓夢は桜を見た。深くうつむき、目をそらしているので、表情は分からないが。
今日の桜は何かがおかしい。いつもの元気で、明るい桜ではない。そんなことを思いながらも、拓夢は桜の質問について考えてみた。
好き? 嫌い? 愛してる? 普通? 関心がない?
確かなことは、真莉亜は人として好きだし、同級生としては尊敬できる。告白されて嬉しかったし、でもそれだけじゃなくて……。
「桜さん……どうして、そんなことを聞くんですか?」
まるで砂漠の中にいるように、渇いた口から言葉を絞り出した。
「わたしは……」
桜は困ったようにうつむいた。
その姿を目にした瞬間、拓夢はいてもたってもいられず、
「桜さん……」
そう手を伸ばそうとした、その時だった。
「ご、ごめんね、変なこと聞いてッ! わたし、もう行くねッッ!! ばいばあぁぁああああああああああっっい」
いつもの様子に戻った桜は、大きな声で叫ぶと、踵を返し廊下を後にした。
しかし拓夢にはその後ろ姿が、どこか悲しげに見えたのだった。