⑪タクッキーのお味は?
「ああ、くるみちゃん、出来たの? どれど――」
どれどれ。そう言おうとして拓夢は絶句した。ダイニングキッチンで悪戦していたくるみが、調理実習室で待つ拓夢の元に、ようやく現れたのだが。
「さあ、とくと見るですっ!」
ダイニングテーブルのど真ん中に、可愛らしいゆるキャラがプリントされた、デザインプレートをドン、と置く。
「えぇっ!?」
まず、鼻を突き刺すのは強烈な異臭。そして、異様な外観。あまりの光景に、拓夢は立ち上がり、テーブルに手をついた。
「な、なんなんだよこれ!?」
「ふえっ? なにって、クッキー作るって言ったじゃないですかぁ」
「い、いや……それは、分かってるんだけど……」
ぽたぽたと汗を垂らしながら、拓夢はその〝クッキー〟を見下ろした。
丸形で、表面に粉砂糖や卵白を混ぜた液で絵を描く「アイシングクッキー」と呼ばれるものだろう。ニッコリと微笑む顔が可愛らしくペイントされている……黒コゲじゃなければの話だが、
「ふえ? 頭は嫌なんですか? じゃあ、ちょっと待っててください!」
くるみはそう言うと、キッチンの方へと消えて行った。
そしてすぐに戻ってくると、今度は少し大きめの皿を拓夢の前まで置く。
「何、これっ!? バラバラ死体!?」
「失礼な。頭だけじゃ可哀相だから、手足も一緒に焼いてあげたんじゃないですかぁ。ちょっと崩れてますけど」
とはいうものの、バラバラの焼死体にしか見えない。指や爪まで綺麗に細工されているのが、やけに生々しい。
仲からドロッとチョコレートがにじみ出ている所を見ると、生クリームとチョコレートを生地の中に閉じ込めた〝ガナッシュ〟と呼ばれるクッキーだろう。ともかく、頭、胴体、手足と、バラバラになったパーツが拓夢の前に並べられた。
「さあ! 食べてください、拓夢先輩!」
「うぷ。その前に水、水……」
猛烈な焦げ臭さに気分が悪くなった拓夢は、氷と水が入ったコップを持ち、中身を半分ほど飲み干した。
「ふう……。生き返る」
「拓夢先輩! 一気に食べちゃってください! ほら、頭からガブッと!」
「その表現止めてくれる? 何かグロいんだけど……」
「グロいって何ですか? これ、拓夢先輩の顔なんですけど」
「え、これ僕なの!?」
はい、拓夢先輩の顔です♡ とニッコリ笑って答えるくるみ。よく見ると、指にはバンソーコーが貼ってある。クッキーをオーブンから取り出す時に火傷でもしたのだろうか。
「くるみちゃん……料理苦手なんだったら、初めから言ってよ。そうしたら、僕だって手伝ったのに」
拓夢は痛々しい指を見下ろしながら言った。
「だ……だってぇ~~……」
両手を背中に隠し、しょんぼりしながら、くるみはうなだれた。そんなくるみを前にし、拓夢は意を決しながらクッキーを手に掴んだ。
「おおっ……熱々だ」
まだオーブンから出して間もない焦げたクッキーからは、湯気が立ち上っていた。
「じゃあ……遠慮なく頂くよ?」
「いいですよ……別に無理しなくても。くるみだって、『ちょっと』失敗しちゃったなって本当は思ってるし」
くるみは拓夢からクッキーを奪おうとするが、
「だいじょーぶ。ちょっとくらい焦げてる方が美味しいもんだよ」
「あ……拓夢先輩!?」
それより早く、拓夢はクッキーをちょっとだけかじった。
「あつっ!? にがっ!」
「ちょっ、それ食べないより相当失礼なんですけど!?」
「水、水!!」
くるみの非難の声は無視して、拓夢は半分ほど残っていたコップの水を全て飲み干した。
ごくっ、ごくっ、と喉を鳴らしながら、拓夢はコップをテーブルの上に置く。
「はぁ~~~~っ。お水がこんなに美味しいものだったなんて、知らなかったよ」
「なんでただのお水が、くるみの作ったクッキーより美味しいんですか!」
「い、いや……ごめんね。今のは、つい」
と言いながら減ったコップに水を継ぎ足していると、くるみはじーっと拓夢の顔を眺めている。
「あ、あの。拓夢先輩。それで、お味の方は……」
「まずかった」
「バッサリ切られた!?」
「ごめんね。料理に関しては、嘘つけないんだ」
そう。拓夢とて、最初から料理が作れたわけではない。義理の両親から強制されて、仕方なく覚えたものだ。しかし、誰かに美味しいものを食べさせるという行為については、別に嫌いではない。その為には、単なる真心だけではなくて、技術の向上が不可欠なのだ。
「ねぇ、くるみちゃん。よかったら今度、料理の作り方教えてあげようか? 僕に出来るレベルだけど……」
「いえ、別にいいです」
「くるみちゃん……」
うつむきながら首を振るくるみが、とても悲しそうに見えた。
だから拓夢は、自分の過去を話すことにしたのだった。
「ねえ、くるみちゃん。僕もね、最初はとっても料理下手だったんだよ?」
「そう……なんですか?」
「うん。そりゃもう……こんな、ドロッドロのカッチカチでさ。食べれたもんじゃなかったんだ。お父さんたちからは殴られたけど、聖薇さんだけは、『まずっ』って言いながらも残さず食べてくれた。結局、そういう所だと思うよ? たしかに、綺麗で美味しい料理の方がお嬢様っぽいけどさ。そうやって努力して大切な人の為に頑張れる方が、僕は女の子らしくていいと思う」
「…………」
拓夢が話し終えると、くるみは赤くした顔で地面を見つめながら、両手を背中で組んでモジモジしていた。
「どうしたの? くるみちゃん……もしかして、まだ落ち込んでる?」
「拓夢先輩」
くるみは拓夢の前を素通りし、手を伸ばした。
その先にあるものは、
「絶対これ、そんなにまずくないです!!」
そう、くるみが自分で作ったクッキー。黒焦げになった拓夢を模した〝タクッキー〟だった。
「拓夢先輩の味覚が狂ってる可能性もあるので、くるみも食べてみるです!」
くるみは一番大きい〝胴体〟のタクッキーを掴むと、口を目いっぱい開けた。
「ちょ……ちょっと待ってくるみちゃん! それは、食べない方がいいって!」
「うるひゃいれふね……あんでふか?」
「だからっ! そんなに一気に食べたら――」
そこまで言いかけたところで、拓夢は後悔した。
くるみはこういうことを言うと、余計止まらないのだ。しかし、ただでさえ出来立ての、それも黒焦げになったクッキーなのだ。そんなものを一口で頬張ればどうなるか。
答えは――、
「あっつうううううううううううううううううううううういっ!!」
くるみが目をグルグル回しながら、調理実習室を駆け回る。さらに手をバタバタ振り回すものだから、食器やら調理器具などが床に落ちて割れ、大変な騒ぎと化す。
「いや~~~~、姫乃咲様、お止めになって~~~~っ!」
「姫乃咲さんっ! 落ち着きなさいっ!」
そんなクラスメイト、教師の言葉などお構いなしだった。拓夢がくるみの前に飛び出すまでは。
「キャ――――――――ッ!! 拓夢せんぱ―――――――ーい!」
「くるみちゃん! 水、水!!」
拓夢がコップを差し出すと、くるみはひったくるように奪い取り、中の水を飲みほした。
「んぐ、ごく、うにゃっ」
「……くるみちゃん。大丈夫?」
「ごく、ごく……ふう、助かったです♪」
てへへ、と舌をペロッと出しながら笑うくるみ。もう、こうなったらお嬢様っぽくなるのは無理ではないか? 呆れながら、拓夢がそう思っていた時だった。
「ひあああぁぁああああ~っ!?」
「こ、今度は何っ!?」
いきなり大声を上げたくるみが手に持ったコップを落としそうになったので、慌てて拓夢はコップを受け止める。
「ねえ、どうしたの? まだ舌がヒリヒリするの?」
「あうう…………」
見ると、くるみは顔を真っ赤にしながらコップの飲み口を見つめていた。その視線で、拓夢は大体の事情を察する。
「ああ、僕の飲みかけだから嫌だったの?」
「ちょ、拓夢先輩!!」
「いやだって、緊急事態だから仕方ないじゃない。ちゃんと歯は磨いてきたから、別に汚くはないよ?」
「ちがっ、違いますっ! そういうことじゃありません!!」
何とかなだめようとする拓夢の胸を、くるみはポカポカと叩く。
「ちょ!? くるみちゃん、少し落ち着いて!」
「ええ~い! うるさいです! 拓夢先輩のバカバカバカぁっ!!」
「……城岡様と姫乃咲様は、先ほどから何をしてらっしゃるのかしら?」
「二人共。とりあえず職員室まで来なさい」
くるみが冷静になり、教室の跡片付けと教師からミッチリ説教されるのは、それからしばらくしてのことだった。