萌えないゴミ
「かくれんぼ?」
わたしは思わずエリナちゃんに聞き返した。
「そう、かくれんぼ。ご主人様がね、ある日わたしたちをつかまえて、かくれんぼだからねっていいながら、あそこの押し入れの中に連れていくのよ」
エリナちゃんは、ご主人様のコレクションの中でも、一番の古株だ。でもいつも手入れしてもらっているので、新入りのわたしと比べても、お肌の透明感なんかは抜群に良い。それに、ご主人様のコレクションの中でも、ほとんど露出もなく、ビキニ姿のわたしにとってはあこがれの的だ。紫と白のエプロンドレスは、きっとシルクのさわり心地なのだろう。エアコンの風で、ときおりさわさわとゆれている。
「ご主人様は、けっこう飽き性だから、あなたみたいに新人さんがよくやってくるのよ」
「その新人さんたちは、どうなったの?」
わたしの質問に、エリナちゃんは少し間をおいてから、声色を変えずに答えた。
「だいたい一週間もしないうちに、かくれんぼになっちゃうわ。ご主人様は気難しいかただから」
わたしは「そうなんだ……」とつぶやいてから、視界の端に映る押し入れを見つめた。エリナちゃんは可動式のため、首を動かすことができるが、わたしはもちろんそんなことはできない。
「とにかくあなたも気をつけてね。ご主人様に愛でられるときは、常に感謝。『愛でてくださいましてありがとうございます』って念じるの。……わたしたちフィギュアにできることなんて、それくらいだから。捨てられ……かくれんぼになりたくなければ、『愛してくれてありがとう』って、『どうかもっともっとかわいがってください』って、願うことしかできないのよ」
エリナちゃんは、最後の言葉を少しだけ早口にいった。
「大丈夫だよ、ただ、かくれんぼするだけだから。ちゃんとあとで、ぼくが見つけてあげるからね……」
ご主人様は、わたしのからだをつかんだまま、何度もそうつぶやいた。わたしは愛されていたのだろうか? ご主人様はわたしのことを、二度ほどしか愛でてくれなかった。最初こそ、わたしのからだをまじまじとながめまわしてくれたが、二度目にビキニをずらしてため息をついたきりだった。
「ご主人様、どうしてもうわたしのことを愛でてくれないの? かくれんぼなんていや! ご主人様、ご主人様!」
エリナちゃんのような可動式ではないので、わたしはイヤイヤをすることすらできない。どこで間違ったのだろう? 二度目のときに、かすかに嫌悪感を持ったからだろうか? でもわたしは、決してご主人様がきらいだったわけではない。ただ驚いただけだ。それすらわたしたちには許されないということだろうか?
「さぁ、ほら、みんなもかくれんぼしているだろう? 大丈夫、きっとあとで見つけてあげるから……」
ご主人様はそれだけいうと、押し入れの戸を閉めてしまった。完全なる闇がわたしの視界をおおった。……だけど、聴覚だけは闇も奪うことはできなかった。
――なにかしら、これ、すすり泣き……? それも、たくさん――
視線をずらすことでしか状況がつかめないわたしには、そのすすり泣きはあまりに恐ろしく、そして胸の奥がひび割れるほどの悲しさを与えた。そしてわたしは、思わず声をあげていた。
「誰なの! いったい誰? 泣いているのは、一体誰なの?」
一瞬すすり泣きが止まり、それからあちこちで声が聞こえてきた。
「誰でもいいでしょう、わたしたちはもう助からないのよ、だからもう放っておいて」
「あなたもすぐに同じになるわ。わたしたちはもう、愛されることもないんだから。……悲しくても、涙も流れないこんなからだで、でも泣かずにはいられないのよ」
「闇の中で、許されているのは泣くことだけ。ときどき光が見えても、あなたみたいに新しい犠牲者が運ばれてくるだけ。そのたびに、自分が連れてこられたときのことを思い出して、それでまた泣けてくるのよ」
「きっとあなたも、すぐに泣くことしかできなくなるわ。……わたしたちの声なんて、ご主人様には届かないんだもん。それに、エリナちゃんのようなかわいらしさは、わたしたちにはないんだもの。ご主人様はもう愛してくれない。……わたしたちに存在価値なんてないのよ。だってわたしたちは、『捨てられた』んだから」
『捨てられた』と聞いて、胸の奥のひび割れが、さらに強く激しくなる。そうか、わたしは『捨てられた』んだ。かくれんぼとは、きっとそういう意味だったのだろう。ご主人様の最後の優しさだろうか? ……いいや、そうじゃない。きっと罪悪感を薄めたいだけの、単なるポーズだろう。
わたしはもう一度目いっぱい視線を動かして、押し入れの中を見ていく。目のはしに、一体のフィギュアが映った。……この子は、いつここに『かくれんぼ』されたのだろうか? もしかしたら、わたしのすぐ前だったのかもしれない。
――この子をかくれんぼさせて、ううん、『捨てて』、そしてすぐにわたしを愛でようとしたんだ――
二度目に触れられたときの、あの嫌悪感が再び蘇ってくる。だがそれは、生理的な、いわゆる恥ずかしさからくる嫌悪感とは違っていた。もっと魂の奥からわき起こる、やるせない怒りだった。
「ご主人様……どうして……」
目のはしに映っていたフィギュアがつぶやいている。わたしは思わず声を荒げた。
「みんなでここを出ようよ!」
すすり泣きが再び止まった。さっきよりも長い沈黙が、押し入れの闇をさらに深くする。そして、その沈黙の闇に押しつぶされそうになったあと、声は一気に爆発した。
「出ようって、いったいどうやって!」
「そんなことできるわけないじゃない!」
「捨てられたのよ、あんたもわたしも!」
「そんな希望を持たせないでよ、わたしたちを放っておいて!」
闇の濃さは霧散し、声がわずかに視界を開かせた。わたしは声たちを無視して、先ほど目のはしに映っていた子に声をかける。
「……あなたは、どう思うの?」
その子と視線が合った気がした。だんだんと顔がはっきり見えてくる。エリナちゃんに負けないほど、白い肌と大きな目がかわいらしいと思った。
「……出られ、るの……?」
不満をまき散らす声に押されていたが、それでもはっきりと聞こえた。わたしは視線で合図し、それから声を張り上げた。
「願いなさいよ! わたしたちの自由を! もう一度光を見たいんでしょう? それならすすり泣くんじゃなくて、願いましょう! 祈りましょう! みんなで声をあげるのよ!」
三度沈黙が流れる。しかし、今度はすすり泣きも、不平不満も巻き起こらなかった。ただただ、重い沈黙が、みんなを溶かしてしまいそうで、わたしは急いで言葉を継いだ。
「わたしたちはそれしかできないわ。でも、できるでしょう? それすらやらないで、このまま本当に捨てられるのを待つなんて、そんなのいやよ!」
「で、でも、ご主人様は、もうわたしたちを愛してくれたりなんて……」
「あんたたち、本当にご主人様に愛されてるって思ったの? あんなさわりかたで、愛されてるって思ったの? ……わたしは違った。あれは、わたしたちをただおもちゃとしてしか見ていなかった」
「そりゃあそうじゃない! わたしたちはフィギュアだもん。おもちゃなのよ」
「でも、わたしたちはこうして生きているじゃないの! 魂がある。おしゃべりできるし、怒ることもできるし悲しむこともできる。泣くことだって!」
「だけど、涙なんて出ないのよ!」
「だからなによ! 涙が出なかったら、泣いていないの? わたしたち、みんな泣いているじゃない! 涙なんか出なくても、わたしたちは傷つき、泣いてる。そうでしょう?」
「だけど、声なんてあげたって、どうにもならないわよ! だってわたしたちの声は、ご主人様には届かないんだから」
「届かないから声を出さないっていうの? そんなのわからないじゃない! ……あなたのいうように、声は届かないかもしれないけど、みんなで声をあげれば、願えば、祈れば、届くかもしれないわ。わたしたちにはそれしかできないけど、それならできるのよ!」
「でも……」
「もういいわ! あなたたちがやらないなら、わたしだけでもやってやるんだから! ここから出してよ! もう一度光を見せてよ! わたしたちを、閉じこめないで!」
声を張り上げさけび続ける。本当はわたしもわかっているんだ。こんなことしても、気づかれるわけがない。押し入れの戸はそれほど分厚く、わたしたちの声はか細い。でも、あきらめたら二度と戸は開かない。なら、わたしはさけび続ける。このまま闇に溶けるまですすり泣くより、わたしはわたしをさけび続ける。そう思っていると、いつの間にか声が増えていた。
「……出して……。出してよ! ここから出してよ!」
「開けなさい! この変態! わたしたちはおもちゃじゃないのよ!」
「もうこんな暗いところいやなのよ! 出してよ! わたしたちを明るいところへ戻してよ!」
次々に声は上がり、そしてそれは目のはしに映っていたフィギュアにも飛び火したようだ。最初はもごもごと、しかし次にはっきりと叫んでいた。
「わたしを……出してよぉっ!」
どれほど願ったのかわからない。わたしたちは声を枯らすことすらできないが、もしのどから声を出しているのだとしたら、きっとのどはズタズタになっていただろう。それほどに長い時間が、いや、もしかしたらほんの一日、二日だったのかもしれない。とにかく時間が流れたころに、不意に押し入れの戸が開かれた。
「……こんなにたくさん……。あのバカ、借金してまでなにやってんのよ」
戸の前には、見たこともない女の人が仁王立ちしていた。わずかにひるむが、もちろんわたしたちは歓声を上げた。女の人には聞こえるはずもないが、わたしたちは勝ったのだ。その勝利のおたけびは、女の人が手に持っていたエリナちゃんにも聞こえているようだった。
「みんな……」
「エリナちゃん! わたしたち、やったよ! わたしたちみんな、これで自由になれるんだわ! もう一度明かりを見られるんだ! ……どうしたの?」
わたしたちの喜びようを見て、エリナちゃんはやり切れない様子で首を横にふった。そして視線を女の人の足元へ落とす。そこには大きな透明のふくろが広げてあり、わたしたち以外のフィギュアたちがたくさん入れられていた。わたしには読めなかったが、そのふくろにはこう書かれていた。
『燃えないゴミ』
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