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あかせん(三十と一夜の短篇第63回)

作者: 実茂 譲

 るみちゃんは〈あかせん〉の子だった。

 当時、あかせんの意味を知らなかったわたしはなぜ大人たちがるみちゃんとしゃべったり、遊んだり、家に行くこと招くことを禁じたのかよく分からなかった。

 あかせん、とはなんだときけば、母はひどく不機嫌になったし、父はいわくありげな顔をするので、母の機嫌はさらに悪くなった。

 あの当時、クラスにはあかせんの子どもたちだけのクラスというものがあった。普通、一クラス四十人が教室に詰められたあの当時、あかせんのクラスには十四、五人くらいしかおらず、どうしてなのか分からなかったが、大人はみな、あかせんだからのひと言で片づけてしまった。

 だが、そのあかせんがわたしたちには分からなかったので、ますますあかせんが謎めいた、冒険のにおいすら醸し出される場所に思えてきたのだった。

 あかせん、は駅前にあった。

 昼に見るあかせんは静かな住宅街で、大人たちがなぜあかせんあかせんとあかせんを特別扱いするのか分からなかった。あかせんの不思議さを抱きながら、あかせんそのものを見ると、わたしの興味は急速に薄れていき、大人というものは変なものを気にしすぎるものだと結論をつけたものだった。

 わたしがあかせんの本当の姿を知ったのはあの都の体育大会がきっかけだった。

 るみちゃんはとても足が速かった。学校で一番速かったので、都の主催する体育大会に出ることになったのだが、これもまたもめた。あかせんの子は体育大会に出る資格がないのだった。

 だが、わたしの学校で他に体育大会に出られる子はいなかったので、結局、るみちゃんは徒競走の学校代表として出場することになった。

 大きなグラウンドに都内の学校の生徒が集まって、自分たちの代表を応援する罪のない体育大会だが、わたしたちはそこで小さな、だが許されない罪を犯してしまった。

 あの手の大きなグラウンドの徒競走用レーンには白い線が書いてある。

 それ自体は何でもないことなのだが、クラスの誰かがるみちゃんを指して、こう叫んだのだ。

「やあ、あかせんがしろせんを走るぞ」

 つまらない小学生の言葉だが、あかせんという言葉に過剰なまでに反応する大人たちが面白くて、わたしたちは「あかせんがしろせんだ」とみなで大合唱をした。

 結局、るみちゃんは徒競走はビリッけつで終わり、しろせんのことも忘れ去られ、わたしたちは近づきつつある夏休みの息吹を遅い夕暮れのなかに見ながら、それぞれの家に帰っていった。

 駅からわたしの家へと帰るとき、その直線距離のなかであかせんが通せんぼをしていた。

 母はまわり道をして帰れとわたしに厳命していたが、わたしはクタクタだったのと、もう時間も遅いのとで面倒くさくなり、あかせんを突っ切っていくことにした。そのときのわたしの脳裏には、あの、つまらない民家の並びとしてのあかせんがあった。

 だが、日が暮れてからのあかせんはまったくの別世界だった。小さな旅館の軒に見たことのない大きな提灯が吊るされ、昼間には映画館か何かだと思っていた建物が実は映画館ではないことを裸の女性がラインダンスをする赤と青のネオンサインでびかびか高らかに主張していた。見かけるのは化粧の濃い、香水のにおいがむっとたちこめる、派手な洋服の女性たちで「お遊びよ、お遊び」と学生風の若者を小料理屋に引っぱっていく。

「あらあ、かわいいお客さんだねえ」

「ませちゃってるわねえ。末が楽しみだわ」

 あかせんでは全てがひっくり返っていた。外の世界ではあかせんであることはからかいの対象であるのに、あかせんのなかではわたしこそが異質であり、女性たちのからかいの言葉のなかに隠れた因業婆のそろばんのように鋭い論理がわたしをあかせんから弾き出そうとしていた。

 昼間はただの一本道だったのが、香水と嬌声とネオンの迷路と化し、わたしはなぶりものにされ、二度とあかせんを馬鹿にできないよう、わたしの性根を叩きなおした。垣根のあいだの細い道を通っているとき、小さなカフェーの裏手からまるで鶏の首を絞めるような声がして、好奇心に負けたわたしは庭にこっそり入って、開いた窓の隙間から覗き込むと、小さな電気ランプの下で汗をかいた裸体の男女がからまっていた……。

 そのとき、わたしは突然、誰かに肩をつかまれて、声を上げてしまった。部屋のなかの男女にもきこえたはずだが、声変わり前の小学生の叫び声みたいなものはそこらへんで絶え間なく上がっていたので、気にされることもなかった。

 そして、わたしの肩をつかんだるみちゃんはわたしを庭から引っ張り出し、垣根の通りから引っ張り出し、あかせんから引っ張り出した。そして――、

「もう二度と来るな」

 と、不機嫌な声で言われて、一発蹴飛ばされた。

 その夜、家に帰ったわたしはあかせんを通ったことを両親に言わなかったし、二度とあかせんとは何かときかなかったし、るみちゃんをあかせんと馬鹿にすることもなくなった。

 だが、るみちゃんを見るたびにあの垣根の通り道、庭で見かけた電気ランプの下でのことが思い出され、女の顔がるみちゃんに置き換わるのだった……。


 それから三年くらい後になって赤線は廃止され、かつての赤線には小洒落たセレクトショップが並んでいて、途方もなく大きなデパートが小さな電気ランプの過去に上書きされた。

 るみちゃんがその後、どうなったのかは分からずじまいである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いわゆる部落差別とは違うのかもしれませんが、そこで生まれ暮らしているだけで扱いを変えられるというのはつらいですね。子どもの無邪気で残酷な言葉を、るみちゃんはどう思ったのか。そして自分が日常…
[一言] るみちゃんもあかせんも知らないです(当然)しかし。わかる気がしちゃうのは、はあ書き手の技量、なんで何時透視されたんだと思うようなコトまでありますのはいいとこついてくる、からなんですがそーだよ…
[良い点]  江戸文化の一つとして遊郭を出しますが、その末裔の姿は語られませんね。今回の助成金からその手の業種は除かれるとかなんとか。  需要が無ければ供給もしないじゃないかと感ずるのですけどねえ。 …
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