人生はそんなに甘くない。
主人公が混乱していますが、異世界転移です。
「……えーとぉ。
ちゃんと私と意思の疎通が出来て…、コレ一番大事だからね?
それから優しくてなるべくいい人で、それなりに経済力が有って、私をちゃんと保護してくれそうな社会的に自立している人が居る部屋の、天井近くの目立たない場所に行きたいです。」
流石にあれから日を改めて、条件を追加した上で慎重に願ってサイチャレンジ。
5人ぐらい大人が並んで寝れそうな、大きな天蓋付きのベッドが置いてある癖に、その人が居る部屋は広々としたスペースが有り、これまた高級そうな装飾品が下品で無い程度にあちこちに飾られている。
(うん…お金持ちそうだよね。)
ベッドの足元の方には高級そうなソファーとテーブルが置いてあり、その人は上着を脱いでソファーに寝転がっていた。
(うん…何となく疲れてそうだよね。
てか上を向いてるし!ちょっと横にズレておこう。)
左と瞳は腕で隠れているけれど、ちょっとドキドキしながら観察を続行する為に安全マージンは取っておく。
身長がどれくらいかは分からないけど、ソファーからはみ出ている足はかなり長く。
膝上のブーツに白いスリムなズボンを履いていた。
(長髪はタイプじゃ無いんだけどな…)
多少?若返った所で別に浮気をするつもりは無い。
だから恋愛要素は全く求めてないので、サラサラした金髪が長かろうがハゲていようがどうでも良い問題だった。
(…多分この前と同じ人だよね?
てっきりお婆ちゃんみたいな人を想像してたから、あの時はビックリしたよ。目の前だったし。)
今でも驚いて見開かれていた、綺麗な緑の瞳を思い出せる。
ロン毛の割には男性的な顔付きだったけれど、ハリウッドで主演をはれるレベルのイケメンさんだった。
かなり若いと思う。
30歳にはなって無さそうな感じがする。
(ウーン…どうやってコンタクトを取ろう。
何だか疲れてそうな所がスッゴく気まずいよぅ。)
あの時はパニックを起こして深く考えてなかったけれど、私が居る場所は外から見れば黒い円にしか見えない。
だからそんな所から得体の知れない異国の言葉で話しかけられた所で、怪しまれて警戒されるのも当然の話だった。
だからもしこの人が、私の注文通りに意思の疎通が出来る優しい人なら、アプローチの仕方をちゃんと考えなければならない。
(あー…緊張する。
でも孤児院は最悪だったしなぁ…)
実は最初のアプローチに失敗して怖い思いをしたせいで、捨て子を装って孤児院に潜り込む事も一応考えてみたのだ。
でもコッソリ観察して見たけれど、着ている服はボロボロで子供がとにかく汚かった。
しかもお腹を空かせているみたいで、お世話をしてくれる筈の大人の人もしょっちゅう怒鳴っていたし。
行ったところでロクな目に会わなさそうな予感をヒシヒシと感じたのだ。
だから是非ともこの疲れている人と良好なコンタクトを取りたい。
ウンウンとしばらく悩んだ結果。
机に立てかけて有る剣につつかれなさそうな距離を保って、声をかけてみる事に決めた。
そしてコレが一番大事。
黒い円のままだと警戒しかされないだろうから、ちゃんと全身を見せる事。
そうすれば小さな女の子相手に、剣を突き付けたり怒鳴りつけたりはしない…はず?
(だって優しい人って、ちゃんと注文したもん。)
日本関連にはさっぱりと仕事をしない窓だけど、それ以外の希望はなるべく添ってくれている。
まぁ…何故だか若返っていたり、堅くて食べられなかったり、ちょっと斜め上の方向で希望とはズレも有ったけれど。
(うん。女は度胸だよ。
ダメなら逃げて違う人を探せば済む話だしね、)
すぅ…と、深呼吸をすると。
ソファーから離れた床付近に移動して、静かに窓から身を乗り出す。
「あ…あのぅ…お休みの所をすみませ…」
ドキドキと胸を高鳴らせながら、意を決して声を掛けたけれど。
バッ!と、勢い良く上半身を起こした彼に驚いて、思わず口を噤んでしまった。
シャツの胸元を握り締めながら、しばらくはジッとお互いに無言で視線を合わせる。
何だか森で熊に出会った時の状況に近いのかも?
口を開いては閉じて、どうやってコミュニケーションを取ろうかと悩みながら再び開いた所で。
「あの…」
『ーー?』
お互いにシンクロ気味に発言した事で、再び空気が気まずくなった。
彼が私の方を注視しながら、そろそろと姿勢を動かして長い足をソファーから下ろす。
突然立ち上がってコッチに来ても、まだ5メートルほど距離は離れているから、ちゃんと窓の中に戻れる筈。
と、思いながらも否応無しに高まる緊張感に、無意識で片足が後ろに下がった。
(……君は…何?)
「え?!」
するとどうした事だろう。
突然頭の中に私が何で有るかを問うイメージが思い浮かんでビックリする。
「えっと、私は人間だよ?」
(言葉、分からない。頭の中。想像。思い。伝える。)
困惑したイメージの他に、細切れにだけれど具体的な指示が伝わって来て、慌てて頭の中で考える。
(私は人間。怖くない。大丈夫。)
(人間?本当に?)
(本当。人間。ちょっと変わってる?でも人間。怖くない。)
『ぶは…』
一生懸命に私は普通だと伝えようとしていると、突然彼が吹き出した。
その笑顔がとてもチャーミングで、思わずキョトンとして仕舞う。
(謝罪。済まない。笑う。失礼。
でも安心した。ずっと悩んでいた。)
繰り返したおかげか、何となくイメージのやり取りがスンナリして来る。
(謝罪。ごめんなさい。脅かす。悪い事。反省。
眠たい?帰る。また来る?)
『ふふ…』
(大丈夫。驚いたから目が覚めた。
君は何故ここに来たの?)
前に見た険しさなんか欠片も無い優しい笑顔に、思わず目から涙がポロリと零れた。
嫌、別に泣き落としで同情を買うつもりは無かったけれど。
誰かに私の理不尽な状況を聞いて欲しかったのだ。
「う…ひっく。」
(とても怖くて痛い思いをした。
家族。死んだ。かも知れない。
家に帰れない。
独りぼっち。寂しい。
悲しい。悲しい。悲しい。)
言葉にしなくて済むだけに、有りっ丈の気持ちで心の思いをイメージにして伝えると。
彼の方もポロリと涙を流して、苦笑を浮かべながら手で涙を拭った。
(ハハハ。気持ち、伝わった。
君の想い。とても強い。共感した。)
いわゆる貰い泣きってヤツなのかな?
「うぅ…うぇ…」
(良く1人で頑張ったね。)
「うわあぁぁあん。」
良い大人が情けないとは思ったけれど。
身体が子供になったせいか。
それとも伝えたかった気持ちを分かって貰えた安心感からか、感情の高ぶりが関を切って泣き声として溢れ出す。
『ーー?!』
「ギャッ」
『ーーー?!』
すると何て事だろう。
突然バンと後ろから音が響いたのと同時に、後頭部と背中に衝撃を受けて勢い良く私はぶっ飛ばされた。
しかもズサササ…と、柔らかそうに見えた赤色の絨毯にヘッドスライディングをかましベチャっと止まった。
顔面からして大ダメージだ。
(いたい、いたい、怖い、待避!)
激しい苦痛に身動き1つ取れなかったけれど、ドタドタと大勢の足音と男の人の声を聞いて、慌てて窓の中に帰還する。
(待って!)
そのまま安全な場所に逃げようとした瞬間、優しい彼の声が頭の中に響いた。
『ーーーー!』
『ーーー!!』
『ーーーーー…』
そして異国の言葉で必死に状況を説明している彼の声と、それに対して複数の声が反応している。
でも声のニュアンス的にあんまり状況は良く無いみたい。
(此処から立ち去れ化け物!)
ジンジンとする後頭部と背中の痛みを堪えていると、突然新しい声が頭の中に響き渡った。
(ば…ばけもの?)
その敵意と怒りに満ちた悪意に満ちた声に驚いて、思わずポカンとする。
(何を言うんだデュオ!)
(しかし!陛下は騙されているのです!
何やら怪しい魔術をかけられているのやも知れません!)
(そうです!この様な怪しい魔物を身近に寄せてはなりません!)
(だから彼女は魔物では無い!)
(陛下!ただの人間にこの様な真似は出来ません!)
頭の中で複数の声が喧嘩を始め出す。
私を庇ってくれているのは先ほどの優しい彼だろう。
では他の声は?
まだズキズキと痛いけど、驚いた拍子で動ける様になった私は、顔を挙げてようやく窓の外を眺める。
すると黒髪で短髪の男性が、窓に近寄ろうとしている優しい彼を遮る形で妨害しており。
その側には銀髪のオジサンと、銀色の鎧を着た中世の騎士丸出しな大きな茶髪のオジサンが居て、私の窓に警戒心剥き出しで剣や杖を向けながら睨んでいた。
(ええええ?!
どうして皆お頭の中でお喋りが出来るの?!
驚愕驚愕!
全員魔法が使えるの?!
それとも人間じゃ無かったの?!
不思議不思議不思議。)
((((……………?))))
疑っていた私から、逆に人外扱いされた事に驚いたのだろうか。
逆に戸惑った感情が頭の中に響いて来る。
(大丈夫。此処にいる皆人間だよ。
心配しなくて良いよ。)
どこか笑いを含んだかの様な優しい彼の声が、驚いて戸惑う私を宥める様に響く。
(でも、こんな。テレパシーで会話が出来るだなんてどうして?)
(ハハハ。テレなんとかは分からないけど。
確かにこの技は大多数の人には難しいね。
でもコレは技術だから、素質が有るなら訓練すれば出来る事だよ。
それに君も覚えが早いね。
さっきまでより随分と滑らかになってる。)
「はぁ…確かに言われ見ればそうなのかな?」
思わず日本語で呟いた瞬間、優しい彼以外の人達の表情が険しくなって、ギッと此方に警戒の眼差しを向けて来た。
(え?なに?どうしたの?
大丈夫。私は怖くないよ?)
それに戸惑いながらも、私は精一杯小動物に語りかける心境になりながら必死に思いを伝える。
(((怯えてなど居らぬ!)))
けれども男性を相手にこれは失敗だったらしい。
如何にプライドを傷つけられたかの様な反応で怒声が返って来た。
『ブハ!アハハハ!』
でもそれは優しい彼の変なツボに入ったらしく、地声なのに笑い声が響き渡る。
(スゴいね。外国語でも笑い方って万国共通なんだね。)
(((…………)))
そんな事に感心していると、真剣に警戒している所を笑われたせいか。
怒っていた人達から、何とも言えない苦い感情が伝わって来た。
(うん、笑ってごめんね。
君は怖いもの何かじゃ無い。
だから皆にも君の姿を見せてあげてくれないかな?)
まだ笑いが収まらないのか、クスクスと楽しそうな気配と一緒に、彼の願う気持ちが伝わって来る。
(姿を見せたらまた痛い思いする。
それは嫌。怖いよ。)
願われたことの意味は分かるけれど。
さっきの苦痛を思い出し、私の方も苦い気持ちを切実に伝えた。
(大丈夫。約束するよ。
君には絶対に危害を加えさせない。)
『ーーー!』
(アナタがそう思っていても、皆は違うみたい。)
(大丈夫。私を信じて欲しい。)
『ーーーー、ーーーーーーー。』
『?!』
『ーーーーーーーーー』
しばらく外国語でのやり取りが続いたけれど、優しい人の声が突然凛としたものに変わると、周りが腑に落ちない気分で苛立ちを飲み込んで行く気配が伝わって来る。
(さぁ、もうこれで大丈夫だよ。
君の可愛らしい顔を見せてあげて。)
『ーーーーー!』
『ーーーーー』
可愛らしいと言われてドキッとしたけれど、それに対して猛反発している人の気配に、何となく感情がスンと落ち着いた。
言われてる言葉の意味なんて分からないけど、どうせ見た目に騙されるなとか言われてるんだろう。
まぁ、だとすればそれは正解だろうけど。
(どうしたの?
君はちゃんと愛らしいよ。)
どうやら私の複雑な心境が伝わったらしい。
優しい彼が苦笑を浮かべながら、私を宥めに入った気配が伝わって来た。
ウーン…、私が見た目通りの年齢じゃ無いって伝えた方がいいのかな?
でも子供だと思ってくれたら優しくしてくれるかも知れないし…。
でもでもそれって騙すって事だよね。
でも向こうは警戒してるのに、私の中味がオバサンだって分かったら、もっと警戒されちゃうかも。
延々と一人で悩んでいたけれど。
痺れを切らしたのだろうか。
(大丈夫だよ。
君がわざと人を騙そうとする様な悪い者でない事はちゃんと伝わってるから。)
(ホント?)
(ウンウン。
君がさっき伝えてくれた悲しみも、とても困ってる気持ちも本物だろう?)
(…うん。私ね?
スッゴく痛い思いをして死にかけてしまったの。
ひょっとしたら死んでしまったのかも知れないけど、あんまり良く分からないの。
怪我を直すお水を飲んだせいで子供の姿をしているけど、これは嘘じゃ無いんだよ?)
騙されたと言われたく無いばかりに、私は必死になって身の潔白を切実に伝える。
(うんうん。分かったよ。
ちなみに君は何歳なんだい?)
え?女性に年齢聞くの?
反射的に腑に落ちない気分になったけれど、でもコレって一応必要なことよね?と、ウーンと悩んでいると。
(……言いたくなければ言わなくても良いよ?)
思いっ切り気遣われてしまった。
何となく罰が悪くなる。
(ううん。嘘はダメ。
優しくして欲しいけど、ちゃんと言うよ。
聞いても冷たくしないと約束してくれる?)
(うん。約束しよう。
誓って真実の年齢で態度を代えたりなどしないよ。)
プルプルと笑っている気配が伝わって来るのがちょっと引っかかったけれど、うん。まぁ…信じよう。
だって私は私が安全な事を向こうに信じて欲しいのだ。
それなら私が先に相手の事を信じないでどうすると言うのか。
ふんすと鼻息も荒く決心を固めていると、『ククク…クククク』と、笑い上戸なのか。優しい彼が窓の外で悶絶している姿に、周りの人達が微妙な視線を送っている。
(私の本当の年齢は45歳だよ!
旦那様も居るし、何なら娘も2人産んだからね。)
もう開き直って逆にドヤっと自信満々と伝えると。
『ぶは!』
((((年上?!))))
とうとうお腹を抱えてクの字になった彼と、周りの人達から驚きの声が響きわたった。
私は何故にこんなに驚かれているのだろうか?
私の姿を見たことの有る、イケメン顔が崩壊している彼に爆笑される理由も分からないが、私と同じか私よりも年配に見えるオジサンが私より年下な事に、逆に此方が驚きたい。
『ーーーアーッッハッハッハ!』
(((…………)))
どうしてくれよう、この気まずい空気。
楽しい気分で居るのは優しい彼1人で、私を含めた周り一同がとても微妙な気持ちになっていると。
(ククク…悪気は無いんだ。
ただ思ったよりも君が年上だったのと、ぶは!
いや、すまない。違うんだ。君のことを笑ったのでは無くてね。
此処に居る者達は全員がまだ独身なんだよ。
それと多分、君が思っている年齢よりもずっと若い…ぶふっ)
頭の中ですら息も絶え絶えに、優しい彼が状況を説明してくれた。
どうやら私は自覚も無しにやらかしてしまったらしい。
外国人は実際の年齢よりも高く見えると聞くけど、彼等は私が想像していたよりもかなり若者達だったようだ。
てか、なんで私の思ったことが勝手にダダ漏れてるんだろう?
と、小首を傾げていると。
(そ…それはね、君がまだこの技術に慣れてないからだよ。
表面的な思いを形にする方法が理解出来てないから、思った事が全部周りに伝わってしまっているんだ。)
はー、面白かったと言わんばかりに、優しい彼が私の戸惑いを説明してくれた。
(そっか。ごめんなさい。
とても失礼な事を考えていたのね。
まだ独身のお兄さんなのにオジサン扱いして本当にごめんなさい。)
(((………イイエ。)))
全然“良い”と思って無い空気事、不本意ながらも渋い気持ちを飲み込んだ気配が伝わって来る。
うん、ホントにごめんね?
(ハァ…こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
いや…、そんなつもりは無かったんだが。
すまないね。)
1人でシミジミと反省モードに入っていると、可笑しくて堪らない所を無理やり気力で奮い立った気配丸出しの彼が、死に物狂いで話の路線を戻して来た。
そんなに無理をしなくても、と思ったけれど。
どうしても彼は私の姿を皆に見せたいらしい。
不思議だけどワクワクしている空気がビシビシと伝わって来る。
(さぁ…大丈夫だから。出ておいで。)
まだこの期に及んでプルプルと震えながらも、優しい笑顔を取り繕った彼が窓に向かって片手を差し伸べて来た。
真実の年齢を伝えた筈なのに、何となく子供に向ける仕草に感じるのは被害妄想だろうか?
でもまぁ、冷たくされるよりかは優しく接して欲しいのだから、これは私のリクエスト通りとも言える。
そんな内心の葛藤を滲ませながらも、未だに半身で優しい彼の前を遮っている黒髪の男性と、全身で盾になる空気を纏っている騎士のオジサン。
もとい、お兄さんと。
若干お爺ちゃんぽい銀髪のお兄さん?
を気にしながら、取り繕った笑顔が既にピクピクとヒキ吊り始めた、優しい彼に向かって窓から小さな手を差し出す。
まぁ…距離が遠いから全然届いてないんだけど。
しかも黒い円から出てくる幼児の手って、軽くホラーよね?
そのせいで一気に優しいお兄さん以外の人達の緊張と警戒心が高まる空気を感じて、エイ!と窓を動かして伸ばされた暖かい手を握り締めた。
すると彼の方も微塵も戸惑う気配すらなく、私の小さな手を握り締めてグイッと強く引き寄せる。
『ーーーーー』
(おっと、…ようやく捕まえた。)
口に出した言葉の意味は分からなかったけど、どうやら思った気持ちをそのまま口に出してくれたらしい。
若干イタズラが成功したかの様な、得意気な笑顔を浮かべている彼が、ニコッと至近距離で笑顔を咲かせる。
『?!』
『!!』
『ーーー!!!』
それと反比例して周りの人達が一気にざわめき、焦った声を張り上げる。
『ーーーーーーーー』
(皆、落ち着くが良い。)
すると私をしっかりと抱きかかえた彼が凛と表情を引き締めると、まるで別人の様に神々しい威厳を纏って慌てている人達へと視線を向けた。
私はその代わり様よりも、言葉の分からない私が不安に思わない様に、口に出す言葉と私が理解出来る思いを周りと同時に私へと伝えてくれる優しい気遣いにジーンと感動する。
『ーーーーーーーーーーーー』
(保護を求める1人の不幸な淑女に対し、過剰な警戒は無用と心得よ。)
『ーー!』
『ーーーー』
(是非も無い。)
黒髪の男性が咄嗟に出した声に対して、ピシャリと冷たく拒絶する。
まるで優しかった彼とは別人の様に威厳の有る態度だけど、その姿がとても自然で威風堂々としているせいで、次第に周りの動揺が冷静さを取り戻して落ち着いて行く。
『ーーーーーーー』
(皆の者よ。心して聴け。私の元に現れた彼女の理由を。)
周囲の人達を一様に見渡した彼を、ボンヤリと見上げていた私は、突然話を振られたことに気付いて目をパチクリと瞬いた。
(大丈夫。落ち着いて皆に聞かせてあげて欲しい。
君はどうして私に会いに来たんだい?)
理由?
そう、私は困っていたんだった。
(言葉が通じなくて困っていました。
家に帰りたくても帰れず、たった1人で生きて行くのに言葉を覚えたいと。
だから私は私の話を聞いてくれる人を探したのです。)
かしこまった彼の空気に合わせられるか分からなかったけれど、なるべく落ち着いて丁寧に気持ちを周りの人達に伝える。
と、この時初めて気がついたけれど。
彼から視線を外して周りを見れば、彼の側を囲んで守っていた男の人達以外にも、大勢の人達が部屋の中に詰め掛けていた。
え?こんなに沢山の人がいたの?!
ギョッとして思わず彼の服をギュッと掴んで身を竦ませると、彼は幼い子供に対する様に優しくポンポンと背中をさすってくれた。
うう、スミマセン。ちょっと怖かったです。
思ったよりも大事になっててビビりました。
(大丈夫。
それよりも続きはまだ有るかな?
君と話をすればそれで終わりかい?)
優しい気持ちと優しい眼差しに励まされた私は、フルフルと頭を横に振る。
(出来れば言葉を学びたいです。
お金の価値も、社会のルールも何も分かりません。
可能で有れば保護をして欲しいと願っていましたが、不可能で有るのなら、他人に迷惑をかけずに1人でちゃんと生きていける様に手伝って頂きたいです。
あ、お金なら有ります!
価値が良く分からないので困っていたのですが、どうか必要なだけ使って下さい。)
いや、だって。
何となく金持ちに集りに来たと思われても嫌だ。
だから彼が発言をする前に、慌てて窓に向かって手を伸ばす。
すると黒い窓からチャリチャリと音を立てて、金色のコインが溢れ出した。
本当は手で受け止めようと思っていたけれど、焦って大量に呼び出したせいで、片手でキャッチ出来たのは3枚程度。
手で受け止められなかったコインが、チャリチャリと足元の絨毯の上に降り積もって行く。
『ーーー!』
それに対して一斉に周りがザワリとざわめいた。
その様子に彼は苦笑を浮かべると、差し出した私の片手から1つだけコインをつまみ上げてひとしきり見つめた後。
(これは君の国のお金かい?)
(いいえ、違います。
生きる為にパンが欲しくて、人の迷惑にならないお金を探しました。)
『ーーーーーー』
(デュオニュソス。この金貨の価値はいかほどか。)
ふむ、と一つ頷くと、彼は黒髪の男性に向かって質問を飛ばす。
『ーーーーー』
(……私には解りかねます。
この紋様に見覚えは有りません。)
『ーーーー』
(ではこの場に居る者の中で価値が分かる者は居るか?)
『ーーーーー』
(恐れながら。)
『ーーーーー』
(良い。申せウィンス)
『ー!ーーーーーーーーー』
(は!過去に遺物として遺跡よりも発掘された金貨と紋様が似ているかと存じ上げます。
真贋の程は少しばかりお時間を頂ければ、明日には判明致しましょう。)
黒髪の男性が少し悔しそうにしながら俯くと、銀髪のお爺…お兄さんが、鼻にかけた丸眼鏡をクイッと押し上げながら質問に対して静かな興奮を堪えて問いを返した。
『ーーーーーーーーーーーーーーー…』
(遺跡よりの発掘で有ると分かればそれで良い。
この者は善意の迷い人であると判断する。
金貨の真贋が判明次第、我はこの者の願いを聞き届けよう。
よって、今後は我の養女として慎重に扱う様に。)
『?!』
空気を読んで優しいお兄さんと同じように、黒髪のお兄さんも銀髪のお兄さんも私に分かる様にしてくれたお陰で、会話の流れを聞いた私はポカンと目を丸くする。
それと同じように周りの人達もビックリして思いっ切り動揺していた。
(え?!私は無理な望みは致しません!)
『ーーーーーーーーーー』
(保護を望んでいると先程聞いたぞ。)
(それは可能ならの話であって、無理なら保護して頂かなくてもと…)
『ーーーーーーーーーー』
(不可能では無い。
むしろこれは当然の処置で有る。)
(でも!皆さん思いっ切り困っているみたいですよ?!
お願いですから迷惑なら止めて下さい!)
『ーーーーーーーー』
(なんと嘆かわしきことか。
か弱く幼き淑女にこの様な言葉を吐かせる程、我は力無き者と思われるとは。)
(はい?!私はか弱くも幼くも有りませんよ?
外見は確かに幼くて非力ですが、これでも45歳で…)
『ーーーーーーーーーー』
(例え年齢が如何様でも、この労しき額の傷がそなたの全てよ。
アトスタニアが開けただけのドアで傷つき、木の葉の如く受け身も取れずに吹き飛んでいたでは無いか。
また言葉も解らず、世界の在り方も知らぬは外見通りの幼子と同じであろう。)
(いや、でも…私を娘にするのは色々と不都合が有るのでしょう?其処までご迷惑をおかけするつもりじゃ…)
そうか、私を吹き飛ばしたのはこの厳つい騎士さんか。
優しいお兄さんの言葉に、え?と気まずそうな顔をした彼の顔を、私はシッカリと横目で捉えていた。
今はそれをどうこう言える状況じゃ無いから何も言えないけど、優しいお兄さんの押しが妙に強くてメッチャ困る。
『ーーーーーーーーー!』
(皆を気遣うその優しき心、それぞ正しく淑女の証し。
幼気なる淑女が救いを求めるので有れば、手を差し伸べるのが正しき男の在り方ぞ。
誰かこの場に居る者で、我の心に否を唱える者は居るか!)
『ーーー!』
(恐れながら!)
迫力満点の優しいお兄さんを、額に冷や汗を滲ませながら黒髪のお兄さんが声を張り挙げた。
他の人達はその姿と成り行きを固唾を飲んで見守っている。
いやもう何だか分からないけど、妙に場が緊張しているんですけど。ナニコレ怖い。
『ーー』
(良い。申せ。)
『ーーーーーーーーーーーーー』
(その者が真なる淑女で有るならば、それを保護するのは正しき男の在り方と存じ上げます。
ですがそれを陛下が致す必要は御座いません。
私めにそのお役目をお譲り頂ければ幸いに御座います。)
『ーーーーーーーーーーーー』
(良かろう。
ならば我の養女とした上で、そなたへの婚約者として下げ渡す。)
(は?)
『ーー?!』
『ーーーーーーーーーーーー!』
(異論は認めぬ。コレは王命と心得よ!』
『…ーー』
何だか良く分からないけど、シーンと場が一気に沈黙した。
私は話の強引さに呆気に取られてパクパクと唇を震わせる事しか出来ないし、声を挙げた黒髪の男性はガックリと片膝をついて深く頭を下げると、心底悔しそうな声を絞り出す。
何なら私へのサービスが吹っ飛んで通訳が忘れられてるぐらいだ。
拳も堅く握り締められていて、プルプルと小刻みに震えている。
これメッチャ不満だらけな人の反応だよね?
見ていて恐ろしいぐらいに怒り狂ってませんか?
動揺が止まらない私に優しいお兄さんがフッと苦笑を浮かべる。
イヤイヤ、笑って誤魔化そうとしないで貰えませんか?
親切にしてくれようとしている気持ちは嬉しいですけど、これだけ周りの人達を困らせてまでの事を私は望んでない。
これは大失敗だ。
話を聞いて貰えないのなら逃げなくては。
非常に残念な結果になってしまったけれど、背に腹は変えられない。
(ダメだよ。
君が逃げてしまえば、私はこの場に居る殆どの者達を殺さねばならなくなるんだ。)
さぁ逃げよう。
と、思った瞬間に、彼はとても優しい声で恐ろしい事を伝えて来る。
(え…?)
『………………………………』
(そなたは何も意図して居らぬ様であるが、万が一我が寝室に訪れた狼藉者を逃した場合。
更にその者を捕獲出来無かった場合はどうなるか。
この者に教えよ、アトスタニア。)
『ー!ーーーーーーーーーーーーー…』
(は!一度取り逃がした責でも万死に値する所を、温情に寄って汚名返上の機会を頂戴して居ておりました。
この状況でそれを再び逃したとなれば、警護の関係者は疎か、この場に居る全ての者が大なりは死罪。
少なくとも免職等の罰を受ける事と申し上げます。)
(ひょえ?!まさか、ホントに?!)
『ーーーーーーーー…』
(暗殺を企む不明の輩では無かったがな。
そなたが皆を慮っているのであれば、逃げ出すのは得策では無いぞ。
この場に居る者達は皆、忠義に厚く信も高い我の腹心ゆえに、出来れば穏便に事を収めたいのだ。)
困った様に眉を下げる彼に私は自分が仕出かした事を朧気ながらも理解して、ガタガタと小刻みに震え始める。
(…あの、全て無かったことにはなりませんか?)
『ーーーー』
(ならぬな。)
(で、でも、皆が黙ってたら…)
『ーーーーーーーーーー』
(戒厳令を強いた所で、人の口に戸は立てられぬ。
この騒ぎで廊下の外まで人がスズナリよ。)
(うーーわぁぁーーーー…)
思わず頭を抱え込んだ私は、嫌な感じでバクバクと心臓を走らせながら最悪の結果に心の底から呻き声を挙げる。
(あの…それじゃ私は一体どうすれば…)
『ーーーーーー』
(大人しく我の養女として過ごすが良い。)
(百歩譲ってそれは良いのですが…いいえ。
多分それも本当なら全然良く無いんでしょうけれど…)
あぁ…ぶつけてない胸まで罪悪感でズキズキと痛み始めた。
視界の外で未だ立ち上がれてない黒髪の彼に対して、脂汗が滲む。
(婚約者って言うのは流石に無理が有りませんか?)
だって私の中身は45歳のオバサンだよ?!
しかも既婚者の上に娘を2人も生んでるんですけれど!
『ーーーーーーーーーーー』
(ふむ。しかしそなたは家に戻れぬから我の元を訪れたので有ろう?しかも今では幼児にまで若返って居る。
この国で初婚となれば何の問題も無かろう。)
(イヤイヤ問題有り過ぎでしょう?!
黒い髪のお兄さんが何歳だか知りませんけど、いくら何でも流石に可哀相過ぎるでしょう!)
心の底から申し訳無さ過ぎて、渾身の力を振り絞って訴えかける。
だってスッゴく困るよ。
私はまだ夫の事を愛しているのだ。
生きているかどうかも分からないけど、死んでいた所で私の夫は彼だけだもの。
もうこっちだって声を大にして訴えてやる。
『ーーーーーーーーーーーーーー』
(一途な事も美徳よの。
しかしそなたが嫁ぐのは何も今日や明日の話では無かろう。
少なくとも10年以上の歳月が経てば、悲しみも少しは癒えようと言うものぞ。)
微笑ましいものを見たみたいな視線で見られたって騙されませんよ?!
カッとした私は心の声を張り上げながら、優しいお兄さんを睨み付けた。
(馬鹿なことを!
そんなに長い時間を、立派な成人男性に対して強いるおつもりですか?!
しかもそれだけの年月を過ごした所で、私が夫や娘の事を忘れる可能性は一つも無いのですよ!
その様な非人道的な話が有りますか!)
寝言は寝て言えと、お腹の底から怒りの気持ちを叩き付けてやる。
どれだけ偉い人かは知らないけれど、大切な部下ならちゃんと大切にしてあげて欲しい。
『ふはっ…ーーーーーー』
(つくづく可愛らしい人だな、あなたは。
我ながら非常に良い判断を下した。
デュオニュソスよ。そなたはどう思う?)
ちょっと何でそんな楽しそうに笑っているの?!
て、言うか。爽やかな笑顔じゃ無くてちょっとニヤニヤしているのは何で?!
コレって当事者からしたら笑う要素なんて1つも無いよね?!
『ぶほっ…』
『ゲフンゲフン』
ちょっと!
何で色んな人達が笑っているの?!
咳で誤魔化せると思ったら大間違いよ!
人の不幸は蜜の味なの?!
性格の悪い人達ばっかりね!
『ハァ…ーーーーーーーー』
(どうでも良い。今すぐ黙りなさい。)
『ワハハハハハ!』
黒髪のお兄さんだけが憮然とした表情で私に呆れと怒りのオーラを飛ばして来たけれど、優しいお兄さんを含めた周りの人達が一斉に笑い始めた。
え、なんで?
(いやぁ、実に英断です。)
(羨ましいぐらいですね。清らかなお嬢さんで。)
(お幸せに。)
しかも冷やかしのニュアンスを含めたからかいの気持ちを、わざわざオーラで飛ばして来る。
誰だか分からないけど、微塵も私が清らかだと思ってないでしょう!
しかも絶対に羨ましく思ってないのが丸分かりだ。
本当に羨ましいと思う気持ちが有るなら、今すぐ私の婚約者になる事を立候補をしてみせなさい!
私は地団駄を踏みたい気持ちでイライラしたけれど、それが周りには余計に面白いらしくて、誤魔化し切れない笑い声があちこちで巻き起こっている。
『ーーーーーーーー』
(コラコラ、幾ら私の娘が愛らしいからと、からかうのは止しなさい。不敬で有るぞ。)
『ーー!』
優しい?お兄さんにたしなめられたお陰で、形だけはピシッと空気が引き締まったけれど、殆ど全員の口元がニヨニヨと歪んでいた。
黒髪の男性は能面みたいに表情を消してる。
何とかゆらりと立ち上がったようだ。
…本当に可哀相に。
ひょっとしたらこの人って、皆に嫌われているのかな?
『ぶほ!』
(すみません。黙ります。)
一斉に吹き出した面々に、ギン!と黒髪のお兄さんから怒りのオーラを飛ばされた私は素直に反省しておく。
イヤ、貶すつもりは無かったのよ?
ちょっと不思議だっただけで…。
『ーーーーーーーー』
(心配ないぞ。
最近色々と立て続けに苦労の連続で有ったのでな。
特に得体の知れない不信な魔物…。
まぁ、そなたであっただけなのだが。
我も含めて皆は心底緊張しておったのだ。
それがこの様な愛いらしい正体で、思いも寄らぬ結末を迎えて気が緩んだので有ろうよ。)
うん。
あれだけ皆が殺気立っていたのは、自分の命や仕事が掛かっていたからだったんだね。
(((((違う!)))))
(陛下に身の危険が及んでいたからだ!)
(そうだ、そうだ!)
あら、ごめんなさい。
皆さんとても優しいお兄さんが大好きだったのね。
一斉に否定の感情をぶつけられた私は、慌ててコクコクと頷いた。
『ーーーーーーーーー』
(今更ながらでは有るがの。
我は優しいお兄さんではないぞ?
レオナード・フォン・ペルセウス。
このペルセウス王国の国王ぞ。)
へぇ…王様だったのか。
皆の気持ちが少しくすぐったかったみたいな彼が、割と強引に話題を誤魔化す。
どうりでお金持ちで、こんなに大勢の人達が守ってたんだね。
でも優しいお兄さんには違わないと思うよ?
『ーーーーーーー』
(王と知って近づいたのでは無い、か。
オマエは真に色んな物事に無垢よの。)
(無知なのは認めます。
お陰でとんだご迷惑をお掛けしてしまいました。
罪が無いとは言いません。
責任を取りますから、どうか放逐して下さい。)
『ーーーーーーーーーーー』
(この期に及んで往生際が悪いの。
罪を認めるのであれば、皇女としての勤めに励み。
デュオニュソスをどうか幸せにしてやってくれ。)
チッ。
普段した事は無いけど、思わず舌打ちが飛び出したよ。
どうやらこの優しい王様は私を逃がす気は無いらしい。
この忌々しい気持ちもどうせ筒抜けになっているんだろうけれど、とても楽しそうな笑顔でニヤニヤと微笑んでいらっしゃる。
優しい人だとは思うけど、かなり悪い人でも有るよね?
可笑しいな。
私はなるべくいい人とリクエストした気がするんだけど、どうやら私が考えてたいい人と何かが違う。
むしろコレが”なるべく”の範疇なのか。
これぐらい悪どく逞しくなくては王様なんてお仕事はやってられないのかな?
(何を何を。私なんて可愛いものだよ。)
謙遜した所で否定はしないのね?
あーぁ。
あれだけ人選は慎重にしたつもりだったけど、やっぱり斜め上の状態でズレてるんだよなぁ…あの窓。
私は失意に打ちのめされてガッカリと肩を落とす。
この国や世界の事が分からない事が、予想以上に生き難い。
子供も大きくなって一端の大人になったつもりで、私は本当に未熟だった。
よくよく考えて見れば、財力を求めた時点である程度の悪どさや強かさは基準装備だろう。
そうでなければ資産は守れない。
窓はちゃんと私の願い通りの人を探し当ててくれたのだとつくづく思う。
ただ融通がイマイチ利いてないと言うか。
よもや他人をこんなに巻き込んで、不幸を撒き散らす羽目になるとは。
王様がちゃんとフォローしてくれていなければ、何人の人を殺していたんだろう…。
しかも若干一名不幸のままだし。
コレは財力に余裕の有る人なら、私に救いの手を差し伸べる余力が有ると思った私の判断ミスだ。
(なに、落ち込む必要なんか無いよ。
これを期に幸福な出逢いへと変えて行けば良いんだ。)
ひたすらどんよりと落ち込んでいると、優しいお兄さん改め。
腹黒くて優しい王様がちゃんと私の心までフォローしてくれた。
でも1人の健全な成人男性が犠牲になっている以上、その気遣いがイマイチ効果を発揮してない。
だってこればかりはどうにもフォローの仕様が無いと言うか。
むしろ私に婚約者なんていらなくない?
(そうでも無いよ?
産まれる前から決まる婚約なんて、皇族では当然の話だしね。)
これは私だけにコッソリと送られている会話だろうな。
彼の年齢相応に硬さが取れている。
『ーーーーーーー』
(そうだ。失念しておったが…、そなた。
名を何と申す?)
そんな取り繕ったように元に戻さなくても。
呆れた視線を向けて見れば、ニッコリと爽やかな笑顔が返って来た。
(………あれ?)
仕方が無いなぁ…と、思いながら名乗ろうと思ったけれど、私って何て名前だったっけ?
え?どうして?
いきなり記憶喪失?!
一人でプチパニックを起こす私をフムと見下ろす王様と同時に、周りの空気がザワッと戸惑いに揺れ動く。
『ーーーーーー』
(名は無いのか。)
(いいえ!有ります!
ちょっとど忘れしてるだけで、確かに私に名前は有りました!)
これはかなり悲しい。
本当なら忘れる物では無い代物をスッポリと忘れてしまっている。
『ーーーーーー』
(いいや、そなたにはまだ名がついて居らぬのだろうよ。
何せ父親で有る我がまだつけて居らぬのだからな。)
イヤイヤ、コチトラ45歳の人生が有るのよ?!
私の場合、つけたのはお父さんじゃ無くて父方のお爺ちゃんだけど、ちゃんと使い続けた名前が…。
『ーーーーーーーー』
(それはソナタの世界で使われておった名前で有ろう?
だからまだこの世での名がついて居らぬのだ。
ソナタが名乗れずとも不思議では無い。)
イヤイヤイヤ!そんな話って有ります?!
世界が変わったら使ってる名前が無くなるだなんて、不思議にも程が無いですか?
『ーーーーーーーーー』
(だが現にソナタは己の名を名乗れぬであろう?
不可思議なのは何もそれだけでは無いがな。
むしろ名乗れぬ事の方が我には納得が行くぞ。)
(えーーー?!そう言うものなの?!)
『ーーーーーーーー』
(では逆に問おう。
この世界に現れて初めて接触した人間が、我の他に居るのか?)
(ううん。見かけただけの人は他にも沢山居るけど、話し掛けたのは始めてだよ?)
『ーーーー』
(矢張りな。)
(はいい?!)
パニックを起こした私は頭の中での会話がしっちゃかめっちゃかだ。
異世界転移をしたら名前が無くなる話なんて聞いたことが無いよ?!
そもそも異世界転移だか、転生だかが空想話なファンタジーなんだけども?!
『ーーーーーーーー』
(まぁ良いでは無いか。
名が無ければ不便で有ろう。
それに我はそなたの父親ぞ。
ゆえに名乗る名が無いので有れば、我が名付ければ良いのだ。
赤子はそうして名を付けられるものゆえな。)
(そりゃあ赤ちゃんは普通そうなんでしょうけど!
私はれっきとしたオバサンですよ!)
『ーーーーーーーー』
(名も無く、言葉も知らず、常識も分からず、その様に幼い姿で何を威張って居る。
諦めて現状を受け入れよ。
ソナタは産まれたばかりの赤子とそう変わらぬわ。)
ガーーーン…。
思いっきりショックを受けている私に、王様はクスクスと楽しそうな笑みを零す。
くそう…腹黒いと分かっていてもイケメンだな。
どうせ嫁に行くのなら、今尚不機嫌なオーラを撒き散らしているあの不幸な男性よりも、王様の方が良い気がしてきたぞ。
『!』
『ハハハハーーーーーー』
(ハハハハ、正にそれは噂に聞くアレであるな?
娘から父の嫁になると言われるのは、真微笑ましいものよ。)
あら、ベタな事を言って仕舞いましたね。
でも嬉しいですよ。
こんなオバサン相手にそんなに喜んで貰えるのなら。
(戯言でも馬鹿な事を言うな!
貴様なんぞの化け物が陛下の嫁になるなどと…!
国が滅びるわ!)
おうふ。
もはやその青色の瞳に呪いを込めて、爛々と怒り狂ってらっしゃる不幸な婚約者様が、焦った様子で私の心に鋭いナイフを飛ばして来る。
『ーーーーーー』
(デュオニュソス。嫉妬もホドホドにしておけよ?
愛らしい娘の無垢な願いにまで嫉妬するとは、狭量だと吹聴している様なものだぞ?)
私の頭を抱え込んだ王様がクスクスと笑いながら、これ見よがしにヨシヨシと私の頭を撫でてくれた。
え、ちょっと照れるんですけど。
旦那に申し訳無い気持ちになっちゃう。
私は潔白ですよ、と思った所で、そう言えばウチの旦那も無意味に嫉妬深かったなぁ…と、ボンヤリと思い出す。
てか、こんなどうでも良い記憶は有るのに、自分の名前が思い出せない不思議。
かなりモヤモヤとして気持ち悪いわ。
『ーーーーーーーー』
(そなたは失礼な娘よの?
我の腕に抱かれながら他の男を想うで無いわ。)
ちょっとマジ気味に叱られた。
あ、すみません、お父さん。
む?王様なら父上か。
いや、お父様の方がお姫様っぽい?
私はお姫様って柄じゃ無い普通の庶民なんだけどね。
『ーーーーーーー』
(真に愉快な娘よ。
愉快が過ぎて夜が明けてしまうわ。
そうだの…)
王様がふと視線を窓。
この場合は本当に外に通じている硝子の窓だけれど。
てか、この国って硝子が有るんだね?
街では見かけた事が無かったから、まだ発明されて無いのかと思ってたよ。
流石に王様が住んでいるお城なだけは有る。
ブルジョアだぁ。
『ハハハ!ーーーーーーーーーー』
(ハハハ。良し決めたぞ!
そなたの名はノアシェランだ。
夜明けの空を示す、鮮やかな朝焼けを意味する名よ。)
そう楽しそうに笑った王様が私の両脇を抱えて高々と持ち上げた。
するとふんわりと肩より少しだけ長い髪の毛が風に煽られて広がる。
ノアシェラン
全く聞き覚えの無い単語なのに、心地良くストンと胸に落ちた。
単なる偶然でしか無いけれど。
その時差し込んで来た朝日が鮮やかに私の身体を包み込む。
どうやらその光景がとても神秘的だったらしく。
おおー…と、周りの人達から感動の声が挙がった。
本当に腹黒い人だよね、私の新しいお父様って。
(いやいや、別に狙ってなかったよ?
ちょっと私もビックリした。)
あらあら、私の口癖が思念で移ってますよ、お父様。
親子は似る物とは言いますけれど、義娘に似て来てどーするんですか。
何だかボケボケな会話を無言で交わしていたけれど、今度は誰も笑わなかった。
え?そんなに私、光ってる?
登場人物
レオナード・フォン・ペルセウス
ペルセウス王国の国王
ディオニュソス・ダルフォント
国王の侍従 ダルフォント男爵
アトスタニア・レガフォート
近衛騎士団長
レガフォート子爵
ウィンス・ベッケンヘルン
宮廷魔導師長官
ベッケンヘルン伯爵
ノアシェラン
主人公