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2.暗殺失敗?

 衣擦れの音が聞こえる。

 ありえない。

 この部屋で生きている人間は私一人だ。

 先刻まで生きていたもう一人なら、そこに首が転がって――


(首がない?)


 転がっていたはずの首がなくなっている。

 カーペットには赤いシミが残っているし、そこにあったのは間違いない。

 何より私が見間違えるものか。

 これまで何回、何十回見てきたと思っている。

 絶対にありえない。

 私は確かに、首を撥ねたんだ。


「全く困るな。せっかく終わらせた書類が真っ赤だよ」


 二度目の声。

 もはや疑いようもない。

 信じられなくとも、私の後ろにいる。

 

「暗殺に来るのは構わないが、時と場所を考えてくれ」


 後ろを振り向く。

 これでもう信じるしかなくなった。

 テーブルを一つ挟み、その男は当然のように立っている。

 暗闇で光る赤い瞳は、私のことを真っすぐに見つめていた。


(首が繋がっている? 間違いなく切り落としたはずなのに……)

 

 部屋の魔道具はすべて無効化した。

 なら幻術?

 そんな気配はなかったし、私は幻術も見破れる。

 何より、床に残っている赤い液体が、そこにあったことを証明している。


「ふむ、今度の暗殺者は思ったより小さいな」

「っ――」


 私のことが見えている。

 当たり前だ。

 殺したと思って、スキルは解除してしまっている。

 私は咄嗟にナイフを構え思考を回らす。

 このまま戦うか、一度逃げるか。


「無駄だ」


 パチン。

 彼は指を鳴らした。 

 次の瞬間、床に流れていた血が動き出し、私に襲い掛かる。


「なっ――」


 咄嗟のことで反応できなかった私は、床に仰向けで貼り付けにされてしまう。

 手首と足首を血の輪が拘束して、ナイフも手から離れている。


「くそっ!」

「この声は女か? しかもまだ若いな」


 手足は動かない。

 魔術で血を操っていたのか?

 どちらにしろ、ここから抜け出す手段を私は持っていない。

 彼は徐に私へ近づいてくる。


「ふむ」


 そして、私の顔をじーっと見つめていた。

 きっと私をどうしようか考えているに違いない。

 暗殺に失敗した暗殺者の行く末へ決まっている。

 暗殺を依頼した相手を教えろと言われ、伝えなければ拷問される。

 そして答えた後は、用済みと殺されるか、惨めな辱めを受けるだけだ。


(もう終わりだ……このまま辱めを受けるくらいなら、いっそ死んだほうが良い)


 自死のための毒なら仕込んである。

 奥歯をぐっと噛みしめれば、私はそれで死ねる。

 

 死ねば終わる。

 ようやく私も……解放される。


 そう思っていた。

 思っていたはずなのに……


(何で……どうして?)


 身体が震えて動かない。

 奥歯を噛みしめようと力を入れているのに、まったく動いてくれない。

 まさか……死ぬのが怖いの?

 これまで何人も殺してきて、自分は死ぬのが恐ろしいなんて……そんなこと許されるわけがないのに。


 魔道具の効果が切れ、部屋の明かりがつく。

 照らされた私の姿を見て、彼は目を丸くして驚いていた。


「お前……」


 この表情……

 きっと私が先祖返りだと知って驚いている。

 次に続く言葉は簡単に予想できる。

 醜いとか、気持ち悪いとか、汚らわしいとか……何度も聞いてきた。

 私にはお似合いの言葉だ。


「可愛いな」

「え?」

「うん、可愛い! 過去最大級の可愛さだ!」

「……は?」


 あまりに予想外の発言過ぎて、さすがの私も理解できなかった。

 彼は気分が高ぶっている様子で、子供みたいに無邪気な目をして私に言う。


「これが先祖返りというやつか! 噂には聞いていたが何という破壊力……くっ、可愛すぎて目が……」

 

 本当に何を言っているのだろう。

 可愛いとは、まさか私のことを言っているわけじゃないよな?

 いやでも、この状況は私しかいないし……本気で言っているのか?


 異質な状況に陥って、徐々に緊張感が抜けていく。

 彼に敵意や殺意がなく、純粋に楽しんでいるように見えたのも影響しているだろう。

 気付けば私は、死を覚悟していたことすら忘れかけていた。


 そして突然、彼は大きな声で宣言する。


「よし決めたぞ! お前をメイドとして雇おう!」

「……は?」

「今日からお前は俺のメイドだ」

「な……」


 何言ってるんだこいつ?


「そうと決まればさっそく準備だ! まずは服を用意せねば……確か衣装室に何着かあったな」

「お、おい!」

「安心してくれ。全サイズ揃っているからお前に合う物も用意できる」

「いやそういうことじゃ――」

「窮屈だろうがしばし待っていてくれ! すぐに持ってくる!」


 そう言って彼は部屋を飛び出していった。


「えっ……」


 私は床に張り付けられたまま放置されている。

 もう訳が分からなくて、ただただ開いた口がふさがらない。

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