12.ルビー
暖かくて、気持ちがいい。
ギュッと抱きしめられながら、私はそんなことを想っていた。
誰かに抱きしめられる温かさと安心感を、生まれて初めて体感したんだ。
嬉しい涙があると知ったのも、これが初めてだと思う。
「そろそろ落ち着いたか?」
「……うん」
ブラムは私の涙が止まるまで、黙って私のことを抱きしめてくれていた。
そっと彼の身体が離れてしまうことに、少し残念な気持ちになる。
私は無意識に、彼の服を掴んでいた。
それで察してくれたのか、彼は小さく笑い、そのまま私の頭を優しく撫でる。
「これからどうしたい?」
「……わからない」
彼の言葉に救われて、心が軽くなった実感もある。
普通の女の子になりたい。
みんなが過ごしているような穏やかな日常の中で、私も生きていきたい。
罪悪感は消えないけど、そう思う自分も隠せない。
少なくともこの人の前では、隠したって無駄だとわかった。
でも……
「普通に生きたい……だけど、どうすればいいのかはわからないよ。ずっと……普通じゃなかったから」
「そうか。まぁ、それは仕方がないな」
「……」
「ふむ。ならば聞き方を変えよう。君はこのままメイドとして屋敷に残りたいかい?」
「え?」
不意に投げかけられた質問に、私は声に出してしまう。
彼の口からそんな言葉が出るなんて思いもしなかった。
「帰りたい場所があるのならそこへ戻れば良い。普通に暮らしたいというのが君の願いだ。その願いを叶えられる場所があるなら、好きにすればいい。屋敷を出ても、君ならメイド以外の仕事も容易に見つかる。必要なら援助もしよう」
彼は優しさでそう言ってくれている。
それなのに私は、彼の言葉を寂しいと感じてしまった。
これもきっと我儘だ。
我儘だけど、彼はそれを許してくれるらしいから、素直に言ってみようと思う。
「私は……残りたい」
私がそう言うと、彼は少しだけ驚いているように見えた。
そんな彼の反応を確かめながら、恥ずかしさもあって何度も目を逸らす。
「ど、どうせ他に行く当てなんてないし! こ、ここも結構その……居心地も良かったから」
「本当かい?」
「……う、うん」
素直に伝えるというのも恥ずかしい。
私は顔を横に向けながら、目だけチラッと彼の顔を見る。
「そうか」
すると彼は、ほっとしたように優しく微笑んでいた。
そんな表情もするのか。
記憶に残る表情は、すぐに消えて普段通りに戻る。
「まぁもし! もし仮に出て行きたいと言っても、駄目だというつもりだったがな!」
「なっ、なんだよそれ!」
「当然だろう? 君は一生俺のメイドにすると決めている」
「こいつ……」
それは嘘だ。
今ならハッキリわかる。
こいつは私を、無理に縛ったりしない。
首輪だって、私を縛るためじゃなくて、私を守るためにつけてくれていた。
初めから今日までずっと、私を守ってくれていたんだ。
自分を殺しに来た私を……
「本当に変な奴だ」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもない」
「そうか。では明日からもよろしく頼むぞ……」
ブラムは急に難しい顔をしだす。
じっと私を見つめながら、考え事をしているようだ。
「どうしたんだよ」
「いや、今さらだが君の名前は?」
「え、名前?」
「ああ。そういえば聞いてなかったなと思って」
「名前は……赤猫だよ」
「それは通り名だろう? 本当の名前は何というのだ?」
尋ねられて、私は黙り込む。
しばらく言い淀んで、ぼそりと呟くように言う。
「……ない」
「は?」
「ないんだよ。私に名前なんてない。両親を知らないし、物心ついた頃には一人だったから」
「ふむ、そうだったのか。だが名前がないのは不便だな」
「そんなこと言われても……」
ない物は仕方がないだろ。
「よし! ならば俺が君の名前をつけよう!」
「え?」
「そうだな~ ルビーというのはどうだ?」
「ちょっと勝手に……ルビー?」
「ああ。瞳も、髪も、耳と尻尾も、赤い宝石ルビーみたいで綺麗だから」
「き、綺麗って」
綺麗と言われた私は照れて、自分の頬が赤くなったのがわかる。
「本当だぞ? とても綺麗だ」
じっくりと見るように、顔を近づけるブラム。
私の心臓がうるさくなって、振動が全身に伝わるほど激しくなる。
首輪の効果で、恥ずかしさとかいろいろな感情が増幅されて、自分でもわからない。
「嫌なら別の案にするが」
「い、嫌じゃない。ルビーで……良いよ」
「そうか。ならばよろしく頼むぞ、ルビー」
名前……自分の名前か。
「おう」
「そこはメイドなのだから、かしこまりましたご主人様だろ?」
「だ、誰がご主人様なんて呼ぶか!」
それはまだ……恥ずかしい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
同日の深夜。
屋敷の明かりは消え、ルビーと名付けた彼女も眠っている。
俺が近づいても起きないのだ。
相当疲れているのだろう。
「ゆっくりお休み」
さて、ここからは俺の時間だ。
屋敷に結界を張り、誰も出入りできないようにする。
そのまま屋敷を出て向かったのは、ミストン家だ。
今までにも何度か俺に暗殺者を仕向けている。
どうせ無駄だと放置しておいたが、今回の件は捨て置けない。
ガチャ。
わざと音が鳴るように窓を開け中へ侵入する。
その音に気付いて、眠っていたラドラスが目を覚ます。
「……だ、誰だ!?」
「こんばんは。ラドラス・ミストン」
「お、お前はブラム・ストローク? なぜここに? いや、どうやって入った?」
「そんなことはどうでも良いだろう?」
ラドラスは出入り口へ走る。
扉を開けようとして、何度もガチャガチャやっている。
「何故開かない? 誰か! 誰かいないのか!」
「無駄だ。この部屋一体に結界を張っている。内外の情報を完全に遮断する結界を」
「な、何だと……貴様がやったのか?」
「他に誰がいる? さて、あまり長居もしたくないし、早々に終わらせよう」
俺が一歩踏み出すと、怯えたラドラスが扉に背をぶつける。
「な、何をするつもりだっ!」
「そう怯えるな。別に殺すつもりはない。殺すほどの価値などお前にはない。ただ……これ以上ちょっかいをかけられると、俺ではなく彼女にも迷惑だ」
「彼女? 誰のことだ」
「もう忘れたか。まぁ良い、どうせ全て忘れさせる」
奴の中にあるルビーの記憶を全て消す。
そのためにここへ来た。
もうこれ以上、彼女の邪魔をさせないために。
というのが表向きの理由。
もう一つは――
「っ、ぐおっ……」
「お前はやり過ぎた」
彼女を追い詰め、殺そうとした報いを受けてもらう。
最初に言った通り殺しはしない。
痛めつけるだけ痛めつけて、最後には綺麗に直してやろう。
記憶もなくなれば、ここで起きたことも忘れる。
だが、記憶はなくなっても、身体と心は覚えているぞ。
俺に対して抱いた恐怖を……
こいつは一生、理由もわからない恐怖に怯えて生きていくことになる。
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