なんかもうタイトルとか思いつかねーや、えぇい、どうにでもなれ!
「ちょっと、そこの君」
「何ですか?」
道端で不意に呼びかけられ、金田は立ち止まった。
二人組の若い制服警官が、険しい表情で歩み寄ってくる。金田は内心舌打ちした。
こんな真夜中に、早くバイトに行かなければいけないというのに、どうやら職務質問のようだ。何だか急に居心地悪くなって、彼は思わず身を強張らせた。パトカーや警察官を見ると、何も悪いことをしていないのに、妙に胸騒ぎを覚えるから不思議だ。この間の歩きタバコが見つかったか、それとも速度違反でもバレたのか。
警察官の一人が、肩からぶら下げたトランシーバーで、どこかと連絡を取り合っていた。もう片方が手帳を開き、金田の横に立った。肩幅が大きく、非常に威圧感のある男だった。
「これ落としたの、君だよね?」
「へ?」
「これだよ、これ」
警察官が金田の後ろを指差した。そこには、先ほど彼がこぼした『愚痴』や『弱音』が散らばっていた。
「ダメじゃないか!」
もう一人の、背の低い方の男が、甲高い声を上げた。痩せぎすだが、その眼光は獲物を狙う蟷螂のように鋭く、金田の一挙手一投足を見逃すまいと神経を尖らせている。
「こんなところに、勝手に弱音こぼしちゃあ!」
「す、すみません」
金田は頭を掻いた。
「君、名前は? 知ってるよね、ウチの県は条例で、弱音をこぼしちゃダメって決まってるって」
「はい……」
免許証を見せると、警察官はまたトランシーバーでどこかに連絡を取り始めた。会話の途切れ途切れに、『条例』とか『違反者』という言葉が聞こえてくる。これから”減点”されるのだろうか。金田は急に目の前が真っ暗になった気がした。
『弱音禁止条例』。
20××年。公の場で愚痴や弱音をこぼすことは、聞いている者の精神に不快な思いをさせるとして、近年全国の都道府県で取り締まりが強化され始めた。
きっかけは都内で『家事・育児で疲れている妻に、夫が思わず仕事の愚痴をこぼしてしまう』という凶悪犯罪が起きたからだった。これに憤った全国の主婦・主夫層が立ち上がり、『♯愚痴・弱音をこの世から追放しよう!』という運動が盛んになった。
子供が怪我すると危険だから、公園の遊具は撤去しよう。
魚が可哀想だし、残酷だから、池で釣りは禁止しよう。
犯罪者の部屋にあった漫画やゲームは、よく分からないけど危なそうだから、発禁にしよう。
それと同じような感覚で、愚痴や弱音もまた、最早気軽には発言できる時代ではなくなってしまったのだ。
「早く、拾って」
警察官が、道に散らばった金田の愚痴を足蹴にした。暗い夜道では、屈強な二人の影が余計に怖く見える。自分の愚痴を覗き込まれて、金田は急に恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「何々……『仕事に行きたくない』って? そんなもん、出勤前は誰だってそうだろ。別にわざわざ公の場でこぼさなくたっていいだろう」
「『月曜日は休み明けで憂鬱だ』ぁ? あったりまえだ、定年前のうちの親父だって、同じこと言ってらぁ」
「すみません……」
警察官が顔を見合わせ呆れ果てた。金田は慌てて自分の弱音や愚痴をかき集めた。無意識のうちに、金田の口からこぼれ落ちていた愚痴や弱音は、あっという間に両手一杯になってしまった。
「じゃ、これからは決して、誰にも弱みを見せず、気丈に振る舞うように」
「はい……あの」
「何?」
「点数は引かれないんですか? 交通違反だと……」
「いやぁ」
すると、警察官二人は急にまごつき、気まずそうに顔を見合わせた。
「点数を引くと……なんていうかさぁ」
「そうなんだよ。書類の手続きが面倒臭いっていうか……その」
「え? 今面倒臭いって言いました?」
金田が驚いて顔を上げた。警察官二人は慌てて首を振った。
「それって、もしかして”弱音”では?」
「いやぁ! 違うよ。これはその……つまり、『ペーパーレス化』だよ」
「『ペーパーレス化』?」
「そう」
「書類の手続きが面倒なんじゃなくて! 書類の作成を省くことによって、地球の環境に貢献しているんだなァ、僕たちは」
「……ちょっと言い訳が苦しすぎません?」
「全然! 全然言い訳なんてしてないし!」
「あぁ。これは言い訳じゃなくて……『言葉の洗濯』だね」
「確かに。『言葉の洗濯』。汚れちまった言葉を都会のオアシスが洗い落とし、綺麗にする。素晴らしいことじゃないか」
「言い換えてるだけじゃないですか! なんだかんだ取り繕ったって、結局中身は言い訳なんでしょ?」
背の高い方が咳払いして、二人が金田に覆い被さるように迫ってきた。
「君ねぇ。君だって、わざわざ点数引かれたくねぇだろ? これは君のためでもあるんだよ」
「ご、ごめんなさ……」
「これはちょっと、お灸を据えて上げないといけないかなぁ……」
「ひぃい……ッ!」
「ちょっと」
すると、今度は後ろの方から、また別の二人組がやってきて、金田たちに声をかけてきた。年配で、その二人もまた、同じく制服を着た警察官であった。先に金田を職質していた若い二人が、やってきた応援組を見るなり、弾かれたように背筋を伸ばした。
「アッ先輩! ご苦労様です。どうしました?」
「うむ。先ほどここら辺で、『言い訳禁止条例』に違反している二人組がいると、通報があってな。お前ら、どこかで見かけなかったか?」