落魄れて進軍
「ぁ、待ッ、ちゃぁッ」
「きゃあああぁ……ッ⁉︎」
ああ、くそッ。元勇者カーグは目の前で起こった騒動を見て小さく呪詛の言葉を吐いた。
五人目の半獣が縦穴に落ちたのだ。厚く積もった土で見えなかったが、列から逸れようとした“元聖女”が足を乗せてすぐ広範囲に連鎖崩落して前を歩いていた混血ドワーフを巻き込んだ。
ダンジョンに入ってすぐ延々と愚痴や泣き言や不平不満を撒き散らしていたのが、体力切れでようやく黙るようになったかと思えばこれだ。魔力枯渇で“治癒”も“回復”も使えないとなれば足手まといにしかならない。
無能が。どうしようもないお荷物のカス女が。
ミネルだけではない。高価な装備や魔道具や“守護者”のサポートが無くなった途端、元“勇者パーティ”は簡単に瓦解した。
魔法の精度が落ち、長時間の維持も困難になった。“元賢者”は魔物や罠を“探知”できず、“元戦士”は“防壁”も張り続けられないのだ。
どいつもこいつもクソ以下の役立たずばかりだ。“深潭”のダンジョンボスを倒した栄えある“勇者パーティ”が、なんてザマだ。
前に出て警報代わりに落ちるのが“罠避け”の役目とはいえ、こちらは自分たち以外に踏破者のいない五階層を抜けたばかりだ。これからが難所だというのに、十人いた亜人奴隷は半分しか残っていない。
「女。なぜ道を外れた。先行する亜人の踏んだ場所だけを進めと命じたはずだ」
後方で俺たちを監視していた督戦の隠密部隊から声が掛かる。当然、ミネルを気遣ってのものではない。魔物に食われようが穴に落ちようが構わないという無関心が声からもわかる。彼らが糾弾しているのは自分たちの命令に従わなかったこと、確認したのはその理由だけだ。
元聖女の行動はカーグにも理解できた。最前列で慎重に安全なルートを確認していた、亜人たちの遅さに苛立ったのだろう。
“お前らなど落ちても構わんから急げ”とケツを蹴り上げたい気持ちは勇者パーティの全員にあった。実際、アイクヒルに対してはそうしてきたのだ。苛立ちながらも黙っていたのは、急かすことで結果的に自分たちの身が危うくなることを理解していたからだ。
だが、聖女としての贅沢や特別扱いに慣れ過ぎたミネルは、ここにきて愚かさが度を越したのだ。
元々、ダンジョンの暗く湿って薄汚れた環境に拒否反応があった彼女は自分の乏しい魔力を何度も“浄化”で浪費して周囲に咎められていた。不味い携行食を齧り地べたで寝る暮らしも三日目となれば、限界だったのだろう。
「身勝手な行動の結果、使い捨て奴隷をひとり喪った。ますます貴様らの生存可能性が減ったな」
「……アンタたちには関係ないでしょ⁉︎ 何様のつも……ぎゃッ⁉︎」
ミネルの背に後方から鉄鞭が叩き付けられる。弾き飛ばされた先にあるのは、ハーフドワーフが落ちたばかりの縦穴だ。元聖女は痛みを堪えながら必死で縁につかまるが、ズルズルと滑り落ちてゆく。自分の体重を支えるほどの体力も残っていないのだ。
「“隷属の首輪装着者”の管理者様だ。身の程を知れ無能」
「なッ、なにやってるのよ! 早く助けなさい!」
髪を振り乱しヒステリックに喚き散らすミネルの声に、周囲の誰も反応しない。
勇気も自信も失った元勇者は冷めた目で見るだけ。戦意を喪失した元戦士はこの隙に休憩とばかりドッカリと腰を下ろし、保身しか考えなくなった元賢者は他人事のように目を逸らした。
こいつのせいで仲間が死んだと思っている亜人奴隷たちも、ウンザリした顔で見つめるだけだ。
「待って、助けて、お願い!」
ミネルは悲鳴を上げながら、自分が吸い込まれつつある縦穴の奥を振り返った。そこは見えず、ダンジョンの空洞部を吹き抜ける風が轟々と鳴っているのが聞こえる。それはほんの数日前、“守護者”が落ちていった光景を彼女の脳裏にまざまざと蘇らせた。
あいつが余計なことさえしなければ、平民出には望めないほどの地位と名誉と報酬が約束されていたはずなのに。それなのに……どこで道を誤ったんだろう。
「きゃあああぁ……ッ」
ズルリと滑った指先が宙を掻き、腹の底が捩れるような不快感に呻く。暗闇のなかを真っ逆さまに落下しながら、元聖女ミネルは己が不幸を呪った。




