鬼神襲来
集落に近付くと、緊迫感とともに賑わいが感じられるようになってきた。いくつか笑い声や子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。
イーフルには、“転移魔法陣から亜人の集団が溢れ出した”と聞いたんだけど……
「亜人の集団、って」
「「あいくー!」」
「お?」
仔犬や仔猫のような子供たちがいっぱい、ワラワラと駆けてきてぼくの足元にまとわりついた。ぼくが育った孤児院の弟妹たちだ。みんな嬉しそうで、緊迫した様子はない。
「みんな、どうしたの?」
「いんちょーせんせが、にげろって」
「そー、まほう、ぴかーって」
「!」
孤児院の子たちを転移魔法陣で逃がすような状況が起きて、まさか院長先生だけが王都に残っているのか?
すぐに助けに行かなきゃと思ってはみたものの、集落の隅にある転移魔法陣は一方通行だ。こんな地の底からじゃ全力で駆け戻ったところでダンジョンを抜けるのに二、三日は掛かる。
「なんだいアイクヒル、そのシケた顔は」
「うぉぅッ⁉︎」
収容された避難民たちのなかに院長の姿を見て、ぼくはホッと息を吐く。いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべた彼女は、髪も服も焼け焦げ血塗れでボロボロになってるが、五体満足で生きてはいる。
「良かった、無事だったんですね」
「これが無事に見えるのかい? せっかく経営を立て直した孤児院を捨てなきゃいけないなんてさ、大損だよ、まったく」
うん。この憎まれ口。ふだんの院長だ。経営はともかく、少なくとも心と身体は元気そうだ。子供たちに治癒魔法を掛けてくれていた集落のエルフやドワーフたちが来ると、院長は手を振って断る。
「わたしは結構だよ、ありがとね」
「でも」
「ほとんどは返り血さ。焼け焦げも服と髪だけで、見た目ほどひどくないんだ。アンタたちの力は、お仲間や子供らに使っておくれ」
ぼくが見ても膨大な魔力量を持っていた院長がボロボロのままでいるってことは、魔力が枯渇するくらいの事態だったわけだ。しかも返り血って。防御魔法の掛かった僧服が焼け焦げてるのは、上級の攻撃魔法によるものだ。
ほとんど戦争じゃないか、それ。現役当時は“殲滅の鬼神”と恐れられたらしい院長が拠点を捨てて撤退戦だなんて……
「王国軍の五百人規模にでも攻め込まれたんですか」
「いや、相手は百やそこらだ」
意外だな。そのくらいの敵なら院長は捻り潰すか“行方不明にする”かと思った。
「四分の一が魔力強化甲冑の近衛でねえ」
それで納得した。金と権力に物をいわせて全身を魔導具で固めた魔法人形みたいな連中だ。それが二、三十も攻めてくるのに生身で生き延びる方がおかしい。
「何があったんですか」
「王国が暴走したんだよ。あいつら、もうダメだね」
そうか。あいつら周辺国を相手に戦争を始める気なんだ。時間の問題だとは思ってたけど。
結果的に最後の一線を超えさせたのは勇者パーティが回収した“紅玉の魔珠”だろうから、ぼくにとっても完全に無関係ではない。
「……このひとたちは、アイクの仲間?」
ぼくの隣でネルが声を掛けてくる。会話で大方を把握しているようで、不審そうな感じはない。
「ああ。ぼくの育った孤児院の院長と、弟や妹たちだ」
「初めまして、院長先生。あたしは、アーシュネル。一年ほど前まで、王都の外れで猟師をしていました」
「サルファだよ、お嬢さん。アイクヒルが世話になってるようだね」
「い、いえ、こちらこそアイクには、すごく、お世話になってましゅ」
あれネル、なんで急にそんなモジモジしてるの? 語尾もヘンになってるし。
そんな彼女を見て、院長は面白そうに首を傾げる。
「アンタは、アイクヒルの“みまもり”を受けてるようだね。それも凄まじい“紐帯”だ」
「ちゅなッ⁉︎」
ネルはカミカミで口を押さえると赤くなってしまった。なんか誤解があるようなので、簡単に説明しておく。
「“看護”というのは、“守護者”というぼくの職業が持つ力だよ。自分では強くなれないけど、気持ちが繋がったひとを強くできる」
「つ、つながった……」
なんか、説明しても誤解が解けた気がしない。ネルの顔は真っ赤で、湯気を噴きそうになってる。
「幸か不幸かアイクヒルは、ずーっと守護対象に恵まれなくてね」
院長はぼくを見て感慨深げに笑う。
「アンタは、ようやく見付けたんだねえ」
「そう、ですね。はい。見付けたんだと、思います」
ぼくは“深潭”攻略と未帰還までの経緯を話すが、院長は既に大まかなところは知っていた。情報通どころの話ではない千里眼と地獄耳である。
「なるほどね。勇者どもの話も聞いたが、あいつらはあいつらで酷いことになっているようだよ。真偽のほどは定かじゃないが、いまは“隷属の首輪”を着けられてるらしい」
「あの」
話が終わったところで、ネルがオズオズと院長に声を掛ける。院長は笑顔で先を促した。
「先ほどいわれた“幸か不幸”か、というのは……?」
「ああ、アイクヒルが守護対象に恵まれなかったことかい?」
「はい」
「なにせ、この子の力は異常だからね。有り体にいえば“化け物”だよ」
なにそれ、ひどい⁉︎
「アンタなら実感しているんじゃないかね、お嬢さん?」
「……あ、それは……はい」
おう、ネルまで。ドンヨリしかけたぼくに、ネルは慌ててすがりついてくる。ぷにっと柔らかく温かな感触が腕に伝わって気持ちが煩悩に揺れ動いた。
「化け物とは思わないですけど、異常なのは実感してます。アイクと出会ってから、あたしは……変わったので」
「そうみたいだね。幸か不幸かっていうのは、そのことだよ。この子が力を誰にでも無自覚に無分別に与えていたら、今頃あの国は滅んでた」
「え? そこまで?」
驚くぼくを呆れ顔で見る。院長も、ネルもだ。
「王宮の連中は、アイクの価値に半分くらい気付いてた。でも真価を読み誤っていたのさ。そのせいで、殺し損ねた」
「やっぱり、殺す気だったんだ」
「勇者たちは捨て駒さ。“守護者”を始末するためのね。“紅玉の魔珠”を手に入れて、力を奪う一石二鳥だ。今度は、後ろ盾を失った亜人を一掃しようって腹だ」
院長は、やけに嬉しそうにいう。そのくせ、まだ次の手を考えているような感じで臨戦態勢を解いてない。
「院長、もしかして、ここ狙われてます?」




