第3章ー2
150年前の真実
魔王討伐五〇周年を記念して王都ルドラストームの郊外にあるカイルパイル宮殿で盛大に式典が行われた。それに伴って王都の南に巨大な凱旋門が建設された。勇者の名を取り付けられたアルマス凱旋門である。偉業をなした勇者と五人の仲間の若き日の姿が彫られてあった。
公式な記録ではその式典にて宰相であったヘクター・アスラムナインが聖グザビエ騎士団を率いてアルマス以下英雄のアライ・ジ・サムライスウォード、剣聖ジョニー・ディグウィード他国家の主要な閣僚、領主を惨殺したとされていた……
三代目ブリトラは二代目ブリトラの娘として生まれ名前をオレリーといった。
その顔、首筋、指、手足や腰などいたるところに刺青やら護符やら鎖が掛かっているのを、オレリーは見るとうんざりしてため息をついた。魔法使いの家に生まれ、生まれてすぐに額や目の周りや頬はもちろん全身に不思議な刺青を入れられ、呪いの護符を体中に付けられ、それらを見るたびに、自分が、いかに人とは違う家系に生まれてしまったのかを痛感するのだった。
彼女の容姿は王都ルドラストームの高等学院はおろか、地元である北の魔法学校でさえも異質なものであった。周囲の視線に、彼女は常に苛立っていた。しかし、怒ったところでそれは仕方のないことだと自らを慰め、落ち着くように努めた。が、それでもオレリーを恐れて近づく同世代の若者は誰もいなかった。いや、近づきにくい存在であったのだ。
英雄の孫であり、通常十二年学ぶ魔法学校を四年で卒業して、六年間学ぶべき高等学院を三年で卒業した天才だったのだ。それも主席でである。体は小さいが、その頭脳はひときわ大きかった。だから、どこに行っても年上の同級生しかおらず、そんな彼女をやっかむ連中しかいなかった。
ただ唯一、ルドラストームの高等学院で気軽に話せる相手がいた。歳はオレリーよりも五つ上で、すらりとして背の高い優しげな面持ちの男の子。オレリーが兄と慕う幼馴染のヘクター・アスラムナインだった。しかし、そのヘクターも一年後には卒業してしまい、結局オレリーは一人ぼっちになった。が、それが原動力となったのかその二年後には異例の速さで卒業をした。
ヘクターとの出会いはオレリーが四歳の頃だった。
オレリーは幼少の時期の何年間か冬場は雪の降らない南の地に行っていた。
南の海岸沿いの地はアスラムナイン家の領土で、その館に冬の期間は子供たちだけお世話になっていたのだ。いわゆる冬休みの期間だった。
元々、オレリーという名前はモトリー・アスラムナインが名づけ親だった。二歳年下の弟のセントリもモトリーが名づけた。弟だけではない二代目ブリトラである父のナイロビもそうだった。
そこでオレリーが出会ったのがヘクター少年だった。逆にヘクターの名付け親は初代ブリトラだった。この頃は英雄同士の家族の行き来が頻繁にあった。
弟のセントリと共によく遊んでもらっていた。遊ぶといってもヘクターが五つも年上で、面倒を見てもらっているといったほうが正しいだろう。そう、オレリーにとってヘクターは兄のような存在だった。頭がよくて、カッコよくて、優しく人柄も面倒見もいい。オレリーにとって最高の兄だった。初めて出会ってから十四年が過ぎた。
「オレリーがここに来るなんて久しぶりだね」
ニコリと笑うヘクターの笑顔に、ホッとするオレリーは硬くなっていた表情を崩した。
二年ぶりに訪れたアスラムナインの館は何も変わっていなかった。門から館に至る道筋から、行き届いた庭に、置物の位置まで全く変わらないエントラス。ただ、その館にモトリーはもういなかった。違う点といえばそれだ、そのせいで少し空気が暗くなったような気がするくらいか。と、オレリーは思っていた。
二年前の冬に流行り病で祖父のブリトラが亡くなると、それを追うようにモトリーも亡くなったのだ。その時の葬式以来だった。オレリーは十八歳になっていた。ヘクターは二三歳だった。
「私、高等学院をたった三年で卒業したの。しかも主席でね」
背の高いヘクターをオレリーは見上げた。以前よりも見上げる角度が窮屈になった。ヘクターはますます身長が伸びていた。一九〇センチは越しただろうか。一方のオレリーは全く身長が伸びていなかった。だがそれは遺伝だから仕方がない。と、オレリーは諦めていた。父も祖父も一六〇センチほどである。オレリー自身は一五〇あるかないか位だった。
「知ってるよ。凄いことだよね。でも、全然驚かなかった。君なら当然だと思ってたから」
「そうそう、当然よね。それにヘクター兄も主席だったし、私だって負けてられないから。で、今は早くも聖グザビエ騎士団の上級騎士でしょ? いずれは団長をも視野に入れてるんでしょね?」
「いや、ボクは団長なんて柄じゃないよ。聖騎士になって教会に仕えようと思ってるんだ」
「ええっ!? 教会!? ヘクター兄~嘘でしょ!?」
「ううん、もう決めたんだ」
「神様に仕えるなんて意味ないわよ!? 神様なんか私たちに何もしてくれないもの?! ね、そうでしょ!?」
「オレリー、神様は真に為すべきことを与えたもう」
優しい笑みを浮かべヘクターは胸で十字を切った。
「ちょっと冗談でしょ!? 神ですって!? オーロラ様は何て言ってるの!?」
オレリーは首を振って眉間にしわを寄せた。
「母上も了承済だよ」
「アスラムナイン家はモトリーおじぃちゃんが亡くなって弱気になってるんじゃないの!?」
「いや、違うよオレリー。ボクはモトリー御祖父様とブリトラ様の魂が安らかになるように祈るんだ。そう、これも神様の思し召しってやつさ」
「ナニ言ってんのよ! じゃ、結婚もしないの!?」
言った後に私は何を言ってるんだろう!? と、後悔したオレリーだった。
「当然だよ。神に仕える身なんだよ」
「ハァ~これだから堅物はいやなのよ! ヘクター兄の馬鹿っ!」
オレリーはそう言うとヘクターを押しのけた。オレリーはハッキリとわかったのだ。ヘクターに初めて会った四歳の時から好意以上のものを抱いたことに。
「オレリー、ボクはもう王都に戻らなくちゃいけなんだ。せっかく――」
「馬鹿馬鹿っ!」
オレリーはヘクターの言葉を遮って走り出した。
「待ってオレリー!」
荷物を持って階段を駆け上がるオレリーの後ろ姿を見つめるヘクターだった。
この年の末にヘクターは神に仕える最年少の聖騎士として、王都の大司教の護衛の任についたのだった。
一方、オレリーは父である二代目ブリトラの補佐として、王立ルドラストーム魔法院において忙しい日々を送ることになる。
この二人が再び会うのは二年後の魔王討伐五〇周年式典会場であった。
式典には国中の要人が集まった。若き国王ソラス3世に王族、宰相カーライルはもとより全ての大臣に主だった領主、貴族、教会関係者、賢者、平民の代表者、大商人、獣人の王族とカイルパイル宮殿内はこの王国の、いや大陸そのものだった。
朝から晩まで歌や踊りなどの催し、豪華な食事が絶え間なく出された。それが一週間続くハズだった。
事件が起こったのは三日目だった。
式の警護を任されていたヘクターの父ローラン・アスラムナインの元に一報が届いた。早朝の事だ。広大な宮殿を巡回中の聖グザビエ騎士団の騎士が、一体の死体を発見したのだ。西の領主のひとりだった。恐らく喧嘩か何かで殺されたのだろう。そういう事で簡単に片がついた。数人の調査を出しただけで、それほど重い事件だとは誰も思わなかった。
しかし、再び夕方に事件が起きた時には、誰もが驚愕し恐れ慄いた。
その日の夕方に宮殿の衛兵が、大貴族を含む要人五名とその護衛二十数名の死体を北側の園庭で発見した。
警護責任者であるローランからの一報を受け、髪の長い派手な服を着た隻腕の老人とタキシードを着た老紳士が、数人の部下と共に現場に現れた。共に白髪になった剣聖ジョニー・ディグウィードとアライ・ジ・サムライスウォードだった。
「カッカカカッ、あんな馬鹿騒ぎよりこっちのほうが面白そうだわ!」
剣聖がズボンのポケットに手を突っ込んで高笑いをする。
「同感です」
アライが丸めがねを光らせうなずいた。
「こりゃひでえな……」
「剣聖、これは……」
アライの声がこわばっていた。
剣の達人はその傷口を見ただけで、相手がどのような者なのかわかるという。剣聖とアライは顔を見合わせた。と、その瞬間だった。剣聖を見るアライの表情が驚きに変わっていた。
剣聖はアライの視線の先を追った。そして、驚いた。自分の胸が剣によって貫かれていたのだ。
二人がゆっくり振り向くと、そこには大きな影が立っていた。
「ぐ、オレも年老いた……な……」
剣聖ジョニー・ディグウィードが苦笑いを見せゆっくりと崩れ落ちた。
「ああ、ジョニー殿……そんな、そんな……」
崩れ行く友を見続ける。普段は冷静沈着なアライが感情を表に出していた。他の誰が倒れても感情など一切変わらないだろう。しかし、アライの生涯の友ジョニーが目の前で倒れ心は乱れた。
その無防備なアライに襲い掛かる大きな影に二人の男が飛び込んだ。
振り下ろす強烈な一撃を三本の剣が受け止めた。
巨大な両手剣で受け止めたタレ目の伊達男は、刺々しい鎧に真っ赤なマントを羽織った『ドゥルーピー・ドロワーズ』の現ギルドマスター・“鉄壁”のトリスタン。二本の剣をクロスさせ受け止めている小柄な剣士は同じギルドのサブマスター“双剣”のジルーだった。沢山の羽をあしらったマントがまぶしかった。二人とも若いが経験と実績は充分で、大陸でも指折りの冒険者だった。
ギルドの創設者が目の前で刺されて、二人の顔つきが怒りに満ちていた。
「ジルーどうする?」
「どうするもこうするも殺しちゃおうぜトリスタン!」
二人は同時に離れて、相手を見た途端に驚愕した。
暗闇に立つガッチリとしたシルエットの大男。光が照らされると誰もが知る顔だった。
「そんなバカな……」
大きな影は――今回の式典の主人公のひとり。吟遊詩人の叙述詩にもなった、王国の、いや大陸の史上最も偉大な英雄勇者アルマスだったのだ。
剣を握りなおすとアルマスはジルーに鋭い突きを繰り出した。が、それを二本の剣でうまくいなして防御する。トリスタンが高く跳び、空中で一回転し両手剣を振り下ろす。それを軽々と弾くアルマス。
この大陸で二人がかりでも倒せない相手は初めてだった。
攻防一体の“双剣”のジルーが防戦一方になっていた。
「ジルー!」
トリスタンが叫ぶとジルーが後転してアルマスから離れた。トリスタンは横薙ぎ、その勢いで切り上げ、縦斬りを連続して繰り出した。同時にジルーも飛び込み無数の突きを繰り出すが、全て難なく防がれてしまった。その凄まじい防御力にジルーもトリスタンも戦慄を覚えずにはいられなかった。
「これが魔王の攻撃を七日も耐えた力か……格が違う」
トリスタンが汗を拭った。
「だが、やるしかねーだろ」
ジルーが息が荒らげてトリスタンを見た。
アルマスが大きく息を吸い込むと、剣を片手から両手に持ち替えた。それを見てジルーは後ずさりをした。戦いにおいて生まれて初めて確実な死を感じたのだった。
アルマスが動いた。それを見てトリスタンが一歩前に踏み出した。
「ダメだトリスタン! 受け止めるな! 避けろ! いや、逃げろ!」
アルマスがゆったりと大きく剣を振り上げると、凄まじい一撃をトリスタンに向かって放った。それをトリスタンは当然のように両手剣で受け止めた。“鉄壁”のトリスタンは絶対に逃げない。どんな相手にも決して逃げない。立ち向かう勇気は本物だった。そう、現大陸一の壁役としてギルドを牽引してきたのだ。剣聖の立ち上げた『ドゥルーピー・ドロワーズ』を率いるに値する男だったが、それが命取りになった。
「いいからトリスタン逃げろ!」
ジルーが絶叫した。
トリスタンの頭の上で剣が激しくぶつかり火花が散った。その衝撃で剣にひびが入った。
「クッ!」
瞬間、両手剣はガラスのように砕け散り、トリスタンの頭にアルマスの剣が直撃した。頭蓋骨に突き刺ささる嫌な音が轟いた。
アルマスは更に頭に刺さった剣に力を込め、そのまま鎧ごとトリスタンを真っ二つにしてしまったのだ。
「ああああ! トリスタン!」
ジルーは剣を手から落とし、その場で力なくひざをついた。
心神喪失状態のジルーの前に立ち、アルマスは無表情で剣を振り上げた。
その時だ、ローラン・アスラムナインが一小隊の護衛兵を連れ現れた。
「こ、これは!? アライ様いったい!?」
ローランが更に増えた死体を見て、そして座り込むアライに向かってたずねた。その声にアルマスがローランに反応した。
「アルマス様! 何があったのですか!?」
アルマスはローランに向かって一直線に走り出した。
ローランは気がつくと心臓を一突きされていた。何故、義父上が? わけのわからぬまま、そしてまわりの護衛が次々と倒れるのを見ながら意識は遠のいていった。警護責任者のローラン・アスラムナインが亡くなった事で、宮殿の警備が混乱してしまい未曾有の悲劇を生んでしまう要因にもなった。が、それはあくまで要因であり仮に生きていても結果はほとんど変わらなかっただろう。
アルマスはわずか二分で三十人を切り倒し、北の庭園に血の海を作った。そして、ゆっくりとアライの前に来た。
「アルマス殿……どうして?」
アライがアルマスを見上げた。だが、アルマスの顔は無表情だった。そして、アライが何かを悟った瞬間に頭は胴から切り離されていた。剣聖ジョニーの亡骸の傍に転がる頭。二人の英雄が英雄によって命を落とし、王国は剣術指南役と軍事顧問を同時に失った。
ジルーは頭の中が真っ白になっていた。今度は自分の番だ。それは、もう間違いのないことだった。アルマスが近づいてくる。ジルーは目を瞑り諦めるしかなかった。
しかし、剣はいつになっても振り下ろされなかった。目を開けると勇者アルマスが青白い炎に包まれていた。そして、炎に包まれながらもひとりの男に向かって突進していくのが見えた。
相手は二代目ブリトラだった。
しかし、全くアルマスには効いていなかった。アルマスは闇の炎でブリトラの青白い炎を相殺していたのだ。
「オレリー! 王のもとへ行くのだ! 王を守れ!」
ブリトラは震えて恐怖する娘のオレリーの頬を平手打ちした。オレリーはハッとして腰を抜かしつつも走り出した。
ブリトラが娘の後姿を確認して、前を向くと目の前に迫るアルマスを捉えた。すぐさま二つの鷲の頭がデザインの杖を地面に突き刺すと、地面から巨大な氷の柱が幾つも天に延びた。しかし、アルマスはそれをいとも簡単に破壊し、回避しようと後方に跳んだ二代目ブリトラを袈裟斬りで討ち取った。すると、宮殿全体が一瞬青白い光に包まれた。そう、宮殿に蜘蛛の巣のように張り巡らせていた結界が完全に消失したのだ。
これで闇の力がカイルパイル宮殿を自由自在に移動出来るようになったのだ。
オレリーは父が亡くなったことを悟り泣きながら大広間を目指した。が、足がもつれて転んでしまった。アルマスの足音がが近づいてくる。もう、終わったと思ったオレリーだったが、その横をアルマスは通り過ぎた。
アルマスの後姿を見ながら、父が最後に魔法を掛けたのだと知った。あの平手打ちだ。初めて父から叩かれたあの時に魔法をかけたのだ。オレリーは大声を出して泣いた。
アルマスは大広間に向かって走っていった。その途中に出会った巡回兵、貴族、使用人、全てを切り倒し、大広間に突入した。広間では勇者を見た客人が歓喜した。が、その歓喜はすぐさま悲鳴に変わった。
大虐殺である。
宰相カーライルを含む全大臣、大司教、門閥貴族はもちろん大小貴族、領主、騎士、護衛兵、エトセトラエトセトラ。なんとたった一人に老若男女六百人以上が殺された。
残ったのは若き王ソラス三世と十数名を残すのみとなった。
オレリーは大広間を愕然としながら王を目指した。
累々と死体が連なる大広間は鉄っぽい臭いが充満していた。
シャンデリアの明かりは、キラキラと辺りを照らし、そこはもう非日常を通り越してサイケで狂気の世界だった。
「余はもう御仕舞いだ!」
ソラス三世が震えながら十字を切り、胸の前で合唱していた。
「まだ諦めるのは早いです」
ヘクターは王に向かって言った。が、これだけの死体の山を前にして、よくそんな言葉が口から出てきたものだと思い、不謹慎だと思いながらも笑みが漏れた。
既に王国の機能は再起不能なほどのダメージを受けていた。主だった人材はアルマスに殺されていたのだ。仮に生き残ったとしても王国はどうなる? と、ヘクターは唇をかみ締めた。が、絶望はしなかった。彼の中に通う血筋がそれを許さなかった。
オレリーは座り込んだ。そして、呆然と見た。王がひたすら祈っている前で、勇者アルマスと残りの者達が、血の海の中で壮絶な戦いを繰り広げているのを。
アルマスは右に聖剣を握り、それはこれだけ人を斬っても、刃こぼれひとつなく美しくシャンデリアに照らされ輝いていた。左手には狼の頭を掴んでいた。体中に血糊を浴びて真っ黒に変色していて、それは血を啜りどんどん異様なオーラを放つのであった。
三匹いる狼の中でひときわ大きな狼が「オレリーよ! 闇を封じる陣を組むんじゃ! オマエなら出来る! いや、オマエにしかできんのじゃ! ブリトラが施した術式で封じよ!」と力なく座り込む小柄な女の子に向かって吼えた。最後の英雄タイガー・イェンであった。
「オレリー頼む」
ヘクターがオレリーを見つめた。しかし、オレリーはうつむき泣いていてそれどころではない。
それはそうだ、目の前で実の父が殺されたのだから。オレリーはただただ逃げ回るだけで精一杯で何も出来なかった。天才といわれ未来を嘱望されてきた魔法使いも、ひたすら恐怖で泣いているだけだった。それも、最後の時がきて絶望していた。
オレリーがふいに顔を上げた。そこにいた勇者アルマスは悪魔か魔物か、とにかく人間ではなかった。
「オレリー戦うんだ」
ヘクターがオレリーの肩に手を置いた。その声はいつののように優しかった。
「戦えない……お父様が亡くなったのよ」
「ボクだってそうだ。しかも、戦う相手は祖父だよ。でも、戦わなくちゃならない」
「ヘクター兄……」
アルマスが不意に左手に持っていた狼の頭を真上に放り投げた。一匹がその頭の軌道を追った。その瞬間だった。軌道を追ったその狼の片目にアルマスの剣が吸い込まれるように突き刺ささった。そして、アルマスは悪魔のような笑みを浮かべゆっくりと剣を引き抜いた。抜いた傷口から激しく血を噴出し狼は倒れた。狼は激しく痙攣して、口から血を吐き出し絶命した。
「うわぁああああ! ウッコ兄さん!」
もう一匹がアルマスに飛び掛ろうとしたその時だ「動くなスレビオ!」と、タイガーが叫んだ。
「父上! 二人の兄をやられて黙っていられるか!」
「アレには勝てんぞ。闇を制せねば勝てぬ」
タイガーに言われスレビオはじっと我慢し、怒りを込めてアルマスを睨んだ。
「オレリーよ闇を封じるのは己自身じゃ!」
タイガーが咆哮した。
「あれはもう優しかった祖父勇者アルマスでもなんでもない。化け物だ。ボク達で倒すんだ」
「で、でも……」
「オレリー立つんだ! 立って戦え! 共に戦うぞオレリー! いや、新たなブリトラよ!」
ヘクターがいきなり叫んだ。絶対に叫ぶことのない男の叫びにオレリーは目を見開き驚いた。
「ほほう……」
タイガーがオレリーを目を細めて見た。かつてロイエの間で見たことのある光景が脳裏に浮かんだのだ。まさにモトリー・アスラムナインが勇者アルマスに掛けたシーンをだ。今はその二人の孫であるヘクター・アスラムナインがブリトラの孫オレリーに、敵は魔王ではなく勇者アルマスだ。なんという因果だろうか。
「……私、戦います」
オレリーは覚悟を決め立ち上がり目を瞑った。
まだ、望みがあるならば戦わなくてはならない。今なら何の為に自分が存在するのか理解できた。何故、祖父である英雄ブリトラが自分にこんな刺青を入れた理由が。
幼い時はわからなかった刺青の意味も、年を重ね魔法の知識を深めるとその意味もわかるようになってくる。これは魔力を蓄積すると共に、その魔力で何かを封じる術式である。その何かというのが今まではわからなかったが、オレリーはハッキリとその何かを理解した。
目の前の悪魔の、闇の力を封じるのに膨大な魔力が必要だ。そして、その力を封じる器も必要だった。その膨大な魔力と器の両方をオレリーは持っていた。刺青に長年蓄積していた魔力を開放して、強力な闇を引き込み自らを器に、その刺青を結界として張る事が出来たのだ。
オレリーが地面に開放の陣を敷き始めた。
と、同時にアルマスが獲物を見つけた獣のようにオレリーに突進していった。
爛々とした赤い目に、大きく開けた口から涎を流し、狂乱しきった勇者アルマスの姿をした悪魔。迫りくる恐怖にオレリーは勇気を振り絞り陣を描いた。
「ヘクター兄! 時間を稼いで!」
ヘクターは大きくうなずきオレリーの前に立つ。そして、迫り来るアルマスに一人の男が飛び込んだ。
高速の二刀流がアルマスの動きを止めた。“双剣”のジルーだった。
大振りのアルマスに対して、相棒を殺された怒りの高速剣がアルマスを翻弄する。神速ともいえる大陸一の速さを誇る剣士が手数には勝っていた。が、しかし、ダメージといった点ではアルマスには全く効いていなかった。闇の力によって傷が瞬時に回復していたのだ。
それを見てヘクターが動いた。
「どけぇえええ!」
真っ白な光りに包まれヘクターがアルマスに突っ込んできた。
ぶつかり合い凄まじい衝撃波が周囲を襲う。
何度も何度も衝撃波と火花が、黒のアルマスと白のヘクター、互角の打ち合いが続いた。
「なんと……」
その戦いを見てタイガー・イェンは素直に驚いていた。ヒョロガリの優等生ヘクターがこれほど強いとは思いもよらなかった。が、あのアルマスとモトリーの孫ならば……と、タイガーはほくそ笑んだ。
二人の戦いを壁際で国王ソラス三世はひたすら祈っていた。その周りを数名の聖グザビエ騎士が守っているが、その騎士もただ祈るばかりだった。
無尽蔵の体力から雨あられと剣撃を繰り出すアルマスの攻撃に、次第とヘクターの体力は奪われていく。
無数の突きに対して、ヘクターの左手の薬指と小指が持っていかれ床に転がる。
ヘクターの集中力が確実に切れてきた。それをアルマスは見逃さなかった。剣を一回転させ渾身の一撃をヘクターに食らわせた。瞬間、意識が飛びヘクターの体は大きく吹っ飛んだ。
その時だ、オレリーの術式が完成して封印が始まった。
アルマスの体から闇が、陣の中央に立つウルレーの体中の刺青に吸い上げられる。凄まじい闇の量にアルマスが叫び苦しむ。嵐のような風が吹き荒れ、それが止んだ後に勇者アルマスは立っていた。
そう、ただ立っていた。
悪夢にうなされ起きたような顔をしていた。
目も虚ろに肩で息しながら、だがやりきったオレリーは微笑みながらその場にへたり込んだ。その彼女を守るようにジルーがアルマスに対して身構えている。ヘクターは左手を押さえながらフラフラと立ち上がった。
「早く殺せ」
勇者アルマスはそう言った。
「ア、アルマス様こんな格好のままですいません。もう、大丈夫です。闇は私が封じました」
オレリーは力を使い果たし座り込んだままだ。
「ブリトラの孫よ苦労掛けたな」と、アルマスはオレリーを優しい眼差しで見つめた。「だが、まだ闇が体の中で渦巻いておる」
「そ、そんな……」
「タイガー! 手遅れになるまえに早くやれ!」
「アルマス!」
大きな狼が背後からアルマスの首に噛み付いた。
「タイガー様! お止めください!」
ヘクターは叫んだが、その耳に骨が砕ける音を聞いた。
最も偉大な英雄と言われた勇者アルマスの最後は、無二の友タイガー・イェンの牙によって幕を閉じた。
辺りにはいたるところで血の海と死体の山、うめき声と悲鳴が絶え間なく聞こえていた。豪華絢爛で此の世の贅をかけて造られた宮殿は地獄そのものに変貌していた。広大な敷地全体に死の臭いが充満し、生き残ったものは夢か現実かわからず、その瞳はみな宙を彷徨っていた。
カイルパイル宮殿にいた千三百人のうち実に六百人が死亡し、また同じ数の負傷者を出してやっと終わりを迎えたのだった。
凄惨な事件は終わったが、その後始末にヘクターが出した提案に誰しもが仰天した。
「今回の宮殿の大虐殺は勇者アルマスの行いにあらず。全てはヘクター・アスラムナインによるものとする」
「ちょっと待ってよヘクター兄! 何を言ってるかわかってるの!?」
「勇者アルマスを貶めることは決してできない」
「いや、それはわかるけど……」
「この件についてタイガー殿はどう思っておるか?」
ソラス三世は、腕を組み思案しているといった感じのタイガーに振った。
「ワシはアルマスの不名誉を世間に口外してはならんと考えておる。ましてや狼に殺されたなどもっての他じゃ」
「では、決まりですね。ソラス王、ボク、いえ、私が全ての不名誉を背負います」
「なんという、なんということだ。余は……ああ、ヘクターよ。余はオマエにしてやれることが何かあるのだろうか……」
ソラス三世はヘクターを見て嘆いた。
「いえ、陛下が気に病む事ではありません。私は望んで受け入れております」
「ヘクター卿! 我等が聖グザビエ騎士団もお供します!」
数人の騎士がヘクターの周りに来て膝間づいた。
「そんな、それはいけません」
「ヘクター卿が何と言おうとクーデターは一人ではできません。我が騎士団がいなければ成立しますまい。それに聖グザビエ騎士団以外のどこの誰がクーデターに加勢するというのです?」
「それはそうですが……」
「では皆の者! 傀儡の王を助けるべくヘクターに率いられた聖グザビエ騎士団が動いたという事でよいか?」と、ソラス三世は生き残った者の顔を見渡した。そして、オレリーの前に立った。「さて、オレリーよ。そなたは三代目ブリトラを命ずる。そして、最初の仕事として、これらの出来事を王国の隅々まで触れて回るのだ」
「は、はい……」
オレリーこと三代目ブリトラは王に膝間づき頭を垂れた。
端的にいえば、事件はヘクターが王を助ける為に、聖グビザエ騎士団と共にヘクター卿が王国の膿を一掃したという事に落ち着いた。が、それだけで三人の英雄と宰相、門閥大貴族を含む六百名を虐殺したのであれば、その中の一族の者から必ずヘクターの命を狙う者が出てくるだろう。
オレリーことブリトラはヘクターを血も涙もない恐ろしい残酷卿として、復讐すら恐怖で出来なくなるように全土に噂を流した。それは絶大な効果をもたらし、ヘクターは人々に畏怖の存在として恐れられることになる。そして、今日にまで至った。
これが三代目ブリトラの作り出したヘクター残酷卿の真実だった。