第1章ー2
コーヒー飲んでる
馬車の御者台に大男とブカブカな青色のワンピースを着たガリガリの小男が座る光景は傍から見て違和感を禁じなかった。が、当の本人たちはまるで気にしなかった。どこ吹く風で街道を威風堂々北へと向かった。
夏の高い青空に魔王は開放的になる。「ちょっとやめてよね!」と、いうテレコの嬉しそうな声を無視して魔王は裸になった。夏の日差しを浴びながら夏の暑さを満喫する魔王。だが、不思議なことがあった。いくら裸で全身を焼いても魔王の肌は黒くならなかった。真っ白なままだったのだ。いつになっても貧相な容姿は変わらなかった。
――何の為に人間は生きているのだろう? とは魔王が旅の間ずっと離れなかった疑問だった。
人間になった今になって考えるのはそういった事ばかりだった。何の力も持たない人間になり、日々をただただ過ごすだけ。なにも生み出さず、ただ食って寝るだけ。なんのスキルもないことはこの数日でわかった。もはや魔王でもなんでもなかった。
結局、真っ白なままの肌を見て魔王は肌を焼くことを諦めた。肌すら焼けない自分に諦めつつワンピースに袖を通し、大きなため息をついたのだった。
北の街に向かう途中で荒野の古戦場を通った時のことだ。
広大な田園地帯を抜け丘陵地帯が続く先にその荒野はあらわれた。
テレコは馬車を降りて十字を切って跪くと、やおら祈り始めた。それを、いちいち面倒臭い男だと魔王はじっと見ていた。やがて祈りを終えるとテレコは魔王の方を振り向いた。
「ここはね、今では信じられないだろうけどかつては巨大な城壁があったのよ」
テレコが指差した先に果てしなく瓦礫の山が続く荒地が広がっていた。かつてここには王国最大の城塞都市『オンスロート』があった。城壁は高さ50メートル、その壁は外周10キロにも及んだ。 守るのは王国最強の『聖グザビエ騎士団』だった。当時はスタリン・アスラムナイン卿が率いていた。モトリー・アスラムナインの父である。
「信じますとも」
魔王は高くそびえる城壁を思い出していた。
「二百数十年前にココで百万の魔王軍を相手に十年間も戦い続けたのよ。スゴイでしょ? でも、最後は城壁を破られ皆殺しにされたって話よぉ~恐いわよねえ~」
「それは少し違います。魔王軍は十人で半日で落ちました」
「ちょっとアンタ! ナニよいきなりぃ~そんな話は聞いたコトないわよっ!」
「では、言い直しましょう。百万の軍隊が十年かけて陥落させた。そういう事になっているのであればそういう事なのでしょう」
「ちょっとナニよその棘のある言い方」
「いえ、言い伝えがそういう事ならばそうなのでしょう」
確かに何年もかけて何度も何度も軍を差し向けましたが、一度たりとも落ちませんでしたから。全てが嘘というわけではありませんから。と、魔王は思いテレコにうなずいた。
「そうなのでしょうって、そうなのよっ! ワケのわからないコトは言わないでちょうだいっ!」
「はい……」
二百年以上前の事を言っても仕方が無いのです。城塞都市オンスロートの人間はあの日に一人残らず葬り去ったのですから。本当の事を知るものは誰も生きてはいないのです。と、魔王は荒れた瓦礫を眺めた。
実際、巨大な城壁は意味を成さなかった。なんと魔王たちは上空から城砦中心に降り立ち、内から破壊したのだ。魔王は三匹の龍と三人の暗黒騎士と三人の上位悪魔を従え半日も経たずして陥落させたのだった。
その時の魔王の姿は真っ白な羽のドレスで、それはまるで天から舞い降りる女神の姿だった。その姿からの闇の波動で人々を暗黒に引きずりこんだのだ。たまったものじゃない。天国から地獄とはこのことだった。
とにかく馬車はブリトラのいる北の町を目指した。
この半月ただひたすら田舎道を北に進む馬車。その馬車の上で日々テレコのお喋りが繰り返された。「ねえねえアタシが勇者になったらどうしようとかしら」と、いう話に胸躍らせるテレコ。その妄言を適当に相槌を打つと「ちょっと魔王ちゃん聞いてるのっ!?」と、絡んでくる始末。
水と油のような二人だが、それが意外とうまくいっていた。
旅は順調だった。順調すぎて魔王は違和感を感じていた。
田園地帯から丘陵地帯、そして森を進んで行った。大きな町をひとつといくつかの村を通り抜けてきた。
「テレコ何かおかしくないですか?」
「ナニがよ?」
「その、関所が無い。それどころか魔王軍も野良の魔物たちが全くいないのです。襲ってこないのです」
「ナニ言ってんのよ! いるワケないでしょ! 魔王軍も魔物もみんな公共事業だわよ!」
「……公共事業?」
「もうとぼけないでよ! 橋とかでっかい道作ったり忙しいの! そこらへんをウロウロするヒマなんてないわよ!」
「まさか……」
「魔王サマサマよ。王国の連中じゃ話にならないわ。王様が倒れて、その代理のクソったれの王子がとんでもない大バカなのよ。そこに出てきてくれたのが魔王ってワケ。そんなコトくらい知ってるでしょ?」
「魔王軍がそんなコトをしているのですか?」
「そんなコトって、当然じゃないのっ! アンタ国王派? 違うでしょ!? そもそもソンナコトもわからないなんてマオちゃんどこ出身なワケ?」
「ええっとですね……」
「まあ、いいわ。とにかく今の王国はダメね」
つまり現魔王は大陸の東西南北を結ぶ大動脈の建設を始め、各地の川の要所に掛ける橋、治水工事から教育施設の充実……魔王は考えるだけでも気絶しそうになった。
馬車に揺られ魔王は呆然としていた。
「ちょっとぉ魔王ちゃん大丈夫!? 顔色が悪いわよ。ちょっとぉしっかりしてよ!」
「ええ、大丈夫ですが……その……」
「ナニ? どうしたの?」
「魔王という存在は『悪』ではなかったのですか? と、いうか『悪』であるべきではなかったのですか? 魔王たるもの人間界を蹂躙して自らの力で恐怖に陥れ支配すべきなのです。ええ、そうですそうです。そういう存在が魔王なのです」
「アンタねえ、考えが古いわよ。いつの時代の話しよ。もう、時代じゃないの。そんなヨタ話はひいおばあちゃんのおばあちゃんの時代くらいの話よ」
「そんな……」
「とんだ田舎から出てきたようね」
「そうですか。わかりました。魔王軍は落ちるところまで落ちたようですね」
「ちょっと! 全然わかってないじゃないのっ!」
「滅相もありません。私はわかってますよ。ええ、そうですとも。わかってます」
「本当かしら。あやしいわね」
首をかしげるテレコ。まあ、いいわとテレコは言い再び鼻歌を歌い旅は続くのだった。
ふたりは各地のグルメを堪能して、温泉に入って、名所を見学して、旅はまさに観光気分で進んでいった。
谷に差しかかったところであやしげな魔物の一団が前方から向かってきた。
「ほら、見てくださいテレコ。あれは間違いなく魔王軍です」
「ん? そうみたいねえ」
「どうします?」
「ん? どうするってアンタどうもしないわよ」
「それでいいのですか?」
「いいのいいの」
「私はどうなっても知りませんからね」
「もう、いいのよ。どうにもならないわよ」
二人の横を何事も無く通り過ぎる一団。資材を運んでいた。
「北から伐採した木材を運んでいるみたいね。橋だか何かを作るんじゃないかしら」
「なんとまあ呆れました……」
馬車に揺られる魔王の表情は暗かった。
ただひたすら悲嘆にくれている。その理由はもちろん現魔王に対する失望に他ならなかった。
かつて魔王が大陸を支配している時など、馬車が街を出れば一時間も立たずに魔物たちに襲われる、そんな危険極まりないのが常であった。
今の時代を知れば知るほど魔王は悲しくなった。
どう考えてもおかしい。魔王らしくない。狂っている。
コーヒー2杯目