表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Belief of Soul〜繋ぐ者達〜  作者: 彗暉
第1章
1/75

Episode-1

 悪夢。これを見るのは久しぶりだった。

 黒と白茶の縞模様の大理石の床に、頭上高くに吊り下がったシャンデリアの優しい蜂蜜のような光が反射している。よく磨かれた大理石の床には部屋の様子が反射していた。

 ヴェールのように垂れる光の下の広間には、縦の縞模様や、銀細工や宝石で飾り立てた絢爛豪華な衣装に身を包んだ多くの男女が、木管楽器や弦楽器の単調ながら優美さをそなえた楽音の中で歓談している。話しているのはわかるものの、音だけが間遠に聞こえ内容はわからない。貴婦人がグラスを片手におしとやかに微笑み、男は流暢に何かを語っている。

 天井から吊り下がるシャンデリアに照らし出された部屋が、縦長の大きな格子窓に反射して映っていた。外は暗い。いつもと同じ、夜なんだわ。

 楽音がやんだ。

 そしていつものように、一人の威厳ある男が一つ高くなった床の上から挨拶をする。頭には黄金の冠を戴き、上顎にだけ整えられた黒い髭が目立つ。王であり父である人、だが、顔がわからない。直視しようとすると姿が消えてしまう。この悪夢の中のものは、ほとんどが直視すると消えてしまうのだ。

 国王である父は、硝子細工による装飾が施されたグラスを掲げて、広間にいる大勢の一人一人の顔を見るように何かを語っている。大人達の背に隠れ父の姿が見えなくなった。やがて、盛大な拍手が広場を埋めた。楽音が拍手を引き継ぐように奏でられ始めると、大人達は会話を始めた。

 窓に目をやると、炎の揺らめきが見えた。

 あぁ、来る。

 壁にある縦長の格子窓それぞれを突き破り、硝子の破片を撒き散らしながら三つの炎の塊が広間に転がり込んできたのが見えた。

 悲鳴とどよめきに満ち始めた広間の窓附近にいた貴婦人の誰かが金切り声をあげる。と、その声と体が跳ね上がった。貴婦人は炎を纏ったぼろきれのように宙に投げ出され、シャンデリア近くまで行くと地面目指して落下する。落下する貴婦人の金切声が、地面にぶつかった瞬間、何かみずみずしい大きな野菜が潰れるような湿った音とともに消えた。

 刹那、瞬きよりも短い戦慄の沈黙が訪れ、堰を切ったように四方八方で雛鳥のように叫び声が上がり、豪華な食事や食器が置かれた丸机がひっくり返され、皆が皆、目をむき出して出口を目指して押し合った。

 自分には闖入者の正体がわかっていた。炎の生き物だ。わたしの大切な人と運命を奪ったもの。

 幾度となく見てきたその生き物は、炎だけで狼の形を象っており、眼窩から火を燃え上がらせ、口からは溢れ出る怒りを具現させたかのように絶え間なく炎が揺らめいている。熱せられた鉄のように煌々と輝く双眸は、周りの人間を睨んでいる。

 炎の狼は人を選ぶようにあたりを見渡し、演台の上で儀礼用の服を着た兵士二人に守られている王を見るや否や、空気を焼く轟轟とした唸り声をあげて飛びかかった。兵士の一人の体の腕や頭、足を惨たらしく引き裂いていく。その有様だけは鮮明に見ることができた。引き裂かれる音と血が蒸発する音、不協和音を奏でる悲鳴が生々しく広間を駆け巡った。

 と、腕を掴まれた。

「逃げるぞ!」と腕を引いたのは父だった。頭には王冠がない。片方の手にはくすみ一つない黄金の装飾が散りばめられた両刃の剣が、抜き身のまま握られている。傍らには王妃である母がいた。父が大声で誰かの名前を呼んでいる。

 我先にと逃げる者達の喧騒にも負けない王の声に応えて、青白い光沢を放つ鎧を着た一人の兵士が、一匹の炎の狼に突き立てられた剣を引き抜き、人混みを掻き分け王の元へやって来た。

 軍の中でも特別な位を持つ神衛士だ。全身を青白い光沢を放つ鎧で覆っているため、誰だかわからない。その手には鎧と同じ色をした一対の盾と剣が握られている。

 炎の獣と王の間に立つと、王を振り返り一つ頷いた。王も短い会釈でそれに応えると、一直線に広間を抜けようと進み始めた。

 父に無理やり腕を引っ張られ、引きずられるようにして広間を抜けた。周りの人は狂ってしまいそうな表情をしているのに、自分は夢だとわかっているために、冷静だった。あの神衛士は誰だったっけ。顔はもちろんのこと、名前の一文字も思い出せない。

 金と彫刻で彩られた廊下の天井を見上げながら、父と母に腕を引かれるまま走った。心配そうに振り返った母の目に、シャンデリアの明かりにも似た橙色が揺らめいた。振り返ると、炎の狼はあの神衛士をすり抜けたのか、倒したのか、一体が三人を追いかけて廊下を駆けてくる。父と母はどこに逃げようとしているのかしら?

 幾つもの部屋を抜け、引きずられるようにして大理石の廊下を走った。唐突に暗くて足元が定かではない階段にたどり着き、灯りもないまま下りていく。何度も足を滑らせて尻餅をついた。その度に軽々と持ち上げられた。そうだ! この道は秘密の抜け道だわ!

 三人は秘密の抜け道の扉の前まで来たが、扉に手をかけるよりも早く、後方から空気を焼く炎の燃え上がる音がした。

 父が振り返った。黒い眉毛の下にある父の眼と目が合った。だが、すぐに炎の狼に向き直ってしまった。その一瞬の短い眼差しには、熱くちぎれるような悲しみが籠められていた。

 王は剣を胸の前に刃の切っ先を天に向けて構えた。

「さぁこい! 狙いは余であろう!」王は抜き身の刃に炎の揺らめきを映して雄叫びとともに獣に立ち向かっていった。

 王妃は涙を流しながら重々しい鉄張りの木製の扉を開けると、娘を中に押し込み扉を閉め始めた。

「シルティーナ……わたくしの可愛いシーナ」

 涙を流して扉を閉める母の後ろが炎に染まった。同時に、扉が悪意を持っているかのように勢いよく閉まった。絶望感と悲しみ以外何も感じない。後ずさった後ろ足が段差を踏み外したように奈落の底へ落ちていく。そのまま深い闇だけの世界に吸い込まれていくようにしてどんどん落ちていく……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ