決断
私には父親がいなかった。小さいときから母親一人に育てられた私にとってそれが当たり前のことであり父親の存在なんて気にもしなかった。そして父親がいないことが少し変わっているということを知ったのは小学生になってからだった。
級友には父親がいるけど自分にはいない。疑問に思い、何故自分には父親がいないのか母に聞いたことがある。そのときの母の顔は動揺し泣きそうで、そのまま私は抱きしめられた。石鹸の匂いがする母に抱かれながら、聞くんじゃなかったと後悔したことを今でも覚えている。
また母子家庭だったので周りの子と比べて貧しかった。服も上等では無いし、偶にある弁当の日は最悪だった。私は、周りの子が嬉しそうに自慢しあうのを横目で見つつ、日の丸弁当を食べた。ただ運動会のときは別だった。その日だけは稲荷寿司や様々なおかずが並んでおり、青葉茂る木の下で、稲荷寿司を食べる私を穏やかな目で見る母が印象深かった。
中学生になり、悪友とつるむようになって荒れた。授業をサボって町に出かけ、喧嘩をしてケガを拵える。周りの人間は無視していたが、母だけは心配してくれた。大怪我をして病院に運び込まれたときも、意識を取り戻し真っ先に見たのは、涙を流しながらよかったと何度もつぶやく母の姿と白い天井だった。怪我を治した私はこれ以上苦労を掛けたくなかったので、陸軍士官学校に進むことに決めた。教師は無理だといって笑ったが、朝から夜までずっと勉強したおかげでギリギリ進むことができた。合格を知った母は自分のことのように喜んでいた。入学式の日、桜がふわりと舞い揚がり、太陽光とのコントラストが美しかった……
「大佐殿?」
「ああ、すまない」
あまりにも衝撃が大きい命令に意識が飛んでいた。この命令は実行したくない。しかし命令は絶対であり、この命令に従わなかったらもっと大勢の犠牲者が出る。この事故を起こした名も分らない人間を呪った。
震える手をできるだけ抑えるとボールペンを握り書類にサインする。
「ABC防護服を着用の上、部隊を中津地区に展開し封鎖せよ。一人も外に出すな」
「ハッ」
書類を渡し、揺れる声で命令する。部下が部屋から出て行きドアが閉まると溜息を吐いた。
後悔の念がどんどん溢れる。なぜ命令を下してしまったのか。その前に、なぜ母親をこっちに呼ばなかったのか。もっともっと親孝行しとけばよかった。毎年ちゃんと母の日に花を送くり、誕生日を祝ってやればよかった。頻繁に会いに行けばよかった。後から後から考えが噴出す。
机の上にあるカップにはコーヒーと牛乳が溶け合い冷めていた。
(11月25日付の新聞より抜粋)
昨日未明、謎の新型ウイルスにより汚染地域になった中津地区を中心とする地区に軍による滅菌作戦が行われた。作戦は成功し1万五千の犠牲者が出たものの、他の地区への感染は防いだ。新型ウイルスに関して政府は正式なコメントをしていないが、中津地区には陸軍研究所があり、関係が疑われている。
批評よろしくお願いします。