第九話「毒蜘蛛」
無我夢中で蜘蛛から逃げ続けたカナデは、いつの間にか町に辿り着いていた。
町の悪魔たちは返り血や蜘蛛の糸でボロボロになったカナデを見て直ぐに駆けつけて、着替えと水や食べ物を持ってきてくれた。
カナデはとても食料等が喉を通る気がしなかったので、有難く着替えと水を貰って悪魔たちに森の中で何が起こったかを説明した。
「巨大な毒蜘蛛__ですか。まさか、あの森にそんな恐ろしい魔獣がいただなんて……」
「ああ、俺も信じられないがしっかりとこの眼で見た。__とにかく、あんな魔獣がいる以上子供達が危ない。すぐに次の捜索隊を__」
「で、でも、その毒蜘蛛がどこにいるかも……そもそも、子供達や先に入った捜索隊の大人たちが生きているかさえ、分からないんですよね?」
次の捜索隊を向かわせよう、そう言おうとした辺りで、カナデの言葉を聞いていた悪魔のうちの一人が口を開く。そう言われ、カナデは何も言えなくなってしまった。
確かに、その悪魔の言うとおりだ。闇雲にまた森の中に入ったとしてもすぐにまた今回のような結果になってしまい、敗走を重ねるだけだろう。
「__援軍を呼ぼう。きっとペティの城にいる皆を呼べばあの蜘蛛もなんとかなる筈だ」
カナデの頭にペティやオズワルド、サラの顔が浮かぶ。実際にオズワルドとサラの戦闘を見たことはないが、昔からこの手のメイドや執事のような使用人連中は皆、戦闘力がアホみたいに高いという風に決まっている。
するとボロボロになったカナデの代わりに町の悪魔の一人が城に向かい、助っ人を呼びに行ってくれることになった。
「__待てよ、助っ人を呼んだ所で、また闇雲に暗い森の中を探すのか?さすがにそれは……」
そう呟いた所でカナデの頭の中にこの状況を打開するかもしれない案が一つ浮かぶ。カナデはすぐに城に向かおうとしていた悪魔を呼び止め、『あるもの』を一緒に持ってくるように伝えてくれと頼んだ。
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暫くして、城からオズワルドとサラがやって来た。ペティは来ないのか、と聞くカナデだったが、
「たかが魔獣如きにアスモデウス様のお手を煩わせる必要なんてありませんので」
と、すました顔のサラに言われてしまった。
「あ、そうだサラ。頼んだ物、持ってきてくれたか?」
「__ええ、一応持ってきましたけど、仮にも命を落とすような目に遭った後でこんな物を持って来いだなんて……ロリコンもここまで来るともはや病気ですね。この変態」
と、サラはカナデに呆れた顔で小包を渡す。その中にはペルの服と__昼間、マルーンからペティが買った謎グッズ__『ネリマザドッグスくん』が入っていた。
「いや、ロリコンじゃねえし!いくら彼女いない歴18年だった俺でもそこまで見境無くねえから!」
「そんなこと言って、後で木の陰にでも隠れてペルちゃんのお洋服の匂いを嗅ぐつもりなんでしょう、この変態」
「ほっほ」
「お前の中の俺っていつ、そんなイメージになっちゃったの?」
と、ある程度予想はしていたサラの批判を流し、カナデは手渡された小包を見る。コレで、少なくともペルの居場所はわかる筈だ。
結局、今回森に入るのはオズワルドとサラ、町に残った比較的戦闘力の高い悪魔二人、そしてカナデの五人ということになった。
「結局、口ではロリコンではないとか言っておいて、ペルちゃんの服を嗅いでるじゃないですか……堂々と」
「ほっほ」
森に入ると暫くしてサラが汚物を見るような眼でカナデを見る。カナデは、『ネリマザドックスくん』をつけてペルの服を嗅ぎながら、
「まあ確かに、ペルの服の匂いを嗅ぐために持ってきてもらったわけだけどさ、この暗闇の中で闇雲に森を探すよりよっぽどよくね?」
と、答える。『ネリマザドッグスくん』は、犬の鼻の形をした鼻めがねのような魔法道具__『アーツ』だが、コレをつけることで嗅覚も犬のように強化されるアイテムだ。
欠点は見た目がどう見てもふざけているようにしか見えなくなってしまう事だが、もうこの際見た目などどうでもいいだろう。
カナデはペルの服を存分にクンカクンカしながら、匂いを頼りに森を進んでいった。すると、
「カナデ様!」
オズワルドが咄嗟にカナデを庇い、カナデはそのまま地面に倒れ込む。見れば木の上に先程の両腕を引きちぎられた蜘蛛が尻尾のあたりから何やら液体を分泌しているのが見えた。
「オズワルドさん!せ、背中が……!」
見ればオズワルドがカナデを庇ったせいで背中に傷を負っているのにカナデは気づく。マズイ。恐らくあの尻尾から出ている液体は毒だろう。それに刺された以上、オズワルドが動けなくなるのも時間の問題である。しかしオズワルドはゆっくりと立ち上がると、
「ほっほ。なかなか強烈な神経毒です。恐らく刺されるとすぐに身体機能が麻痺し、放っておけば毒だけで人間程度なら殺せてしまう毒でしょうな__いやはや、刺されたのがカナデ殿ではなく私で本当に良かった」
そう言いながらオズワルドは毒蜘蛛に近づき、蜘蛛の足を掴むとそのまま腰の上に持ち上げ、一気に地面に叩きつけた。
__背負投げ。本来霊長類ヒト科のような二足歩行の生物にかけることを想定して編み出された日本の柔術を、当然のように蜘蛛のような節足動物にかけるオズワルドの背負投げには、一片たりとも違和感が無かった。
オズワルドの力で地面に叩きつけられた毒蜘蛛は、自らの体重で叩き潰れ足元でピクピクと痙攣して絶命している。
「ど、毒は大丈夫なんですか……?麻痺とかは……」
「ほっほ。心配には及びませぬよ。カナデ殿。私の身体にとって毒は何の意味も成しませぬ故」
そう笑うオズワルドの衣服には少しの乱れもない。かつての暴君と呼ばれた悪魔の力は確かなようだった。
「__ただ……」
そう言ってオズワルドは頭上を見上げる。そこには、暗闇に浮かぶ無数の魔獣の目__獲物を狙う毒蜘蛛の群れが、カナデ達を仕留めようと息巻いている所だった。
「やっぱ……一匹だけってことはないよな……」
「この数を相手にするのは……少々骨が折れそうですな。サラ?」
「はい」
サラとオズワルドが毒蜘蛛の群れに向かっていく。オズワルドの回し蹴りが数匹の毒蜘蛛をまとめて木の幹に叩きつけ、その横ではサラの手刀が毒蜘蛛の体をバッサリと両断しており、アスモデウス城の誇る二人の使用人は存分にその戦闘力を発揮していた。
「すっげぇ……オズワルドさんはまだしも、サラってやっぱ戦えたんだな!メチャクチャ強いじゃねえか!」
興奮気味にそう叫ぶカナデに、サラが蜘蛛と応戦しながら答える。
「見ていないでカナデ様も戦って下さると助かるんですが……毎朝のランニングはこういった時のためにしていたトレーニングだったのでは?」
「はは、聞いて驚くなよ!俺は未だに本気でやってもオズワルドさんに指先一つ触れられないタダの素人だ!今の俺に出来ることはせいぜい、ペルの服をクンカクンカして道案内をすることくらいだ」
そう言って胸を張るカナデを見てサラはハァ、と溜息を吐き、
「__でしたら、ここは私達に任せて役立たずのカナデ様はオズワルドと一緒に子供達の救出を優先して下さい」
と、カナデを横目に捉えながら毒蜘蛛を切り伏せ、カナデに向かってそう叫ぶ。
__確かに、ここで五人が足止めされるよりも、一刻も早く子供達の救出を優先したほうが良いかもしれない。そう思い、カナデはオズワルドに目でサインを送った。
「__わりいな、サラ。じゃあ、俺とオズワルドさんは一足先に子供達の救出に向かうよ」
そう言ってサラと一緒について来た二人の悪魔の三人を残し、カナデはオズワルドを連れてペルの匂いの残る方へ走っていった。
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一方その頃、人間界。フランベルジェ邸。
先日のゴエティアでの戦いで左腕を失ったダミアンはマリアの自室へと足を運んでいた。
フランベルジェ家第15代当主とその兄妹が揃ってボロボロで帰還し、一時フランベルジェ邸は大騒ぎになった。
直ぐにエクソシストの中でも最高クラスの治癒術師を呼び、一番の傷が深いマリアの治癒に当たらせる。魔王アスモデウスの魔力で作られた巨大な剣で腹部を貫かれたマリアは、ゴエティアから帰ってきた時、生きているのが不思議なほどの重態であった。
ダミアンも左腕を失っていたが、幸いだったのはフレイルが無事に帰ってきたことである。
フレイルをゴエティアに連れて行くと決めた時、ダミアンの一番の心配はフレイルの中に宿るサタンが暴走し、手が付けられなくなってしまうことだった。そうなればフレイルの中にサタンが宿っていることはもはや、ダミアンとマリアの二人の間のみで隠し通す事は不可能になっていただろう。
一時はフレイルの身体を支配し、ゴエティアの町を半壊させたサタンだったが、マリアの読み通り、フレイルを縛り上げるアーツの力で封じ込める事は可能だった。
「マリア……」
そう言ってダミアンは未だ昏睡状態から目覚めない妹の名前を呟き、マリアの顔を眺める。両親がサタンに殺されてから数年、二人でフレイルを育て、フランベルジェ家の威信を守り続けてきた最愛の妹の顔だ。
その妹の腹部の傷は治癒術を持っているエクソシストの力により今は塞がっているが、意識が戻らないままだった。
と、その時__
「お兄……様……ですの?」
「……マリア?気がついたのか?」
マリアの瞼がうっすらと持ち上げられ、見慣れた翠色の瞳がダミアンを捉える。その妹の姿を見て、ダミアンの胸に温かいものが込み上げてくる。
「ここ……は、お屋敷に戻ってきましたのね……私達」
「そう、だ……フレイルは……?フレイルはどうなりましたの?確か私はアスモデウスに貫かれて__それで」
そこまで言ってマリアはうっ、と額を手のひらで押さえる。記憶が混濁しているようだ。ゴエティアから帰還してきて数日、ずっと意識不明だったのだから無理はない。ダミアンはマリアが落ち着くまで待ち、それからゴエティアでの事を話した。
「そう……ですの。フレイルの暴走は止められたんですのね……よかった。お兄様は……その、左腕は……」
「ああ、俺もエクソシストになった時からこうなることなんて覚悟している。むしろ、今は兄妹が三人生きたまま帰ってこれてホッとしてるよ」
自分の消滅した左腕を気遣うマリアにダミアンはそう言って微笑む。紛れもない本心だった。
「そう、ですの……。そうだ、それよりもお兄様!実は、アスモデウスがここ最近で急激に力を付けていた理由がわかりましたの」
不意に、マリアが思い出したように口を開く。
「初めは私もアスモデウスが魔石のような、取り込むことで一時的に魔力を高めるアーツを使ったのではないかと……そう思っていましたが、違いましたの。アスモデウスは契約をし、魔力を増強していましたの。__それも、人間と」
「__人間と?馬鹿な、アスモデウス級の悪魔と契約を交わせる人間なんてそうそう居るはずは__」
「『ソロモンの鍵』、ですの」
そうマリアが言うと、ダミアンははっ、と息を飲む。その反応を見てマリアが続けた。
「尽きない無尽蔵のエネルギーの塊。無限の魂。それが、『ソロモンの鍵』ですの。元々はソロモン72柱を従えていたソロモン王が無限の魂を持っていたことから付けられた名前ですが__恐ろしいのは、現在『ソロモンの鍵』を持っているのは何の知識もないただの人間ということですわ」
「そう、か……確かに魂が無限であればアスモデウスと契約してもその人間が生きているのにも納得できる。しかし、ゴエティアに『ソロモンの鍵』を持っている人間が居るのはあまりにも……危険だ」
そう言ってダミアンは声を荒らげる。エクソシストの名家の長男として生まれたダミアンはそれがどんな危険なことであるか知っていた。
「無限の魂を持つということは__自分の魂を代償に、それこそ無限の悪魔と契約してその力を存分に使えるということですの。……一歩間違えればそれこそ、魔王どころではなく__その人間の気分次第で、神にも抗える力を持つことも可能ですわ。そうなればそれはもう人間なんてものじゃないじゃなくなりますの……それに」
「バアルの復活、か」
ダミアンの呟きにマリアが頷く。それを見てダミアンは拳を握り締め、マリアの自室から出ようと翻った。
「__直ぐに他のエクソシストに知らせる。一刻も早く『ソロモンの鍵』を見つけ、処分しなければ危険すぎる。少なくともあれがゴエティアにあり続けるという事態だけは避けなければならん」
そう言い残しダミアンはマリアの自室のドアを開け、去っていった。恐らくこれで暫くの間、人間界にいるエクソシストの目標は『ソロモンの鍵』の対処になるだろう。
自室に残ったマリアは自分の腹部を撫でると痛みに顔をしかめる。見た目は治癒術師の力で治っていても、恐らく中身である臓器にダメージが残っているのだろう。しばらくはまだ、動けそうにない。
痛みを堪え横になり、天上を見上げるとマリアはカナデの顔を思い出す。
「『ソロモンの鍵』……。あの子を私が手に入れられれば……神に抗うどころではなく……私でしたら……」
「神を、殺しますわ」
そう言いながらマリアは天上を見上げたまま、邪悪な笑みを浮かべたのだが、その笑みを見ていた者は誰も居なかった。