第八話「絶望」
「ここ……は……?」
暗闇の中、それまで気を失っていたペルは目を覚ます。ペルは未だ完全には覚醒状態にない頭をもたげ、朧気な記憶を思い返す。
「たし……か、たき木を集めに町のみんなと森に入って……それで」
そうだ。確か森の奥に入った所、見慣れない洞穴のような物の入口があり、ペル達はその洞穴の中を探検しようとしたのだ。そこまで思い出し、ペルははっ、と我に返る。
皆を探しに行こうとし、身体を動かそうとしたペルだったが、身体が何かに縛られており動けないことに気づく。
「なに……これ……」
しばらくして暗闇にペルの目が慣れてくると、どうやら自分を縛っているものは何やら白い糸のようなものだと言うことに気づく。
糸はそれ自体に粘着性があり、ペルが脱出しようと身体を動かす度に、きつく獲物の身体を絡め取り、身動きを取ることを許さなかった。
「うう……」「なんだこれ……」「こわいよ……」
見れば周りにもペルと一緒に森に入った子供達が糸に絡め取られており、身動きがとれないのが見えた。
「お兄ちゃん……たすけて……」
暗闇の中、ペルはそう呟くことしか出来なかった。
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「オイ!皆は無事か!?クソ、やっぱり森の中には敵が居るってわけかよ……」
最後尾の悪魔の死体に気づいたカナデは、直ぐに周りの悪魔たちを呼び出した。カナデの呼びかけに応じ、すぐに他の三人の悪魔が集まってくる。
「これ……は……くそっ、アーガイルの奴、来月には嫁さん貰ってようやく家庭を持つって所だったのによ……なんで」
集まってきた悪魔のうちの一人が、首を齧り取られた悪魔の死体を見て涙を流しながら呟く。カナデはそれを見て、アーガイルと呼ばれた悪魔の顔に布をかけてやる。もうこうなってしまっては、カナデの生命力を使ったヒーリングも意味はない。傷の深さを見る限りアーガイルは即死__アーガイルの魂はもう、とっくにこの身体からは抜け出てしまっているだろう。
「やっぱり、この間の町を半壊させるほどの魔力にあてられて、どっからか魔獣が森に来ちまってるってことなんですかね」
別の悪魔がそう呟くが、何の知識もないカナデには今一体森で何が起きているのか皆目、見当もつかない。こういう時にカナデは自分の無知を呪う。
無知は、それだけで罪だ。特にゴエティアにおいてこういった魔獣やらなんやらだのと言った知識は死活問題だ。そういった知識があるかないかで助けられる命も助けられなくなってくる。
「__まぁ、今手元にないもんを嘆いてもしょうがねえか。……よし皆、とにかくこうなったら四人で早く子供達を探そう」
と、カナデはランタンを握る力を強くし、皆に呼びかけ捜索を再開する。
アーガイルの役目だった森の木に目印を付けていく役目はカナデが引き継いだ。言い出しっぺな以上、危険だとわかったこの役目はカナデが引き受けるのが筋であろう。
前を進む仲間たちと声を掛け合いながら連携を取り、真っ暗な森を進んでいく。
いつも入り慣れていた筈の森だったが、辺りが暗く、足元に気を配りながら歩かなければならない森は、カナデ達の体力を徐々に奪っていく。
さらにどこから襲ってくるのか、どういった敵なのか、数は__そういった敵の存在はそれだけで物凄いストレスを与え、カナデ達の心身は、気づけば自分たちが思っている以上に消耗していた。
「そろそろ……少し休憩するか。皆、一旦集まろう」
「さ、賛成です。カナデ様、休憩が終わったら最後尾は代わりますよ」
カナデ達はそのまま四人でランタンを集め、それを取り囲むようにしてその場に腰を下ろした。
「これだけ探してもなんの手がかりもないなんて……子供や先に入った捜索隊のヤツらは一体どこにいるんですかね」
「さぁな……これだけ探して見つからないってことは、どこか目立たないところに隠されているとか……」
町から持ってきた水を飲みながら悪魔の一人が言うと、さらに別の悪魔が答える。
「隠されている……か……そんなこと言っても、この森のなかに何人も悪魔を隠せそうな場所なんて……」
カナデは記憶を思い返すが、覚えている限りこの森にそんな場所があった覚えはない。
「……そんじゃ、今度はちょっと普段立ち入らなそうなトコを探してみるか……」
そう言ってカナデは立ち上がり、腕を伸ばし伸びをする。緊張で凝り固まった筋肉がほぐれていくのがわかる。
__次の瞬間。
突然カナデの身体は後方に物凄い力で引っ張られ、そのまま森の木の幹に叩きつけられる。
「__が、はッ……」
あまりの衝撃にカナデは喉から込み上げてくる血塊を吐き出す。みしみし、と背骨が音を立てて軋む。衝撃は背中側からカナデの身体を貫き、内蔵にもダメージを与える。
チカチカする視界。打ち付けられた腰や足の骨が数本折れているであろうことは明らかだった。
そのままカナデは木の幹に何やら糸のようなもので固定される。口から内臓が飛び出そうになるほどの締め付けの強さにカナデは身動きが取れないでいた。
すると、しゅる、とカナデの首に糸が巻きつけられ、徐々にきつくカナデの気管を締め付けてくる。
__息が、出来ない。間違いない、この敵は確実に自分を絞め殺しに来ている、と確信するも、全身を木の幹に固定されているカナデは腕を動かすことすら出来ない。
マズイ。このままだと本気で死ぬ。あまりにも突然の出来事に折れているはずの骨の痛みを忘れ、なんとか呼吸を確保しようと頭を動かし、もがく。
自分の顔が熱を帯びてくるのがわかる。行き場をなくした血液が頭を圧迫し、徐々に思考がおぼつかなくなってくる。不意に吐き気が込み上げ、上ってくる物を吐き出そうとするもそれすらも喉が圧迫されており満足にできない。口の端から垂れてくる涎を拭えない不快感。カナデは死を覚悟した。
「カナデ様!」
その時、カナデと一緒に森に入った悪魔の一人がカナデに駆け寄り、すぐにカナデの首を締めていた糸を引きちぎった。
「__うッ!げぼっ、ゲホッ、ゲホッ」
首に巻き付いていた糸がなくなり、圧迫する物のなくなった気管に空気が流れ込んでくる。それに比例して低下していた思考や視界も、徐々に普段通りの働きを取り戻してくる。
「__大丈夫ですか!?カナデ様!くそ、すぐに身体に巻き付いてる糸も__」
そう言ってカナデの身体を木の幹に固定している糸を引きちぎる悪魔。その後ろに、カナデはこの状況を作り出した敵の姿__今回の事件の犯人を見た。
一メートルはゆうに超えるであろう巨大な蜘蛛がカナデの前方、無数にある木の枝にぶら下がっていた。鎌のような手足を動かし、口から糸を吐き出しながら無数の眼でこちらを伺っている。
しばらくすると、カナデ達の後を追いかけ残りの二人がこちらへ近づいてくるのが見えるが、二人はその巨大な蜘蛛に気づかず、カナデ達ではなく蜘蛛の方へ向かっていく。
「馬鹿!こっちだ!そっちに行ったら蜘蛛が__」
必死に声を張り上げ、仲間たちに自分の居場所を知らせたが、その声が蜘蛛を刺激してしまったのか、巨大蜘蛛は鎌のような両手を振り上げ、近づいてくる二人の悪魔に襲いかかった。
蜘蛛の巨大な鎌によって先頭を歩いていた悪魔が左肩からバッサリと胴体を分断され、切断面から大量の鮮血が吹き出すのが見えた。地面に倒れ痙攣する下半身も、しばらくすると動かなくなり、その悪魔の命が失われたのは明らかだった。
「ひ、ひィィ!」
残されたもう一人の悪魔は、悲鳴を上げその場から逃げ出そうとするが次の瞬間、暗い森から男のものだと思われる断末魔が響き渡り、逃走が失敗したことがわかる。
気づけば当初五人いたカナデ達捜索隊は、カナデと先程から身体の周りの糸を引きちぎってくれている男の悪魔、ただ二人のみになっていた。
「カ、カナデ様、ここはとりあえず一旦退いて町で態勢を整えましょう。じゃないとすぐに我々も……」
カナデの身体の糸をちぎり終え、男は倒れ込むカナデの身体を支えながら言った。その言葉にカナデも頷き、自分の折れた骨の辺りに手を当てヒーリングをする。
暫くして、ひとまずは立ち上がれる程に自らの身体を治癒させたカナデは、足元に転がるランタンを拾い、町へ戻ろうと来た道を引き返し始めた。
折れた足と腰の周りの骨が未だ完全に修復はできておらず、じんじんとした痛みをカナデの脳に伝える。早足で森を戻りながら、カナデはヒーリングをし続けた。
カナデ達のいる場所は幸いにもそこまで町から離れた場所ではなく、暫く早足で歩いていると、ぼんやりと町の明かりが見えてくる。
__もう少しだ、と思った瞬間、カナデの目の前をひゅん、と何かが頭上から掠める。見上げると、先程の巨大蜘蛛が木からぶら下がりながら獲物は逃さないと言わんばかりにカナデ達を見下ろしていた。
「カナデ様!」
と、カナデの仲間の悪魔がカナデを庇うように前に立ち、臨戦態勢に入る。男は身体に魔力を滾らせ自らの肉体を強化すると、右足で勢い良く地面を蹴り飛ばした。
次の瞬間、魔力で強化された男の身体は蜘蛛の胴体を思い切り蹴り飛ばす。カナデの眼には、あまりの速さに一瞬男が消えたと錯覚してしまうほどに見えた。
男の渾身の蹴りが蜘蛛の胴体に当たり、蜘蛛の身体が一瞬ひしゃげるとそのまま地面に叩きつけられる。しかし、すぐに蜘蛛は態勢を立て直すと男に向かって勢い良く、口から糸を吐き出した。
次の瞬間、男は完全にそれを見切り、紙一重で糸を躱す。素人目に見ても、その男の戦闘力はかなりのものだった。
そのまま男は蜘蛛との距離を詰め、手刀を振りかざすと、男の手から放たれた魔力の斬撃が蜘蛛の鎌のような両手を両断した。
「__すっげえ……!」
それを見てカナデが感嘆の声を漏らすと、男はこちらにサムズアップをする余裕を見せる。カナデはそれを見て苦笑した。
__頼もしい男だ。恐らく、このまま行けばあっさりと巨大蜘蛛を倒してくれることだろう。
とりあえずは一安心__そう、カナデが胸を撫で下ろした次の瞬間、
「……!?」
男が突然、その場に倒れた。
それを見て蜘蛛がその男に駆け寄る。しかし、男は地面に倒れたまま動かない。否、動けないのだ。
「__毒か……!」
いつの間にか男は蜘蛛の毒を受けていたのだ。マズイ、そう思いカナデが男を助けようと駆け出す。しかし、次の瞬間大口を開けた蜘蛛の顎によって、男の首は胴体から噛み千切られてしまった。
先程までカナデの眼前で蜘蛛を圧倒していた男の死に、カナデは気がつくとその場から全力で逃走していた。
__殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。
ゴエティアに来てからエクソシストとの戦いで何度か死にかけるような目に遭ったきたカナデだったが、まだ同じ人間であるエクソシストとの間には会話が成立する余地があり、多少なりともコミュニケーションを図ることができた。
しかし、今回の敵である魔獣は、何を考えているか分からない。思考しているのか、それとも本能のまま自分のテリトリーに侵入してきた獲物を狩ろうと動いているだけなのか、それさえも分からない。その恐怖が、カナデをその場に留めて置かなかった。
目にも留まらぬ速さで蜘蛛を圧倒し、その両腕を切り落とした男があんなにあっさりと殺されてしまったのだ。何の力も持たないカナデは勝つことはおろか、戦いになるかどうかさえ怪しい。いくらカナデの魂が無限にあるとは言え、肉体が滅びればそれで終わりなのだ。その先は一体どうなってしまうのか、想像さえ出来ない。
気づけば当初五人いたカナデの捜索隊は、カナデ以外全員魔獣の餌食になってしまっていた。