第六話「サタン」
「__さて、と」
気絶したカナデをそっと地面におろし、ペティは広場の方に目を向ける。
侵入してきたエクソシストは全部で三人。大剣を持っていたフレイルとペティの目の前で転がっているマリアは倒したが、残りの一人の居場所がわからない。
突入した三人のうち二人が戦闘不能になった以上、恐らく次の向こうの動きとしてはゴエティアからの撤退を最優先にして動くだろう。
しかし、エクソシストが去ったと確信が持てるまでは油断はできない。ペティの横で気絶しているカナデを城へ連れて帰りたいのはやまやまだが、ペティはそれでも、どこで何をしているかわからない残りのエクソシストの一人を気にかけていた。
次の瞬間、
「__ッ!?」
悪寒。背筋を撫でられる__そんな甘っちょろい表現では到底言い表せない、あえて言葉で例えるのであれば背筋を切り開かれ、剥き出しになった脊髄を氷で撫でるようなどうしようもないほどの悪寒。
悪魔の世界であるゴエティアにおいても、ペティはトップクラスの実力者である。その彼女を持ってしても、その場に居られないほどの脅威を全身で感じ、ペティは咄嗟に本気の臨戦態勢になった。
魔力を開放し、全身の感覚を最大限に研ぎ澄ませ、謎の膨大な魔力の原因を探す。
その時__
「____」
ペティの前方__広場の方からドス黒い光が空に上がる。絶大な魔力に押し潰されそうになるが、膨大な魔力の発生源は間違いなく広場であるとペティは確信する。
気絶しているカナデを後ろで見ていたペルに任せ、ペティは全力で広場へ向かった。
「なに、これ__」
__広場についたペティが目にしたものは、今まさにペティが来た方向とは逆の方角、反対側の町並みが丸ごと、消えてしまっている光景だった。
先ほどまで活気にあふれていた町が今は跡形もなく黒い魔力に焼かれ、何もない焼け野原になっている。人影はおろか、飛んでいる鳥や動物なども見当たらない。
ただ、そこにあるのは『無』だった。
ペティは呆然としながら歩を進め、焼け野原となった町の前にぽつりと立っている二つの影に近づいていった。
「フレイル__フレイルッ!落ち着け、冷静になるんだ。俺はダミアン・フランベルジェ。お前の兄だ」
二つの影に近づくと、先程ペティが倒したはずのフレイルが立っており、白い祭服を着た筋骨隆々の男がフレイルに必死に何か話しかけているところだった。
恐らく__筋骨隆々の男の方はいわゆる『悪魔憑き』。悪魔と契約を結びその力を行使することによって戦うエクソシストであろう。男の身体には膨大な魔力が漲っており、一見するだけで男が相当優秀なエクソシストであることが伺えた。
対してフレイルの方は不気味である。虚ろな表情で俯いたまま、兄と名乗る男の話をまるで聞いているような素振りがない。さらに、さっきペティと戦った時に持っていた大剣はその手になく、何より、魔力が一切感じられない。
人間であろうと悪魔であろうと、どんな存在であれ命ある生き物は強弱こそあれ、必ず魔力を発しているものである。勿論先程ペティがフレイルと交戦した際にはフレイルはエクソシストとして、そこそこの魔力を発していた。
しかし、今どういったわけかフレイルに先程まであったはずの魔力がない。隠しているとか消しているような感じではなく、本当に『ない』のだ。一切感じることが出来ない。
それがペティには不気味であり、心底恐ろしかった。
「フレイル。感情を抑えるんだ。兄さんや姉さんが間違っていた。そもそも……俺たちに扱えるような力じゃなかったんだ。一度人間界に戻ろう。そしたら__」
次の瞬間、弟に語りかけるダミアンの左腕が__消し飛んだ。
「__ッッッ!がぁァァァッ!」
その一部始終を見ており、間近で一瞬だったがフレイルの中に宿るドス黒い魔力を直に感じたペティは急な頭痛に襲われる。
「__あ……うううっ……ッ」
頭を抑えなんとかその場に立とうとするが、脳を直に揺さぶられるような感覚を感じペティはその場に崩れ落ちた。
「__っ!」
揺れる視界の中、ペティは必死に自分の体を支えようとするが、次の瞬間、ペティは気を失った。
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__白い、辺り一面にコスモスの花が咲き乱れる花畑。そこに、少女は立っていた。
今日は少女の大好きな___が長かった出張を終え帰ってくる日だ。
帰ったらいっぱい、いーっぱい遊んでもらうんだから。少女は___のために、コスモスの花畑から花を摘むと、嬉しそうに走り出す。
コスモスの花畑を離れ、丘にある風車まで走っていくと、少女は大好きな___を見つけた。
「___様。もう我々には耐えられませぬ。あの神に仕えるなんて……」
「___様。今こそ、神に反逆するのです。それが出来るのは___様のみ」
何やら周りの大人達とむずかしい話をしている。むむ、せっかく帰ってきたのに私を構わないなんて。どれだけ私が長い間寂しかったのか思いしらせてやる。そう思い、少女が走り寄ろうとしたその時__
「__ああ。俺は今夜、神を殺す。俺に賛同する天使を集めろ。思い上がった神に今こそ裁きを下す時だ」
__神様を……ころす?少女は驚き、咄嗟に立ち止まる。大好きな___がすぐそこにいるのに、声が出せない。___はいつものような穏やかな表情ではなく、何やら剣呑な雰囲気が漂っている。少女は幼いながらに何か不吉なものを感じ、立ち止まった。
すると、立ち止まっている少女に気づき、___が近づいてくる。
「ああ、久しぶりだね。元気にしてたかい?……おや、その手のコスモス……そんなに握りしめていたら潰れてしまうじゃないか」
しゃがみ込み少女の高さまで目線を持ってくると___は少女に優しく穏やかに語りかける。少女の大好きないつもの笑顔だ。その笑顔でふと我に返り、気づけば少女の手はきつく握りしめられ、先程摘んだコスモスが潰れてしまっていた。
そんな少女を見て___は優しく微笑み、コスモスに手をかざすと次の瞬間、潰れていたコスモスが摘んだばかりのように復活した。
__よかった。いつもの優しい___様だ。さっきの雰囲気はきっと私の勘違いで、きっとたくさんいつものように遊んでくれる。そう、少女は思っていた。
__その日の、夜までは。
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「___!今の……記憶は……」
不意に気が付き、ペティは咄嗟に目を開け辺りを見回すと、そこには縄のような道具で締め付けられ身動きの取れなくなっているフレイルと、左腕の消滅した祭服の男がいた。フレイルから感じられる魔力はいつの間にか最初に戦ったフレイル自身のものに戻っており、先程までの不吉な雰囲気はなくなっていた。
すると、祭服の男がペティに近づき口を開く。
「魔王……アスモデウス。今回はあまりにイレギュラーが重なりすぎた。我々はマリアを回収し人間界に戻る。今回ゴエティアに突入したのは貴様の調査が目的だったが……次は必ず貴様を討伐する」
そう言い、縄で拘束されているフレイルの身体を担ぎ、祭服の男は去っていった。
「……はは。せっかくカナデと初デートだったのに……すごいことになっちゃったな」
と、ペティはぺたりと地面に腰をつくと、溜息をついたのだった。
__その後。騒ぎに駆けつけたサラとオズワルドにより、カナデとペル達親子を城に連れて帰り城で休ませると、ペティもまた、疲れ果てて眠ってしまったのであった。
「__ん、俺……生きてんのか」
カナデが目を覚ましたのは騒動が起こってから三日後の昼のことだった。
「……やっとお目覚めになられましたか。三日と言わず、二年ほどお眠りになられていればよろしかったのに」
と、カナデの横にいたのは銀髪のちびっ子メイド、サラだった。相変わらずの毒舌っぷりにカナデは苦笑いする。
「でも、アスモデウス様がつきっきりで看病していたのを思えば、三日で起きて良かったといえるかもしれません。これ以上アスモデウス様を拘束されては、各所に支障が出ますので」
「__ペティがつきっきりで俺をみてくれてたのか……!?な、なんていう幸福……!なんという喜び……!コレが……コレが『彼氏』……いや、今時の言葉で言うなら『かれぴっぴ』の特権か……!」
ハァ、と溜息を吐くサラの話によると、三日つきっきりでカナデの目覚めを待っていてくれたペティは、さすがに王としての公務が溜まってきており、仕方なく仕事をしているようだった。カナデが目覚めた時にペティがいてくれなかったのは残念だが、そんなことを言うとサラに本気で殴られそうなので言わないでおいた。
さらに、今回の騒動でカナデが意識を失った後、何があったのかを聞いた。町がほぼ半分消し飛ぶという大事件。そんな中、よくぞただの人間である自分が生き残っていたものだ、とカナデは呆然とした。
「__そうだ、そう言えば、ペルとペルの母親はどうなったんだ?アイツの母親が大怪我して……それで俺が傷を……」
と、カナデは死神族の親子のことを思い出し、サラに尋ねる。すると、
「あの死神族の娘は無傷です。事件のトラウマはあるでしょうが……少なくとも身体の方に傷はありません。ですが……」
そこでサラは言葉に詰まる。そこで言葉に詰まる、ということはつまり、その後に続く言葉が芳しくないものだということを意味する。
「__ッ!サラ、今その母親はどこにいる!案内してくれ」
ベッドから急に立ち上がったため、カナデは視界が歪みふらつくが、そんなものはどうだっていい。サラの手を引き廊下に出ると、ペルの母親が寝ている部屋まで案内させる。
__そんな、バカな。気絶する前の出来事はよく覚えている。カナデの懸命なヒーリングにより、ペルの母親にあったメイスで貫かれた傷は跡形もなく治癒していた筈だ。それが、なんで__
逸る心臓を抑え、ドアを開けるとベッドに横たわるペルの母親の姿があった。奏での見る限り、ペルの母親にあった痛々しい傷はどこにもない。念のため少し服をずらして腹部を見るが、カナデが町で見た致命傷になるような傷はどこにもない。
ほっ、とカナデは胸を撫で下ろすが、ふと気づく。
腹部を触った時に感じる筈の体温が、まったくない。ペルの母親は、完全に冷たくなっていた。
「な、なんで……だって……傷はちゃんと……」
呆然となるカナデに、言いにくそうに俯きながらサラが答える。
「カナデ様のヒーリングは……完璧でした。この悪魔の身体の傷は完璧に治癒していますが……魂のほうがどうやら戻らなかったようです」
「そん……な……」
遅かったというのか。カナデのヒーリングが。カナデがペルの母親に必死で施した生命力を使ってのヒーリングは、所詮は遺体の傷をなくし、死に化粧を整える、その程度のものでしかなかったのか。
「そんなことのために……俺はヒーリングをしたんじゃ……」
カナデは慟哭すると、ペルの母親に救えなかったことを謝罪し、その部屋を後にした。
フラフラのままカナデが廊下を歩いていると、ペティが駆け寄ってくる。
「カナデ!やっと目が覚めたんだ……よかった。その様子だと、ペルちゃんのお母さんのこと……知ったみたいだね」
「ペティ……俺……」
俺のやった事はあの親子を守れずにペルに目の前で母親が殺されるのを見せて__その上自分の母親が助かるような無駄な期待までさせて、結局助けられない__そんなぬか喜びをさせただけだ。そう言おうとし、カナデは目を伏せ、拳を握りしめる。
「カナデ……」
__暫くの沈黙の後、ペティはよし、と一言言うと突然、カナデの手を取り歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待てって。どこに__」
ペティは黙ってカナデの手を引き、城の庭が見える窓のところにカナデを連れてきた。
そこからは、庭でアスモデウス城の使用人と無邪気に遊ぶペルの姿が見えた。
「なん……で。ペル……母親が死んだって言うのに……」
自分の目に映る光景が信じられないカナデは、呆然と呟く。
「ペルちゃんはね、多分とっても賢い子だよ。最初お母さんが亡くなったってわかった日の夜は一晩中、お母さんのベッドの横で泣いてたんだけど、そこからは急に明るくなって、ああやってお城の使用人の悪魔たちと遊んだりしてるの。多分……カナデに泣いてるところを見られたくなかったんじゃないかな」
「きっと、自分たちを必死で守ってくれて、お母さんの傷まで全力で治したカナデに……気を遣ってるんだと思う」
「すごく、賢くて……優しくて……悲しい子なんだよ。ペルちゃんは。……カナデ、目が覚めたならペルちゃんに一度、会ってあげて。きっと、喜ぶと思う」
と、ペルを見ながら話すペティに、カナデは、
「……喜ぶ……?喜ぶワケ……喜ぶワケないだろ!?途中がどうであれ、結果だけ見たら俺はペルの母親を守れなかった!!いくら途中で一生懸命だったとしても、けっきょく助けられなかったら同じだろうが!アイツはきっと俺を憎んでるに決まってる!決まってるだろ!アイツが遊んでるのだって、きっと悲しいことを少しでも思い出さないようにするためだ!そうに……決まって……る」
そう言ってペティの言葉を一蹴する。それを聞いていたペティは一瞬、辛そうな顔をするが、
「じゃあ……ペルちゃんに直接会って聞いてみればいいじゃない」
そう言って、またカナデの手を引き、ペルの遊んでいる中庭へカナデを連れてきたのであった。
「あ、お兄ちゃん!」
ペルはカナデを見ると、すぐにカナデに駆け寄りカナデに抱きついた。
「ペル……お前……」
いきなりカナデの予想に反した行動をされ、面食らったカナデはふとペティの方を見るとほらね、という顔をしている。
「ペル……お前、俺が憎くないのか……?俺……お前の母親をけっきょく……」
「え?うん、おかあさんが死んじゃったのはすっごく悲しいけど、いっぱい泣いたから今はもうへいき!おとうさんが死んじゃった時におかあさんがね、言ってたの。なくなった人は、自分のために泣いてほしいんじゃなくて、ちゃんとのりこえて笑っていてほしいんだって。だから、おかあさんが嬉しいように、私もがんばってのりこえて、笑うんだー!」
「それに、お兄ちゃんは一生懸命私達のことまもってくれたから、私はお兄ちゃんのことだいすきだよ?」
そう言ってペルはえへへ、と笑うと嬉しそうにカナデの胸に顔を埋めた。
「ハハ……なん……だよ……そりゃ」
__てっきり責められると思っていた。少女からのどんな言葉でも甘んじて受け入れるつもりであったカナデは、予想外の答えに涙を流したのであった。
その後、身寄りのなくなったペルはペティによりアスモデウス城で預かることになり、数日間はペティは半壊した町の再興のため、王として様々な仕事をこなしていた。
その間、カナデは町に行き、崩れた瓦礫や怪我をした人々の治療をしていた。
人間であるエクソシストに破壊された町にカナデが入るのは始めはいい顔をされなかったが、カナデの懸命な働きにより、すぐに生き残った町の悪魔達にもカナデは受け入れられていった。
そんな、治療に当たる中判明したカナデの能力。
漫画やラノベによくある主人公だけに許された能力。そう呼べるものが、カナデにもあった。それは。
「魂が……減らない、か。コレってもしかして、悪魔だらけのこのゴエティアで相当使える能力なんじゃね?」
カナデは、何故かどれだけ悪魔と契約しても__生命力である生命エネルギーをどれだけ使っても__『全く魂が減らない』体質だということがわかった。
通常ならば普通の人間が悪魔の傷を治すヒーリングを生命エネルギーを使って行うと、その行為は文字通り魂を削って治すということになる。
言うなればMPの代わりにHPを削って他人の回復をしているようなものなので、普通の人間であるならばそのうち魂が尽きてポックリ逝ってしまうのだが、カナデの場合そのHPが無限である、ということだった。
当初は自分の命を削る覚悟で町の治療に当たっていたカナデであったが、バンバン悪魔たちを治療しているはずなのに一向に魂の総量が減らない。そもそも、最初に魔王であるペティと契約した時点で、普通の人間であればとっくに魂を奪われて死んでいるのだ。
そうやって判明したこの体質を使い、カナデは半壊した町の復興に尽力し、ここ数日間で町の復興を先導したという、ちょっとした英雄になっていた。
まあ、あまりにも特異な能力であり襲撃をかけたエクソシストにも能力が気づかれているため、カナデを人間界に帰すのはあまりに危険だという結論になり、結果的にカナデは人間界に帰ることはできなくなってしまうという能力の代償もあったのだが、どうせ帰っても引きこもることしかやることのないカナデは特に気にしていなかった。
「ただの引きこもりだった俺が今や復興の英雄……コレでこそ、異世界召喚モノの醍醐味ってやつだな」
と、カナデが人間界にいた頃、暇つぶしに読んでいた異世界召喚ファンタジー物の小説を思い出し鼻の下を伸ばしていると、
「__なんですかその気の抜けた顔は。そんな顔していられると仕事のジャマですのでさっさと町にでも行って馬車馬のように働いてきてください」
そう言って、サラが鼻の下の伸び切ったカナデに喝を入れる、というのがお決まりになっていた。
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同日、ゴエティア某所。
降り立った悪魔は『それ』を見て跪き、報告する。
「ついに__『ソロモンの鍵』を見つけました__さらに完全にイレギュラーでしたが、サタンの封印場所も判明しました」
『それ』はただの一言も発さないが、降り立った悪魔は続ける。
「厄介なことにサタンの器は人間界にあるようですが……『ソロモンの鍵』はゴエティアに存在するようですので、手に入れるのは容易いかと。……いずれにせよ我々に全ておまかせ下さい。__全ては我が主のために」
そう言ってその悪魔は『それ』に傅く。その悪魔の瞳には、ただただ真冬に積もった雪の中にいるような__静かに怒りだけが燃えていた。