第三話「初デート」
その日の午後。ペティがノルマ分の雑務を終えた後、カナデはペティと二人でアスモデウス城の近くにある町へと来ていた。
「おお、すっげえ!町だ!町がある!悪魔の世界にも市場とか色んな店とかあるんだな。この調子だと通貨とかも……」
「もう。はしゃぎすぎだよ?カナデ。オズワルドも言ってたじゃない、基本的に悪魔の生活は人間と似たようなものだって。通貨ももちろんあるわよ、そもそもむかーしオロバスっていう物凄く頭のいい悪魔が人間に通貨っていう概念を教えて、それを人間が発展させたんだよ。だから人間界にあるものはゴエティアにだってあるわ」
へぇ、とカナデは感嘆の声を漏らす。町の広場には噴水があり子供の悪魔たちが走り回っており、町並みを作り出している建築の一つ一つも、レンガや木材を使った立派なものである。
「ホントにオズワルドさんの言う通りほとんど人間界と変わんないんだな」
カナデがパッと見たところ人間界と明らかに違うのは、走り回っている子供や歩いている大人の頭に角が生えていたりいなかったり、翼がある者や尻尾のある者がいるという点である。
と、ゴエティアという世界の文化がどんなものか軽く理解し始めてきたところに、ペティがカナデに問いかける。
「と、ところで……カナデ?デ、デートって具体的に……どんなことをするの?」
「おう!俺も実は始めてだからよくわかんないんだが……とりあえずまずは……手を繋ぐッ!」
__恋人達において手を繋ぐという行為。それはカナデが他の何を差し置いてもまず彼女が出来たらやりたかった事の筆頭であった。ちなみにカナデが異性と最後に手を繋いだのは小学三年生の時であったので、実に今から10年近く前の話になる。
無論その時の相手である女の子とはその後何事もなく、カナデが高校に上がった後に小耳に挟んだ噂話によると、カナデとは別の高校に進学した彼女はしばらくしてできた四歳年上の大学生の彼氏に妊娠させられ、高校を中退しめでたく母親となっているらしかった。諸行は無常であり、無情である。
「……え!?手、手を繋ぐの?な、なんで?だって子供じゃないんだから……手を繋ぐ必要なんて……」
ペティが顔を赤くし、必要性の有無について疑問を口にするとカナデはふっと笑い、
「いや。人間の世界では付き合いたてのカップルはまず手を繋ぐんだ。__まぁ確かに人間の子供も手を繋ぐんだけど……大切なのは大人の男女が手を繋ぐということに意味があるんだ!__俺はペティと手を繋ぎたい。ダメかな?」
「そ、そうなの?で、でもねカナデ。手を繋ぐのが嫌なわけじゃないんだけど、人間が悪魔と手を繋ぐと……」
「__いや、恥ずかしいのはわかるけどペティ。頼む。まずは手を。手を繋がないとその先のステップには行けないんだ」
ペティの言葉を遮りカナデが力説する。何かを言いかけたペティはカナデの力説ぶりに恥ずかしそうに目を伏せ、道端に生えている野草が風に揺れているのを眺めている。そうして俯いているとペティの長い睫毛がより強調され、悪魔的な魅力が醸し出される。可愛い。
(よし、ここは俺が紳士だという事をペティに示そう。俺は決して手も繋いでないしキスもしてないけどやることはキッチリやっちゃいました~みたいながっつき男にはならない……ッ!ここは余裕のある男だという事を見せつけ、好感度アップだ!)
そしてカナデは、自分の心臓の音をうるさいほどに感じながらペティの手を優しく取った。
「あっ……」
(ち、小さい……何だこの手。凄いすべすべしてるし……アレ?なんか力が抜けてきたぞ?何だこれ……落ち着け落ち着け。落ち着け俺。こういう場合は小田窪くんの顔を思い出して平静になるんだ。思い出せ。小田窪くん小田窪くん……)
と、不意に全身から張り詰めた風船に穴が空き、一気に中の空気が漏れ出すのに似た__気の抜けるような感覚を感じ、__カナデは頭に中学時代の友人、小田窪くんの顔を思い出すことで、かろうじて平常心を保とうとする。
「あ、あの、カナデ、大丈夫?なんか急に疲れたり、気が抜けたりしてない?」
__気づかれている……!内心を見抜かれ急に焦ったカナデは咄嗟に口を開き、
「いや!アハハ、大丈夫だよ、ペティ。恋人の手を繋ぐのなんて初めてだから、女の子の手の小ささに驚いてただけ!」
と、心配は無用だと笑い飛ばした。
__しかし、ペティの顔が、恥ずかしくて顔が見れない。18年間熟成され続け、こじらせにこじらせた童貞は、手を繋ぐだけでやはり平常心を保つことはできないのであった。
「__そ、それじゃあ、行こうか。色んな店とか……見て回ろうぜ」
「う……うん、わかった。カナデに任せる。よ、よろしくね」
__気まずい。世のカップルたちはこんな試練を乗り越え、当たり前のように公共の門前で手を繋いだりイチャついていたのか。恐るべし。
ぎこちない素振りのまま歩き出したカナデ達は、まず市場のような所に入り、商品を見て回っていた。すると、カナデ達の横を子供の悪魔が走って来て言った。
「あー!お姉ちゃん達大人なのに手なんか繋いでるー!もうおっきいのに手繋ぐなんてふしぎー!あははは!」
「なっ……!」
突然走り寄ってきた少女にからかわれ、ペティは顔を赤くし俯く。
すると後ろからこーら、と少女の親らしき悪魔が近づいてくる。
「まったく……すみませんうちの娘が……って、アスモデウス様!?こ、これは大変失礼致しました……な、なにかお詫びを……」
「あ、いや、いいんですいいんです。それよりこの子……珍しい魔力の波長ですけど、もしかして死神族ですか?」
と、ペティは急に真剣な眼差しでその親の悪魔に問いかける。すると母親は驚いて一瞬口を噤んだが、
「__え、ええ。私たちは死神族です。この子の父親は死神族の中で最も位の高い『リーパー』の称号を持っていたんですが、この子が小さい時に死んでしまって……それにこの子、まだ自分の鎌も出せないんです。親としては減りつつある死神族を背負って立つくらい立派に育って欲しいんですけど、やっぱり心配で……って、こんな話アスモデウス様にしても仕方ないですよね」
少女を抱きしめ、頭を撫でながら母親がそう言うのをペティは優しい顔で見つめ、そうですか、と口元に笑みを浮かべると、ペティは少女の目線の高さまでしゃがみ込み言った。
「__私も昔は……自分が誰なのかわかんない時があってね、自分の中の膨大な魔力に押しつぶされそうな時があったの。でもね、その時に出会った悪魔に手伝ってもらって、一つずつ一つずつ制御できるようになっていったの。そうやって今は出来ないことがあったとしても、焦らないで出来ることから一つ一つがんばっていけばいいからね」
そう言いペティは少女に向かってにっこり笑うと少女の頭を撫でた。少女はにこにこしながら嬉しそうにえへへ、と笑う。
「__ありがとうございます。アスモデウス様。__ホラ、ペル。アスモデウス様に挨拶しなさい」
「……アスモデウス様ごめんなさい」
ぺこり、と両手を膝につけ丁寧にお辞儀をすると、ペルと呼ばれたその少女は母親に手を引かれ、
「じゃあ、私たちはこれで」
と、母親と共に去っていったのであった。
「__なぁペティ。死神族ってどんな悪魔なんだ?やっぱり、鎌で魂を刈り取ったりするのか?」
死神の親子を手を振りながら見送りつつ、カナデはペティに問いかける。
「死神族はね、今じゃとても珍しい一族なの。昔、ソロモン72柱の序列第一席でもある悪魔王バアルが引き起こした悪魔の大虐殺でほとんど殺されちゃって、今じゃゴエティアにもほとんどいない一族でね。首謀者であるバアルは今はソロモンの力で封印されてるからゴエティアは安全なんだけど、死神族だけじゃなくて他にも色々な悪魔がバアルによって傷つけられたから……バアルを憎んでいる悪魔は大勢いるわ」
カナデの問いかけに近くにあった欄干に手を掛け、ペティが往昔を思い出し悲しそうな目で答える。その瞳は虐殺の際の惨劇を目にしてきたのであろう、カナデは人間界で18年間生きてきた中でそんな悲しそうな目を見たことはなかった。
「__ソロモン72柱の第一席って、それじゃそのバアルってヤツはペティよりも強かったのか?」
「ううん、ソロモン72柱の序列順っていうのは強い順じゃなくって、ソロモン王に使役された順なの。__でも、バアルは確かにソロモン72柱の悪魔の中でも最強と言っていい程強い悪魔だった。今は、封印されちゃってるけどね」
__ハイ、この話はこれでおしまい。と、ペティは目の前で手を合わせると、早く市場を見て回ろうとカナデに言った。
カナデはそれに笑顔で応じると、ペティの手を取り歩き出す。
カナデは気づいていなかったが、今度は自然に二人は手を繋いで歩けていたのであった。
****************************************************************************************
「ふぅ、あらかた町の店も回ったな。日も暮れてきたしそろそろ帰ろうか、ペティ」
午後から始まったペティとカナデの初デートだったが、町の中心部にある主要な市場や店は一通り回ってしまい、最初にペティと手を繋いだ広場に戻ってきてしまったので、今日はここまでにして帰ろうとカナデが言うと、
「あ、ちょっと待ってカナデ……最後にあそこの服屋さんに寄って行ってもいい?」
と、ペティがそれを止めた。
「ん?もちろんいいけど……なんかいい服でもあったの?ペティ」
「うん、すぐ戻るから、カナデはここでちょっと待ってて」
そう言ってペティは服屋の中へ入っていった。
__しばらくして、ペティは右手に紙袋を持って戻ってきた。
「おまたせ、カナデ。あ、あのね。これ……カナデにプレゼント。カナデに似合いそうな服があったから買ってきちゃった。サイズは……多分大丈夫だと思うけど」
と、ペティは笑顔で驚くカナデに紙袋を差し出した。開けていいか確認を取り、カナデが中身を取り出すと、薄い素材でできた短めのローブのような服が入っていた。
「い、良いのか?俺なんかに……マジかよすっげえ嬉しい……大切にするよ。ありがとな、ペティ」
「ふふ、喜んでもらえてよかった。私、カナデを騙して契約を結んじゃったから……こんなことで許されると思ってないけど、せめてもの罪滅ぼしとして貰って。__じゃあ、そろそろ帰ろっか」
ああ、と返事し動き出そうとしたその瞬間__
ガシャーン!とカナデ達のいた近くの家屋が突然、破壊された。
「な、なんだ……?」
舞い上がった土埃の中から三人、人影がうっすら見える。その人影はカナデ達の方へ近づいてくると、カナデにも徐々に姿がはっきり見えてくる。三人共教会の神父が着るような白い祭服に身を包み、手には各々神父には似つかわしくない物騒な凶器を持っていた。
「あァァ?なんだってゴエティアに人間がいんだァァ?てめェ、まさか同業者……じゃねえなァァ、チッ、タダの素人じゃねぇかァァ」
三人のうち真ん中にいた男の背丈ほどもある大剣を持った男がカナデを見ると口を開く。
「フレイル。あのような素人の男が何故ゴエティアにいるのかは不明ですが、我々の今回の目的をお忘れなきよう」
「ああァァ。わかってるぜもちろんよォォ。けど……ボスを倒す前に少しくらいザコ敵をブッ潰しても神様のバチは当たんねぇよなァァ!」
そう言うとフレイルと呼ばれた大剣を持った男は、突然大剣を振り上げ、そのまま重力に任せ自らの体重を乗せて一気に振り下ろした。
すると雷が近くに落ちたような轟音と共に、男の振り下ろした大剣の剣撃が引き起こした衝撃波で、建物やら屋台やらがカナデ達の周りにいた悪魔達を巻き込み倒壊し、先程までの平和な町並みが一瞬にして地獄となる。
「ヒャはハハハはハハハァァ!!最ッ高だよォォ!コレだから悪魔狩りってのは辞められねェェよなァァ!」
「__な、なんだよ……コレ……」
その一瞬のうちの町並みの変貌に、カナデは呆然と立ち尽くすのみで動けずにいた。
__痛い。助けて。何が起こったの。痛い。苦しい。助けて。痛い。痛い。
まさに阿鼻叫喚の地獄と貸した町に響く悲鳴や叫びの中、カナデは視界の端に先程の死神族の親子を捉えた。
「オ、オイ!早く逃げろ___って、まさか!」
見れば母親のほうが崩れた建物の瓦礫の下敷きになっており、左足を挟まれてしまい身動きが取れないようであった。母親は娘だけでも逃がそうとしているのが見えるが、娘は涙目になりながら母親を瓦礫の下から引っ張り出そうとしている。
「__カナデ。あの親子をお願い。ここは私が……なんとかするから」
「ロム・ヘスティア!」
ペティはそう言いながら右手を前に出すと、ペティの右手から物凄い勢いで黒い炎が放出され、放出された黒炎が壁のように変化し、三人の敵を見事に分断した。
「__チィィ、クソが。テメェ仮にもソロモン72柱の『王』だろォォ?そんなヤツが貧弱な俺たち人間相手に分断策なんて小賢しいマネしやがってよォォ!恥を知れ恥を!__まァァいい、こっちも今回の目標はテメェだけだからな__ソロモン72柱の一柱、『王』アスモデウス。テメェの頭に生えてるその立派なツノ、二本とも引っこ抜いてウチの玄関にでも飾ってやるよォォ!」
分断され一人になったフレイルが再び大剣を構え、今度は遠心力を目一杯利用し、水平に宙を両断すると、先程町を一撃で破壊した衝撃波がペティに向かって飛んでいった。
しかし、その剣撃をペティは避けようともせず、その場に立ったまま右手を前に出す__すると、衝撃波がペティに当たった瞬間、物凄い音を立てペティの右手に吸収された。
「アナタ達……カトリック派のエクソシストね。たった三人でゴエティアに乗り込んでくるなんて大した度胸だけど、そんなへなちょこ衝撃波、まともに百回食らっても私に傷一つつけられないわよ」
「カカかかカカかァァ!イイねイイねェェ!まだだ、まだこんなもんで傷つかれても困る。もっとこの、フレイル・フランベルジェを楽しませてくれよォォ!」
「__フランベルジェ……か。まぁ、それくらいの格の高さじゃないとそう簡単にはゴエティアにゲートを繋げられないもんね……でも、これ以上私の領地の町を壊すなら……容赦はしない」
最後の部分だけ背筋の凍るような冷たい声で言ったペティ。一方その頃、カナデは死神族の親子の元へ駆け寄っていた。
「オイ!大丈夫か?今瓦礫をどけてやる!待ってろ!」
「あ、あなたは……先程のアスモデウス様と一緒にいた……」
駆け寄ったカナデに、母親が苦しそうに声を出す。カナデは母親の左足が埋まっている瓦礫を一つ一つどけながら、
「あぁ、アイツらが一体なんなのかはわかんねえけど、ペティがなんとかするって言った。正直俺はペティがどんくらい強いかとか知らないから心配だけど、俺は自分の初めて出来た彼女を信じる。アイツがなんとかするって言った以上、俺は全力で任されたアンタを助けるだけだ!」
と、母親に向け言った。ふとカナデが横を見ると、今にも泣きそうな顔で母親を見つめる少女__ペルの姿があった。
「__大丈夫だ。お前の母親は必ず助ける。だからそんな顔すんな。……よし、あらかた瓦礫はどかした。後は左足を直接潰しているでかいのをどかすだけだ。俺が持ち上げるからアンタはその隙に足を引っ張り出してくれ」
せーの、と掛け声をかけ、カナデが瓦礫を持ち上げた隙に母親は左足を引きずり出した。__これでひとまずはこの場から離れることができる。ちらと横を見るとペルが母親に駆け寄る。
「おかーさん!おかーさぁん!」
「もう大丈夫よ……ありがとね、ペル。そちらの……」
「ああ、俺はカナデ。舞初奏だ。歩けるか?」
「カナデさん……本当にありがとうございました。ただ……左足が……すみません、肩を貸してはいただけないでしょうか」
そう言う母親の左足からは血が出ており、周りの肌にもいくつも打撲で出来た青黒い痣が出来ていて痛々しい。もちろんだ、とカナデは着ていた服の裾を破り左足に巻いて止血すると、母親に肩を貸して歩き始めた。
__目の前がフラつく。引きこもっており体力が落ちていたカナデは、女性一人支えて歩くことの出来ない自分の体力の無さを恨んだ。
なんだってこの大事な場面でフラついてるんだ。彼女が出来て変わったかと思えばカナデは何も変わっていない。少なくとも肉体の脆弱性においてカナデは今まで何もしてこなかった自分を嫌悪する。
「あらあら、貴方、人間の身で悪魔を助けるだなんて……カトリック派エクソシストの端くれとして、その行いは見過ごせないですのよ」
__しかし、そんな自己嫌悪に浸る時間はカナデにはなかった。カツカツ、と足音を鳴らしてゆっくりと近づいてくるのは白い祭服を着た女__大剣を持っていたフレイルの仲間だった。
「エクソシスト、マリア・フランベルジェ。返答によっては貴方の命、悪魔に与するものとして主の御下へ送って差し上げます」
その女は、手に持ったメイスを構えると、その翠色の瞳を鋭く尖らせ獲物を見つけたハンターのように口元を歪めると、カナデ達の前に立ち塞がった。
初デートは大体手汗がものすっごい事になります。