8.君の素性
お客の少ない時間帯のバイト。
床掃除用のモップを手に取り、ボーっとすると佐久間の言葉が頭に浮かぶ。
――――考えれば考えるほど、不思議だよ。
――――宮本は。
「不思議な、不思議な、」
「キャットハンド~!」
「~~ッ!! …………店長?」
目の前に出される店長の両手とその両手に描かれた猫のマーク。
両利きだからか、右手の猫も左手の猫も上手に描けている。
急に出てきた両手に一瞬驚きはしたが、それが店長と分かるとすぐ落ち着きを取り戻す。
ここのバイトにも慣れたものだ。
「この前、新調したバイトの服もうすぐ届くからな~」
「あ、ありがとうございます」
「成長期は凄いな~、この前までこんなだったのに……」
そう言って、自分の腰の辺りをひらひらさせる。
確かに店長は高身長だ。高身長だが、バイトを始めた当初でも胸の辺りには頭が届いていたはずだ。
「盛り過ぎですよ。どんだけ小さいんですか」
「おーおー、昔は可愛かったのになぁ」
「親の知り合いってだけで、俺と会ったことなんて数回でしょう? 後その発言、オジサンっぽいです」
「オジ……っ、俺はまだ二十八歳だよ!」
「へぇ」
軽く受け流し、モップを奪われ代わりにカフェラテを渡される。
二番さんの注文商品ね、と指差しながら言われ奥のお客様にそれを持っていく。
「お待たせいたしました、カフェラテです」
決まり文句を並べてカフェラテをテーブルの上に乗せる。
「ありがとう、千君」
そこにはいつも括っている髪を下ろし、赤い帽子を被った宮本がそこにいた。
手元には読みかけであろう本。
鞄にたくさん付けられたヌイグルミを見て、女の子だなぁと思う。
「…………いつ、俺のバイト先がここだと気付いたんだ?」
「人格入れ替わりの時かな~」
そうか確かにそうだな。
当然な質問をした気がする。
「ホオズキは?」
「知らないよ? やだなぁ千君、なんでわたしが知ってると思ったの?」
「なんとなく……だよ」
ダメだ。
佐久間の言葉が気になって宮本の裏を探りそうになる。
「そっか~!」
「そうだよ」
こくり、といい音をたてて宮本が来たばかりのカフェラテを飲む。
「美味しいね! これ千君が?」
「店長だよ。あそこの、女の人と話してる」
店長を指差すと、宮本の瞳が指を通って遠くを映す。
三人の女性客と一緒に話している。
オーラが輝いてるように見えるから、また店長自身の自慢話だろう。
「格好いーね!」
「女子はあういうのが好きなのか?」
俺自身、ナルシスト(本人公認)はあまり好きではない。
店長は何故か例外だが。所謂“憎めない人”だ。
「んー、他の人はどうなのか分からないけどわたしは千君のが格好いいと思うよ!」
「…………あり、がとう……」
思わぬ直球豪速球を投げられたため、思わずたじろぐ。
「あ、照れた? 照れたでしょ?」
「照れてない。早く飲まないと冷めますよお客様!」
カフェラテが入ったマグカップの横を指先で突き、宮本の座った席を離れる。
丁度先程の女性組との会話を終了させた店長から質問が振ってくる。
「あの美少女ちゃん、知り合いか?」
「同じクラスの友達です」
「そうかそうか友達か! 青春しろよ!」
「店長、声大きいです」
***
千君、店長となにか話してる……。
なんだろう、気になる。
なに話してるんだろ。
『やっと、なにか感付き始めた……って感じだね』
声と同時に鞄がモゾモゾ動く。
仕方なくチャックを開けてやると、犬の形をしたヌイグルミが出てきた。
ヌイグルミの中に入っているのは、もちろんホオズキだ。
「感付く? 誰が、なにに?」
『海上千が、君の素性に』
「ふぅん」
『ふぅん、て君ね……』
「だいたい、素性ってなに? わたしは正真正銘の宮本歩夢だよ」
『それに間違いはないんだけどね』
「どれにも間違いはないよ」
『はいはい。あの四人のことになると頑固になるよね。ずっと変わらない』
「変わらないよ。変わるわけがない」
『ねぇ知ってるかい? 僕がなんで君の近くにいるのか』
「答えたら離れてくれるの?」
『ふふっ、どうだろうね。君のその瞳がダイスキだからだよ』
「……きもっちわるい……!」
『傷つくなぁ』
「……宮本は一人言が大きいな」
「うぎゃっ!」
ホオズキとの言い合いに夢中で、いつの間にかテーブルまで来ていた千君に気が付かなかった。
驚いたとはいえ変な声が出てしまい、思わず片手で口を塞ぐ。もう片方の手は鞄にホオズキを沈めていた。
なにか聞かれただろうか。
ホオズキがここにいることに勘付いてはいないだろうか。
「やだな~……一人言じゃなくて電話だよ」
「電話、か」
「そうそう!」
内容は聞かれていないようでなんとか誤魔化せたようだ。
「千君は、どうしたの……?」
「一人言が大きかったから見に来ただけ」
「そうなんだ……なんかごめんね」
「気にしなくていいよ。お客様なんだから」
「では店員さん。お勘定をお願いします」
少し冷めたカフェラテを飲み干しレジへ向かう。
「またいつでも来てね~!」
意気揚々と店長さんに言われてしまった。
うん、また来よう。
外に出ると、自分でチャックを開けたホオズキが顔を見せる。
『つまんないなぁ~、後もうちょっとなんだけど』
「なにが?」
『君たちに付けている点数のアップができる可能性だよ』
「点数、ずっと付けてるの?」
『もうずーっと前からね』
「飽きないの?」
『楽しいからね、ほら……こうやって』
――――――…………。
「……………………ッ!」
『新しい現象だよ。これを見てるのは君と海上千のみ。さぁ、どうする?』
「相っ変わらず悪趣味だよね」