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雪虫  作者: 玉木 久芳
6/6

END


 目を開くと、一匹の雪虫が、アタシの鼻先を飛んでいた。

「ユキムラ……?」

 名前を呼んでも、彼はいない。アタシは涙が伝った頬をぬぐった。

 目を閉じる瞬間まで、ユキムラはいたはずなのに。塗料のはげかけたベンチには、火がついたままの煙草が転がっているだけだった。

 唇に手を触れてみても、そこにユキムラの感触はない。彼はアタシに触れる前に、消えてしまったのだろう。

「ユキムラ……」

 煙草を拾いあげ、アタシは口へと運んだ。

 一息、肺へと煙を流し込む。そして煙草を灰皿に入れて、空を仰いだ。

 口をすぼめて、高く紫煙を吹き上げる。白くかすむ空の向こうに、雪虫たちが飛んでいる。

 手を伸ばせば届きそうな、煙の中の雪虫。逃げられてもいいから触れたくて、アタシはそっと指を伸ばす。

 その雪虫は、アタシの手にとまると、あっという間に溶けてしまった。

「……雪?」

 見れば、指先に水滴がついている。雪虫は溶けるはずがない。今のは雪虫ではなかったのだ。

 思わず、立ち上がる。両手を広げて空を仰げば、たしかに、雪虫とともに、本物の雪が降りてきている。

 ああそうかと吐いた息は、再び視界を白く染め、すぐに空気に消えていった。

 ユキムラは、初雪が降ると消えてしまうのだ。

 アタシが玲一とした約束は、一緒に初雪を見ることだから。初雪が降ってしまったら、もう遅いから。

「今年も、ダメだったな……」

 呟きを、手袋の中に隠す。指先を息で暖めて、アタシは空を見上げ続けた。

 今年がダメでも、来年があるから。来年がダメでも、再来年があるから。

 そう自分に言い聞かせて、アタシはユキムラとの約束を心に留める。強く願えば必ず会えるから。会いたくないと思ったら、玲一と会えたときにしたいことを思えばいい。

 アタシは玲一に会いたい。幸村玲一に会いたい。

 会えるまで、ずっとずっと、初雪を待ち続ける。

 吸って、吐いて、深呼吸。アタシは揺らぎそうになる心に活を入れた。

 耳をすませば、あわただしい足音が聞こえてくる。初雪にはしゃいだ子供たちが遊びに来たのだろう。アタシは公園を去ることにした。

 初雪はつぶの大きな綿雪で、すぐにやむ様子もなく、歩道にすこしずつ積もり始めている。道沿いに並ぶ白樺たちが、玲一の黒ずくめを真似たアタシを眺めているような気がした。

 ポケットに手を入れて、あごをマフラーにうずめて、猫背気味にうつむいて歩く。玲一もよくこうやって歩いていたなと思うと、自然と笑みがこぼれてしまう。

 足音はあいかわらずあわただしくて、次第に公園へと近づいてくる。小さな子供が友達を集めてきたのだと思ったけど、足音は一人ぶんだ。身軽ではないらしく、どたどたと重たそう。

「――シノブ!」

 その声に、アタシは歩みを止めた。

 振り向けば、黒い姿が、走りながら手をふっていた。

 あいかわらず上から下まで真っ黒で、肌は一段と黒くなって。でも、笑った口からのぞく歯は、白くて。

「シノブ!」

 ひょろりと背が高くて、口が大きくて、瞳が丸くて。

 立ち尽くしたアタシの頬に、ひとつ、綿のように柔らかい雪が落ちる。

「……玲一」

 溶けた雪が伝う頬に、こぼれた涙が重なった。




                 END


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