表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪虫  作者: 玉木 久芳
5/6

 それでも息づかいは聞こえるし、吸った煙草の煙も香っている。耳朶をくすぐる彼の低い声が、落ち着かないアタシの心を鎮めてくれる。

「めぐり会わせるのにはとても時間がかかるけど、再会は想いが強ければ強いほど早く訪れる。一日で会えた人もいれば、何十年もかかった人だっているんだ」

 だから、と、ユキムラはアタシに顔をあげさせる。目じりに残る涙を、その太い指ですくって、桜色の舌でぺろりとなめた。

「強く、会いたいと思ってほしい」

 心は落ち着きを取り戻し始めているのに、涙だけがどうしても止まってくれない。次から次へとあふれる涙に、彼はその薄い唇を寄せた。

「今のシノブは、心のどこかで、会いたくないと思ってるんだ。今はまだその気持ちが小さいけれど、それが大きくなってしまったら、会うことができなくなってしまう。俺だって、シノブの前にあらわれることもできなくなる。せっかく再会することができるのに、それを自分から拒んでしまうなんて、もったいないと思わないか?」

 視線をアタシにあわせるから、彼はうつむき加減だ。その頭には、雪虫が数匹とまっていた。

 きっとアタシの頭にも、雪虫がついているに違いない。

 にせものの雪がこうして集まるのは、アタシたちがにせものだからだ。

 ユキムラはにせものの幸村玲一。

 アタシの心の中には、にせものの気持ちが住み着いている。

 『玲一に会いたい』と思う心のどこかで、『玲一に会いたくない』という気持ちがある。

 玲一に会いたい。会いたくない。最近、どちらが本物で、どちらがにせものかわからなくなってきた。

 会いたいと思っているはずなのに、会うことがとても恐ろしい。あれだけ会いたいと願っていたのに、彼の姿を見たら、逃げ出してしまいそうで。

 玲一はもう、昔の玲一ではない。

 そしてアタシも、昔のアタシではないのだ。

「アタシ……」

「聞いてくれ、シノブ」

 震えるアタシの頬を、彼の手が包み込んだ。

「その人に会えたら、なにをしたいと思う?」

 もし玲一に会うことができたら。もし、目の前に、玲一が現れたら。

「もし逃げてしまったら、そのあと、後悔しないか? どうして会わなかったんだろうって、もう一度会いたいと思うんじゃないか?」

 のぞきこむユキムラの瞳はとても澄んでいて、アタシの顔が映っている。その瞳のむこうに、玲一を待ち続けるアタシの姿があるような気がした。

 玲一に会うのはとても恐い。アタシは大きくなって、彼は大人になっていて。もう昔のようにいかないのがわかっているから。

 でも、会えないままでも、会って逃げ出したとしても、絶対に後悔することになる。

「アタシ……玲一に好きって言ってない」

 あのとき、涙に負けて言えなかったこと。また帰ってくるかなんてどうでも良かった。アタシは彼に伝えるべき言葉があったはずなのに。

「アタシ、玲一に会って、好きって言いたい」

 ようやく涙が止まって、うすぼんやりとした視界が徐々にはれてくる。

 心を決めたアタシに、ユキムラが微笑んでいる。その顔は玲一にそっくりなはずなのに、笑いかただけが似ていなかった。

 幼い子供をあやすような。あるいは、見守るような。慈愛というのだろうか、それとも母性というのだろうか。そんな笑みを、ユキムラは浮かべていた。

「強く願うんだ、シノブ。そうしたら絶対、会えるから」

「うん」

「会いたくないなんて思うな。もし思ったら、自分がしたいことを思うんだ」

「……うん」

 包み込むユキムラの手が、次第に離れていく。いや、離れてはいないのに、感触がなくなっていく。

 ユキムラの頭ごしに見上げる空には、雪虫が舞っている。ゆうゆうと我が物顔で飛んでいるのもいれば、せわしなく羽ばたいているのも。それぞれ好き勝手飛ぶからこそ、それが本物の雪ではないとわかるのだ。

 まるくて澄んだ彼の瞳が、すこしだけ、さびしそうにかげっている。

 その瞳を隠すように、ユキムラは目を細めて、再び微笑んだ。

「シノブと彼の再会を願って……」

 彼の顔が近づいてきて、アタシは目を閉じた。

 鼻先に、彼の吐息がかかる。煙草のにおいの混じった息の中に、少しだけ甘い、冷たい空気が含まれている。

 ユキムラの唇が、重なる――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ