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それでも息づかいは聞こえるし、吸った煙草の煙も香っている。耳朶をくすぐる彼の低い声が、落ち着かないアタシの心を鎮めてくれる。
「めぐり会わせるのにはとても時間がかかるけど、再会は想いが強ければ強いほど早く訪れる。一日で会えた人もいれば、何十年もかかった人だっているんだ」
だから、と、ユキムラはアタシに顔をあげさせる。目じりに残る涙を、その太い指ですくって、桜色の舌でぺろりとなめた。
「強く、会いたいと思ってほしい」
心は落ち着きを取り戻し始めているのに、涙だけがどうしても止まってくれない。次から次へとあふれる涙に、彼はその薄い唇を寄せた。
「今のシノブは、心のどこかで、会いたくないと思ってるんだ。今はまだその気持ちが小さいけれど、それが大きくなってしまったら、会うことができなくなってしまう。俺だって、シノブの前にあらわれることもできなくなる。せっかく再会することができるのに、それを自分から拒んでしまうなんて、もったいないと思わないか?」
視線をアタシにあわせるから、彼はうつむき加減だ。その頭には、雪虫が数匹とまっていた。
きっとアタシの頭にも、雪虫がついているに違いない。
にせものの雪がこうして集まるのは、アタシたちがにせものだからだ。
ユキムラはにせものの幸村玲一。
アタシの心の中には、にせものの気持ちが住み着いている。
『玲一に会いたい』と思う心のどこかで、『玲一に会いたくない』という気持ちがある。
玲一に会いたい。会いたくない。最近、どちらが本物で、どちらがにせものかわからなくなってきた。
会いたいと思っているはずなのに、会うことがとても恐ろしい。あれだけ会いたいと願っていたのに、彼の姿を見たら、逃げ出してしまいそうで。
玲一はもう、昔の玲一ではない。
そしてアタシも、昔のアタシではないのだ。
「アタシ……」
「聞いてくれ、シノブ」
震えるアタシの頬を、彼の手が包み込んだ。
「その人に会えたら、なにをしたいと思う?」
もし玲一に会うことができたら。もし、目の前に、玲一が現れたら。
「もし逃げてしまったら、そのあと、後悔しないか? どうして会わなかったんだろうって、もう一度会いたいと思うんじゃないか?」
のぞきこむユキムラの瞳はとても澄んでいて、アタシの顔が映っている。その瞳のむこうに、玲一を待ち続けるアタシの姿があるような気がした。
玲一に会うのはとても恐い。アタシは大きくなって、彼は大人になっていて。もう昔のようにいかないのがわかっているから。
でも、会えないままでも、会って逃げ出したとしても、絶対に後悔することになる。
「アタシ……玲一に好きって言ってない」
あのとき、涙に負けて言えなかったこと。また帰ってくるかなんてどうでも良かった。アタシは彼に伝えるべき言葉があったはずなのに。
「アタシ、玲一に会って、好きって言いたい」
ようやく涙が止まって、うすぼんやりとした視界が徐々にはれてくる。
心を決めたアタシに、ユキムラが微笑んでいる。その顔は玲一にそっくりなはずなのに、笑いかただけが似ていなかった。
幼い子供をあやすような。あるいは、見守るような。慈愛というのだろうか、それとも母性というのだろうか。そんな笑みを、ユキムラは浮かべていた。
「強く願うんだ、シノブ。そうしたら絶対、会えるから」
「うん」
「会いたくないなんて思うな。もし思ったら、自分がしたいことを思うんだ」
「……うん」
包み込むユキムラの手が、次第に離れていく。いや、離れてはいないのに、感触がなくなっていく。
ユキムラの頭ごしに見上げる空には、雪虫が舞っている。ゆうゆうと我が物顔で飛んでいるのもいれば、せわしなく羽ばたいているのも。それぞれ好き勝手飛ぶからこそ、それが本物の雪ではないとわかるのだ。
まるくて澄んだ彼の瞳が、すこしだけ、さびしそうにかげっている。
その瞳を隠すように、ユキムラは目を細めて、再び微笑んだ。
「シノブと彼の再会を願って……」
彼の顔が近づいてきて、アタシは目を閉じた。
鼻先に、彼の吐息がかかる。煙草のにおいの混じった息の中に、少しだけ甘い、冷たい空気が含まれている。
ユキムラの唇が、重なる――。




