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雪虫  作者: 玉木 久芳
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 はじめてユキムラに会ったときは本当に待ち人がやってきたと思って喜んだものだから、真実を告げられたアタシの落胆ぶりはそれはそれはひどかった。けれど彼が使者だと自己紹介したときは、強い希望を抱いたものだった。

「俺がくるうちは、再会の希望があるから。こなくなったら希望は薄いけど……ほら俺、今こうしてシノブの前にいるだろ?」

 灰皿に灰を落としながら、ユキムラは目で雪虫を追う。彼が成長をしないのは、アタシの記憶の中での彼が、ずっとその姿のままで止まっているからだ。

 ……否。

 アタシの想いの強い姿が、その時だったからだろう。

「なぁ、シノブ」

「なに?」

「お前の待ち人って、最近ちょっと有名になってないか?」

 ユキムラの質問に、アタシは無言でうなずいた。

 彼のことを知っていたのはアタシだけだったから、親からも兄弟からも友達からも、詳しい情報を集めることができなかった。けれど風の噂に、彼のことは耳にしていた。

 幸村玲一という名の男性は、日本をはじめさまざまな世界を旅し、その先々でさまざまな写真や撮り、絵を描いていた。エッセイのような旅行記を書く反面、世界の情勢を記すジャーナリストのようなこともやっていた。

 最近、そんな彼の集めた写真や絵や文をおさめた本が、出版されることになったのだ。

 テレビや雑誌で取り上げられていた彼は、あのころと変わってしまっていた。当たり前だけど年をとっていた。あのころの面影はあるけれど、今まで旅してきた中で一番思い入れのある国を訊かれても、聞いたこともないような国の名前をあげるだけだった。

 アタシのことなんて覚えているわけがない。

 アタシとの約束なんて覚えているわけがない。

 ユキムラは優しいから、アタシが希望を失わないように、毎年気をつかってあらわれてくれているに違いない。

「ねぇ、ユキムラ」

「なんだ?」

「本当のこと言ってよ」

 鼻をすするアタシに、彼は白い息を飲んだ。

 寒くて、鼻が赤くなる。寒くて、身体が震える。寒くて、声が小さくなってしまう。

 はあ、と大きなため息をついてみても、もう態度が悪い姿にはならない。

「玲一はもう、こないんでしょう……?」

 寒くて、涙が出てしまう。

「アタシ、もう、玲一には会えないんでしょう?」

 泣いてはいけない。泣いてはいけない。そう自分に言い聞かせるのだけど、一度緩んだ涙腺はなかなか言うことを聞いてくれない。毎年毎年会うたびに、めそめそ泣いている子だなんて、ユキムラに思われたくない。

 そう思っているのに、涙で視界がにじむ。雪虫がまるで、本物の雪のように見えてしまう。

 手袋で涙をぬぐっても、黒い毛糸は水を吸わずにはじくだけだ。目じりに涙がのびて、それがまたアタシに涙を誘った。

 彼の本はアタシも買った。予想通り、この町のことも雪虫のこともアタシとの約束のことも一切書かれてなどいなかった。

 行こうと思えば行けた距離でサイン会があったけど、アタシは行くことができなかった。もう一度、忘れられていてもいいから、一目彼を見ることができたら。そう思っていたけど、握手会に立ち会う出版業界の女性が幸村玲一の恋人だという噂を聞いて、しり込みをしてしまったのだ。

「やっぱり、初恋って実らないんだね」

「シノブ……」

 ユキムラが来ると嬉しいのは、またいつか会えるかもしれないという希望があるからだ。玲一がアタシのことを忘れていて、顔を合わせてもアタシのことを誰だかわからなくて。それでもアタシには彼が彼だとわかる。そんな再会をすることができる希望があるからだ。

「玲一に会いたい」

 口にすると、よけい涙があふれた。

 会いたくて会いたくてたまらない。

 そう思っているはずなのに。

「――シノブ」

 気づけばアタシは、ユキムラの腕の中にいた。

「俺は、再会の使者なんだ」

 アタシの顔を胸におしつけて、彼は耳元で囁いてくる。煙草は手に持っていなくて、両手でしっかりとアタシを抱きしめていた。

「その人が会いたいと思う人と、どんなに時間がかかっても、めぐり会わせることができる。俺がいれば必ず会うことができるし、俺は会えない人の前に、嘘をつくために現れることはできないんだ」

 うずめる彼の胸から、鼓動が聞こえることはない。きつく抱きしめられているはずなのに、不思議と苦しくはない。彼の指の動きを感じるのに、アタシたちのような実感を伴うことはなかった。


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