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『さびしいか?』
自販機で買ってもらったミルクティーを飲んでいたアタシは、そうとうひどい顔をしていた。鼻が赤いのは寒さのせいだけではなかったし、震える身体もまた、寒さのせいだけではなかった。目にたまった涙はもう、言い訳など通用しない。
『初雪、一緒に見るって約束したのに……』
『そうだな』
彼は公園でなにをしていたかといえば、雪虫の観察をしていたのだ。服にとまった雪虫をカメラにおさめたり、絵にしてみたり、時にはアタシにうんちくを教えてくれたり。
本物の雪が降るまでは、この町にいるつもり。そう言っていたはずの彼は、今まさに、アタシの前から旅立とうとしていた。
『できれば俺ももう少しここにいたいんだけどな』
じゃあ、と瞳を輝かせたアタシを、彼の涼しげな視線がさえぎった。
『これ以上ここにとどまるといついちゃいそうだから、いさぎよく去ることにした。まだいろいろと行きたいところがあるんだ』
『じゃあ満足したら帰ってくる?』
『それは……わからない』
まだ長い煙草を携帯灰皿にしまい、彼は目を細める。アタシに笑いかけたのではなく、これから先の自分の道を、じっと見据えているようだった。
口をあけた紅茶の缶はすぐに冷えてしまい、アタシは自分の息で手を温める。姉のおさがりであるコートは甘ったるいクリーム色で、彼の黒ずくめに憧れていた身としては、とても気に食わないものだった。
『でもまぁ、シノブと一緒に初雪見るって約束したんだから、男としてそれは守らないといけないよな』
『守ってくれるの?』
『あぁ』
うなずく彼の口からは白い息がもれて、ほんのりと煙草のにおいがした。アタシを見下ろす瞳はとてもやさしいのに、目つきだけはとても鋭かった。
『毎年、初雪が降るころにはここに戻ろうと思う』
『本当に?』
『本当に』
だから、と、彼はアタシの涙をぬぐった。冷たい空気に鼻がつんとして、またひとつ、涙があふれてしまう。彼はアタシの涙がとまるまで、根気強くぬぐってくれた。
『初雪は、毎年一緒に見れるからな』
指きりげんまん、嘘ついたらこちょこちょ千回するぞ。冷たくなった手でそう約束して、彼はアタシの前から去っていった。
○○○
彼はすでに、こちょこちょ千回の刑が決定している。
あの約束からもう八年もたっているのに、一度もそれを守っていないからだ。
アタシは毎年この季節になると、約束の公園で彼を待っている。けれど彼は来ない。あれはアタシを泣きやませるためについたその場しのぎの嘘だとわかっている。でも、どうしても彼を信じたかったのだ。
そしてそのアタシの前にユキムラがあらわれたのが、約束から三年後。今から五年前。まる三年、来ないとわかっている人を待ち続けているアタシのことが気になって、どうしても手助けしたくなったのだそうだ。
「……手助けっていっても、何かしているようには見えないけど」
思わず口をつく文句に、ユキムラは肩をすくめる。そして没収した煙草に勝手に火をつけた。
「残念ながら俺に即効性はないんでね」
気長に待つしかないらしい。
どうして彼が再会の使者なのかとか、いったいどうやって再びめぐり会わせるのかとか、今まで何度も同じ質問を繰り返していたけど、彼が満足のいく返答をすることはなかった。企業秘密だといっても、そもそもそんな企業は存在しない。
でもアタシは、彼を信じるしかない。変な宗教や新手の詐欺だったらとっくに関わりを断っていたけれど、ユキムラは宗教にも詐欺にもできないことをしているのだ。
少しひしゃげた煙草の箱を持つ大きな手。
それを吸うときに、少しあごを引くしぐさ。
まだ長いうちにやめてしまう行動。
細身の背中を、猫のように丸めて座る姿。
褐色の肌も、丸い瞳も、白い歯も。
その綺麗な横顔も。
身にまとう服だけが唯一違うけれど、それ以外のすべては、彼とまったく同じだった。
ユキムラは、その人が一番会いたいと思っている人物の姿になってあらわれるのだ。




