第四幕
倉本は、早足で歩いていた。
衣替えが済んだのに、いまだに学ラン姿という無意味に目立つ後ろ姿をしているので、すぐに私は倉本だと認識することができた。
何処かで時間をロスしたのを悔いているのか。
私が追いついたくらいだから、先生にでも呼び止められていたのかもしれない。
アスファルトの舗装された道を、本を読みながら颯爽と歩いている。
一刻も早く、私の若気の至り……。
「恋と拳銃 ――気になるアイツのダブルフェイス」を返してもらわなければ……。もう普通に学校に通うことなんて出来ない。
「くらもっ!」
私は倉本を呼びかけようとして、しかし久々の運動のためかうまく息継ぎが出来ずに、胸を押さえた。
(気付けよ……)
結構大声だったから、常人ならば気付いていただろうが、きっと本の中の住人と化している倉本には届かなかったのだろう。
振り返りもしない。
私はもつれた足で倉本を追うことしか出来なかった。
やがて、倉本は見覚えのある商店街の雑居ビルの中に入って行った。
慌てて後に続くと、行ってしまったエレベーターは三階で止まっていた。
例の漫画喫茶である。
「まったく」
私は何とも言えない気持ちで頭を押さえた。
仕方なく、私は上ボタンを押して、戻ってきたエレベーターに乗った。
「毎日行っていたら、大変な出費だな。アイツ大丈夫なんだろうか」
余計な心配をしつつ、エレベーターの扉が開くのを待つ。
チンと音が鳴って、重たい扉が開いたと思ったら、そこにいたのは気難しい顔をより、険悪に進化させた倉本がいた。
「あっ」
仁王立ちである。
一体、どういうつもりなのか?
「どういうつもりなんだ?」
倉本は腕を組んで、私を見下ろしていた。
私は何だか親に叱られる子供のような格好になってしまっている。
謎だ。
「いや、私はただ君に今朝渡した原稿を返して……」
「尾つけられている」
「私が尾つけてたからね。……ていうか、君歩くの速すぎだし」
「違う」
倉本は苛々を隠さずに、鋭い眼差しで私を睨んだ。
「何故、俺の名前を呼んだ。まったく厄介な」
(厄介なのは、お前の性格だろう?)
思いつつも、私は口には出さずに真っ当に返した。
「聞こえていたのなら、止まってくれても良かったのに」
「聞こえていたから、止まらなかったんだ」
「はあ?」
倉本が、がっしりと私の手を掴んだ。
意外な力強さに、私は一瞬体を震わせたが、倉本は掴んだ手を放さない。
「あんたが名前を呼ばなかったら、俺はあんたのことを上手く撒いて、ヤツらの目をかわすことができた。でも、あんたが俺の名を呼んでしまった。俺が奴らを撒いたとしても、奴らはあんたを捕らえて、エサに使うだろう」
「奴ら…………?」
とうとう、妄想もここまできてしまったのか。
(可哀相に……)
倉本は、身も心も、二次元に消えてしまったようだ。
「どうしましょうね。困りましたね。ああ、でもこういう場所は狙撃には大丈夫とか何とかって言ってませんでしたかね?」
「少なくとも、狙撃できる建物はないようだから、窓から狙われることはないが。しかし、面倒なのは、奴らが生け捕りにしようと企んでいることだな」
倉本は周囲を見渡しながら、言い放った。彼の背後の受付カウンターにいる女性が目を丸くしている彼女の気持ちを察知した私は笑顔で、軽く手を振った。
心配無用ですよ……という意思表示だったのだが、倉本の頭の中は純粋に心配だった。
「暫く、ここで待機するしかない。応援は呼んだから、しばらくの時間防げば、どうにかなるだろ。まあ、下手に動くほうが面倒だからな。止むを得まい」
「…………そうね。うん、大変だ。でも大丈夫だよ。私は君に朝渡した原稿さえ回収できれば、すぐに立ち去るから。君はいくらでもここで待機してもらって構わないし」
「馬鹿なヤツだな。何の為に俺がこんな所に来たと思ってるんだ?」
(馬鹿に馬鹿とは言われたくない……)
「有難う。私がミリタリー系を描きたいと言ったから、君はこんなに私に尽くしてくれたんだよね。でも、大丈夫。ちゃんと恋愛描けるように頑張るよ。絵柄が少女漫画なんだから仕方ないものね」
「何、言ってるんだ?」
ぽかんと大口開けている倉本に、遠回しに病院を勧めるにはどうしたら良いかと、私が真剣に悩み始めた時だった。
「大変だ! 火事だ!!」
下界から叫声が轟いて、私は頭が真っ白になった。
「な、何!?」
何がなんだか分からない私を嘲笑うように、あっという間に白い煙が階段からやって来る。
「か、火事!?」
ようやく事態を把握して、私は倉本を見上げる。
「火器は危険って……」
私が独り言のように呟くと、倉本の繋いでいる手の力が強まった。
「おっ、お客様、火事です!!」
先ほどまで私達を注意深く見守っていた女性店員が動揺しながら、中のブースに呼びかけた。
「きゃあっ!」
「出口は何処!?」
「こちらです。早く!!」
階段やエレベーターの中から、あっという間に灰色の煙はやって来て、右も左も分からなくなりつつあった。
口に手を当てて、どっと押し寄せたお客さんと数人の店員がこぞって、私達の前を通り抜けて行く。
「お客様も避難して下さい!」
「はっ、はい!」
口元をハンドタオルで押さえた私は曇った声で答えた。
「倉本!」
すぐさま、私は倉本を引っ張るが、しかし倉本は微動だにしない。
(コイツ、実は、ぜんまい仕掛けのロボットだとか言わないよな……)
倉本が動かなければ、手を繋がれたままの私も動くことは出来なかった。
まさか、置き去りにするわけにもいかない。
……だけど。
「ちょっと、倉本。私、君と心中するつもりないんだけど!」
健気に私達を待っていた店員すらも、もう逃げてしまった。
しかも、怒鳴りつけたせいで、私は煙を吸ってしまい、激しく咳き込んだ。
苦しくて、涙がでてきた。
「同感だ。俺もあんたと死ぬ趣味はない」
「はあっ?」
反駁しようと、口を開けて私は咳き込んだ。
倉本は乱暴に私を引っ張った。
――何故か、店の奥に……。
「ちょっ! 倉本そっち出口じゃない」
私は渾身の力で、倉本を引っ張った。
しかし、びくともしない。
「し、死ぬ!?」
こんな変人の傍にいたというだけで……。
しかし、私の混乱とは裏腹に、盛大な溜息が頭上から降ってきた。
「あんたは、俺の話をどう理解しているんだ」
「はい?」
「奴らは、俺を誘い出そうとしているんだ。この煙は、発煙筒の類じゃないか。狭いビルだから、広がるのも早い。少なくとも火事の煙ではない。だから、ここから出たところで、囲まれて捕まるだけだろう。奴らは俺を生け捕りしようとしているんだからな」
「……で、奴らって……?」
倉本はまだ煙の来ていない奥のスペースに私を誘った。
相変わらず、周囲をきょろきょろしながら、答える。
「ちゃんと、説明しただろう? 信じなかったのはあんただ」
「あの大統領がどうのって話を? ははは」
つい思い出して笑いそうになった私は、瞬間ハッとした。
「まさか……」
「俺の親父は、エルニダ共和国の大統領候補だ。……で、俺は日本に留学している。元々母親の故郷だから、別に何もやましいことはない」
「本当だったの?」
「嘘をついて何のメリットがある?」
その反駁の仕方もどうかと思うが、私は危険に直面して初めて倉本の言葉を信じた。
「その大統領候補の息子さんがどうして狙われているの?」
「エルニダは小国で、独立したのもつい最近だ。背後にいる大国がいまだに虎視眈々と狙っている。親父は民主主義、改革派だからな。しかも、今のところ優勢ときている。バックにいる社会主義の大国は良い気がしないんだろ」
「それにしたって……?」
「まあ、親父を殺せばそれで済むんだろうが、今のところ親父の身の安全はがっしりと民主国家の某大国が護ってくれているようだから、攻撃するのは難しいようだ」
「だから、君のところに彼らは来たと? そんな話……」
「信じられないか? 奴らは俺を人質にして、親父を誘い出そうとしているんだろ。表立って動くつもりはないと思っていたから、送り迎えの車も遠ざけたのに、まさかな……」
「やっぱり……、運転手いたのね」
私は脱力して、倉本がやっと手を放した途端、へなへなと端のブースに寄りかかった。
「運転手がいたら、満足するほど本が買えないからな」
「…………だろうね」
「さて、困ったな」
倉本はさして困っていないような声で、呟いた。
「俺達が出てこなければ、奴らは乗り込んでくるだろうな」
もう何がなんだか……。
私は煙で緩んだ涙腺から、違う意味で泣きそうになっていた。
「君はどうしたって助かるよ。だって生け捕りでしょ。でも、無関係な私はどうなるの?」
「まあ……。なるべく揉め事は避けたいだろうから、そう簡単に殺しはしないだろうけど?」
「こ、殺しっ!?」
物騒な単語に、私は目眩がした。
「心配するな。俺だってすぐには殺されないだろうが、親父と再会したところで、どうせ殺されるんだ」
「それを心配しないで、何を心配しろと?」
「ミリタリー系が描きたいんだろ? 良かったじゃないか。貴重な経験だ」
「はあ?」
私は思わず、倉本に掴みかかろうとしたが、鞄が重くて、腕が持ち上がらないことに気付いた。
そのままずるずると肩掛けの大きな鞄と手提げ袋を床に置く。
うつむくと、ぼさぼさの髪が落ちてきて、頬に触れた。
そういえば、今日は美術部に顔を出すつもりでいたので、原稿だけではなく、いろんな画材を詰め込んでいたのだ。
倉本が眼鏡を押し上げる。
涼やかな視線が私の荷物に向いていた。
◆◆◆
「来たな……」
非常口の階段から、こつこつと靴音が響いている。
階段の脇の壁にへばりついている倉本と私は逸早くその音を察知した。
「あんたは、俺が教えた通り、もしもの時のことでも考えていろ」
「もしもの時の話なんて考えたくもないわ」
私はハンドタオル越しに呟いた。
どうせ、敵方には、こもっていることはばれているんだと言って、倉本が潔く窓を開けてしまったので、先ほどより空気は澄んでいる。
……が、それでもまだ煙たい。
倉本もハンカチを口に当てたままだ。
エレベーターは、充満している煙で動かなくなってしまっているので、来るのならば階段だろうと踏んでいたのだが……。
「でも、ほら、もしかしたら、救助の人かもしれないよ」
「消防隊員や救助の人が革靴を履いている可能性は低い。相手も消防車が来る前に済ませたいはずだ。……焦っている」
「ねえ、君は、成長過程に一体どんな特殊技能を修得したのさ?」
「別に。物騒な国だから、普通より少し危険な目に遭った経験がある程度だ。
「魔王に愛されて ――禁忌の愛に常しえを誓う」の修道女ルシンダに比べたら、俺の半生なんて瑣末なものに違いない」
「えーっと、倉本君、危機に直面する前からおかしくなっているよ」
「しっ。静かに」
倉本は、私の的確な指摘を無視して、人差し指を口元に当てた。
――来た。
と、私にも察知することが出来た。
非常口の入口に人の気配がする。
私は、息を呑んだ。
これから、どうなるのか分からない。
私は今、命の危険と直面しているのだ。
けれども、ここまできても、心の何処かで、私は信じていなかった。
すべてがお芝居なんじゃないのか……と。
何かこれには裏があって、もしかしたら秋の文化祭の企画なんじゃないか……と。
しかし、否が応でも私はこれが現実だと知ることになる。
乾いた銃声が私の日常をいとも簡単に切り裂いた。
初めて間近で耳にした轟音は、空間の震動を生み、私に尻餅をつかせる恐ろしいものだった。
「大木、伏せろ!」
倉本の指示に、上の空のまま本能的に従う。
誰かが何かを口走っている。
何故、その言葉の意味が分からないのかと思ったら、彼らが喋っている言語は、日本語ではなかった。
(本物だ……)
痩せ型の黒服の男と筋肉質の茶色の背広の男達を見渡して、私は実感する。
現実とは受け入れがたくて倒れかかっている私を余所に、倉本は先手必勝とばかりに掴みかかった。
無謀だ。
煙の中で判然としないものの、相手は熊のような体格の男達だ。
しかし、倉本は武器を携帯していたらしい。
咄嗟にそれを、男の手の甲に突き刺した。
「つぅ!」
茶色の背広姿の大男が仰け反るのと、私が大声をあげるのは、ほぼ同時だった。
「ああっ! それ、私のGペン!」
倉本は何も言わないが、間違いない。
Gペンとは、漫画を描く際に使う先の尖ったペンのことだ。ペン先にインクを浸して、キャラクターを描く。
他にもいろんなペンの種類があり、近頃は市販のペンで描いている作家もいるのだが、私はこのペンに愛着を持っていた。
(一体、いつの間に……?)
だが、そのペン先を誤って自分の手に差した経験がある私としては、大男の苦悶の声は他人事ではなかった。
(ペン先が凶器に……)
唖然としている私の存在を無視して、悲鳴をあげている大男の懐に倉本は入り込んでいた。しかし、二番煎じは通用せず大男も訓練を積んでいるのか、その程度では倒れることはない。
……苦戦している。
再び、銃声が鳴り響いた。
何とか、倉本は避けたようだったが、背後の本棚に銃弾がめり込んだことを知って、私はぞっとした。
相手は一人ではないのだ。
黒服の男もいる。
しかも、日本にいて、こんな大掛かりなことをするなんて、そういう生業をしている人間でないとまず無理だ。
倉本は健闘している。
毎日、本漬けの根暗少年かと思っていたのだが、それは違ったらしい。
特殊な護身術を習っていたようで、動きに無駄がない。
けれども、多勢に無勢。倉本が劣勢なのは変わりない。
煙が邪魔で視界がクリアにならない。
だが、それは私達にとって幸運なことでもあった。煙のせいで黒服の男もちゃんと銃の照準を合わせることが出来ないのだから……。
(どうしよう……、このままじゃ二人とも死んでしまう)
確かに、ストーリーで言うのならば、アップテンポの方が面白い。しかし、だからといって、現実でこんなことがあったら、たまったものじゃない。
(何が生け捕りよ。拳銃までぶっ放して、殺す気満々じゃないの)
あるいは、倉本を動けないようにするのが狙いなのかもしれないが……。
(勝ち目なんて……)
倉本が男ともつれ合いながら、こちらにやって来る。
(私も殺されるっ!?)
逃げ出したい衝動にかられるが、この空間で逃げ場など何処にもない。
私は戦々恐々としながら、よろよろと立ち上がった。
抱えている大きな手提げ袋の中に手を這わせる。
倉本が男の頭を抱えるようにして、私の方に突進してきた。
「うううっ」
私は情けない掛け声をあげて、両手でしっかりとそれを取り出した。
目を瞑る。
いつもとは、まったく違う緊張感を持って、レバーを押した。
勢い良く、ペン先からインクが噴射される。
男は顔面に真っ赤なインクを散布されて、完全に目が見えなくなったようだ。その隙に倉本の肘鉄が男の首筋に命中した。
……うまくいった。
倉本が立てた作戦だった。
目くらましにエアブラシでもぶっかけろ。
通常、エアブラシというのは、コンプレッサーなど大きな部品があって、持ち歩くのには不便だ。
なので、私はカラーペンに装着して噴射することが出来る専用エア管とキッドを持っていた。
まさか、こんなふうに画材であるエアブラシを使う日が来るとは思ってもいなかったが、最早、どうでもいい。結果オーライだ。
「やった!」
私は即座に倉本に駆け寄ろうとしたが、彼は素早く次の行動に移っていた。
私のすぐ隣にあった本棚の漫画を次々と投げながら自分に銃口を向けている男のもとに突進していく。
黒服の男は二発銃を撃ったが、それは倉本が放った漫画本に命中しただけで、動きを止めない倉本には掠りもしなかった。
倉本は、一瞬しゃがんで、男の視野から消え、油断を誘ったところで、男の拳銃を鮮やかに奪い取った。
男の頭部に拳銃を押し付ける。
しかし、ペンを手の甲に突き刺され、インク塗れになっている男は、まだやる気だった。
のっそりと立ち上がり、殺気のみなぎった目で倉本を睨んだ。
「危ない、倉本!」
私は金切り声で訴えたが、本当に危機が迫っていたのは私だったらしい。
「うぉぉぉっ!」
何故か男は、獣のように咆哮を上げて、私の方にやって来る。
「な、何で?」
私は再び、腰を抜かして、後ろ手に床を這うしかなかった。
今度こそ殺される。恐怖にかられて目を閉じた瞬間だった。
―――どぉぉぉん。
残響がいつまでも続いた。
最初、私は自分が撃たれたのだと思っていた。
――が、それは違っていた。
私を襲おうとしていた男が銃に撃たれたのだ。
男は腕から血を流し、床に染みをつくった。
そして、私の足元で冷や汗を額に滲ませながら蹲った。
「くら……もと…………くん」
(拳銃、撃てるんだ?)
やはり、故郷で学んでいたのだろう。
恐ろしいヤツだ。
この状況で、相変わらず倉本は、いつもどおりの無表情だった。
両手で握っていた拳銃をゆっくりと片手に持ちかえる。
倉本が持っている玩具のように小さな拳銃からは依然煙が上がっていた。
先ほどまで銃を持っていた男が突如哄笑して、何事かを倉本に小声で呟いた。
(一体、何話しているんだろう)
その言語は私にとって単語の一つも分からない未知の言語だった。
しかし、倉本にとっては故郷の言葉でもある。分かるのだろう。
倉本は天使のように微笑して
「分かっているさ」
何故か日本語で答えた時、再び男は態勢を立て直して、倉本に殴りかかろうとした。
「倉本っ!」
私が声を張り上げたのと同時に、すべてが動きだした。
まず、消防隊員と、若い男達が怒涛のように、階段からやって来て、この惨状にあからさまに呆然とした。
倉本に襲い掛かろうとしていた男も、のされていた男達も、その新手の存在に気付いた途端、驚くほどの速さで、揃って背後の窓から姿を消した。
腰を浮かしていた私は、放心状態でまたしても冷たい床の上に膝をついて両手をついた。
「おい、今の何だ? ここ三階だぞ」
消防隊員が私達そっちのけで外を見下ろしている。
……何も見付からないらしく、更に騒ぎは大きくなっていった。
「空さん! 一体これはどういうことですか!?」
「南か……」
倉本が南と呼んだ黒髪の男が怒りを隠すことなく、つかつかと倉本の元にやってきた。
倉本は涼しい顔で、所持していた拳銃を男に渡して、小声で言った。
「S&W649……。隠し持つには最適な銃だな。小型だから弾は五発。男に脅されたよ。弾数も知らないのかって。お前が来ることは分かっていたが、正直ヒヤヒヤした」
「もしも、間に合わなかったらどうするんです? だから、あれほど一人歩きはやめるようにと……。あれ?」
しかし、そこで南は倉本の後ろにいる私の存在に初めて気が付いたらしい。
「ちょっ、もしかして、そこのお嬢さんは大木 青さん?」
長身の男は、一直線に私に近づいてきた。
「えっと、そう……ですけど?」
まじまじと見つめられて、私は目を丸くするしかなかった。
その男はどう見ても生粋の日本人だったが、漫画に登場させたいほど、華やかな容姿をしていた。
観察するには、良い対象だ。……と見惚れても仕方ない。
「あの、どうして私の名前を知っているんですか?」
「そりゃあ、もちろん知っていますよ。何せ、貴方が絵を描く、漫画を描くっていうから、空さんは有り得ない方向に……」
「おいっ!」
倉本が常には見られない大声で、男の言葉を遮った。
「とりあえず、事後処理頼んだぞ」
「はっ?」
言い捨てると、倉本は爽やかな大声を出して周囲をぐるりと回った。
「すいません、お騒がせしました。皆さん。彼が今回の件について説明してくれるみたいです」
「空さん。何を!」
抗議しかけた男だったが、すぐさま消防隊員と、後から駆けつけた警官に囲まれて身動きが出来なくなってしまった。
倉本はゆったりとした足取りで、へばっている私の元にやって来た。
「何とか、助かったみたいだな。もっとも、プロの殺し屋だったら、俺もあんたも殺されてただろう。拳銃の命中率は悪すぎだ。奴らきっと素人に毛が生えた程度だと思う。大国の諜報員とは違う。きっとエルニダの内部での反乱勢力関係だ」
「…………あ、そう」
それくらいしか返す言葉はない。
そんなこと……、私にはどうでも良いことだった。
他にコメントはないのだろうか。
(少女漫画やら、少女小説やら大量に読み込んでいるくせに……)
しかし、黙り込んでいる私の目の前に、ふいに手が差し出された。
ぶっきらぼうで、骨張った手だった。
「悪かったな……。巻き込んで」
「何?」
「さあ、とっとと手を掴め。いつまでも座っていると、アイツの努力が吹き飛んで、あんたも事情聴取されちまうぞ」
「だって、事情聴取されないと。あの人たち捕まえてもらわなきゃ」
「どうせ無駄だ。国と国との間の関係に、日本の政府が介入してくるわけないだろ。いらぬ敵を作ることになる。俺達が訴える訴えないに関わらず、この件はうやむやになる。もっとも、あんたが殺されたりしたら、話は別だったかもしれないが……」
「そういうものなの?」
「そういうものだな」
倉本は淡々と告げた。
私がちゃんとその言葉の意味を知り、鼻先に迫っている手を掴む前に、逃げるように倉本は話題を変えた。
「エルニダの選挙も間もなくだ。選挙さえ終われば、すべてが終わる。一応、俺も国には帰らなければならないだろうし、あんたにとって、こんな危険な目に遭うことは二度とないだろう」
「…………帰るの?」
「漫画と小説が読めなくなるのは残念だな。元々、日本語を話すことは出来たのだが、漢字と平仮名が苦手で、何とか克服したいと思っていたんだ。少女漫画と小説のおかげで、俺は日本語の読み書きをある程度覚えることが出来たっていうのに。実に残念だ」
「そ、そうなの」
「あんたは、偉大な師匠である俺と会えなくなって、残念じゃないのか?」
「……いやあ、別に」
「あっ、そう」
答えながら倉本の手に掴まろうとした私だったが、なぜか倉本はその手を引っ込めてしまい、私はその場に尻餅をついてしまった。