第二幕
私といったら……。
これといって、特徴のある人間ではないのだ。
中学時代までは、眼鏡をかけていたので、眼鏡の人として通っていたけれど、高校に入ってからは、コンタクトに換えてしまったので、まったく特徴がなくなってしまった。
髪の毛も肩くらいで、特に結っているわけでも結んでいるでもなく、じゃっかん外にはねているものの、何処かにいるようなヘアスタイルだ。
鼻も高いわけでもなければ、低いわけでもなく、特徴のある黒子があるわけでもない。
自分がどんな容姿をしているのか……、あまり考えたくもないし、鏡も見たくなかった。
私にとっては、外見なんかよりも、将来どうやって生きていくかの方が心配だった。
積極的な性格でもなく、成績も決して良いわけではない私が生きていくための方法。
現実的になればなるほど、私は絵で生きていくしかないと感じるようになった。
中学二年生の時に、全国中学生絵画コンクールで優勝をして、国際交流センターに絵が飾られた。
その瞬間に、自分は絵で生きていけるかもしれないと、勝手に思い込んだ。
だけど、どうせ絵で生きていくのなら、画家になる勉強をするよりも、もっと早く、もっと身近な職業が良かった。
幸い、空想するのが大好きな性分だったから……。
……だから。
いつしか、私の夢は漫画家だと言い出すようになっていた。
しかし、最近になって、私は漫画が好きというよりも、漫画を描いて暮らすことを優先しているような気がしていた。
倉本と接してみて、それを痛感している。
私はそんなに少女漫画が好きなわけではない。
それで……、私は良いんだろうか?
「何? 君はさ、自分の趣味について語りたかったとか?」
「別にそういうわけじゃない」
倉本は眼鏡を鼻先に押し付けて、淡白に言った。
昨日は、倉本の少女漫画&少女小説講座で終わってしまい、私はただ倉本の勢いに気圧されていただけで、何も聞けなかった。
今日こそはと気張って登校してきたのだが、一夜明けて冷静になったのか、彼はすっかりいつもの自分を取り戻していた。
静かに、少女小説と思しき文庫に目を落としている。
私達二人は、至極神妙な顔をしながら会話をしているので、周囲には事務的なものとして受け入れられていることだろう。
「それで、あんたは自分の作品は持ってきたのか?」
「こんな所で見せられるはずがないし、持って来るはずがないでしょう。第一、君に見せる理由って何よ?」
騒がしい教室だ。
こんな場所で、しかも、倉本の席上なんかで、私の描いた作品を広げた日には、余計な野次馬が押し寄せてくるに違いない。
「恥らうな。それとも自信がないのか? プロになったら大勢の人間に晒さなければならないのだぞ? その前に俺が見てやろうっていうんだ。良いじゃないか」
「デビューしたらペンネームでやっていくから、その点は大丈夫よ」
「頑なだな。そんなに恥らうとは、ボーイズラブでも描いているのか? まあ、俺はその点寛容だから、見せられても大丈夫だけどな」
「真面目な顔で、凄いカミングアウトだね。倉本くん」
唖然としながら、何とか切り返した私だが、正直危なかった。
美術部の方では、私の意思とは関係なく毎回、そういうものを描いているのだから……。
(コイツ、まさか、何もかも知ってて言っているんじゃ……?)
それは、それで恐ろしい。
私が考えこんでいると、倉本は一瞬だけ私を振り返ってから、言った。
「噂が流れるのは早いものだぞ。あんたの作品なんて直ぐに学校中にバレるだろうよ」
「…………まあ」
私は、まだ登校していない数人の友人たちの席の方を一瞥してから、少しだけ納得した。
「秘密保持には、念を入れることにするわ」
「じゃあ、どんな漫画を描くのか、大まかな粗筋を八百字以内で語ってみたまえ」
「何で、八百字?」
「小説の新人賞の応募要項には、大体あらすじ八百字以内をつけろと指示されている」
「君、密かに送っているんじゃないよね?」
「日本語は苦手なんだ」
「…………あ、そう」
随分と多弁なヤツだった。
関わってみて、初めて分かった。
自分でも変人だって分かっているから、あえて無口なフリをしているのかもれしない。
私は、一息吐いた。
詳しい漫画の内容なんて、親はともかく、友人や知人にも話したこともない。
「そうね。まあ、一言で言えばミリタリー系ね。悪の組織に攫われた少女を救うために、少年が頑張って、肉体改造するのよ。そして、銃をぶっ放して、敵を倒して少女を救う。重要なのは、少年が組織の親玉と、拳銃の腕を競うシーンね。銃の描写とか、本当頑張ったのよ」
「くっ……だらない。頑張る価値など微塵もないんじゃないか」
「はあ?」
思わず、腰を浮かしかけた私は、クラス中に注目されて、渋々着席した。
「実につまらない。そんなありきたりなことなんぞ、物語にしても誰も喜ばんぞ」
「ありきたり? ストーリーは王道が受けるものでしょ」
「少なくとも、俺は楽しくない」
「別に君に気に入られるために、描いているわけじゃないし」
「じゃあ、訂正しよう。その話は落ちたんだろ? つまり、審査員は俺と同じ目をしているということだ」
わざわざ癇に障る言い方をするものだ。
単なる少女系ストーリーマニアのクセに。
けれども、謹んで意見は拝聴しなければならない。
(私だって、まだプロじゃないんだから……)
私は、わざとらしく溜息を吐いた。
「では、何が問題だというのでしょうか?」
「全部だ」
「へえ……。それはまた大変なことを」
「大切なのは、少女と少年の気持ちだろう? 悪の組織なんぞくだらん。銃で戦う? 馬鹿馬鹿しい。銃をぶっ放すためにどうして肉体改造までしなければならないのだ。いまどき使いやすい銃くらいあるだろうし、すぐに少女を救いたいのなら、爆弾でも作ってアジトに乗り込めばよかったんだ」
「しょ、少年は、自分を変えたかったのよ。肉体を鍛えることで、自分に自信を持つことができたのよ」
「分かってないな。重要なのは、少年が少女を好きだということだ」
私は怒りたいのか、笑いたいのか分からないような気分になった。
倉本は、決してふざけているわけではない。
極めて、正直だ。
純粋に自分の意見を語っているのだ。
しかし、その外見でロマンチックに走られると、ときめくというより、私は笑いたくなってしまう。
教室には、続々とクラスメイトが集まっている。
皆、私と倉本の謎の対立に興味が湧いてきたようだったが、慌しく小柄な担任の女先生がやって来た同時に予鈴が鳴って、一気に皆自分の席に散った。
私は複雑な気分だった。
まだ私の作品を目にしていない時点で、倉本にダメ出しされているのだ。
つまり、馬鹿にされているということだ。
(何だか悔しくなってきた。そんなに言うのなら持って来てやろうかしら?)
私の苛々の原因である張本人は涼しい顔で、さっと私の席に本を置いた。
本を開くと、ノートの切れ端に
『貸してやろう。参考にするが良い』とあった。
これは親切なのか、嫌味なのだろうか?
私は判断がつかずに、無表情にページを捲った。
ゴシック体のタイトルが飛び込んでくる
――『王子様に懐かれて ――秘密の恋愛レッスン①』
「ハハハハハ……」
発作的に倉本に文庫を返そうとした私だが、先生が出席を取り始めたので、断念せざるを得なかった。
◆◆◆
倉本 空は、少女小説と少女漫画に異様な愛着を抱いている。
それは、分かった。
だが、彼が熱狂しているのは、あくまで二次元の恋愛であって現実のものとは違うらしい。
倉本の性格は、見た目とは違い、女子に持てはやされるようなものではない。
どちらかというと、女の子からは倦厭されるようなオタクタイプだ。
しかし、私がいっそ、オタクの男子と仲良くすれば良いと助言すれは、彼らとは違うのだと倉本は強固に主張する。
強がりなのか?
自分はオタクではないと思い込んでいるのだろうか?
とにかく、私は別に倉本に興味があるわけではない。
好意があったら、それこそ倉本を直視してデッサンなど出来るはずがないのだ。
だから、私は倉本にバレてしまって以来、倉本を一度も描いていない。
いつでも、関係は断ち切れるはずだった。
……でも。
倉本は自分が読破した少女小説や漫画を私に貸し出してくるのだ。
一体、どういう了見なのか?
(お節介のつもりなのか、嫌味なのか……?)
結局、貸し出してもらったものは、読まないと気分が悪いし、私はそれを返すために、倉本に近づかなければならなかった。
「そうね……。うん、私何やっているのかしらね?」
「何、独り言を言っているんだ? 変なヤツだと前々から思っていたが、本当に変人だったんだな?」
「変人は、君だろう」
私は周囲を見て、声を小さくした。
背後の棚にはずらっと、漫画が並んでいて、その光景はいっそ壮観ともいえる。
けれども、私達の席はブースで区切られているので、話し辛いことこの上なかった。
「どうして、放課後に漫喫に来ないといけないわけ?」
「あんたが学校で話しかけるな……と言ったんだ」
「言ったことは覚えているけど……」
……遠回しに、近づくなと告げたつもりだった。
倉本と話している私を見る女子ファンの目が日増しに厳しくなっている。
いっそ、大声でコイツは変人だと叫んで回りたいが、それはしても良いことなのか、私にとってかえって迷惑なことになってしまうのか……。状況判断がまったくできずにいるのだ。
(私はただ一人で、ひっそり漫画を描ければ良いのに……)
学校帰りに、漫画喫茶に寄るなんて、益々怪しさ大爆発ではないか。
(まあ……、漫喫でデートだなんて邪推する人もいないだろうけど……)
私はただ手早く借りていた本を返すつもりだったのだ。
それが、タイミングがつかめずに、ずるずると、挙句、追いかけているうちに、こんな場所まで来てしまった。
「丁度、通学路沿いにあって落ち着ける場所なんだ」
「よく来る場所なのね」
私は辟易しながら、フリードリンクでもらってきたメロンソーダーを一口飲んだ。
確かに、私としても悪い気はしない。
季節は夏に差し掛かっている。
涼むには、丁度良い場所だった。
とりあえず、私は鞄の中の文庫本を左隣のブースにいる倉本に持って行った。
倉本は「ああ」と言ったきり、反応がない。
早速漫画を読んでいるのだ。
私は机の上に緑のカバーの文庫を置いて、しずしずと自分の席に戻った。
「ただ借りていた小説を返したかっただけなのにな」
しかし、私の独り言だけは聞き逃さないらしい。
「何だ。俺の少女漫画講釈が聞きたかったんじゃないのか?」
「何が講釈……? 大体、漫喫で話すのはまずいでしょう? ここは図書室のようなものなのだから」
幸い、店には私達以外の客は数人くらいで、皆遠くのインターネット席にいるらしく、騒いでも大丈夫な環境とはなっているが……。
それでも、店員にしてみたらうるさい客は迷惑に違いない。
「あんたの好きな戦闘ものでは、こういう施設は狙撃された時、逃げやすいと思うのだがな。本というのは意外に目くらましになる。まあビルの一室なので、火器を持ち込まれたら一溜まりもないが……」
「君の逞しい想像力には脱帽だよ。いっそ君の方こそ作家になれば?」
「だから、日本語はそんなに得意じゃないと言ってるだろう?」
「得意じゃないって……、君日本人じゃないの」
前を見据えて会話をしていた私と倉本だが、ふと私は椅子の上に中腰になって隣の倉本を覗いた。
「おい何だ? カップル席に変更するのか?」
臆面もなくそんなことを口走る倉本に、いつもの突っ込みを封印して、私は尋ねた。
「ねえ、君ってさ。何処に住んでるの?」
「どういうつもりだ?」
訊きながらも、倉本は『危ないアイツ』というタイトルの漫画に目を走らせていた。
内容は女教師と生徒の危ない恋愛らしい。
コイツは、どんな状況にあっても本を手放さないようだ。
「ちょっと気になってさ……。考えてみたら、君が登校している姿って見たことないし。それに……、ハーフっていう噂は本当かなあって思うし。そういえば、英数のテストでは、よくトップで先生に名前呼ばれているけど、国語では呼ばれたことないね。それだけ本を読んでいるくせに苦手なの?」
「俺があんたに登校している所を見せなければならない理由と、出自を明かさなければならない理由と、テストの成績を公開しなければならない理由は何だ?」
「私が君に自分が描いた漫画を公開しなきゃいけない理由も分からんよ」
「それは、あんたをプロにしてやろうという俺の厚情だ」
「何だ。それは?」
「それに、最近色々と面倒だから、あんたのようなヤツでも、近くにいてもらうと少し助かる」
「よく分からないけど、助かっていると言うわりには、私のこと随分とぞんざいに扱ってるよね?」
私がとうとう靴を脱いで、リクライニングチェアから立ち上がり隣のブースを覗きこむと、倉本はようやく漫画から目を放して私を見上げた。
「実家は、日本から遠く離れたエルニダ共和国。父親はそこの大統領候補で、息子の俺は物騒な自国を離れて、母親の故郷である日本で、ひとり暮らしをしている。つまりハーフだな」
「………………そう」
私は硬直しながら首肯した。
「それは、君なりの受け狙い? でも、君の嫌いなミリタリーっぽいストーリーだよね。恋愛は何処にもないよ」
「………………」
倉本は、視線を逸らして軽く溜息を吐いた。
「…………実家は遠くだ」
「…………そう」
あまり話したくないらしい。
私も、本人が言いたくないと思っていることをあえて聞き出すつもりもない。
慌てて、矛先を自分に持ってきた。
「あ、一応、私は家から学校近いのよね。だから、あの高校にしたのよ。あまり動くの好きじゃなくてねえ」
「別に。あんたのことは聞いていない」
「あ、あはっ。あはは。そうね。そうよね。ごめんなさいね」
私は一瞬、怒りのあまり、この場から去ってしまいたい衝動にかられたが、一時間単位の料金だ。最低限、一時間はいないと勿体ないと、覚悟を決めて、渋々自分の席に腰を落ち着かせた。
――と、倉本がぼそぼそと通らない声で語った。
「寮……、みたいな所で暮らしてる。そこも、高校からは少し離れているかもしれない」
(無視したい……)
本心は強くそう思っていたが、耳にしてしまうと相槌を打たないといられないというのが八方美人な私の痛い所だった。
「へっ、へえ……、じゃあ毎朝大変だよね。大変だわ。ははは」
「その笑いは、一体、どういう種類の笑いだ?」
「愛想……という種類かしら?」
私は一人メロンソーダーを飲み干すと、立ち上がった。
(まったく……)
少し付き合ってみると興味は湧いてくるのだが、会話を続けていると苛立ちに変わるというのが倉本といる時の私の気持ちらしい。
新たに取って来るドリンクはコーラにしようと、足を傾けた時だった。
倉本がブース越しにぼそっと訊いた。
「あんたは、どうして漫画家になりたいんだ?」
「それこそ、何でそんなこと訊くのよ?」
倉本は黙り込む。
始末におえないというのは、このことだろうか。
隠す必要もないので、私は投げやりに答えた。
「私、母子家庭なのよ。上にはお姉ちゃんがいるんだけど。お姉ちゃんは大学行ってるの。私は勉強嫌いだし、高校卒業と同時に自分で稼ごうと思ったんだけど、でも、体動かすのは苦手だし、朝早いのも嫌だったから。最初はイラストだけで勝負しようと思ったんだけど、まあ漫画の方が売れたら大きいかなって」
「安易だな」
倉本の言葉があまりにも予想通りだったので、私は苦笑するしかなかった。
「自分でも、そう思うわよ。絵画コンクールでちょっと良い結果出したからって、単純に調子に乗ったんだって」
「ああ。……絵画……コンクールか」
「あ、いや、その……」
自慢みたいになってしまっただろうか?
どちらかというと、自虐で口にした言葉だった。
そもそも「全国コンクール」とはいえ、応募者自体少なかったと聞いていたのだから……。
言いつくろった方が良いかうか困却して、私は隣のブースの倉本を覗きに行った。
「あの……倉本くん」
倉本が椅子をくるりと回して振り返る。
「一応、……俺も片親だ」
「あ。…………そう……なんだ」
言いたかったのは、それか?
どう返事をすれば良いのか迷って、いびつに口角を上げている私を、倉本が初めて静かに直視していた。
「倉……本……?」
「俺は、あんたの絵は好きだぞ」
「えっ?」
……嘘?
微笑するときは皮肉を口にするくらいだと思っていた倉本が……優しい笑みなんぞを浮かべている。
いきなり過ぎて、心の準備がなかった私は思いがけず、赤面してしまった。
そう……。
―――多分、悪いヤツではないのだ。