幼馴染の辺境伯令息を救うため、公爵令嬢は望まない結婚を選ぶ
「あなたの顔なんてもう二度と見たくないわ」
私は謝罪に来たテオドール・グライフェン辺境伯令息に言い放った。
努めて冷徹に言ったつもりだ。
そもそも公爵令嬢の私が、辺境の人間なんかと関わったのが間違いだったのだ。
「クラリッサ様……ご迷惑をおかけして……大変申し訳ございませんでした」
テオドールの声は震えていた。
「私は好きでこうするの。あなたには関係のないことよ。……もう出ていって」
私は自分の声も微かに震えているのがわかっていた。
なぜこんなことになってしまったのか。
私のエーレンベルク公爵家と、テオドールのグライフェン辺境伯家とは貿易上の提携関係にあり、私が幼い頃から交流があった。
親たちが仕事の話をしている間、歳の近いテオドールと私は遊び相手になった。
利発なテオドールが私は大好きで、特に辺境の生活の話を聞くのが楽しくて仕方がなかった。楽しかっただけに、いつもテオドールが辺境に帰ってしまうときは寂しかった。
「いつか、辺境に来なよ」とテオドールが言い、「うん。絶対行く。約束ね」と私は答えた。
けれど、幼い頃に交わした約束が果たされることはなく、大人になった。
お父様のエーレンベルク公爵は、決して私が辺境に行くことを許さなかった。「辺境は粗野な者が多く、野蛮で危険だ。王都の貴族の娘が足を運ぶようなところではない」とお父様は言った。辺境が王都の人々から忌避されている場所だと知ったのも、大人になってからだった。公爵家が、ただ利害関係によって、グライフェン辺境伯家と繋がっていたのだということも。
それを知った上でも、私はテオドールのことはずっと好きだった。
やがてテオドールは、父のグライフェン辺境伯の仕事も手伝うようになり、ただの遊び友達でもなくなった。
「辺境の人間とそんなに気安く話したら、公爵家にご迷惑になります」とテオドールが言い、「私は公爵家の人間としてではなく、ひとりの女性として、あなたに向き合いたいの」と私は答えた。
テオドールは戸惑いながらも、変わらず私と接してくれていた。私が「女性として」向き合いたい、と言った意図を理解していたかどうかはわからないけれど。
けれど、その関係は長く続くことはなかった。
そのきっかけは、エーレンベルク公爵家とグライフェン辺境伯家が共同で進めていた事業の大きな失敗だった。そしてその失敗のきっかけを作ったのがテオドールだった。
グライフェン辺境伯領には港があり、そこに諸外国からの物資が集まる。エーレンベルク公爵家はその貿易品を王国内で流通させるために辺境伯との関係を持っていた。
エーレンベルク公爵家以外にも多くの貴族や商人が、貿易品を求めて辺境伯領にやってくる。しかし、そこには大きな問題があった。
辺境伯領を囲うように、大きな川——ヴァルシュタイン大河が流れていたのだ。少ない品物を運ぶだけであれば、船で渡ることもできるのだけれど、多くの物資を運ぶには、大河の源流を迂回して、陸路を移動しなければならず、その運搬には時間も費用も多く費やす必要があった。
お父様はそこに目をつけ、ひとつの事業を計画した。それは、大河に橋をかける大工事だった。
そこで、エーレンベルク公爵家が必要な費用を出資し、グライフェン辺境伯にこの大きな事業を請け負ってもらうことで合意した。
ところが、事業は簡単にはいかなかった。
大河に橋をかける、というのは思ったよりも大変だったようだ。橋の強度が足りず倒れてしまったり、洪水に押し流されてしまったり、工事中に職人が流されて亡くなる事故が起きると職人が辞めていってしまったりと、工事は難航した。
それでもお父様は「必ずこの事業は成功する」と、取り憑かれたように橋の建設に出資を続け、その費用は膨大になり、公爵家は多額の借金まで負うことになった。
そして、大河にかかるヴァルシュタイン大橋はついに完成した。私は橋を見てはいない。すべてテオドールから聞いた話だった。テオドールも工事の監督を担っていたのだ。橋が完成すると、テオドールがその運営を任された。そして彼は、賭けに近い大胆な運営方針を打ち出し、お父様もそれに賛同した。私には詳細は聞かされなかったけれど、「きっと驚くことになりますよ」と、テオドールはいたずらっぽく言うのだった。楽しそうにお仕事の話をするテオドールを見ていると、私も嬉しくなった。
その事業の結果はすぐに出た。
橋による収益はほとんど出なかった。
残ったのは公爵家の莫大な借金だけだった。
私は事業のことはよくわからなかったけれど、通行料を払ってでも、橋を利用したいと思う客は多いはずだった。
お父様もテオドールも「もう少し経てば……」と繰り返すばかりだった。
時間は、エーレンベルク公爵家もグライフェン辺境伯家も待ってはくれなかった。
エーレンベルク公爵家の借金の返済が滞り始めたころ、債権者たちが、王宮に陳情を始めた。すると王宮はすぐに動き、借金を返せなければ、領地の没収や降爵も検討すると圧力がかかった。社交界には、公爵のような上級貴族を追い落とそうとする勢力がごまんといる。
そして、その圧力は公爵家から波及し、グライフェン辺境伯家へも重くのしかかってきてしまった。公爵家をたぶらかし、その財産を搾り取ったのは辺境伯家だと。
王都の貴族の、辺境に対する偏見は思った以上に激しかった。野蛮で邪悪な辺境伯家は取り潰し、港も領地も没収すべきだという声まで上がり始めた。
私はグライフェン辺境伯家を、テオドールを守りたかった。
私は私にできることを考え、決断した。
エーレンベルク公爵家は、王国の二大公爵家のひとつだった。もうひとつに、アーデルハイト公爵家があった。
以前から、私はアーデルハイト公爵家の令息、リヒャルド様から迫られていた。会うたびに私の全身を舐めるように見て「クラリッサ様は本当にお美しい」「公爵令嬢には公爵令息こそ相応しい」と言うのだった。
私はリヒャルド様のことは好きではなかった。人を品定めするようなところや、辺境への極端な蔑視も嫌だった。
それでも、私はアーデルハイト公爵家を訪れ、頭を下げた。
「エーレンベルク公爵家をお救いください」
頭を上げて見たアーデルハイト公爵とリヒャルド様の顔には下品な笑みが浮かんでおり、その視線はまるで娼婦を値踏みするようだった。
私はその屈辱に耐え、再び頭を下げた。
「どうかお願いします」
そうして私は、エーレンベルク公爵家の借金の肩代わりと、グライフェン辺境伯の処分を軽減するための力添えを条件に、望まないリヒャルド・アーデルハイト公爵令息との婚約を決めた。
望まない、というのは語弊があるかもしれない。婚約をすると決めたのは私なのだから。
けれど、私ははっきりとわかっている。
私は幼い頃からずっとテオドールに恋をしており、リヒャルド様との結婚が私の心を引き裂くものだと。
それでも、私の犠牲を知って謝罪に来たテオドールには、私のことなどもう忘れて欲しかった。優しいテオドールは、私が犠牲になったのだと思うと、きっと苦しんでしまうから。だから、私は彼に厳しい言葉を浴びせるしかなかった。
「あなたの顔なんてもう二度と見たくないわ」
本当は、公爵家が領地を失おうと、辺境伯家が潰れようと、ずっとテオドールと一緒にいたかった。
けれど、テオドールが不幸になることだけは、どうしても耐えられなかった。
※
それから二年が経った。
状況は悪化していた。
少なくともアーデルハイト公爵家とエーレンベルク公爵家、ひいては王都そのものにとって、とても悪い状況だった。
加えて、私自身の状況もとても悪かった。
私は結婚直後にすぐに体調を崩し、外出も減り、アーデルハイト公爵邸の私室にこもるようになった。辺境やテオドールのことを尋ねても、アーデルハイト家の者は何も教えてくれず、何の便りも来なかった。
お医者様は私の不調の原因がわからないと言うが、私にはわかっていた。ただ、生きていく希望がなかった。人は、生きたいと思う気持ちがなければ、自然と衰弱していくことを私は知った。
テオドールと二度と会えない、という事実は私にとって思った以上に重大なことだと後になってわかった。私は何をする気力もなく、ただただ毎日テオドールとの思い出を振り返り、そのたびに彼が恋しい気持ちに沈んでいた。
「クラリッサ、具合はどうだ」
その日、ベッドに横たわっていると、リヒャルド様が私の部屋を訪ねてきた。
私を気遣うような言葉でありながら、その声音は明らかに苛立っていた。
私は身を起こした。
「特に変わりはございません」
「それは何よりだ。王都もこの家も大きく変わっているというのに、おまえだけは変わらないのだな」
リヒャルド様は皮肉っぽくなった。そうなったのも私のせいだというのはわかっている。どこかで申し訳ない気持ちもあったけれど、どうしようもなかった。
「すべて、忌々しい辺境伯のせいだ」
その言葉に私は反応する。
「……辺境伯がどうかされたのですか?」
リヒャルド様が見下すように私に視線を向けた。
「おまえはいまだに辺境のことだけは気になるようだな」
私は挑むように視線を返した。自分自身にまだそんな気力があることに驚いた。
「いいだろう。教えてやろう。辺境伯には、王都の商会や市場との取引きを禁止したのだ。おまえが二年前に、辺境の処分をやめるように力を貸してほしいと言ってきたのでな。王都と一切関係を持たないことを約束させ、処分しない代わりの条件としたのだ」
「……そんな。それでは辺境は王都から見放されたということですか……?」
「そうだ。笑えるだろう? 辺境は貿易品を王都で売ることもできない。どのみち、辺境伯家も辺境伯領も潰れる運命だったのだ」
リヒャルド様はあの下品な笑みを浮かべた。人を人とも思わない、あのバカにしたような笑みを。
「話が違うではないですか!」
リヒャルド様は「ひっひっ」と耳障りな笑い声を上げた。
「王都でさえこの不景気だ。辺境は廃墟にでもなっているだろう。世間では、王都の不景気は辺境を通じた貿易ができなくなったせいだと言うが……。そんなことがあるか……? ばかばかしい」
「少し出かけてきます」
私はベッドを降りた。
「ようやく部屋を出る気になったか」
リヒャルド様の声に怒気がこもっていた。
「もう戻って来なくてよい」
私はリヒャルド様の言葉を無視して身支度をした。
「アーデルハイト家は、王宮から不景気の責任を追及されて降爵だ。領地も没収され、まもなく財産も尽きる。エーレンベルク公爵家も同じだ。金のかかる女ではなかったが、おまえを養う余裕はもうない。夫に指一本も触れさせん妻など、妻とも呼べん。……離縁だ」
リヒャルド様の恨みが伝わってくる。けれど、グライフェン辺境伯家を追い込んだのはあなたなのだ。あなたなんかより、私の恨みのほうがよほど強いはずだ。それでもあなたにかまっている余裕もない。
「疫病神め」
それが最後に聞いたリヒャルド様の声だった。
※
「ずいぶん痩せてしまわれましたね」
目の前に、この二年、私がずっと恋しくてしかたがなかったテオドールがいた。
想いが溢れ、とめどなく涙が流れ落ちた。
「あなたも……ずいぶん疲れているみたい」
声の震えを止められなかった。
「はい。この二年、必死に働きましたから……」
「ごめんなさい……私のせいね」
「はい……。クラリッサ様のことを考えないようにするために……。無駄でしたけれど」
「えっ?」
「何でもありません。失礼いたしました。すでにご結婚されているのに……。それにしても、なぜこんなところに……?」
私は首を横に振った。
「アーデルハイト家を追い出されたの。すっかり没落してしまって……離縁されたわ。結婚生活なんてものではなかったから。どうしても受け入れられなくて……。私も、ずっとあなたのことが心配で……その……」
「そうでしたか……。クラリッサ様、やはり辺境伯家を守るために、望まない結婚を……?」
「アーデルハイト公爵家は辺境伯家を守ろうなんてつもりはなかったみたいですけれどね。私のしたことは、何もうまくいかなかったわ……。ただ、あなたと私を苦しめただけ」
今度はテオドールが首を振った。
「僕たちの失敗が、本当に失敗だったとは思えません。クラリッサ様が今ここにいらしてくれて、そのことを確信しました。僕がすぐに成果を出せなかったことも、クラリッサ様が犠牲を払ってくださったことも、決して無駄ではなかったのです」
「……この辺境にいったい何があったの?」
私は辺境の変貌ぶりに驚いていた。
グライフェン辺境伯領に近づくにつれて人や馬車が増えていった。そして、ヴァルシュタイン大橋に差し掛かると、やはり多くの交通があった。
ただ、橋守などはおらず、通行料を取られることもなく、不審に思った。これだけの交通量があるのに通行料を取らなければ、収益など見込めるはずもない。
辺境伯領の港周辺は驚くほどの活況で、見たことがないほど多くの建物が林立していた。
「ヴァルシュタイン大橋が完成して、エーレンベルク公爵や父上は、当然のように通行料を取るつもりでした。ですが、僕は無料で開放するべきだと主張し、最後には納得していただきました」
「まさか……」
私はテオドールの狙いが今になってわかった。
「通行料を取らなければ、多くの人がやって来る……。それで町自体が大きくなれば、少ない人々から通行料を取るよりもずっと大きな収益になるのね」
「はい。この辺境伯領にとっては、やはり正しい選択でした。王国の各地から、あるいは隣国からも本当に多くの人々が来るようになりました。交易目的はもちろん、訪れる人たちのための宿泊施設や食堂なども増えて、移住者も入って来るようになったのです。それで、この二年ですっかり大きな港湾都市になりました。
一方で、クラリッサ様を犠牲にすることになってしまい、僕はひどく後悔しておりました。ですが、その結果、辺境伯家は潰されずに済み、王都からの干渉もなくなり、ここまで自由に町を発展させることができたのも事実です」
「王都は……アーデルハイト家は、辺境を拒絶したことで、自らの首を絞めて、辺境の発展に貢献したのね……。皮肉なものだわ。ヴァルシュタイン大橋ができた後も、王都が交易に参加していればどれだけ大きな利益を得られていたのでしょう」
「アーデルハイト家が力を失ったのであれば、またエーレンベルク公爵家と交易を再開しましょう。僕を信じて支援し続けてくださった公爵への恩返しができていないことも、ずっと気に病んでおりました」
「そうしてもらえるとありがたいわ」
「それから……いつか辺境に来てくださるという、あの約束を果たしてくださってありがとうございます」
「……覚えていたのね。ずいぶんと時間が経ってしまったけれど、私は辺境に来たわ。あなたに会うために」
「ええ。でも、王都で辺境の者が蔑まれていることは知っておりました。幼い頃からずっと。だからクラリッサ様が辺境にいらっしゃることは決してないだろうと思っていました。それでも、万が一クラリッサ様が辺境に来てくださることがあれば、言おうと思っていたことがあるのです」
「……何?」
「僕は、クラリッサ様のことがずっと好きでした。幼い頃から、今までずっと」
テオドールはまっすぐ私の目を見て言った。
「僕と一緒になってくださいませんか?」
この二年、ずっと生きた心地のしない日々を過ごし、アーデルハイト家を出たときには、この世界からすべての色が失われたように感じていた。
それが突然、テオドールの言葉とともに、世界が祝福に包まれたように感じられた。
私は思わずテオドールの胸に飛び込んだ。
「テオドール……もう二度と離さないわ」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
もし少しでも「面白かった」と思っていただけたら、
①ブクマ登録 ②★評価 ③一言感想
のいずれか一つでもいただけると、めちゃくちゃ励みになります。
改めて、ありがとうございました!




