熊本・イオンモール爆発事故における二人の殉職者 「もし入れるのであれば」――退路を塞いだ非情な一言
はじめに、今回の震災により犠牲となられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。また被災されたすべての皆様にお見舞い申し上げます。
一刻も早い復旧を願っております。
「もし入れるのであれば」――退路を塞いだ非情な一言
~ 熊本・イオンモール爆発事故における二人の殉職者と、売上金回収を命じた企業、そしてそれを許した企業たちの責任〔1〕 ~
令和8年7月28日、熊本県を襲った大地震の直後、イオンモール熊本で大規模な爆発事故が発生した。
報道によれば、同施設内の雑貨店「ハビタ」で勤務されていた大竹玖瑠美さん(22)と同僚の女性従業員(25)のお二人は、地震発生後、いったん屋外へ避難されていた。しかしその後、勤務先の会社から店長を通じて売上金を金庫へ戻すよう求められ、再び館内へ向かわれた。そして、お二人とも、その場からの帰還は叶わなかった。
なお、もう一人の方の氏名は報道されていない。本稿もそれに従う。以下、お二人に共通する事実は「お二人」として書き、報道によって行動経過が明らかにされている箇所は、大竹さんの名で記す。
会社側は、幹部から店長へ、店長からお二人へと、二段の電話によって、
「もし可能であれば、売上金を金庫に戻してくれないか。もし店内に入れるのであれば」
という趣旨が伝えられたことを認めている。〔2〕
西日本新聞の報道によれば、大竹さんは駐車場でおばといとこに遭遇され、館内へ戻ろうとされるところ、制止を受けた。それでも、その場におられた同僚の方とともに「会社の人から頼まれた」と言って、店へ戻られた。会社側も、売上金を金庫へ移すためにお二人を館内へ戻す指示をしたこと自体を認めている。〔3〕
本稿が最初に問うのは、この指示の中に置かれた、わずか一語である。
「もし」
この「もし」は、従業員の安全を気遣い、最終的な判断を本人に委ねた言葉だったのか。
私は、そうは考えない。
むしろこの「もし」という言葉こそが、お二人の退路を塞ぎ、危険を理由として拒否する余地を奪い、死地へ向かわせる決定的な言語的機能を果たしたのではないか。
## 「安全なら」ではなく、「入れるなら」
本当に従業員の安全判断を尊重するのであれば、会社が言うべき言葉は明白だった。
「安全が確認されるまでは、絶対に戻ってはならない」
「少しでも危険を感じるなら、売上金のことは考えなくてよい」
「会社の財産は会社が負担する。あなたの生命を危険にさらしてはならない」
そう命じなければならなかった。
ところが、実際に示された条件は、
「安全が確認されたのであれば」
ではない。
「もし入れるのであれば」
だった。
ここで判断基準に置かれているのは、建物が安全であるか否かではない。
物理的に進入可能であるか、進入不可能であるかである。
つまり、建物が完全に崩壊している、炎上している、入口が塞がれているなど、物理的に入ることができない場合だけが、業務を行わなくてよい例外として設定されている。
反対にいえば、
危険ではある。
強い後続地震が来るかもしれない。
天井や外壁が落ちるかもしれない。
ガス設備や電気設備が損傷しているかもしれない。
火災や爆発が起きるかもしれない。
しかし、現時点ではまだ歩いて入ることができる。
その場合には、危険を引き受けて売上金を戻すことが求められる。
この「もし」が判断基準に置いたのは、お二人の安全ではない。業務の物理的実行可能性だったのである。
イオン側は、震度5以上の場合には避難し、避難後は原則として館内へ入らない運用であったと説明している。当日、嘉島町で観測された震度は6強である。この運用のもとで再入館が許される最も高い震度は4であり、当日の揺れは、そこから四段階上だった。震度階級十段階のうち、上から二番目である。一方、ハビタ側は、入館時にはイオンモール熊本の許可を得るよう伝えたとしているが、実際に許可が出ていたかどうかは確認できていないと回答している。イオン自身も事故後、再入館の運用や携行品の取扱いを含む防災規定の見直しを表明した。〔4〕
したがって、問われるべき責任は、売上金回収を命じた企業だけではない。
誰がその指示を伝えたのか。
誰が再入館を承認したのか。
誰が再入館を認識していたのか。
誰が止める権限を持っていたのか。
なぜ、避難後は再入館しないという規則がありながら、従業員は館内へ戻ることができたのか。
命じた者、伝達した者、許可した者、黙認した者、止めなかった者、そしてそれを可能にした制度を作った者まで、責任は一つの連鎖として検証されなければならない。
この連鎖の問いに、その後の報道が答えを与えつつある。8月4日の報道によれば、爆発で亡くなった専門店従業員七人は、いずれも一度避難した後に館内へ戻ったとみられている。生存者からは、現場で誘導していたスタッフに「貴重品がなければ帰れない従業員は、まとまって取りに行くように」と言われたという証言、「従業員です」と告げただけで止められずに入れたという証言、館内でガスの臭いを感じたという証言が出ている。別のテナントは、貴重品回収のため戻ったとみられる三人の従業員について、退避指導の不徹底を認めた。施設側は、再入館の指示・許可を確認できていないとして調査を続けている。〔5〕
誰が止める権限を持っていたのか――本稿のこの問いに、現実は「誰も止めなかった」という形で答えてきたのである。お二人の死は、一店舗の一言だけの帰結ではない。避難完了後の建物の統制が失われ、複数の経路から従業員が戻った、施設全体の構造の中で起きた。だからこそ、売上金回収の指示という最も明示的な一件の言語構造を解剖することが、全体の構造を照らす作業になる。
## 「もし」は、判断を委ねた言葉ではない
会社側は、「もし可能であれば」と付けたことで、最終的な判断を委ねたと考えているのかもしれない。
しかし、言葉の機能は正反対である。
単に、
「売上金を金庫へ戻してくれないか」
と言われただけなら、なお反論する余地がある。
「地震直後ですよ」
「危険ではありませんか」
そう言って、指示そのものの非常識さを指摘できる。
ところが、その前に、
「もし入れるのであれば」
と置かれた場合、危険を理由とする反論は、あらかじめ指示の内部へ取り込まれてしまう。
「危険なのは承知している。だから、入れる場合に限ってと言っている」
「危険かどうかではなく、物理的に入れるかどうかを聞いている」
という構造になるからである。
使うことのできる拒否理由は、「危険だから戻りたくない」から、「物理的に入ることができない」というところまで狭められる。
リスク判断を尊重したのではない。リスク判断を、業務を中止する正当な理由として認めない構造を作ったのである。
学術論文には、想定される反論をあらかじめ取り込み、それに応答することで論証の強度を高める手法がある。以下では、便宜上これを先制的反駁と呼ぶ。
この「もし」も、構造だけを見れば、先制的反駁と同じである。
しかし、決定的に異なる点がある。学術論文における先制的反駁が対象とするのは、命題に対する学術的な反論である。これに対し、本件で先回りして封じられたのは、「危険だから戻りたくない」「安全が確保されていない以上、戻るべきではない」という、お二人が生命と身体を守るために当然に行使し得た拒否理由であった。
この「もし」は、命令を弱める言葉として機能していない。
論証を強化するための技法が、ここでは命を守るための当然の判断を封じ、指示への服従を求める形で作用したのである。
## 親族の制止を越えて、大竹さんを戻らせたもの
ここで重要なのは、大竹さんが危険をご存じなかったわけではない、ということである。
駐車場で会ったおばといとこは、館内へ戻ろうとされる大竹さんを制止した。大地震直後の施設への再入を親族が制止する理由は、危険だからにほかならない。会社の外側から、「戻ってはならない」という明確な警告が与えられていたのである。
それでも大竹さんは、「会社の人から頼まれた」と答えられ、同僚の方とともに館内へ戻られた。
この行動経過は、「もし入れるのであれば」という指示が、安全かどうかを自由に判断させる言葉として受け取られていなかったことを、行動によって裏づけている。
もし会社の指示が、「少しでも危険なら戻らなくてよい」という意味だったなら、親族から制止された時点で、戻らないための条件は十分に満たされていた。危険を知らせる親族の言葉を受け、それでも戻る必要はないと判断する余地が、開かれていたはずである。
しかし、現実に行動を決めたのは、危険があるか否かではなかった。
会社から頼まれた業務が、なお物理的に実行できるか否かだった。
親族の制止は、「危険だから戻るな」という方向へ働いた。会社の依頼は、「入れるのであれば売上金を戻せ」という方向へ働いた。その二つが衝突したとき、大竹さんは「会社の人から頼まれた」と述べて戻られた。会社の言葉が、親族の制止よりも強く、行動を拘束したのである。
これは、大竹さんの判断を責める材料ではない。正反対である。
会社の指示が、その責任感にどれほど強く作用し、危険を理由とする拒否を押しのけたかを示す事実である。この責任感を「本人の判断だった」という会社側の免責材料へ転用することは、行動経過を完全に逆さに読むことになる。
したがって、この行動は、本稿の解釈を後から補強する感情的な材料ではない。
「もし入れるのであれば」という指示が、現実にどのような意味として受け取られ、どのように人を動かしたのかを示す、最も直接的な実証である。
## 熊本で、この危険を予見できなかったとはいえない
熊本は、平成28年4月14日にマグニチュード6.5、最大震度7の地震が起き、その約28時間後に、それを上回るマグニチュード7.3、最大震度7の地震が発生した地域である。最初の大地震の後に、さらに大きな地震が来るという経験を、地域社会全体が現実として知っていた。
したがって、大地震の直後、建物へ戻っている間に再び激しく揺れる可能性は、特殊な専門知識がなければ理解できない危険ではない。
何時何分に次の大地震が起きるかを予知できたか、という話ではない。
強い後続地震、崩落、設備損傷、火災、ガス漏れ、爆発などの二次災害が起こり得ることを、合理的な企業が予見すべき状況だったかという話である。
その状況で、専門家による安全確認を条件とせず、「もし入れるのであれば」として業務を求めた。
これは、
「死んでもやれ」
という直接的な命令ではない。
より正確には、
「死ぬ危険が残っていても、物理的に実行できるのであれば、その危険はあなたが引き受けて業務を遂行せよ」
という指示である。
会社がお二人の死を望んでいたと言っているのではない。
会社の内心を推測する必要もない。
問題は、死傷の危険を業務中止の条件にせず、その危険をお二人に負わせたまま、売上金の回収を求めたという、指示の客観的な意味である。
なお、この震度6強という数値が確定したのは、地震から二日後の7月30日である。嘉島町の震度計は通信障害でデータを送れず、気象庁は職員を現地へ派遣し、震度計に残っていた記録を直接回収して、ようやく確定させた。指示が出された午後5時17分の時点で、その場所がどれほど揺れたのかは、国の観測機関ですら把握していなかった。〔6〕
嘉島町を囲む観測点は、いずれも震度5強から7を記録している。我が地震国日本の中学生であれば、地図を一目見れば分かる。まして、従業員も、客も、現に建物から避難していた。揺れの大きさは、計器を待つまでもない。
震度6強とは、建築基準法が大規模地震として想定する帯である。その帯で法が求めているのは、倒壊・崩壊しないことだけであって、損傷しないことでも、その後も使えることでもない。建物は損傷し、傾き、引き続き使用できない可能性がある。しかもその想定は、耐用年限(建物の耐久寿命)を通じて一度遭遇する程度、という頻度で置かれている。あの建物は、設計が一度と見込んだ分の揺れを、その日の午後に受けていた。
あの揺れを受けた建物へ、一般の人間が再び入れるのは、専門家が現地を調べ、安全と判定したときだけである。そのための制度が、現に用意されている。被災建築物応急危険度判定――余震による倒壊や外壁・窓ガラスの落下から、人命に関わる二次災害を防ぐため、知事が認定した判定士が調査し、危険の程度を判定して表示する仕組みである。多くの自治体が、震度5弱以上でその参集を求めている。指示が出された午後5時17分の時点で、その判定が行われていたとは、伝えられていない。
分かっていなかったのは、震度である。分かっていたのは、誰の目にも明らかな一事だけだった。今、あの中は危ない。お二人は、この二つを越えて、現場へ赴かれた。誰も安全を判定できないという事実と、常識で危ないと分かるという事実を、である。越えさせたのは、「もし入れるのであれば」という一語だった。
分からないものは、危険の側へ倒す。それが、人を損傷した建物へ向かわせる者の負うべき、最低限の作法ではないのか。指示をした側も、再入館を止めなかった側も、測れなかった一点を、あたかも揺れなかった一点であるかのように扱った。専門の観測機関が二日を要した判断を、一般店舗の従業員が、数分で下せというのか。
## 熊本の共有知識が、「もし」の意味を確定させる
そして、この地域の共有知識は、もう一つのことを確定させる。
「もし入れるのであれば」という条件の、意味そのものである。
会社側が後になって、「安全であれば、という意味で言った」と釈明する余地は、この土地には存在しない。
なぜなら、大地震の直後に安全は確認しようがないことを、熊本の誰もが知っていたからである。本震の後に、さらに大きな地震が来た土地である。この状況で「安全が確認されたのであれば戻ってほしい」という指示は、「戻るな」と同じ意味にしかならない。満たしようのない条件だからである。
ところが会社は、売上金を金庫へ戻させる意図で指示を出し、それが実行されることを期待していた。そのこと自体を、会社は認めている。
満たしようのない条件を付けながら、実行を期待する指示は、成立しない。
したがって、あの状況で実行可能な指示として生き残る読み方は、一つしかない。
「物理的に入ることができるのであれば」である。
仮に、「本人が安全と判断したのであれば、という意味だった」と釈明するのであれば、どうか。
それは、大地震直後の安全判断という、専門家にとってすら困難な判断を、一般店舗の従業員一人の肩に載せたことを意味する。危険の見積もりそのものを末端へ転嫁した点で、事態はむしろ重くなる。
整理すれば、こうなる。
「安全なら」の意味だったなら、指示は空虚であり、実行を期待した事実と矛盾する。
「本人が安全と判断したなら」の意味だったなら、安全判断の転嫁である。
「物理的に入れるなら」の意味だったなら、本稿が示した通り、危険を働く側に引き受けさせる構造である。
どの読み方を選んでも、この指示は免責されない。
## 二重の関門――伝達の全文が示す構造
その後の報道で、指示の伝達の全文に近い要旨が明らかになった。会社幹部から店長へは、「もし戻れるなら売上金を金庫へ。ただし、イオンモール側の許可を得た場合に入り、駄目と言われたら荷物は諦める」という趣旨。店長からお二人へは、「荷物を取りに戻るなら、その時にレジ金を金庫に収められるなら収めてほしい。ただし、イオンから入ってよいと言われた場合」という趣旨だったという。〔7〕冒頭に引いた一文は、この二段の伝達を、会社側が要約して認めたものである。
そして、確認すべきことが一つある。「もし」は、店長がお二人へ伝えた言葉にだけ現れたのではない。幹部が店長へ発した第一声が、すでに「もし戻れるなら」だった。条件節は、伝言の途中で混入した歪みではない。発生源から装填されていたのである。
条件は、一つではなく二つだった。このことは、本稿の分析を弱めるだろうか。
逆である。条件が増えるほど、構造は精密に見えてくる。
二つの条件を腑分けする。第一の条件は、施設側の許可――入館の可否を判断するのは、施設である。第二の条件は、実行可能性――戻れるか、収められるかを判定するのは、本人である。では、「危険だと感じたら、断ってよい」――この第三の判断軸は、どこに置かれていたか。
どこにもない。
入館の可否は施設側へ、実行可能性の判定は本人へ、それぞれ委ねられた。しかし、本人自身の危険感覚だけは、業務を断る独立した判断軸として、どの条件節にも設置されていないのである。
しかも、施設側の許可という条件は、働く者を守る安全弁として機能しない。逆に働く。「施設の管理者が入ってよいと言っている。物理的にも入れる。会社からも頼まれている」――この三つが揃った後で、それでも断るには、自分一人の危険感覚だけを根拠に、施設管理者の判断と勤務先の依頼の双方へ逆らわなければならない。関門を一つ増やすことは、選択の自由を増やすことではない。すべての関門を通過した先で業務要請が発動する仕組みの中では、断る力を一段と弱めることである。
そして、責任の側から見れば、この構造はさらに露骨になる。勤務先は「施設の許可を条件にした」と言える。施設側は「業務を命じてはいない」と言える。最後には「本人が可能と判断して入った」と言える。安全についての責任は、三者へ分散する。しかし、身体を危険にさらして売上金を運ぶ役割だけは、分散しない。命ぜられたお二人へ収束する。
> **判断は、二重に委ねられたのではない。入館の可否は施設側へ、物理的実行可能性は本人へ分割されながら、本人自身の危険感覚だけが、業務を拒否する独立した判断軸から除外されたのである。**
前節までの三つの読み方の検討は、「もし」という条件節の論理骨格として、そのまま維持される。伝達の全文は、その骨格の上に、責任の分散というもう一つの層を積んだ複合構造だった。誰も「戻るな」と最終決定しない。複数の条件節と組織の境界との間へ、安全の最終責任が消える。その空白を、お二人の責任感だけが埋めた。
## お二人は、危険任務を選んだ人ではない
お二人は、兵士ではなかった。
消防士でも、救助隊員でもなかった。
損傷した建物の安全を確認する保安要員でも、危険物処理を行う専門職でもなかった。
生命の危険を伴う任務であることを承知したうえで、その職務を選び、特別な教育と装備を与えられていた人ではない。
一般の店舗で働く従業員に過ぎないお立場だったのである。
そのお二人に対して、会社は売上金の回収を求めた。
戦場で、戦友の生命を救うために自らの命を顧みず危険にさらすことはあり得る。
災害現場で、救助隊員が取り残された人を救うために危険な建物へ入ることもある。
そこには、他者の生命を救うという崇高かつ緊急の目的があり、危険を伴う任務であることもあらかじめ共有されている。
それでも、回避できる犠牲を命じてよいわけではない。
まして、この事件で守ろうとされたものは、人命ではなかった。
社会の存立を左右する物でもなかった。
失えば何万人もの命が損なわれる緊急資金でもなかった。
後から補償することのできる、売上金である。
金銭は失われても、会社の損失として処理することができる。
人間の生命は、失われれば二度と戻らない。
取り戻すことのできる財産を守るために、取り戻すことのできない生命が危険にさらされた。
この価値判断の逆転こそが、事件の根本にある。
## この殉職が証明したもの
本稿では、職務上の指示を受け、その責任を果たそうとする中で命を失ったことを指して、お二人の死を「殉職」と呼ぶ。
しかし、これはお二人が会社に殉ずるべきだったという意味ではない。
お二人の死が、この会社には人が命を捧げるだけの価値があったと証明したのでもない。
むしろ逆である。
この殉職が証明したのは、会社が決して失わせてはならなかった人材を、自ら失わせたということだ。
親族は、大竹さんについて「責任感の強い子だった」と語っている。
その言葉から浮かぶのは、一度の英雄的な行動で自らの平時の不評を覆そうとする野心家ではなく、任された責任を、日々の職務として誠実に果たしてこられた人の姿である。
会社からの指示を職務として受け止め、自分に任された責任を果たそうとされた。
その人間性と責任感が、あまりにも苛烈な形で示された。
しかし、その責任感は、売上金のために生命を危険にさらすためのものではなかった。
本来であれば、人を支え、仕事を育て、家族との時間を重ね、長い人生の中で社会に貢献するために生かされるべき資質だった。
その後も生きておられたならば、どれほど多くの人と出会い、どれほど多くの仕事を成し遂げ、どれほど多くの人を助けられたことだろうか。
失われたのは、一人分の労働力ではない。
その未来である。
これから積み重ねるはずだった経験である。
喜びや失敗を共有するはずだった家族との時間である。
出会うはずだった人々との関係である。
そして、生涯を通して社会に齎されるはずだった、未実現の成果である。
このすべては、氏名の報じられていないもう一人の方についても、等しく言える。名が報じられないことは、失われたものが小さいことを、何一つ意味しない。
御遺族が失ったものも、一通りの金銭によって贖えられるようなものではない。
家族であり、日常であり、本来であれば何十年にもわたって続いたはずの関係そのものが奪われた。
この殉職は、会社の価値を証明していない。
証明したのは、お二人がどれほどかけがえのない人材だったかということだけである。
## その殉職に値する正義が、どこにあったのか
お二人は、自らの責任感を、苛烈な結果によって、文字通りの使命として全うされた。
では、その殉職を強いる結果となった側に、その使命を与え得る如何ほどの正義があったのだろうか。
その職場は、殉ずるに値する職場だったのか。
その売上金は、取り巻く人々とお二人の未来を奪ってまで守らなければならないものだったのか。
その指示をした側には、お二人の責任感と釣り合うだけの使命感があったのか。
危険を止める責任を、自ら引き受ける覚悟があったのか。
私は、そこにこの犠牲に値するほどの正義を、ひとかけらも見いだすことができない。
## 対応の非対称――一刻の猶予なき即応と、無傷の遅延
ここで、一つの素朴な疑問を置く。
お二人に与えられた判断の時間には、一刻の猶予もなかった。地震直後の混乱の中、賭けられていたのは、自分の命だった。それでも、お二人は即応された。大竹さんに至っては、親族の制止を振り切ってまで、使命を果たそうとされた。
では、会社の側はどうか。
報道によれば、社内の聞き取りは7月30日までに行われ、8月1日には施設側との情報交換があり、御遺族には調査報告書が渡されたという。内部で動いていなかったのではない。本節が問うのは、そこではない。公に語る段の挙動である。
指示の存在が公に認められたのは、事故から五日後の取材においてである。ホームページに公式の声明が掲載されたのは、六日後の8月3日である。そしてその声明は、哀悼と謝罪を述べる一方、指示の経緯にも、責任の所在にも触れていない。内部では把握が進んでいながら、公の言葉には載せない。この遅れの間、会社の側に賭かっていたものは何か。命ではない。誰の身体も危険にさらされない。賭かっていたのは、会社の体裁と、法的な立場だけである。〔8〕
命を賭ける判断には、一刻の猶予も与えられなかった。体裁を賭ける説明には、数日の熟慮がかけられた。
致命的な損失を負いかねないお二人に速度を課し、身の安全が保障されてなお時間を取る。本来は、逆でなければならない。重いものほど、時間をかけて慎重に守られるべきだからである。あの日、数日の熟慮を与えられるべきだったのはお二人であり、一刻を争って「戻るな」と決断すべきだったのは、会社の方だった。
そして、この判断は、本稿だけのものではない。大竹さんの御母様は、「『帰れ』と言ってほしかった」と語られたと報じられている。会社幹部自身も、後の取材で、「帰りなさいと伝えていれば」「売上金の話をしなければ回避できた」という趣旨を述べたと報じられている。あの日、発せられるべき言葉が何だったか――御遺族の願いと、会社の事後の自認は、一致しているのである。一致していなかったのは、その言葉を発する責任が自分にあるという、あの日の自覚だけだった。〔9〕
意図的な隠蔽と断定するのではない。組織の意思決定に時間がかかること自体は、珍しいことではない。
しかし、だからこそ、この普通の疑問は残る。
命の危険がある任務は、一刻の猶予なく実行された。命の危険など何一つない公の説明は、なぜ数日を要したのか。
危険は、末端へ即時に流れた。説明は、組織の中で滞留した。極限状況での即応を従業員に求めた組織が、自らははるかに軽いリスクにすら、慎重さを優先したのである。求めた責任の速度と、引き受けた責任の速度。この落差が、本件のもう一つの非対称である。
そして、その遅延の果てに出てきたものが、あの三文である。どこにも傷のつかない、注意深い言葉で組まれている。専門家の助言を得たのか、自前で練り上げたのかを、本稿は知らない。だが、どちらでも同じことである。その注意深さと、その時間と、その費用を――なぜ、お二人を危険から守る側に、先に使わなかったのか。危険な業務は、電話一本で、即座に、文字通りの使命になった。誰の命にも関わらない声明は、熟慮の果てに、誰も傷つかない三文になった。考える時間は、自分たちを守るためにだけ、費やされたのである。
安全な場所から、お二人を死地へ向かわせた。その結果に対してなお、安全な場所に座り続けるための言葉が組まれる。守るべき順序が、最初から最後まで、逆ではないのか。私は、この問いを、抑えることができない。
## 答礼――彼らが自ら放棄した最後の機会
ここにあるのは、交通事故のような偶発的な不幸の犠牲ではない。上司の言葉を信じ、その指示に従い、命を費やされたお方なのである。
私は、言葉を発した個人に害意があったとは考えない。しかし、指示をした言葉の構造そのものには、危険を理由とする拒否の退路をあらかじめ塞ぐ機能が埋め込まれていた。
ここで、大竹さんの側の事実を、正確に置き直す。
誰かに腕を掴まれて連れ戻されたのではない。処分をちらつかされ、脅されて戻られたのでもない。ただ、己の責任感によって戻られた。あの「もし」は、危険を理由に断る退路を塞いだ。しかし、塞がれた道の中を実際に歩かせたのは、強制ではなく、その責任感だった。会社は、強制力を行使する必要すらなかった。美質が、強制力の代わりに働いたからである。理不尽な指示に対してさえ、その責任感をもって、命を費やしてまで、務めを果たそうとされた。
しかるに、その指示をした者たちは、この責任感に対する、最低限の答礼すら放棄した。
答礼の機会は、あった。
大竹さんの通夜で、会社は御遺族に謝罪し、経緯を記した書面を渡したと伝えられている。もう一人の方の葬儀も、8月2日に営まれたと報じられている。頭を下げたこと自体は、事実として記録する。〔10〕
しかし、あの席は、ご本人に言葉を伝えることのできる、最後の機会だった。
あの場で、現身を留めておられる大竹さんに向かって語り得た言葉は、こうであったはずだ。
「私たちは、危険任務を選んだわけでもないあなたに、危険を承知で戻ることを求め、あなたを死地へ追いやりました。この許されざる罪について、私たちは、警察の取り調べに、何事も隠さず、何事も付け加えず、すべてをありのままにお伝えし、下されるお裁きに従うことを、あなたに誓います」
謝罪と、包み隠さぬ真実の開示、そして自らの責任の判断を司法へ差し出す誓い。それが、指示をした側が、まだそこにおられる大竹さんに示し得た、最低限の申し訳であり、全うされた責任感への、最低限の答礼であるべきだ。
誓うとは、有罪を認めることではない。真実のすべてを差し出し、その先の判断を、自分の手から放すことである。
これは処罰の先取りではない。有罪か否かを決めるのは司法であり、司法の判断を歪めてまで刑事責任を問えというのではない。仮に出頭したところで、失われた生命と釣り合うものでもない。せめて、誰が命じ、誰が伝達し、誰が許可したのかという責任連鎖の解明が、残った者にできる最低限の答礼だ。
その上で、こう問う。言葉を発した側が、無防備な形で事実をありのままに述べ、法的責任を果たす姿勢を示すことが、過度な要求であるとは考えにくい。命の危険のない刑事責任から身を守ろうとするのであれば、なぜお二人に、命を守る手段を与えなかったのか。
「過失だった」という自己弁護は、法的に保障されている。しかし、お二人の命を費やした結果を「過失」の一語で整理し、自らを進んで弁護して立つことが、それでもなお、人の道に則っていると言えるのだろうか。お二人は、もう、何も言葉を発せられることが叶わないのである。
求めているのは、重い刑罰ではない。自己弁護を排し、正確で公正な裁きを、覚悟をもって受けることだけである。
しかし大竹さんは、職務上の責任を、命の側まで果たされた。ならば、現身を留めておられるご本人の前で、自らの責任の判断を、自分では結果を左右できない場所へ差し出すと誓うことが、なぜできなかったのか。
伝えられている限り、あの場でその言葉が語られた形跡はない。〔11〕
(この点は、8月3日に同社ホームページへ掲載された声明においても、同様である。声明の表題は「令和8年熊本地震による当社従業員の被災について」――指示に従って命を落とされたという事実が、災害に遭った、という枠へ置き換えられている。本文は三文であり、哀悼とお詫びは述べられているが、何についてのお詫びなのかは書かれていない。私たちの過ちによって、という自責の言葉は、一語も見当たらない。伝えられている範囲でのあの席での振る舞いと、ホームページ上の挙動は、一貫している。)
当事者たちは、誰に強いられることもなく命を費やしてまで務めを果たされた方への答礼——ご本人に対する自発的な贖罪の、最初で最後の機会——を、自ら放棄したのである。奪われたのではない。その場に立ちながら、放棄したのだ。
そして、この放棄の意味は、以後のすべての釈明の価値を決めてしまった。
これから先、彼らがどれほど謝罪を重ね、償いを尽くそうとも、それは世論に、司法に、そしてお二人を知る者たちに――まさに腕を掴まれての贖罪にしかならない。自発の窓は、あの席で閉じたからである。
大竹さんの歩みは、誰にも腕を掴まれない、自発の責任感によるものだった。だからこそ、人の心を打つ。私たちは、忘れようにも忘れられないだろう。
翻って、腕を掴まれての贖罪は、人の心に届かず、響かない。明暗は、際立つばかりなのだ。
真実をすべて語ること自体は、今日でもできる。明日でもできる。取り調べの場は、これから何度でも訪れる。だが、それを本人への誓いとして果たす機会は、あの席とともに、永遠に失われた。以後の真実の開示は、司法への協力ではあり得ても、本人への答礼では、もうあり得ない。そして、この放棄は過去の一度きりの出来事ではない。誓いのないまま過ぎる一日ごとに、いま現在も、更新され続けている。
最後に、この放棄と、あの指示との関係を言わなければならない。
本稿は先に、会社側は自らの指示の残酷な意味をいまだ理解していない、と最も穏当に解した。その読み方を、ここでも維持する。彼らは、悪意で答礼を拒んだのではあるまい。あの席が最後の機会であることが、見えていなかったのである。
しかし、その最も慈悲深い読み方こそが、最も重い結論を導く。
売上金と生命の重さを見分けられなかった目と、ご本人と向き合えた時間と後日の釈明の重さを見分けられない目は、同じ一つの目である。取り返しのつくものと、取り返しのつかないものとを識別する器官が、欠けているのである。最後の機会を理解できないような当事者たちだからこそ、あのような理不尽な指示ができたのであろう。「もし入れるのであれば」という指示と、答礼の放棄とは、別々の二つの過ちではない。根を同じくする病痾の、二つの症状である。
責任感には、責任感で応える。命の側まで務めを果たした者には、せめて何事も隠さず、何事も付け加えず、真実のすべてと自らの責任の判断を司法へ差し出す覚悟で応える。それが答礼である。お二人は全うされ、指示した側は放棄した。この非対称が、本件の全てである。
取り戻せる売上金のために、取り戻せない命が危険にさらされた。その帰結として、償いの機会までもが、取り戻せない側の勘定へ落ちた。落としたのは、他の誰でもない。当事者たち自身である。
## 社会が、この「もし」を見逃してはならない
この事件を、一つの会社の異常な判断として終わらせてはならない。
全国の職場で、災害や事故の際に、
「可能であれば確認してほしい」
「入れるなら回収してほしい」
「無理でなければ対応してほしい」
という言葉が使われる可能性がある。
一見すると、相手を気遣い、本人に判断を委ねているように聞こえる。
しかし、上下関係と危険な状況の中では、その条件節が、危険を理由とする拒否を先回りして封じ、残されたリスクを末端の人間へ負わせることがある。
「もし入れるのであれば」という言葉は、働く者を守る安全弁ではなかった。
安全か否かという本人の判断を、物理的に進入できるか否かという基準へすり替えた。
危険を理由として拒否する退路を塞いだ。
そして、会社の財産を守る危険を、会社ではなく、お二人に引き受けさせた。
この事件が証明したのは、お二人が会社に殉ずるべき人間だったということではない。
会社が最も守らなければならなかった人間を守らず、そのかけがえのない責任感、人生、家族との未来、そして社会へもたらすはずだった成果を永遠に失いせしめたということである。
売上金回収を命じた企業の責任だけで終わらせてはならない。
その指示を伝達し、再入館を許可し、認識し、黙認し、または止めることができなかった企業たちの責任も、同じ連鎖の中で明らかにされなければならない。
誰か一人の判断ミスに責任を収束させ、制度と組織を免責してはならない。
そして何より、その責任感を「本人の判断だった」という言葉によって、死後まで会社の免責材料にしてはならない。
お二人の尊厳を守るとは、その責任感を称賛するだけのことではない。
その責任感を利用し、危険を負わせた構造を明らかにし、同じ言葉によって二度と誰かが死地へ追いやられないようにすることである。
「もし入れるのであれば」
社会は、この一見穏当な言葉が持っていた残酷な意味を、決して見過ごしてはならない。
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あとがきに代えて――本稿の利用について
本稿は、全文をそのまま転載される場合に限り、出典の明記を要しない。どなたでも、どの媒体でも、自由に転載していただいてよい。
一部を抜粋し、または引用、あるいは別の媒体に転載収録される場合には、混乱を防ぐため、出典を明らかにされるようご協力をお願いする。全文であれば、文脈のすべてがそこにある。一部であれば、読者が原文へ戻る道を、残しておいていただきたい。それだけである。
これは権利の主張ではない。この事故が語り継がれ、同じ言葉が二度と誰かを死地へ追いやらないのであれば、本稿は誰のものでもなくてよい。本稿の趣旨にご共感、ご理解をいただけた方には、拡散のご協力をお願いする。及ばずながら、これが筆者にできる、ささやかな手向けである。
付録――注記および出典
閲覧日は、いずれも令和8年8月5日。
〔1〕本稿でいう「許した企業たち」とは、明示的に再入館を許可した企業だけを意味しない。再入館を止める権限、規定、設備または運用上の責任を持ちながら、結果としてそれを防げなかった関係企業を含む。現時点では、誰が再入館を承認し、認識し、または阻止しなかったのか、その全容は確定していない。だからこそ、本文の言う責任連鎖の徹底した検証が必要である。
〔2〕指示の存在、条件付きの形式、二段の伝達、および会社側の認諾について——
西日本新聞、令和8年8月2日の取材による報道 https://www.nishinippon.co.jp/item/1522845/ (社長が「売上金を金庫に戻してほしい」と指示したことを認め、店長が「もし入れるなら売上金を金庫に戻してほしい」と伝えたと説明。店舗は二階、金庫は一階にあった)。
本文に引いた「もし可能であれば……もし店内に入れるのであれば」は、報道された複数の言い回しを、会社側が認めた趣旨として要約したものである。伝達の全文に近い要旨は〔7〕に示す。
〔3〕おばといとこの制止と「会社の人から頼まれた」という言葉について——西日本新聞 https://www.nishinippon.co.jp/item/1522347/ 。
同報道によれば、大竹さんは避難先の駐車場でおばといとこに偶然会い、「レジのお金を、金庫に入れに行かないといけないの」と述べ、制止を受けたうえで、その場に来た同僚とともに「会社の人から頼まれた」と言って店へ戻られた。この二つの言葉は、別々の場面のものではなく、同一の場面で連続して発せられたものである。
〔4〕施設側の避難運用について——
熊本日日新聞 https://kumanichi.com/articles/2021051
イオン側は令和8年7月29日の記者会見で、社内ルールでは二次被害を防ぐために屋外へ避難した従業員は戻らないことにしていると説明し、テナントの従業員にも同様の対応を求めていたとした。
震度5以上で避難するという運用、ハビタ側の回答(入館時は施設側の許可を得るよう伝えたが、許可の有無は確認できていない)、および防災規定見直しの表明は、各社報道による。
〔5〕専門店従業員七人全員が一度避難した後に館内へ戻ったとみられること、現場誘導の証言(「貴重品がないと帰れない従業員は一緒にまとまって取りに行くように」)、館内の天井落下・停電・浸水の状況、施設側の「指示や許可を出したとの話は現時点で確認できていない」という回答について——
熊本日日新聞、令和8年8月4日 https://kumanichi.com/articles/2021870 。
別テナント(オンワードホールディングス)が同日、三人は貴重品を取りに戻ったとみられるとし、退避指導を徹底できなかったと発表したことも、同紙報道による。
〔6〕地震、震度、および建物の安全判定について——令和8年熊本地震は令和8年7月28日16時27分頃、熊本県熊本地方の深さ16キロメートルで発生し、マグニチュード7.1(暫定値)、宇城市・氷川町で震度7を観測した(気象庁)。嘉島町の震度計は通信障害でデータを送信できず、気象庁は29日時点では推計震度分布図により同町付近を震度6強と推定していた。30日、職員が現地の震度計に残っていた記録を直接回収し、嘉島町は震度6強、甲佐町は震度5強と確定させた。
時事通信 https://www.jiji.com/jc/article?k=2026073000999&g=soc
および29日時点の推定について https://www.jiji.com/jc/article?k=2026072900832&g=soc
日本経済新聞・共同通信 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD309CZ0Q6A730C2000000/
新耐震基準(昭和56年6月1日施行)は、耐震設計を二段に分ける。一次設計は、耐用年限中に数度は遭遇する程度の中規模地震(震度5強程度)に対し、構造体にほとんど被害が生じず、引き続き建物を使用できることを目標とする。二次設計は、耐用年限中に一度遭遇する程度の極めて稀に発生する大規模地震(震度6強から7に達する規模)に対し、建物に損傷は生じても倒壊・崩壊しないことを目標とする。二次設計はあくまで人命確保が目標であり、建物は損傷し、傾き、引き続き使用できない可能性がある(横浜市「建物と地震の関係」 https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kenchiku/sodan/chishiki/jisin.html )。また気象庁の震度階級解説では、震度6強において、耐震性の低い鉄筋コンクリート造の建物では倒壊するものがあり、耐震性の高い建物でも壁・梁・柱に亀裂が生じるとされている。
被災建築物応急危険度判定は、大地震により被災した建築物について、余震などによる倒壊や外壁・窓ガラスの落下、附属設備の転倒による危険をできる限り速やかに判定・表示し、人命に係る二次的災害を防止することを目的とする制度である。判定を行うのは、建築士等の有資格者で知事が認定した被災建築物応急危険度判定士である(千葉県 https://www.pref.chiba.lg.jp/kenchiku/oq-hanteishi/index1.html 、京都府 https://www.pref.kyoto.jp/kenchiku/16000020.html )。埼玉県は、県内で震度5弱以上の地震が発生した場合に判定士の参集を求める運用をとっている( https://www.pref.saitama.lg.jp/a1106/oukyuukikendo/oqgaiyou2.html )。本稿は、本件においてこの判定が行われたか否かを断定しない。指示が出された時点でそれが行われていたとは伝えられていない、という事実のみを記す。
〔7〕伝達の全文の要旨(幹部から店長へ、店長からお二人へ)について——熊本日日新聞・会社側への一問一答、令和8年8月3日 https://kumanichi.com/articles/2021478
同記事によれば、7月28日16時41分頃に店長がグループチャットでお二人の無事を確認し、17時17分に幹部が店長へ電話をして伝達した。幹部が店長へ発した言葉は「もし戻れるなら売上金を金庫に保管してほしい。ただし、イオンモールの許可を得られた場合に入ってください。だめと言われたら荷物は諦めてください」という趣旨である。
〔8〕社内対応の時系列(7月30日までの聞き取り、8月1日の施設側との情報交換、御遺族への調査報告書の交付)について——同・一問一答報道による。ホームページ声明について——
株式会社ハビタ「令和8年熊本地震による当社従業員の被災について」(令和8年8月3日付) https://www.habita.co.jp/
のトップページに掲載されていることを、令和8年8月5日に直接確認した。本文は三文であり、指示の経緯および責任の所在への言及はない。掲載の事実と内容は、産経新聞(令和8年8月3日。見出しに「館内戻る指示など詳細に触れず」とある)、
日本経済新聞・共同通信、流通ニュース https://www.ryutsuu.biz/store/s080314.html
の各報道とも一致する。なお本文の記述は、認諾済みの事実(指示の存在、条件付きの形式、再入館禁止ルールの認知)と、本稿の時点でなお開示されていない事項(責任の所在、誰が再入館を許可したのか、第三者による検証の有無)とを区別して読まれたい。
〔9〕御母様の「もう娘は帰ってこないんですよ。しっかり真実を話してください。止めてほしかったです。『帰れ』って言ってほしかったです」という言葉について——
関西テレビ「旬感LIVE とれたてっ!」令和8年8月3日放送、および同局特集 https://www.ktv.jp/news/feature/260803-kumamoto1/
幹部の「『帰りなさい』と伝えていれば」「売上金の話をしなければ、回避できた」という趣旨の発言について——
熊本日日新聞・一問一答、令和8年8月3日 https://kumanichi.com/articles/2021478 。
〔10〕大竹さんの通夜(8月2日、熊本市西区)と会社側の参列・謝罪、および同僚の方(25歳)の葬儀(8月2日、熊本市南区)について——
熊本日日新聞 https://kumanichi.com/articles/2021051
大竹さんの葬儀(8月3日、熊本市内の斎場)について——
日本経済新聞・共同通信 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD037VY0T00C26A8000000/
通夜と葬儀は合同ではなく、それぞれ別の式である。本文の「あの席」に居られたのはお一人であり、単数の表現はこれによる。また、本文の「経緯を記した書面」は、報道により「調査報告書」とも伝えられている。同一の文書を指すものとみられる。
〔11〕通夜・葬儀での謝罪の場に居合わせた者以外に、そこで語られた言葉の全容は伝わらない。本文の「語られた形跡はない」は、現時点で伝えられている報道の範囲での判断であり、「伝えられている限り」の限定は外さない。仮に、あの場で本文の言う水準の言葉が実際に語られていたと後に判明すれば、それは当事者たちへの救済であり、本稿は訂正を歓迎する。
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(令和8年8月5日)




