「老い」の正体とは「感度の低下」なのではないか?
この国は、若さに対し、一種の「信仰」のようなものを持っている。
「若さこそが至高」―― であるかのように語られる国。
いい歳したおじさんや、おばさんが「何歳に見えるか」を毎日競い合う。
このような光景を見ていると、若さよりも、精神的未熟さに目が行くわけだが、こういった考え方もまた、個人的な老いなのだろうか。
筆者の考える必要な若さは、魂の若さか。
魂の若さは「魂の感度」と言い換えてもよい。
いつまでも若々しいオーラを発する人々は、この「感度の摩耗」が少ないひとのように思える。身体的なそれもだが、精神的な感度は重要だ。
最近、よくこどもの頃を思い出す。
現在の目で見ると、非常にちっぽけな世界。
だが、その小さな世界が、なぜ、あれほど美しく見えたのかと。
歳を取ると、何事にも「馴れ」を生む。
その馴れが、この世界を陳腐なものへと変えているのではないのか。
世界は、そこまでは変化していない。
変わったのは、自分自身の方である。
だが、ひとは自分を中心に世界を見る。
だから変わったのは、世界の方だと錯覚する。
世界をもう一度「よく味わう」。
舌に載せ、よく噛み、ちゃんと消化する。
若さを取り戻すというのは、おそらくそういうことなのだろう。
丁寧に生き直す。
出来れば、発する言葉も丁寧に。
雑に生きることが、最も老化を加速させる手段であるとも、言い換えられるかもしれない。




