第3話(後):美少女の脳内会議と、甘美なる策略
――しかし。
僕はまたしても、勘違いをしていた。
大きな、致命的な勘違いを。
僕の隣で寝息を立てている(フリをしている)ルミナさんが、布団の下でどんな顔をしているかを、完全に見誤っていたのだ。
(……やばい。やばいやばいやばい!
ミナトくんが隣にいる。ベッドの中にいる。私のベッドに!
匂いがする。ミナトくんの匂いで布団が満たされていく……っ!
深呼吸したい。思いっきりスーハースーハーしたい!
でも動いたら起きちゃう……っ! 我慢しろ私!)
暗闇の中、ルミナはカッと目を見開いていた。
その顔は恐怖ではなく、興奮と恍惚で熟れた果実のように真っ赤に染まっている。
目はギラギラと輝き、口元からは涎が垂れそうになるのを必死に堪えていた。
雷?
そんなもの、彼女にとっては子守唄以下のノイズでしかない。
Sランク冒険者である彼女が、これしきの自然現象に怯えるはずがないのだ。
今の彼女の脳内を支配しているのは、隣にいる「国宝級の獲物」だけだ。
実は、この雷雨も半分は――いや、全部彼女の仕業だった。
この世界には『天候操作』の簡易魔道具が存在する。
本来は農業用だが、彼女はさっきお風呂に入る前、こっそりと庭に設置した魔道具のスイッチを**『局地的豪雨・落雷オプション最大』**に設定していたのだ。
全ては、このシチュエーションを作るために。
停電も、メインブレーカーに細工をして、一定の魔力圧がかかると落ちるように仕組んでおいたのだ。
(計画通り……!
手、繋いじゃった……!
指、長い……節がゴツゴツしてて、男の子の手だ……硬い……。
熱い。こっちまで溶けそう……。
ああん、もう、襲いたい! 今すぐ上に乗りたい!
押し倒して、その無防備な首筋に噛み付きたい!
「僕を食べてください」って言わせたい!)
ルミナの理性(本能のストッパー)が、悲鳴を上げている。
『待てルミナ! まだ早い! 彼はまだ環境に慣れてない野生動物だ! いきなり襲ったらショック死するぞ!』
『でも! こんなチャンス二度とないよ!? 寝込みを襲うのは淑女の嗜みでしょ!? 法律なんて知るか!』
『ダメだ! 我慢しろ! まずは信頼関係(餌付け)からだ! 今日手を出したら一生警戒されるぞ!』
脳内会議が紛糾する中、ルミナはギリギリのところで踏みとどまった。
しかし、せめてもの役得として、彼女は少しだけ体を動かした。
モゾモゾ。
「……ん?」
湊が身じろぎする。
ルミナは「雷の音で寝返りを打った」ふりをして、さらに湊に密着した。
太ももを彼の足の間に割り込ませ、顔を彼の胸元にうずめる。
そこは、天国だった。
彼の鼓動が聞こえる。トクトクと速いリズム。
彼も緊張しているのだ。意識してくれているのだ。それがまた愛おしい。
そして何より、匂い。
お風呂上がりの石鹸の香りに混じった、彼自身の独特のムスクのような香り。
首筋から立ち上る、男の子特有のフェロモン。
それがルミナの脳髄を直接刺激する。麻薬よりも強烈な依存性がある香りだ。
(……はぁぁぁ……すぅぅぅぅ……っ)
ルミナは限界まで息を吸い込んだ。
酸素の代わりに「湊成分」を肺いっぱいに取り込む。
全身の細胞が歓喜の声を上げ、魔力が暴走しそうになるのを必死に抑え込む。
「……よしよし、大丈夫だよ。僕がいるからね」
湊が、寝ぼけたように呟きながら、無意識にルミナの頭を撫でた。
ポンポン、と優しいリズム。
「――ッ!!??」
ルミナの体が硬直した。
破壊力、測定不能。
無自覚な「よしよし」攻撃。
それは、貞操逆転世界の肉食女子にとって、最強のカウンターパンチだった。
母性をくすぐられ、同時にサディスティックな加虐心も刺激される。
(あ、だめ。もうだめ。好き。大好き。
一生離さない。このまま食べちゃいたい。
この家から一歩も出したくない。
私のもの。全部私のもの……!)
ルミナは、湊のTシャツの裾をギュッと握りしめた。
その目には、どろりと濁ったハートマークが浮かんでいたかもしれない。
彼女は、彼が完全に眠りにつくまで、その胸元でひたすら彼の匂いを堪能し、時折こっそりと首筋にキスをする(フリをして舌で味わう)という、ギリギリの攻防を繰り広げたのだった。
外の嵐よりも激しい情熱の嵐が、ベッドの中で吹き荒れていた。
4.甘やかな朝の光
翌朝。
僕が目を覚ますと、昨夜の嵐が嘘のように、空は晴れ渡っていた。
小鳥がチュンチュンとさえずり、朝日がカーテンの隙間から柔らかく差し込んでいる。
「……よく寝た」
意外にも、熟睡していたらしい。
体の節々が痛くない。ベッドのスプリングが最高級品なのだろう。
そして、何より温かい。
隣を見ると、ルミナさんはまだ眠っていた。
僕の腕を枕にして、幸せそうな顔で。
昨夜の怯えた表情とは違う、満ち足りたような笑顔だ。
彼女のまつ毛は長く、肌は透き通るように白い。
整った寝顔を見ていると、改めて彼女が美少女であることを実感する。
「……んふふ……みなとくん……おいしい……」
どんな夢を見ているんだろう。
食事の夢だろうか。それとも僕が作った肉じゃがの夢だろうか。
まさか、僕を食べている夢だとは思いもしないが。
僕は苦笑しながら、そっと腕を抜こうとした。
しかし、彼女は「んっ……行かないでぇ……」と呟いて、タコのように僕に絡みついてきた。
「あはは……これは起きるまで動けないな」
僕は諦めて、もう一度枕に頭を預けた。
こんな朝も悪くない。
ルミナさんの温もりを感じながら、僕は異世界での二日目を迎えた。
これからどんな生活が待っているのか、期待と不安が入り混じっていたが、少なくともこの温かいベッドの中にいる限り、僕は安全だと思っていた。
この家が、そして彼女の腕の中こそが、**最も抜け出せない「檻」**であることに気づくのは、もう少し先の話だ。
(第3話 終わり)




