第3話(前):雷が怖いからって、美少女がベッドに潜り込んできたんですが。
〜その雷、本当に自然現象ですか? それとも『捕食』のための演出ですか?〜
1.嵐の前の静けさと、湯上がりの破壊兵器
異世界転移、初日の夜。
美味しい夕食(僕が作った肉じゃが)を食べ、最高のお風呂(ルミナさんが「ミナトくんの出汁……じゃなくて一番風呂!」と譲ってくれた)に入り、僕はふかふかのソファで寛いでいた。
窓の外は、いつの間にか漆黒の闇に包まれている。
ここへ来る途中に見た、のどかな田園風景はもう見えない。
時折、風が木々を揺らす音だけが、ザワザワと聞こえてくる。
「……静かだなあ」
僕は改めて、今の状況を噛み締めていた。
一文無しで放り出された時はどうなることかと思ったけれど、衣食住に困るどころか、こんなに快適な環境にいられるなんて。
これも全て、ルミナさんのおかげだ。
彼女には、いつか必ず恩返しをしなくては。
ガチャリ。
浴室のドアが開き、湿った温かい空気と共に、ルミナさんがリビングに戻ってきた。
「あ、ミナトくん! 髪、ちゃんと乾かした? 風邪引いちゃうよ?」
その姿を見た瞬間。
僕は呼吸を忘れ、心臓が大きく跳ねた。
今のルミナさんは、昼間の活動的で凛々しい冒険者の格好とは打って変わって、極限まで無防備なラフな部屋着姿だった。
大きめのグレーのパーカーに、短いショートパンツ。いわゆる『彼シャツ』風のスタイルだ。
パーカーのサイズが少し大きすぎるのか、萌え袖になった手元から白い指先が少しだけ覗いている。
そして何より――。
濡れた金色の髪からは湯気が立ち上っていて、ほんのりと上気した頬が桃色に染まっている。
首筋にはまだ拭ききれていない水滴が光り、鎖骨のくぼみに溜まっているのが見えた。
パーカーの裾から伸びる太ももは、光を弾くほどに白く、滑らかで、健康的で――そして扇情的だった。
(……刺激が、強すぎる)
僕は慌てて視線を逸らそうとしたが、本能がそれを拒否した。
「は、はい。ドライヤーも借りました。ありがとうございます」
「んふふ、よかった。ミナトくんの髪、サラサラだねっ……黒くて艶々で……ずっと触ってたい……」
「え?」
「あ、ううん! なんでもない!」
ルミナさんはパタパタと素足で近づいてくると、僕の隣にストンと座った。
近い。
ソファが沈み込み、彼女の体重と熱を感じる。
お風呂上がりの石鹸の清潔な香りと、彼女自身の甘酸っぱい柑橘系の匂いが、濃厚な湯気と共にふわりと漂ってくる。
それは、昼間の車内よりも遥かに濃密で、僕の脳を直接揺さぶるような香りだった。
心臓が早鐘を打ち始める。
いくら親切な恩人とはいえ、年頃の男女が一つ屋根の下だ。意識するなという方が無理がある。
しかも、彼女はパーカーの下に下着をつけているのだろうか? 生地のたわみ具合が気になって仕方がない。
「ねえ、ミナトくん」
「は、はい!」
「今日は疲れたでしょ? いろいろあったし、もう遅いし、そろそろ寝よっか」
ルミナさんが、とろんとした瞳で僕を見上げてくる。
その目は、獲物を油断させる猫のように愛くるしく、しかし奥底には決して逃さないという強い意志が潜んでいる――気がした。
「そうですね。あ、僕、このソファで寝ますから」
僕はパンパンとソファの座面を叩いた。
このソファは高級品らしく、寝心地はベッド並みに良さそうだ。毛布一枚あれば十分眠れる。
「えっ? ダメだよ! ミナトくんはベッドを使って!」
「いやいや、家主のルミナさんからベッドを奪うわけにはいきませんよ。男がソファで寝るのは当然のマナーですし」
「マナー……? こっちの世界のマナーだと、男性をソファで寝かせるなんて重罪だよ? 『国宝損壊罪』で私が捕まっちゃうよ?」
「ええ……また大袈裟な」
ルミナさんは真剣な顔で首を振った。
どうやらこの世界では、男性への待遇が法律レベルで厳格らしい。
「それに……あのね……」
ルミナさんが何か言いかけた、その時だった。
ピカッッ――――!!!!
ドガアアアアアンッ!!!!
窓の外が真昼のように白光に包まれ、直後に空気がビリビリと震えるほどの轟音が響き渡った。
落雷だ。しかも、庭に落ちたんじゃないかというくらい近い。
「うわっ!?」
「きゃあああああっ!!」
ルミナさんが悲鳴を上げ、反射的に僕に抱きついてきた。
柔らかい感触が腕に押し付けられる。
パーカー越しの豊満な胸の弾力。
湿った髪が僕の首筋にかかる。
フッ。
プシュン。
その瞬間、部屋の照明が落ちた。
テレビの電源ランプも消え、リビングは完全な闇に包まれた。
停電だ。
「……え、停電?」
「やだ……暗い……怖い……っ」
腕にしがみついているルミナさんが、小さく震えている。
外では、堰を切ったように激しい雨音がし始めた。バケツをひっくり返したような豪雨だ。屋根を叩く音が凄まじい。
ゴロゴロ……バリバリ……と、遠くで不穏な雷鳴が続いている。
「大丈夫ですか、ルミナさん? 雷、苦手なんですか?」
「う、うん……昔からダメで……光ると体がすくんじゃって……」
昼間はあんなに頼もしかったSランク冒険者(自称)の彼女が、今は怯えた小動物のように僕に縋っている。
そのギャップに、不覚にもキュンとしてしまう。
これは僕がしっかりしなくては。
「とりあえず、懐中電灯とかありますか? ブレーカーを見に行きましょう」
「ううん、ダメなの……この辺の電気は都市部からの魔力供給ラインだから、この嵐がおさまるまでは復旧しないかも……」
「そうなんですか……。じゃあ、朝まで待つしかないですね」
暗闇の中、激しい雨音だけが響く。
ルミナさんは僕の腕を離そうとしない。むしろ、さっきよりも強くギュッと抱きしめてくる。
彼女の体温が、服越しに伝わってくる。熱い。
そして、彼女の心臓の音まで聞こえてきそうだ。トクトクと速いリズムを刻んでいる。
「あの……ルミナさん? そろそろ離れても……」
「やだ! 離れないで!」
「えっ」
「一人にしないで……暗いのも雷も怖いの……お願い、ミナトくん……」
潤んだ瞳(暗くてよく見えないけど、気配で分かる)で見上げられ、上目遣いで懇願される。
吐息が頬にかかる距離。
そんな風に頼られたら、断れるわけがない。
男として、ここで突き放すなんて選択肢はない。
僕は覚悟を決めた。
「わかりました。じゃあ、雷が止むまでここにいますよ」
「……本当に?」
「はい。僕がついてますから、安心してください」
僕がそう言うと、ルミナさんは「……ありがとう」と消え入りそうな声で呟いた。
そして、僕の耳元で甘く囁いた。
「じゃあ……ベッドに行こ?」
「へ?」
耳を疑った。
思考が停止する。
「え、いや、ベッドって……一緒に?」
「だって、怖いもん……一人じゃ眠れないし……ここだと寒いし……ミナトくんが隣にいてくれたら、安心できるから……ダメ?」
とどめの上目遣いだ。
暗闇の中でも分かる、その必死な表情。震える指先。
ああ、もう。こんな状況で「男女だからダメです」なんて突き放すのは、男として――いや、人として冷酷すぎる気がする。
彼女は恩人なのだ。彼女が安心できるなら、それくらい安いものじゃないか。
添い寝くらい、幼少期にお母さんとしたことだってある。大丈夫だ。何も起きない。
「……わかりました。じゃあ、僕が床で寝ますから、ルミナさんはベッドで」
「ううん、ベッド広いから大丈夫! 二人で寝れるよ!」
「いやいやいや!」
「お願いっ! 手を繋いでてほしいの! じゃないと心臓止まっちゃう!」
結局、僕は彼女の押しに負けた。
いや、正確には彼女の「か弱い姿」に負けたのだ。
2.密室、暗闇、同衾。
ルミナさんの寝室は、リビングの奥にあった。
足元が見えないので、彼女と手を繋いで移動する。
彼女の手は小さくて、柔らかくて、そして驚くほど熱かった。
寝室には、天蓋付きの大きなベッドが鎮座していた。キングサイズ……とまではいかないが、確かに二人なら十分に寝られそうな大きさだ。
窓の外では、相変わらず稲光が走り、雷鳴が轟いている。
「じゃ、じゃあ……失礼します」
僕は緊張で全身がガチガチになりながら、ベッドの端っこ、落ちる寸前の位置に腰を下ろした。
ルミナさんは反対側から入り込み、毛布を被る。
そして、ポンポンと自分の隣、枕一つ分くらいのスペースを叩いた。
「こっち来て。もっと近くに」
「い、いや、これくらい距離があった方が……お互いのために……」
「雷、聞こえちゃうよ? 近くにいないと、怖くて叫んじゃうかも……」
ドーン!! バリバリバリ!!
タイミング良く、世界が終わるような雷鳴が轟いた。
「ひゃっ!?」
「わっ、大丈夫ですか!」
ルミナさんが飛び上がり、僕の方に転がってきた。
その拍子に、僕たちはベッドの中央で密着する形になった。
勢いで倒れ込み、僕の上に彼女が半分乗っかるような体勢になる。
布団の中で、肩と肩が触れ合う。
素足の太ももが、僕の足に絡む。
彼女の吐息が、すぐ近くで聞こえる。
パーカーの胸元が乱れ、柔らかい感触が僕の腕を圧迫する。
「……あ、ごめんね……」
「いえ……」
心臓が破裂しそうだ。
異世界に来て初日の夜に、美少女と同衾なんて。
展開が早すぎる。ラノベの主人公でも、もう少し段階を踏むはずだ。
でも、彼女は怯えている。これは緊急避難だ。不可抗力だ。
「……ミナトくん、温かいね」
ルミナさんが、ぽつりと呟いた。
彼女の手が、布団の中で僕の手を探り当て、そっと指を絡めてくる。
恋人繋ぎだ。
彼女の手は震えていた(ように感じた)。
「ルミナさんも、温かいです」
「……うん。ミナトくんがいると、不思議と怖くないかも。……いい匂いがする」
「え?」
「ううん。おやすみ、ミナトくん」
彼女は僕の肩に顔を埋めた。
くすぐったい。そして、彼女の髪の香りが僕を包み込む。
僕は聖人君子のような顔で天井を見上げた。
内心はバクバクだが、ここで理性を失ったら野獣になってしまう。
僕は彼女を守るナイトなのだ。邪な考えを持ってはいけない。
やがて、ルミナさんの呼吸が規則正しくなってきた。
すー、すー、と可愛い寝息が聞こえる。
どうやら安心して眠ってくれたらしい。
僕はホッと息を吐き、緊張を解いた。
(……長い夜になりそうだ)
眠れるわけがない。
右腕に感じる彼女の重みと体温、そして柔らかさを意識しながら、僕はひたすら羊を数え始めた。
羊が一匹、羊が二匹……。
後半へ続く




