第7話(前):小悪魔な迷い猫と世界地図。そして朝の餌付け戦争。
〜完璧な計算で攻めてきた幼女が、夢の中のお風呂で自爆してデレるまで〜
1.恐怖という名の拘束具(ホラー鑑賞会)
お風呂での修羅場(と、その後の濃厚な洗いっこタイム&ルミナさんによる消毒タイム)を終え、僕たちはようやくリビングに戻ってきた。
湯上がりの体はポカポカと温かく、肌からは三人とも同じ高級ローズの香りが漂っている。
時計の針は22時を回っていた。
外は相変わらずの静寂に包まれているが、リビングの中は妙な熱気に満ちていた。三人で一つのソファに座っているからだ。
「……ねえ、お兄ちゃん。まだ寝るには早いよね?」
僕の左隣、ソファにちょこんと座り、足をブラブラさせていたココちゃんが、上目遣いで提案してきた。
彼女は今、ルミナさんの昔のパジャマ(フリルのついた白いネグリジェ)を着ている。サイズが少し大きいため、肩が落ちて華奢な鎖骨が見え隠れしているのが、計算なのか天然なのか分からなくて心臓に悪い。
お風呂上がりの火照った頬が、リンゴのように赤い。
「そうだね。何かする? トランプとか?」
「ううん! ココね、映画が見たいな! このお家、すっごく大きなテレビあるし!」
「映画か。いいですね。ルミナさん、何かおすすめはありますか?」
僕が右隣に座る家主に水を向けると、ルミナさんは少し考え込み、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あるわよ。とっておきのやつが。ココちゃんみたいな『お子様』にはちょっと刺激が強いかもしれないけど?」
ルミナさんがラックから取り出したのは、『呪われた男子寮〜彼らは全員食べられた〜』という、タイトルからしてB級感が漂うパッケージのディスクだった。
パッケージには、逃げ惑う美少年たちと、それを追いかける無数の影(女性?)が描かれている。
「えっ、ホラー? ココちゃん大丈夫?」
「へいきだよ! ココ、お化けなんて怖くないもん! ルミナお姉ちゃんこそ、ちびっちゃうんじゃない?」
ココちゃんは自信満々に胸を張り、ルミナさんを挑発した。
バチバチと火花が散る。
こうして、深夜の映画鑑賞会が幕を開けたのだが――。
――数十分後。
「ぎゃあああああああっ!!!」
「ひいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
リビングに二重奏の悲鳴が響き渡っていた。
画面の中で展開されていたのは、予想を遥かに超える地獄絵図だった。
古代のウイルスによって理性を失い、ゾンビ化した肉食女子たちが、イケメン男子寮に雪崩れ込み、文字通り「食い散らかす」という阿鼻叫喚のパニックホラー。
スプラッター的な意味でも怖いが、この世界の「女性の性欲のメタファー」として描かれているのがリアルすぎて、男性である僕にとっても精神的にキツい。
『イヤだ! 来るな! 僕の貞操がああああっ!』
『ガブゥッ! ジュルルッ!』
『骨まで……骨までしゃぶられ……』
「む、無理無理無理! 来るなーっ!」
「た、食べないでぇぇぇ! 私はまだ心の準備がぁぁぁ!」
恐怖に耐えきれなくなった二人が、左右から同時に僕に飛びついてきた。
ドスンッ! ギュウゥゥッ!
右腕にはルミナさん。豊満な胸が押し付けられ、爪が食い込むほど強くしがみついている。震えが直に伝わってくる。
左腕にはココちゃん。小さな体で震えながら、僕の服の中に頭を潜り込ませようとしている。
「ちょ、二人とも! くっつきすぎです! 苦しい!」
「だって怖いんだもん! ミナトくん助けて! あのゾンビ、動きがリアルすぎる!」
「お兄ちゃん……怖い……守って……食べないで……」
僕の両側から、温かい体温と甘い匂いが波のように押し寄せてくる。
恐怖で震えているはずなのに、その感触はあまりにも柔らかく、艶めかしい。
ルミナさんの太ももが僕の足に絡みつき、ココちゃんのサラサラした髪が僕の顎をくすぐる。
(……これ、映画の内容より、今の状況の方が心臓に悪いんじゃ……)
僕は画面から目を逸らし、天井を見上げた。
テレビの中ではゾンビの咆哮が、両脇ではヒロインたちの悲鳴と甘い吐息が響く。
映画が終わるまでの1時間、僕は「恐怖という名の拘束具」によって、二人のヒロインにサンドイッチにされ続けたのだった。
2.ダブル・ベッド・サンドイッチ
映画が終わり、エンドロールが流れる頃には、二人ともぐったりと疲れ切っていた。
精神力を使い果たしたようだ。
「……怖かった……もうトイレ行けない……」
「ココも……お兄ちゃん、ついてきて……ドアの前で歌ってて……」
「はいはい、廊下の電気つけますから」
すっかり怯えきった二人(ルミナさんは若干演技が入っている気がするが、ココちゃんはガチで涙目だ)を宥め、歯磨きを済ませる。
そして、運命の就寝タイムがやってきた。
「じゃあ、僕はソファで寝ますから、二人はベッドで――」
「「ダメ!!」」
二人の声が重なった。ハモった。
「な、なんでですか?」
「あんな映画見た後に一人で寝れるわけないでしょ! ミナトくんがいないと、ゾンビが布団から出てくるかもしれないし!」
「そうだよお兄ちゃん! ココ、怖い夢見ちゃう……一人じゃ寝れないよぉ……」
二人は潤んだ瞳で僕を見つめ、左右の腕をガッチリとロックしたまま離さない。
これはもう、逃げられないパターンだ。
僕自身、あんな映画を見せられた後で、女の子二人を放っておくのは寝覚めが悪い。
「……わかりました。じゃあ、三人で川の字で寝ましょうか」
「やった! ミナトくんが真ん中ね!」
「お兄ちゃん、腕枕してね♡」
なし崩し的に、三人での同衾が決定した。
ルミナさんの寝室にあるキングサイズベッド。
真ん中に僕。右にルミナさん。左にココちゃん。
電気を消し、闇に包まれると、視覚情報が遮断された分、触覚と嗅覚が鋭敏になる。
「……ミナトくん、あったかい」
「お兄ちゃん、いい匂い……」
右からは大人の女性の柔らかさと包容力が。
左からは少女特有の華奢さと、ミルクのような甘い香りが。
二つの異なる「感触」が、僕の理性を左右から削り取っていく。
(……眠れるわけがない)
僕は直立不動(仰向け)のまま、天井のシミを数えることに専念した。
羊が一匹、羊が二匹……。
しかし、二人の攻勢は止まらない。
モゾモゾ。
ココちゃんの手が、僕のパジャマのボタンを隙間からこじ開け、素肌に触れてくる。
「ひゃっ! ココちゃん!?」
「……んぅ……お兄ちゃんのお腹、ぷにぷにしてて気持ちいい……安心する……」
「寝ぼけてるの!? 手、冷たいよ!」
ギュッ。
反対側では、ルミナさんが僕の太ももを両足で挟み込み、抱き枕のようにホールドしてきた。
「……スー……ミナトくん……逃がさない……」
「ルミナさん!? 足! 足がすごい位置に!」
右も左も地獄(天国)。
僕は、いつか来るであろう「朝」を待ちわびながら、意識を遠くへと飛ばした。
まさか、その朝にもっと大変な事件が起きるとは知らずに。
3.夢の中の温もりと、決壊
深夜。
静寂の中で、ココは深い夢の中にいた。
(……あったかい……)
夢の中で、彼女はまた、あのお風呂に入っていた。
湯気で白く煙る、温かいバスルーム。
目の前には、大好きなミナトお兄ちゃんがいる。
『ココちゃん、背中流すよー』
『うん、お願い♡』
大きな手が、背中を優しく撫でてくれる。
ゴツゴツしているけれど、とても丁寧で、温かい手。
その手が触れるたびに、心の中の不安や、一人ぼっちだった時の寂しさが溶けていくようだった。
(……気持ちいい。お兄ちゃんの手、魔法みたい)
夢の中のココは、ミナトに抱きついていた。
お湯の温度が心地よい。
全身の力が抜けていく。
とろとろに溶けてしまいそう。
『リラックスして』
夢の中のミナトが、甘い声で囁く。
全部、委ねていい。
我慢しなくていい。
(……うん。お兄ちゃんに、全部あげる……)
温かい水流が、体から溢れ出していく感覚。
それはお風呂のお湯と混ざり合い、さらに彼女を温かく包み込んでいく。
ああ、幸せ。
ずっとこうしていたい。
お兄ちゃんの腕の中で、温かいお湯に包まれて――。
――しかし。
その「温かさ」は、徐々に、不快な「冷たさ」へと変わっていった。
(後半へ続く)




