第6話(後):お兄ちゃん。ずっとココと一緒にいてくれる?
「早くぅ~」
「は、はい……!」
僕は震える手でボディスポンジを取り、泡立てた。
ココちゃんが、洗い場にある小さな椅子にちょこんと座る。
僕は大きく深呼吸をして(もちろん目は逸らして)、ボディスポンジを泡立てた。
ゴシゴシ、ではなく、優しく撫でるように背中を洗う。
「……んっ、くすぐったぁい」
「動かないでね。すぐ終わるから」
ココちゃんの肌は、驚くほど滑らかで、柔らかかった。
マシュマロみたいだ。
スポンジ越しでもその感触が伝わってきて、僕は動揺を抑えるのに必死だった。
「お兄ちゃんの手、おっきいね……」
「っ!」
な、なんかこの子、声が大人びてないか? 演技?
「はい、背中終わり! あとは自分で洗えるよね?」
「うん、ありがと! ……じゃあ次は、お兄ちゃんの番ね!」
「え?」
くるりと振り返ったココちゃんの手には、いつの間にか泡だらけのスポンジが握られていた。
そして、その目は捕食者のように輝いていた。
「ココも洗ってあげる! お礼だよ!」
「いやいやいや! 僕は自分で洗えるから! 大人だから!」
「だーめ! お互い様でしょ? ココも恩返ししたいの! じっとしてて!」
ココちゃんは強引に僕の背後に回り込んだ。
そして、ギュッと。
彼女の小さな腕が、僕の腰に回された。
「ヒッ……!?」
心臓が止まるかと思った。
背中に感じる、柔らかい感触と温かい体温。
いわゆる「バックハグ」の状態だ。
「コ、ココちゃん!? スポンジは!?」
「スポンジだと痛いかもだから……ココの手で背中洗ってあげるね! 」
ココちゃんは無邪気に笑いながら、僕の背中を洗い始めた。
しかし、その洗い方はどう考えても掃除ではなくマッサージだ。
円を描くように、ゆっくりと。
「ちょ、ちょっと! それ洗い方おかしいよ!?」
「え~? ママはパパにこうやってたよ?」
「それは夫婦だから許されるやつ!!」
「じゃあ、ココもお兄ちゃんのお嫁さんになる~♡」
「……お兄ちゃんの背中、おっきいね。あったかいね」
「そ、そうかな……」
「うん。ルミナお姉ちゃんより、ココの方が上手でしょ?」
「えっ?」
「ココなら、もっと優しくしてあげられるよ? ずっと一緒にいてくれる?」
耳元で囁かれる甘い言葉。
石鹸の香りと、彼女自身の甘い匂いが混ざり合い、頭がクラクラする。
これはまずい。子供相手にドキドキしている自分が情けない!
「えへへ、お兄ちゃんの体、カチカチだねぇ。もっとリラックスして? 」
リラックスできるわけがない!
これは拷問だ。理性の限界を試す、ハニートラップの拷問だ。
(……ふふふ。お兄ちゃん、耳まで真っ赤。可愛い。
このまま洗いっこして、ルミナお姉ちゃんが気づく前に、既成事実作っちゃお♡)
「……ねえ、お兄ちゃん。背中だけじゃなくて、前も洗ってあげよっか? ……」
「ぜ、絶対ダメぇぇぇ!!」
僕は絶叫し、湯船にダイブして逃げた。
バッシャーン!!
大量のお湯が溢れ出す。
「あはは! お兄ちゃん恥ずかしがり屋さん!」
「恥ずかしいとかじゃなくて! 社会的にダメなやつだから!」
ココちゃんはケラケラと笑い、自分も湯船に飛び込んできた。
ドボーン!
「わわっ!?」
「一緒に入ろ! お湯の中なら恥ずかしくないでしょ?」
彼女は狭い湯船の中で、僕の膝の上に当然のように座り込んだ。
そして、僕の胸に後頭部を預けてくる。
「……ふぅ。あったかぁい……」
「コ、ココちゃん……近い……離れて……」
「やだ。お兄ちゃん、ドキドキいってるね。心臓の音、背中に響くよ」
逃げ場がない。
彼女のふわふわの髪が、お湯に揺れてクラゲのように広がっている。
「……お兄ちゃん。ずっとココと一緒にいてくれる?」
「……親が見つかるまではね」
「ううん。ずっとだよ。ココ、お兄ちゃんのこと気に入っちゃった。
だから……ルミナお姉ちゃんより、ココのこと好きになって?」
彼女が振り向き、濡れた瞳で僕を見つめる。
その表情は、子供の無邪気さと、大人の妖艶さが入り混じった、抗えない魔性の魅力を持っていた。
僕は一瞬、言葉を失い――。
4.脱衣所の修羅場と、消毒タイム
その頃。
脱衣所では、ルミナ・ソレイユがドアに耳を押し当てて震えていた。
「……『前も洗ってあげよっか』……?」
彼女は電話などしていなかった。
トイレに行こうとして、浴室からの話し声に気づき、聞き耳を立てていたのだ。
そして聞こえてきたのは、ピンク色の泥棒猫による、あからさまな誘惑と、ミナトくんの悲鳴。
(……あのアマ。やりやがった。
私のミナトくんに。私の聖域で。
子供の皮を被って、あんな破廉恥なことを……!
前を洗う? ふざけんじゃないわよ! それは私の……将来の妻である私の特権よ!
ていうかミナトくんもミナトくんよ! なんで抵抗しないの!?
いや、抵抗してるけど……まんざらでもなさそう!?
ダメ。これ以上はダメ。一線を超えちゃう!)
ルミナの理性のブレーカーが、バチンと音を立てて落ちた。
バーンッ!!!!
浴室のドアが、蹴破られる勢いで開いた。
「――そこまでよ!!!」
湯気の向こうに立っていたのは、スマホを握り潰さんばかりに握りしめた、般若の形相(二度目)のルミナさんだった。
「ル、ルミナさん!?」
「離れなさい泥棒猫! 私のミナトくんに何密着してんのよ! ソーシャルディスタンスはどうなったの!?」
「むぅ。いいとこだったのに」
ココちゃんはチッと舌打ち(小声)し、僕の膝から降りた。悪びれる様子は微塵もない。
「お兄ちゃんが寂しそうだったから、一緒に入ってあげただけだもーん。ルミナお姉ちゃんが遅いからいけないんだよ?」
「嘘おっしゃい! さっきの会話、全部壁越しに聞いてたんだからね! このマセガキ!」
ルミナさんはバスタオルを引っ掴み、湯船からココちゃんを引きずり出した。
そして僕に向かって、真っ赤な顔で叫んだ。
「ミナトくんも! 無防備すぎ! ドアの鍵閉めなきゃダメでしょ!? 男の貞操はもっと大事にしなさい!」
「ご、ごめんなさい! でも鍵なんて……」
「あーもう! こうなったら消毒よ! 上書き保存よ!」
ルミナさんは服のまま、バシャバシャと浴室に入ってきた。
濡れるのも構わず、湯船の縁に手をかけ、僕に顔を近づける。
「……私も、洗う」
「はい?」
「ココ菌を消毒するために、私がミナトくんを洗い直すの! 背中出しなさい! いや全身出しなさい! 隅々まで私がチェックする!」
「いやいやいや! ルミナさん服濡れてますよ!? 透けてますよ!?」
白いTシャツがお湯に濡れ、肌の色が透けて見えている。
これはこれで刺激が強すぎる!
「うるさーい! 今日という今日は許さないんだからぁぁぁ!!」
ルミナさんが湯船に雪崩れ込んでくる。
ココちゃんが「あ、ズルーい! ココももっと洗うー!」と再び参戦してくる。
狭い浴室は、三人の男女(男1:女2)による、泡とお湯と悲鳴が飛び交うカオスな戦場と化した。
右からルミナ、左からココ。
二人のスポンジ(と手)が僕の体を揉みくちゃにする。
「ここも! ここも洗わなきゃ!」
「お姉ちゃん邪魔ー! ココがお兄ちゃんの胸洗うの!」
「だーめ! 胸は私の領分!」
――数十分後。
のぼせてフラフラになった僕と、なぜかツヤツヤした顔の二人の女性が、リビングで並んで冷たい牛乳を飲んでいた。
「……死ぬかと思った」
「んふふ、ミナトくんの肌、最高だった……弾力があって……(ルミナ)」
「お兄ちゃん、また入ろうね! 今度は鍵かけて二人きりで……(ココ)」
僕の貞操逆転生活は、お風呂という聖域さえも失い、ますます過激さを増していくのだった。
時計を見れば、時刻はまだ夜の浅い時間。
やれやれ、今日はもう疲れ果てたし、早めに寝よう……そう思っていた僕の耳に、悪魔の囁きが届く。
「……ねえ、お兄ちゃん。まだ寝るには早いよね?」
ココちゃんが上目遣いで言い放ったその言葉が、僕の安眠を遠ざける「第二ラウンド(夜更かし)」のゴングとなることなんて、この時の僕はまだ知る由もなかった。
(第6話 終わり)
次回、ココちゃん、ハニトラをしかけるつもりだったのが、ホラー映画を見て…




