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新選組−隠し刀未目~水無月の刻

作者: はらべー

平安の頃より四神相応として整備された京都の街並み。この洗練された区画の大通りから僅かに外れた用水路越しに並ぶ貧民長屋の一角、その一棟の玄関先に二人は佇んでいた。

今にも藁葺(わらぶ)き屋根が抜け落ちそうなオンボロ長屋である。

「志木さん、また俺らこんな扱いですか…」

壬生浪士の集う駐屯所が既に幾つかあり元々京都に上洛してからの壬生寺のほか最近隊士の数が拡張し始めた為、側にある前川邸は局長近藤勇の住まう住居としても駐屯所としても特に大きな仮住まいである。そこからは大分離れ駆け足で十分と少しかかるぐらいだろうかという所にこの場所があった。

「そう言うな剣吾、土方さんからすると三番隊にはあまり他の隊士との接点を持たせたくないんだろう」

「確かに駐屯所住みだと咄嗟の撃剣訓練とかでおちおち寝てもられませんけど…」

事実、駐屯所では何かと理由を付け幹部連中が平隊士に向かって突然寝込みを真剣で斬り掛かってくるなど常軌を逸脱した特殊訓練を行う。隊士の訓練としてこれを良しとするか否かは別だが、

山内容堂の腹心だった吉田東洋の暗殺以降、倒幕派は勤王尊王 攘夷(じょうい)といった派閥を問わず闇討ち焼き討ちを当たり前のように行う。

天誅、という方便らしい。

人を斬る為の段階をもはや踏む気はない倒幕派の強襲に備えてか、新選組の主脳は住居を駐屯所の中に構えその中で抜き打ちの取っ組み合いもさせているわけだ。まさかここに手を出してくる間抜けは今の京都にはいないだろう。

村上剣吾が土佐を出るきっかけになったのが吉田東洋の変、というより隠居していた山内容堂が藩政(まつりごと)に関わり始めてからだったが、その頃若くして家督を継いだ兄に特に厳しく言い付けられたのは「土佐訛りは然るべくして隠し出生も関八州ということにしておけ」だった。

流石に無理がある、と思った。

だが文武両道だった兄からすればこれのどこが難しいんだ、とやや険しい顔で眉を潜めるだけである。自分は貴方のように出来が良くはありませんとは思ったが口にはしなかった。そんな兄だからか剣吾が刀一本だけで家を出る時も微塵も心配しない様子である。

今更になって、やれば結構それなりになるもので今では剣吾もなかなかの標準語が話せている。との自己評価だ。

三番隊副組長兼密偵の志木ですら剣吾を土佐出身だとは思っていないだろう。

「芹沢鴨の一件の時に私の立ち回りを見なかったかな?斬り合いの時にはいつも逃げ回ってばかりなんだよ私は」

自分も同じですよと言おうと思ったが、それよりも剣吾「それ外で口走ったらいかんやつです」と先に志木へ釘刺す。

「ああ失敬、でも今や八木邸に住んでるのは土方さんなんだし少し考察すれば…な?」

「入隊した直後で隊内抗争でしたからね…この新選組ってのは大丈夫なのかなと今でも心配しますよ」

あははと志木が乾いた笑い、しかしこの八木邸での屋内交戦以降は二人を新選組の新たな三番隊に抜粋させる理由にもなった。組織内統一もされ見知りも多くなった新選組にあって入隊したばかりの剣吾は使い捨ての雑兵として副局長・土方歳三に特に扱い易いはずである。

この三番隊、組長の斎藤一といい土方の腹の内では特殊な番付をしているようだ。それを裏付けるようにこの貧民長屋に斎藤の姿はない。

斎藤が今どこで何をしているのか、二人は知らなかった。

否、知らないという定義だ。

斎藤は撃剣師範でもあり撃剣訓練は真剣も使う、その方が都合がよいこともある。少なくとも土方にとってはそうだ。新選組で一番の剣士は沖田総司か永倉新八か斎藤一かなどと、よく噂が立つが少なくとも三人それぞれがそんなことには興味はないらしい。

だがもしかすると、土方は斎藤が一番なのではとそう思っているのかもしれない。斎藤の仕事というのは『そういったもの』を主に締めたのだ。

「何故ここなんです?」

京都守護職に就任したのが会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)であり新選組もこの後ろ盾とまた資金面においてだいぶ動きやすい配慮を賜っているはずだが、わざわざこの長屋である。家賃が安いからなどと言う理由ではないだろう。

まあ中に入れ、と顎で剣吾を促す志木。

遣戸(やりど)の建付け悪くがたがたと(かまち)を引きずるようにして開けると、なるほど中は閑散としたものだった。土間を上がった先の居間がひっそりと宿主を待っていたかの様に、無双窓から薄く差し込んだ昼の日が床に沈む埃と(すす)を色浅く映している。

「しばらく使われていませんね」

腰掛ける場所を探しながらの剣吾とは逆に志木は袂から取り出した薄い手ぬぐいを一枚上り框の上に広げその上に座り込む。

丁寧な男だと剣吾は思った。

「ハンカチって言うんだぜ」

「は?」

「これからの時代は和洋折衷(わようせっちゅう)になる」

まさかと剣吾、

蘭語を学んでいた大使や語学生すら黒船が来て以来これまで習得せんとしていたものを疑問に思っているのに。そういえばと、家に残った兄も英語というものを勉強していたようだが。

「開国するっていうんですか?日本が?」

「するさ、幕府が倒幕派を鎮圧した後でな」

しかし志木は密偵だ。流行の情報も剣吾より志木の方がより多く知っているのは確かだが、開国という概念自体がこの日の本では禁忌に近い。

「どこで買ったと思う?」

「その、ハンカチとかってヤツですか?」

そもそも流行や格好に関していっても剣吾は無頓着な方だったがそれも洋物となると余計に首を傾げる。

「どこって…呉服屋ですかね」

衣類で思い付くなら無難な回答か。すると志木は感情をおざなりにしたような事務的な口調と雑な手の甲の返しで家屋の裏を親指で指し示しながらに言う。

「この裏の大通りに桝屋(ますや)がある、そこで買った」

「桝屋、ですか」

いわゆる問屋だ。

「店の中にな、少しばかり他所では見ないような洋物の品を幾つか見た」

その店、黒に近い灰色をしているのだろうか。オランダ産なら日本に出回っているものもそれなりにはある。あるが、

「…ここを借りたのはそれが狙いですか」

「いや実際にここには私とお前が住むさ、しばらくはな。ただ京の東側に新選組の目が届かないのは幹部には少し不安だったてことだろう」

「で、その店どうするんです?まさかたった二人で斬り込まんでしょう。会津公から御用改めの書状を書いてもらうんですか?」

「まだ証拠が弱い、だからここだ」

上り框をこんこんと人差し指で指す仕草をすると「それに」と急ぐ様子もなくゆっくり腰を上げ志木は敷いていたハンカチを取り少しバタバタと払う。それから埃の付いた面を内側にして器用に折り畳むと再び袂へしまい込んで言った。

「先ずはここの掃除だ。奥の寝室は私が使うからな、お前は夜こっちで寝ろ」

物が無く身が軽いだけ有り難い。


曇天。

目に映る街並みはモノクローム。映写機の中に世界を落とし込んだら丁度こんな感じになるのだろうか、まだ少し梅雨の名残りを肌で感じる。漆喰の壁は脆く僅かに剥げ、今朝に働いたばかりの手押し車が正午までの出動を物陰でひっそりと待つ。

夕刻には一雨降ってもおかしくない空模様だ。往来する人々の表情がどこか俯きがちなのは天気のせいではなく実際にその視線を反らしているからだろう。道すれ違う風体の悪い浪士のほとんどが長州の出だ。

振り売りの八百屋と担ぎ屋台では立ち蕎麦や寿司屋が天と人とを観察しながら生業に励み、茶屋は(ひさし)を設けて店先で慎ましく営む。

夜に囲炉裏を挟んで志木から聞いた話しだと辺り一帯に身を潜める長州浪士がゆうに二百はいるとか、大抵が一人では歩いてはおらず組で常に何かを伺う様にして周囲に目を泳がせている。

いわゆる『ごろつき』というやつで、とりわけ政治的な配慮のある連中ではないのだが世の中の流行りに(あやか)って一旗上げようと上洛してきた者達だ。逆にいうと何も起こさなければ取り締まりの対象にはならないが捜査の邪魔になるので非常にたちが悪い。

近ごろ新選組自体が実績に焦っているという面はややあった。本当かどうか定かではなかったが、局長の近藤勇が上洛した会津公・松平容保に新選組の撤収を申し出たとの噂がある。

清河八郎が集めた浪士組が幕府によって解体され新選組と新徴組に分かれた後、新徴組は江戸に戻り新選組が京都の警護となったわけだが、

なんとも割が悪い話しだと、部外者ならそう思うだろうか。

昨今の京都の治安は最悪のそれ。吉田東洋を暗殺した土佐勤王党は武市半平太を容疑者として捕らえたものの残党は未だ大半が見つからず京都に潜伏しているらしい。それに比べて今の新選組は隊内に粒揃いの剣豪も交じるとはいえ総勢五十人程度の烏合の衆ともいえる。

民間上がりのたった一個隊に、長州も土佐も薩摩も相手にしろとはこれ如何に。

その中にあって志木は、

「昼に店の入口で一悶着起こせ」

無茶を言う、その上帯刀するなときた。

店主の喜右衛門という者が若くして切り盛りしているらしいこの桝屋、昼になると幾らかの品々を乗せた車を出し仲卸(なかおろし)に店主自ら出向いて行った。その間、店内に雇われの番頭が一人残るだけでその隙を付いて志木が夜まで潜り込むという。

志木はそういう仕事が得意な男だ。

貧相な着流しを着た剣吾が遠巻きに店先を伺う。

するとなるほど、お(あつら)え向きの浪士二人組が店内へと入っていく姿が視えた。差物(さしもの)は安く本命の浪士達では無さそうだったが、だからこそ世に一矢報いたい彼らからすれば大きく武装した組織に接触したいという希望がある。

これは当たりかもしれない。意を決して剣吾、ふらふらと店先まで歩を進め店頭で品定めするふりを決め込む。店舗は働き手に対して確かに不釣り合いの広さがあった。

それから数分しない内に先ほど店内に入った二人組の浪士が退店しようと入口まで来ていた。店主の喜右衛門が仲卸で不在なのだ、長居をしても意味が無いと思ったのだろう。

「っと」

わざと肩をかすめる剣吾。

そのまま通り過ぎようとするが、

「おい待ちい」

気持ち程度の訛りが長州人らしいと思った。

「何か」

「何かちゃう、肩ぶつけといて挨拶も無しか」

「おまい、儂ら何と思っとんじゃ」

本当に期待した通りの答えを吐くものだなと寧ろ志木のやり方に感心さえする剣吾だが、

感情を飲み込み呆うけた表情を見せる。何事かを成そうと上洛してきた下級武士だ。必然、町人に見下されるのを酷く嫌う。

「ですから何か?」

「あぁ!?」

腰に帯びた刀の柄で剣吾の脇腹を少し強めに付く。

俺達は侍だぞ、苗字帯刀でお前を斬る事も出来るんだぞ、

とそう言いたいらしい。

ちらと店内に目を配る。入口から見える番頭は帳簿に目を落とし見てないふりをするが心の内は長州浪士の好きにさせたい様子だ。代わって志木はそこからは死覚になるような位置取り。

番頭を炙り出す必要がある。

「あなた方のような開国主義者がいるから京都の風紀が悪くなるんですよ」

相当な無礼を言い放つ。

「何じゃと!」

間髪入れず、頬に痛みが走る。

更に襟元を掴まれ強く締め上げられた剣吾へもう一人がその腹部へ殴打を見舞う。

「…っ!?」

歯を食いしばっていたが流石に効いた、しかし剣吾ここはやり返せないところである。

「儂らが上士に踏みにじられちょるに!おまいら町人はそれも分からん馬鹿共じゃ!」

もう一撃、今度は叩かれていない方の頬から拳が飛ぶ。

咄嗟、剣吾は頭部を捻り拳を額で受ける形になったがそれが逆に相手の怒りを逆撫でしたらしい。

「このやろう!」

「私を虐待するならこの店に会津が監査に来ますよ!」

「なにい…」

番頭に聴こえる様に叫んだのだ、ややともしてか流石に飛び出し間に入ってくる。

「あきまへんて!店ではご勘弁を!」

確かに何かあるのだこの店は。困るのだろう何か揉め事が起きては。

剣吾と、そしてもう姿の視えない志木は明らかな確信を得ていた。

「おまい如き町人に会津が出張るか」

息巻いてるふりをするが内で動揺してるのが手に取るように分かる。

「私がただの町人でも、長州のあなた方が騒ぐ店なら会津は来るでしょう」

言うと襟元を締める浪士の手が僅かに緩む、逃さず掴まれた襟を払い剣吾がけほけほと咳払いする。番頭の表情を除くと焦りからか青ざめた面持ちだ。

二人の浪士は相変わらず豪胆な風体を装ってはいるが、もしここが長州の組織と何らかの接点がある場所ならば彼らはこれからもそこ此処(ここ)に出入りしたいはずである。

外から何事かと野次馬が囲い始めたその時、

あっと、人混みに駆けた剣吾はその姿を(くら)ましてみせた。

渋い顔を見せる番頭に二人の長州浪士はバツが悪そうに追ってその場を後にしたのである。


「痛たた…」

「動いたらあきまへん」

如何者にも後を付けられぬよう遠回りに貧民長屋に帰って来た剣吾は事もあろうか、玄関口で隣に住まう若い女に捕まり今手当てを受けている。

口元に少しアザが出来ていた。

「ありがとうございますナミさん、もう結構ですよ」

「おおきに、外で騒ぎがあったと聞いて何事か思うはりました」

ナミという、名は今聞いた。

「綺麗なお顔してらっしゃるゆうに、喧嘩はほんまにあかんどすえ」

貴方の方が、と剣吾は言いかけたが流石に飲み込んだ。下民らしく化粧っ気はほとんど無いぐらいだったが整った顔立ちだ。率直に美人だと思った。

歳は剣吾よりも三つか四つは上だろうか、宮大工の父と隣で一緒に住まい生活は貧しいが不自由はしていないとそう言った。何処かに嫁いでいてもおかしく無さそうな雰囲気だが余計な詮索はヤブ蛇だろうか。

「今日は帯刀してはりませんの?」

「あ…いや」

ここに来た初日に見られていたらしい。少し言い訳をしておかないと都合が悪くなりそうだ。

「最近この辺りもえらい物騒なことになったで、剣吾さんもお連れさんもお侍さんどすえ?」

「あ、いや…俺はその…漁師で足軽なんです。上総(かずさ)から出てきて」

返事は滑らかではなかったがこれは兼ねてより剣吾が決め込んでいた台詞(セリフ)だ。足軽は下士(かし)の内でも農民に近いほどの下級である。かろうじて刀を有してはいるものの田畑を耕さなければ誰もが大抵生活に困窮するような身分である。

だが漁師という部分でいえば村上家も半分本当だ。

「ほんで、京に?」

「街の東側が長州ばかりになっているとは思いませんでした」

「かんにんえ、ほんまはんなりしとる街なんどす」

「いえ分かってますよ、分かってて上洛してきたんですから」

倒幕思想が高まりつつある中でまず真っ先に矢柱になったのが天皇御所だ。勤王尊王関係無くそのどちらもが朝廷を再び政治の表舞台にと大君を担ぎ上げ引っ張り出そうとしている。

奇しくも十四代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)もその将軍後見職の慶喜(よしのぶ)も天皇の庇護下であり特に家茂は朝廷との友好関係を尊重した。倒幕派はここが幕府に付け入る隙であると考えているわけだ。だがしかし朝廷が右を左と言えば左に、東を西と言えば西になってしまうようなそんな危うさが今の日の本にはあった。

自らの発言力の危険性を思慮した朝廷はこの動乱にあって京都御所の内に押し黙ってしまう。

「ナミさん、謝るのは俺達浪士の方ですよ。貴方達の街を目茶苦茶にしてる」

「そんなこと言わんといて、会津様がおいではるからうちも最近は凝華洞(ぎょうかどう)で下女させてもうてん」

なるほど会津藩邸ならば京都でも比較的安全な場所と言えるのかもしれない。出会って間もないが剣吾はナミが質素な割に少し目立つようなところを早速気にかけていた。

彼女を下民らしくないと思った。

「なら安全ですね。こちらには…お父上の様子を見に?」

「へぇ、さようどすねぇ。ぼちぼち見にきはります」

こういうところだ、今の京都で柄の悪い裏通りを彼女がたった一人で出歩けば不貞な浪士連中に拉致されかねないと思った。

「もしも何かあったら言って下さい」

傷を観てもらったお礼のつもりで言ったが、

「あら、ほんに?」

「足軽でも武士は武士です、お役に立ちますよ」

少し背伸びして格好付けたつもりが「(おとと)みたいで可愛(かわえ)えけどね」とくすりと笑われた。

「ほなね、お休みやす」

「…お…お休みなさい…」

村上剣吾、御年未だ十六である。

長州浪士に殴られた左の頬にうっすら腫れた異物感を感じ無意識にそっとなぞると、まだまだ少しばかりの痛みがあった。


明け方長屋に帰って来た志木は頬被(ほっかむ)りにボロ布を纏う乞食(こじき)の成りすましをした格好で現れ、先に着ていた浪人の着流しはどうしたのかと剣吾が聞くと屋根裏に置いてきたと言った。

昨日、あの曇天からやはり夜にはしとしとと雨が降りおかげで暗闇での忍び足も現場からの撤収も全く気付かれる様子はなかったという。

剣吾の方はで頬の腫れは引いたものの、志木はその顔のアザを見るなり「上手くやれたな」と皮肉を当て付ける始末。

勘弁してくださいと渋い表情をする剣吾にまあまあと宥める志木が昨日桝屋で見つけた戦利品をごそごそと取り出し居間の床に並べる。

あろう事か鉛の弾丸だ。

「これは…!」

「あの店、地下があったんだよ。そこに鉄砲やら火薬やらがびっしり詰まってる。最新式の短銃まで備えてあったな。回転式弾倉(リボルバー)ってやつだ」

「え?な、なんと?り、りぼばらい?」

「弾丸が複数装填出来る」

あれから剣吾は夜中に駐屯所まで駆け諸士調役(しょしちょうやく)・山崎烝へここに来るよう連絡を取り計らった。

然らばこれだけの装備となれば近く長州浪士が動乱を起こす気があるのは間違いがなかった。だが肝心の会津は他藩との直接的な抗争は避けたいと常に思慮をしている。

水戸藩が先駆けとなって大老・井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺から尊王攘夷運動が各地に広まるといつか倒幕思想へと発展はしたが。そもそも会津藩主・松平容保は『徳川御三家同士の争いは絶対不可』であると説き、この桜田門外の変が水戸によって起こったにも関わらず徳川同士での戦争を回避し調停に尽力した程の人格者でもある。会津藩もまた京都の淀藩も今の段階では特に過激派が多い長州や薩摩であろうとも、その思想について公に封ぜられないのだ。

御上の判断は到底待てなかった。

「山崎さんが来たら喜右衛門とあの桝屋は即刻差し押さえするだろう、剣吾お前は本隊とは合流しないであの桝屋を監視していろ」

長州の要人が近く潜んでいるならば桝屋を差し押さえ尋問している間に取り逃がす可能性がある。喜右衛門はある程度自白するかもしれないが長州にとって最も重要な者の名は決して口にはしないだろう。

特に長州藩邸までの通りは肝だ。昨年まで高杉晋作が滞在していた場でもある。八月十八日の政変以降、京都から失墜した長州藩のその浪士達の焦りと憤りはもはや爆発寸前まで来ていた。

その腰に刀を一本帯びた剣吾は今一度、遠巻きに桝屋の入り口を見張ることにした。無職の浪人のなりならば今の京都のそれも東側ともなれば辺りに幾らでも徘徊している。街に溶け込むことは造作もなかった。

後半刻しない内に新選組がやって来て辺り一帯を包囲するだろう、あの派手な薄浅葱(うすあさぎ)のダンダラ模様をした羽織りを着た連中がである。これが壬生側から隊を成してやって来れば警戒してなくとも直前で店から抜け出す者がいてもおかしくないはず。

と、

そそろと店から出てくる一人の男。

町人のように見えなくもないが、

あくまでも気に留めなければという話し。何よりこの男体躯は悪くなく特に剣吾の目を引いたのはその額。

三日月形の古傷があった。

「最近の傷じゃない…だが…」

帯刀こそしていなかったが、その三日月の古傷のせいだろうか不思議な気迫があるように感じた。浪士なのかただの町人なのか、跡をつけるべきだろうか?

何にしても、

新選組の本隊が到着すれば辺りは大きな騒ぎになるだろう。ならばと剣吾この男に目星をつけ追うことにした。

するとこの男、一度大通りまで出たかと思えばふらふらとした足取りでこの碁盤の様にきめ細かい京都の街を隈無く探っている。跡追う剣吾は最初その目的地をいまいち掴めずにいたが、

三条通り周辺を視察してるのか?

推察は確信へと変わり男は辺りをぐるりと一周するとそのまま長州藩邸へと消えて行った。

あの額の古傷だ、忘れることはまず無いだろう。後日ここを張って監視してもいいかもしれない。

とそう思っていたが、

「おい、おんし」

つけていたのは自分だけではなかったらしい。

「跡つけちょったな、あの人になんぞ用事があったがやないが」

ひどい土佐訛りだ。

だが然るにこの男、背もあり体は筋肉質で豪胆な雰囲気がありながらこの出で立ちで上手く剣吾を尾行していたのか『こういうこと』に慣れている奴だ。

非常に危険性のある男だと思った。しかし同時に身構えている事を気取(けど)られてはならない。

「違うき、仕事を探しゆう。あの人は長州のえらい人違うんか?」

「おまん、土佐か?」

食い付いた。実際嘘は言っていない。

同郷だからこその間合いがある。特にこの時期に土佐の出が京都を彷徨(うろつ)くのは何かの後ろ盾が無い限り慎重になる行為だ。土佐からの脱藩者を軸に形成された天誅組や今や監禁する武市半平太率いる土佐勤王党と、これら過激な尊王攘夷運動を起こした土佐の浪士達が尽く失脚している最中(さなか)

しかしだからこそ、この男も同じ土佐訛りを持つ人間へのその同郷意識に肖れば決して無下にはしないかもしれない。

「じゃきに、よろしゅうしてつかあさい」

下手(したて)に出てみる。が、

「無理じゃ、諦めいや」

だいぶ強めの拒否をする。だがそれでも初見よりは幾分角の無い口調には聴こえた。何よりもあの長州藩邸に入って行った三日月傷の男のことを『えらい人』と言ったのを否定していない。

そして剣吾がこの土佐訛りの男を特に警戒した理由はもう一つ腰に帯びる差物の、その業物(わざもの)たる故である。

肥前忠広(びぜんただひろ)

土佐の名工その一刀。故郷の逸品であることは鞘に収まっていても剣吾には分かった。

「あんたさんはたいそうな使い手とお見受けしましたが」

世辞だが、

「そっかえのう、まあ嫌な感じはせん」

悪い気はしない、か。

浪士としてではなく剣士として担いだのだ。それをこの男、謙遜する様子もなくそれなりの腕を自負しているのか彼らの内でも恐らくそういう扱いを受けているのだろう。

「せやけど儂も使われちょる身やき、じゃけんおまんが路頭に迷おうが知らんことじゃ」

「そがな、なら失礼いたします」

埒が明かない。怪しまれる前に切り上げようとした剣吾にだが、

「まあ待っとう、儂はこれでも顔が利く」

果たして自尊心が高いのかそれとも気に入られたのか、よもやこの男の方からである。

「おまん、名は?」

どうする?一瞬迷う。

「村上剣吾いいます」

隊士として取り分け名前が上がるような肩書が付いているわけでもない。大丈夫だろう。

「岡田以蔵じゃ。もしまた(あい)ゆうなら、おんしみたいなのがまだ京の中におると伝えとくき」

「おおきに、ありがとうございます。ほいたら」

軽く会釈をし(へりくだ)った態度で後をするが剣吾、

この岡田と言った男にはまた別の形で会うことになるだろうという妙な確信があった。


桝屋の喜右衛門と呼ばれていた男の本名を古高俊太郎と言った。

「喜右衛門…古高はなぜ名前を隠したんです?」

「彼は梅田源次郎という儒学者で強く尊王攘夷を抱く思想家に師事していたんだ。この梅田は井伊直弼が行った安政の大獄の最初の捕縛者だったらしい」

「最初の?」

前後が不明瞭だが志木の説明からするに安政の大獄による捕縛歴が梅田にはあるが、そういった事とは関係なく弟子入りしたということだろう。そうすると古高は端からこの梅田の強い尊王攘夷の意に感銘を示していたのか。

まず儒学者には尊王攘夷思想が特に多かったが水戸藩が口火を切った桜田門外の変にしろその水戸学というものの根底には儒学による神道や国学への解釈がある。

到着した新選組の本隊は会津の判断を待たず即刻店を差し押さえすると間もなく古高は局長・近藤勇の住まう前川邸駐屯所へと連行。そこで苛烈な尋問を受ける事になる。

この古高への尋問を副局長である土方は直々に行ったらしく、蔵に押し込め二階から宙吊りにすると四肢に五寸釘を撃ち込み貼り付け火炙りにするなどの耐え難い拷問を強いたようだ。実際あれ程の武装を隠し持っているとなれば近く長州の倒幕組一派がこの京都で大きな動乱(テロ)を決起するであろうことは間違いなかった。

取り分け武装の押収と共に危険視されたのが長州浪士の名が連なる書簡である。

そこにあった桂小五郎の名、

剣吾でも耳にしたことのある長州浪士の大物中の大物である。吉田松陰(よしだしょういん)が営む松下村塾(しょうかそんじゅく)に関わりがある者の内では塾生とはまた違ったようで松陰の思想に強く共鳴を示した同志のような存在だという。

ただ彼は高杉晋作や久坂玄瑞(くさかげんずい)といった過激な長州浪士とは一線を画していて、特に慎重であり思慮深く温厚であるという話しだ。

志士と、新選組にとっては政敵ではあったがそう呼んでもいい人物なのかもしれない。

まさかなと剣吾は昨日長州藩邸へと消えて行った三日月傷の男の事を思い返す。もう一人あの岡田と名乗った業物を帯びる土佐の浪士。

どちらも再び相まみえる気がしてならない。

かの二人について剣吾は一度志木へ報告をしたが、未だ不確かな状態での本部報告は本隊の捜査を惑わすだろうと一旦保留。古高の自白を待ちあの武器庫が一体何事に使われるのかを先に知る必要があった。

昼夜をかけて行われた古高への尋問の末、ようやく彼が暴露した内容は新選組のみならず京都そのものに戦慄を走らせるものだった。

天皇御所の焼き討ちである。

古高 (いわ)く、

六月の風が強くなる時期を見計らって京都御所並びに会津藩邸等幕府の重要拠点に同時多発的焼き討ちを行い混乱に乗じて天皇を『保護』し長州へ召還する、という恐ろしいものだった。

だがその証言自体は古高が受けた辛辣な拷問故の誇張もあるのかまた体力的な消耗もあり挙兵する長州浪士の名や会合の場所等、明確にならない点がままあった。残された書簡だがこれも決起嘆願が綴られたもの等ではなく武器弾薬についてではあるがあくまで商業用のものである。

ここで新選組の主脳が出した答えは京都の中京(なかぎょう)でも特に三条通り周辺の宿舎が組織の会合場所であると推測。

御用改めにて即刻押し込みを開始するという。

「そのやり方では目星が外れてしまった場合に隙を突かれて逃げられてしまうのでは?」

「いや、特に有力だろうと思われる宿舎を先に二カ所絞ってあるそうだ」

何処に?という剣吾の表情。

「四国屋と、もう一つ池田家という二つの宿舎だ」

この宿舎は土佐人である剣吾にはよく聞き覚えのある名前だった。

「なるほど、四国屋…!武市半平太が土佐勤王党を指揮していた時に拠点としていた宿ですね」

「ああ、皆もこっちが本命だと思っているようだ。隊士の過半数をこちらに投入するらしい。だが池田家の方でも土佐薩摩辺りの浪士が出入りしているのを目撃されている」

何よりこの二つの宿は距離的にも近い。

だが、と志木がお手上げのふりをする。

「私達三番隊は他の隊と違ってたった三人しか居ないからな。その上斎藤さんは相変わらずどこで何をしているのか分からんから、私とお前は分かれて現場に赴き本隊の指示に従って行動する」

要は現場に居合わせるが何もしなくていいということだ。

「剣吾、お前は池田家へ向かう隊と合流しろ。私は四国屋の方へ行く。まあそちらではなに事もないだろうさ」


大規模計画の焼き討ちとあってか流石に危機感を(あらわ)にする新選組内部だが、剣吾本人が最初に頭を過ぎったのは何故か会津藩邸へ下女として通う貧民長屋のナミである。

単に京美人だから気になったというだけだろう、とは思ったが実際今は取り締まりが収まるまで会津藩邸よりもあの貧民長屋の方が寧ろ安全なようには感じた。

今宵(こよい)はまた久しくその背に誠の一文字が入る薄浅葱のダンダラ羽織りに袖を通した。この羽織りはひどく目立つ為街の警護や差し押さえの際等には都合はいいが普段は密偵や調役(ちょうやく)等が着ることはほとんど無く大義的な物としての意味合いの方が強い。

これを意匠(デザイン)したのが何しろあの土方歳三というのだからなかなかの風流者である。

後一刻程で深夜を差し掛かろうというところ。

敢えて明かりを灯さず前川邸駐屯所を出発した先導隊に剣吾は混ざり池田家に到着すると一同はその表口と勝手口を先行して塞ぐ。池田家は両側を別の家屋に挟まれていた為簡単に袋小路を作れた。

程なく、やや遅れて幹部組が到着する。

局長・近藤勇、

一番隊組長・沖田総司、

二番隊組長・永倉新八、

八番隊組長・藤堂平助、

「首尾はどうか」

通りへ広く冴え渡る近藤の野太い声。

「はい、裏口は既に槍術が使える者で固めております」

他隊の先導役平隊士が報告する。

「四国屋の近況は」

「そちらも宿周辺を包囲し出入りを禁じたまま隊は副局長と待機中の様です」

「よし、こちらの踏み込みを待たせろ。あちらが本命だからな。とっとと終わらせて全隊直ぐに増援へ向かうぞ」

それから近藤は幹部三名に目配せし、

「総司、平助、永倉先生、準備はいいか」

「四人だけですか?」

沖田が聞くが、

「何かあった時に取り逃したくない、外は他の者全てだ」

「近藤さん、先生はよして下さいとあれほど…」

「相済まん、癖が抜けんな」

流石に試衛館からの馴染みの同志か、三人ともこの物捕りにして大分砕けた雰囲気だが藤堂だけは緊張を僅かに帯びた面持ちである。

鉢金を締め直しいざというところ、おやと近藤が表口の防衛に張る剣吾へ気付く。

「君は、山崎や志木と連携して古高の店舗を諜報していた…三番の隊士だな?」

「はい、三番隊隊士の村上剣吾です」

すると沖田は珍しいものを見たというふうに。

「へぇ、三番かあ。(はじめ)君以外を初めて見たな」

一君、斎藤のことか。

いやはやと困った表情の剣吾に近藤が「…隠し刀か」とよく聞き取れなかったが何かを漏らした。よもや同じ組織内で組長以外を見たことが無いと言われようとは肩身が狭い。

寧ろ剣吾からすれば斎藤の方こそろくに顔を合わさないものだが。

ふむと何か短く思案していた近藤は、

「よし村上、君も我々と共に中へ入って脇を固めてくれ」

「近藤さん、彼もですか?」

永倉の意見は最もであるが。

「どうせ何も無いんでしょう此処には、僕は何でもいいですよ。早く土方さんのところへ行きましょう」

やはり沖田はあっさりとしたものだった。幹部組の面々で言っても永倉や斎藤に比べて沖田自身の政治的な志向というのはそもそも軽薄なようではあった。

武士になりたい、格差を無くしたい、他国と肩を並べる強国を作りたい、そういった(こころざ)しを持ってこの動乱の中で剣を振っている者達とはどうにも毛並みが違うよう。

新選組は機動隊である。非常時における実演(デモ)を見せ付けておかなければ息巻く攘夷浪士達に圧力をかけ牽制しておくことが出来ない。

長州藩ともなれば先の政変以降、御達しの上は京都を追いやられ他藩と四面楚歌(しめんそか)の状態が続いたせい内乱を起こそうとする気概が特に高まっていた。元々藩内でいっても黒船が襲来して以来、正義派俗論派などと分け隔て勢力が二分しているぐらいだ。

大規模な焼き討ちを計画するはずである。池田家が『当たり』かどうかは定かではなかったが新選組がここに突入することには儀式的な側面もある。

今その腰に帯びる剣吾の差物は小太刀が二本。そんなことには誰も気に止めないと思われたがそれを見て「ふうん…」と鼻を鳴らしたのは沖田。

剣吾に何かを感じ取ったようである。


夕刻には遠く山方から微かに聴こえていたエゾハルゼミの鳴き声も今は鎮まり変わりに夜の通りへ響くのはしりしりと、僅かに出てきたばかりのキリギリスが羽根を合わせる音。

夏至近く日中の日は高い。日没後であっても京都の街には淡く(ほの)かな月光が辺りを照らした。家屋は静寂に障子戸が揺らぐ室内の蝋燭(ろうそく)のせい行燈の変わりのようにも思えた。

宿の二階その奥の部屋は八畳間だったが襖を挟んで片側に四畳の部屋がもう一つある。格子窓を開けると直ぐ下屋(げや)になり一階裏口の庇が掛かって見える位置だ。

裏階段があったがこちらは店主に言い付け封鎖してある。一階客室には数組だが一般の旅客が混ざっており二階を丸々攘夷浪士達が占拠している為宿の風紀的な問題を考慮しての事だろう。屋敷の中央には景観用の小さな中庭があった。

この八畳間に長州浪士を軸にその他若き維新志士達の中核が集う。

宮部鼎蔵(みやべていぞう)は八月十八日の政変が起こると一度長州へ戻らざるを得なかったが今再びこの地に潜伏した。元々吉田松陰とは歳の離れた友人とまで言えた存在だったがその門下である吉田稔麿(よしだとしまろ)が是非に指揮して欲しいと懇願をした。

だが宮部は稔麿に「皆の旗頭は君だ」として上に立つことこそ拒んだが間違いなく彼らの内では古参であり精神的支柱だった。そして此処には長州のみならず解体された元土佐勤王党の者や寺田屋事件で上意打ちに遭い逃亡した薩摩浪士等、経緯があり脱藩して来た者達が多く募った。

稔麿は以前にも部落民であった穢多非人(えたひにん)という士農工商(しのうこうしょう)の枠からすら外れ蔑まされてしまう者達でさえも雇用し徴兵へと()てた策をとる等奇才を放ち、またそういった下位の者達からすれば間違いなく名士である。

彼を中心として今この京都に大きな震撼(しんかん)を起こそうとしていた。

「明日にでも直ぐ策を決行しよう」

薄行灯の中稔麿が言う。

「古高が捕らえられたままじゃき、どうするが?」と望月弥太郎は航海術を学んだ土佐脱藩者だ。

「京都御所と会津藩邸を同時刻に焼き陽動を図るのだ、新選組も出ざるを得なくなるだろう。その隙に別の隊が前川邸に踏み込む」

「まだ装備は有るが…少し心許ないな。久坂君には手は借りれないのか?稔麿」

「やはり私はこの策は気が進まないな」

額に三日月傷を持つ男、桂小五郎その人である。

「桂君、君の言い分は分かる。だから君はこの策を知っているだけでいい。成功したら上手く高杉君に取り次いでくれ」

「長州が朝敵となりまた多く京都の民が死ぬ。私はやはり先に長州の問題を解決すべきだと思う。高杉君もいつ野山獄から出て来れるのかわからん状況下だ」

「この混成隊ですから長州だけが朝敵とはなりませんよ。その為の、です。高杉もよもや松陰先生の捕らえられていた牢獄に収まるなど、もっと上手くやれなかったのか?」

やれやれと稔麿は頭を抱える仕草をするが、

「桂君、そもそも君は帯刀をしてくれ。君程の人材が自分の身も守れないのは存外だぞ。この動乱で志士が人を斬らないなど到底無理だ」

「私には以蔵が付いてます、宮部さん」

「罪人でしょう彼奴(あいつ)は、今どこにいるんです?」

稔麿に言われ桂は此処からは僅かに離れた三条橋の方角を顎で指す。

「高架下で乞食に混ざり込んで野宿ですか?腕が立つといってもやはり彼奴は信用出来ませんよ」

「高杉君の借金の片に来たのだ。そうそう良からぬことはせんさ、今は」

「奴よりも望月が土佐を出る時、共に坂本さんを連れて来れたら非常に良かったのだが」

「ざまな攘夷運動に関わるな言われちゅう、坂本はそう言う男き」

らしいと宮部は思ったが、しかし桂にしろ坂本龍馬にしろ日の本の未来を担う逸材と見る反面その甘さが目立つようにも感じていた。

「北添は?」

「階段を見張っています。明日の策の直前で少し睡眠を取らせた後に殿(しんがり)隊を…」

稔麿が言い切る間にがたがたと物々しい騒音が廊下から聞こえた。間違いなく何かが階段から転げ落ちた音だった。

はっとして宮部、望月が刀を手に取り稔麿は格子窓を開ける。

「桂さん、行って下さい!」

「しかし…!」

「これは私達の策であって貴方は関係がない。貴方を巻き添えにしては高杉に首を斬られてしまいます」

「我々も直に後を追う。桂君は先に退避してくれ」

険しい表情の桂だが一瞬猶予を見せたばかりで素早く格子窓から下屋へ出ると裏口一階の通り(ひさし)を伝って二階の屋根にまで躍り出る。

勾配(こうばい)下には月明かりに揺らぐ新選組の、その薄浅葱の羽織りがちらと見えた。

今宵の池田家は時既に囲まれていたのである。


番頭すら床に就いた時刻だ。

池田家に踏み込んだ五人だが玄関先を抜けると沖田は近藤の号令をも待たず、まず真っ先に階段を駆け上がると手摺りにもたれ掛かっていた浪士の首元へ突き上げるように刀を立てた。

瞬殺だ。

この先手必勝の判断こそ新選組の強さの根本と言えた。階下へけたたましく遺体が転がり落ちて来ると「御用改めである!神妙にしろ!」と近藤が怒号を発した。

一般の旅客も混ざる宿だ。号令を発して威嚇し浪士か町人かを見分ける。

「藤堂と村上は玄関口から一階を、永倉先生は俺と上がって二階の表口階段を封じてくれ」

「おう」

短く永倉。先生と言った事に野次は飛ばさない。

一階では藤堂を先頭に剣吾が殿に着く。

しかし剣吾は藤堂の獲物の長さが気になった。恐らく小柄な藤堂が間合いを補う為だろう手に取るのは自身の身の丈の半分程はある長刀だ。屋内で立ち回るには長過ぎる気がしないか。

上の階では既に沖田が二人目を始末していた。

「総司、出過ぎだ」

近藤が追いつく。

「そんなことはないでしょう。この時間に階段を見張りなんて、上の階にいる者全て攘夷浪士ってことですよ」

「そのようだな。だが可能なら数人は捕らえろ」

「そういうのは加減の上手い永倉さんにやってもらいましょう」

言わんことはない、突然手前の部屋の(ふすま)が開くと浪士が一人斬り掛かってくる。

寸でこれを避ける沖田が相手の小手を切り払うと喉元へ深い平突き。

浪士を蹴り飛ばし部屋へ飛び込むと中には更に二人。襖越しに上段を構え潜んでいた浪士が沖田に撃ち込む、

がこれを予期してか剣閃を無視して更に深く部屋へ()り間合いが離れる。慌ててもう一人が刀を振ろうとするがそれよりもずっと素早く沖田はその胴へ十八番(おはこ)の三段突きを見舞う。

その者崩れ落ちる間もなく、けんっと沖田は即座に跳ねると襖に潜んでいた方の浪士へ詰め寄り交差する(いん)の字の袈裟斬りを二度撃ち込んだ。

これで沖田が一人で五人、宿に踏み込んでから三分も経たない内にである。

しかし何故か沖田が、ぜぇと僅かにその呼吸を乱す。

「…あれ?おかしいな…」

「どうした総司」

近藤が沖田の顔を除くが「これは」と深夜の屋内の暗がりのせい余計に褐色悪く視えたのだろう。加えて梅雨が明けたばかりのこの湿度だ。

とはいえあれだの動きであるがこの新選組屈指の剣豪たる沖田が膝を突く等、普段近藤には考えられないことだったが、

「永倉、沖田を頼む」

今度は先生とは呼ばなかった。

近藤に余裕がなくなる時といえば大抵、自分以外の事になる時である。目下に対して以外にも過保護だ。部屋を出て直ぐ表口階段を張る永倉へ近藤が促す。

「大丈夫ですよ僕は」

「そうは見えん、喘息が出ているな。変なところで意地を張るなお前は、大人しくしていろ」

昔から沖田は肺が他の者より少し弱い事があった。近藤はそれを知っていたからであるが、

「しかし一人では」

永倉が言う。

「俺を見くびるな、問題ない。それより階下は?」

「少数交戦していたようですが大半が裏口に逃走を図ろうとして槍隊に迎撃されたようです」

ふむと近藤、一階も気にはなったが攘夷浪士の主脳は未だこの二階の奥に潜伏していると見える。

焦らずとも四国屋に張った土方の隊が増援にやって来るのだ。逃すまいと思っていただろう。


中庭に隣接する小さな三畳間を開けると隅で番頭が小さく(うずくま)っていたのだが。

突然、

ばっと横の襖を割って飛び出してきた刃が藤堂の額をかすめた「…っ!?」声にならない声を出して咄嗟身を引いたが。鉢金を締めていた為かろうじて切っ先は深く入らず致命傷には至らなかったが直ぐに視界を遮る程の血量が(まなこ)を覆い思わず藤堂が怯む。

だがここで我武者羅(がむしゃら)に手にする長物の刀を襖越しに突き立てるとぶすりと確かに人を貫く感触があった。

しかし勿論敵も一人ではない。

刀身が抜けず焦る藤堂の背後で、

がんっ、と床を蹴り宙を舞う剣吾が藤堂を飛び越え裏に潜んでいた浪士へ天井から降るように小太刀を突き立てる。

「…!?どうなった!?」

視界不良になり藤堂には視えなかったが、続いて開いた仲の間六畳。もう一人の浪士がそこに待ち構えていた。

刺した刀を抜き取りざまに姿勢低く()うよう駆ける剣吾、相手はその低さを捉えきれず構えたその正眼を大きく揺らす。

近接間合いに剣吾が組み付くと素早く足首を切り払い仰向けに転倒させるとその喉元を斬り裂く。

一波凌いで気配を探るとばたばたと廊下では裏口へ走る数人の足音。するとその先でしばらく合戦が起きたようだが攘夷浪士達は待ち構えていた槍兵の壁を突破出来ずにか瞬く間に静かになった。

「藤堂さん!大丈夫ですか」

剣吾は藤堂に駆け寄り(たもと)に入れた手ぬぐいで直ぐその額の血を拭うと自身の薄浅葱の袖をちぎり即席の包帯で止血をする。

鉢金がなければ即死していた程のものだ。自分の荒療治(あらりょうじ)ではなく早く外にいる別の誰かにその傷を観てもらわなくてはならないだろう。

「村上…君は大丈夫なのか…?」

「一階の者は大半が裏口を出てやられました、ここはもう大丈夫そうです。俺達も退避しましょう」

そう言い肩を貸そうとした剣吾にだが、

見上げた中庭から屋根を走り去ろうと三日月傷の男の姿がその目に映る。

「あれは…!?やはり長州の者…!」

「上に…誰かいるのか?」

霞む目に眉をしかめる藤堂が剣吾の視線の先を追おうとするが額も酷く痛み前がよく視えない。

担がれた肩を払い鞘に納めた長刀を杖替わりにする藤堂が「追ってくれ」と剣吾へ言った。

「他の皆は気付いてないみたいだ。大捕物(おおとりもの)になるのなら頼む、ここにもう敵がいなければ俺も大丈夫だ」

短く頷く剣吾が玄関口へ駆ける。

表口を張る平隊士達を尻目に家屋の屋根が連なる区画の先を目指す。四国屋に分けた土方と過半数の隊員は未だ此処の増援には間に合わない様子。

剣吾の向かう先は中京(なかぎょう)の端、その三条橋である。


脚力には特に自信のあった桂。

橋まで来ると騒ぎを遠巻きに聞いた岡田が飛び起き丁度この土手を登りきったところで二人は鉢合わせた。

「桂さん!?この騒ぎは一体なんぞや?」

高架下の乞食達は巻き込まれたくないと言わんばかりか臆病になり縮こまっている。今の京都ではよくある襲撃事件、と言いたいが大抵は攘夷浪士達が突発的に起こすものであるから町民達は身構えてもいられないだろう。野次馬せず戸を硬く閉め街を伺っている様子である。

「新選組に襲撃された」と桂は短く言った。

奴等(やつら)動きがえずいぜ、やはり朝っぱらに古高言うんを助けるんじゃったな」

「何を言ってももう遅い、いやたった半日の差ではあったが…新選組にも頭の回る奴がいるらしい。古高君が場所を割ったとは到底思えん」

「どうするが桂さん?おんしのことは高杉に頼まれちょるが…儂は彼奴等(あいつら)に加勢した方が良かか?」

「いや助太刀は間に合わないだろう。稔麿君達が逃げ切るのを願うしかない」

桂の本音だった。

「私達も二三日京都から離れるぞ。久坂君もまだ動いていないからな、一度接触してようと思う」

「おっくうじゃな、まっこと斬り合いが下手くそな奴らばかりじゃ」

やれと桂。

この時代にとって好戦的な者の方がそこ此処に一筋の爪痕を残そうものだが。自分の見知った顔ぶれがどんどんこの世を去って行くその様に残された虚しさと同時に責任も感じている。

道尽き心安(こころやす)んずる、便(すなわ)()死所(ししょ)

松陰先生、それでもまだ自分は死ねませんと桂は強く想う。

だがその想いとは裏腹に二人の前に現れるのは跡を追い、遂に駆け付けた薄浅葱の羽織りを着る新選組三番隊隊士・村上剣吾である。

「おまんは…!?」

昨日の朝方見た顔。それが今目の前で新選組の羽織りを着て立つのである。

だが直ぐに岡田は驚いたような表情を止めた。変わりに何か低い唸りを自制して抑えつけるような、獣に近い雰囲気があった。

「同郷や思うちょったが、がっかりぜよ」

岡田は桂に目配せすると行けよと顎で追い払う仕草をする。それからゆらゆらと橋の中程に立ち、刀の柄に軽く手を乗せると如何にもそこを退かないといった具合だ。

颯爽と先を駆け抜けて行く桂。

背が遠く小さくなっていくが剣吾、この岡田をやり過ごさずに跡追うのは到底無理か。

「貴方に用はありません」

「儂もおまんに用などない」

橋の上でお互いが見合い刀の柄に手をかける。月は低く(おぼろ)な光が二人を淡く照らした。

遠く池田家の喧騒が聴こえる。だがそれ以外の京の街は沈黙しただ静かに事の顛末(てんまつ)を見守っているようだった。

「先に言いちょく、儂らはおまんらがやりあっちょる連中とは関係あらんき」

「なら何故逃げる」

ちきと、(はばき)を弾く音がするとほんの僅かに岡田の愛刀備前忠広の刀身がちらと覗く。腰を屈め重心低く剣吾がうすら右回りに間合いを測る。

瞬発、

駆けた剣吾が更に上半身低く左手で抜いた小太刀で寝小手(ねこて)を放つ。が岡田は一寸間を空けただけで柄から手を離さずにこれを避ける。

「小僧っ!やるぜ」

(なまく)らな剣士であればこの初手で勝負が決まる程の速度だったが後の手で見切る岡田の動体視力に剣吾が一瞬躊躇う。

すかさず岡田が抜刀した居合いとも言えないやや強引な引き抜きで上段を斬り返す。

剣吾はもう一太刀の帯びる小太刀を右手で取り寸でのところを(つば)で絡ませ剣を弾く。この小太刀二刀流が剣吾の真骨頂だった。

だがこの剣閃、岡田の胆力故か異常に重い。(いな)した右から連携して左半身を前に出した平突きを見舞うが。

浅い「はっ」と岡田が剣吾の左小手を蹴り払うと直ぐに石畳を強く踏み込み上段の袈裟斬り。

けんっけけんっ、と思わず剣吾が連続で素早く後方に飛び退く。基本に忠実な正眼からの上段、完成された見事な一振りだった。

はらりと僅かに右の手三里(てさんり)を切っ先が(かす)めていたらしい。うっすらと血が滲む。

この岡田という男、類稀なる身体能力に王道の一刀流を兼ね備えその上に独自の喧嘩剣術を混ぜるようだ。まるで剣術の方を後から習得したようなそんな印象を受ける。

外から見れば荒々しい雰囲気だが立ち合うと端々にその『実直さ』が伺える剣だ。

「は、はは、えいねぇ小僧。それも普通の流派やがない。(ぞく)がな?」

見抜かれたか、然るに答えない剣吾。

「貴方はその腕が合って京を混乱させることにしか使わないのか」

「先に言うちょるやがな」

「…なに…?」

「儂らは連中に加担しとらん」

唖然とする剣吾、まだ岡田が言うことが本当かどうかを決め兼ねていたが。そもそも加担とは計画自体は知っていたということだ。

だが岡田は剣吾の表情を伺うなり鼻で溜め息をついてその愛刀を鞘に納めた。

「今は見逃しちゃる、追いかけるなや」

こちらに引けと言っている。

「…それは俺と貴方に利はあるのか」

「斬り合うだけ、おまんが損するだけじゃないがか?向こうはどうしゆうが?」

池田家の方角を見るとどうも家屋から火の手が上がっている様だった。

藤堂の事も気になったが、まず三日月傷の男は既に取り逃したことでその立証性は保てないだろう。あの男に橋を通した時点で岡田の仕事は終わっている。自分達には関わり合いが無いとは言っているが、この岡田を相手に加減し生かしたまま今捕らえるというのは到底無理だ。

何よりもまだ京都御所焼き討ち計画の首謀者はあの池田家にいるはずである。剣吾が単身それもただの平隊士とはいえ当たりか外れか分からないこの岡田と競り合っているのは時間的にも相当に分が悪い。

致し方なく二刀の小太刀を鞘に納める。

すると岡田は猪の様にけたたましい足音を鳴らし橋の向こう側へ走り去っていく。

これはもはや大捕物を取り逃したなと、内心思う剣吾だった。


「痛たた…」

「動いたらあきまへん」

またしてもナミに手当てを受けている剣吾。切っ先をかすめた右手よりも蹴り弾かれた左側手(ひだりそくしゅ)の打撲の方が強い痛みを感じた。

だが藤堂が受けた額の斬り傷に比べれば大したことはないだろう。

「また外で喧嘩しはりましたん?」

「いや、まあ…そうですね」

新選組の池田家における制圧戦はあれから土方の隊が到着する頃にはほぼ終結していた。

額に重症を負った藤堂だが直ぐに外科医にかかり今は安静にしている。傷口がしかと塞がれば特に後遺症はないだろうと聞いた。その他沖田が喘息で昏倒しかけたとの噂があるがあの動きを見た後での剣吾にはいまいちその状況は想像出来なかった。

残されたのは近藤と永倉の二人だけだったが。二人を入り口まで介抱した永倉は直ぐに屋内へ戻ると二階正面口を張り強引に突発しようとする浪士を二人斬り。近藤に至ってはそれまでに奥にいた残りの首謀者を含む五人の浪士相手にたった一人で奮戦したという。流石は新選組を束ねる剛の者だ。

近藤曰く「一人は最後には自刃した」と言っていた。京都御所焼きを未然に防ぎこそしたが、彼らが組みする別の組織やその内情を知る機会を得ることは叶わなかった。

「剣吾さんもそな乱暴なことせんといて、新選組さんみたいに格好ようならんと」

「…え…格好いい、ですか?」

「ええ、新選組さんが」

この京都御所焼き討ちの計画を阻止してか、今朝方から瞬く間に京都中に新選組の名は響き渡ったのだ。治安の劣悪だったこの京都の町民と大君を護る英雄。

京都に来たばかりの新選組では不貞な浪士組連中と一緒くたに束ねられ外から来た『異端』扱いだったが今ではその求心を大きく得た。未だ会津藩預かりという非正規の組織ではあったが一夜にしてその大義を具現したのだ。

「そらもう、京の女衆(おなごし)(かしま)しくきゃあきゃあ言っておりますえ」

「そうなんですか」

「うちもあの土方さん言うんは顔のええ男やなとは思うとりました」

「いやいやいや!あのですねナミさん、実は…」

「おい剣吾!無事か?」

けたたましく建て付けの悪い玄関を開けて入ってくる志木。何とも場の読めない人だと剣吾が煙たがる。

「ちょっと志木さん、もう少しですね…」

「あのねナミさん、あんまり此奴(こいつ)を甘やかさんで下さいよ」

「あまり虐めては可哀想どすえ?」

「虐めではありません、これは鍛錬というものです。我々は故郷に一旗上げる為に京都に来ましたので」

そういう(てい)である。そういえばナミには志木は同門の剣術道場で自分の兄弟子だというような説明をした。

身を明かさず引き続きこの貧民長屋を拠点とするよう幹部に言い付けられている。

「ほなら剣吾さん鍛錬はあんじょうお気張(きば)りやす、お怪我はもうせんといてな」

「…肝に銘じておきます…」

袖を千切(ちぎ)った薄浅葱の羽織りを仕立てに出し、

その後の帰りには性の付く食べ物を買って藤堂の見舞いに行こうかと、剣吾が日中の予定をその頭の中で思い描く。

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